らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

神戸・淡路島日帰り旅(その2)「歴史館」

2012-09-23 | 旅行

神戸・淡路島日帰り旅」の2回目は「KOBE de 清盛2012」の「歴史館」をご紹介します。
「歴史館」の会場は、平清盛が作った大輪田泊(おおわだのとまり)に造られています。
「歴史館」では、清盛が生きた平安時代の暮らしや神戸港の発展、福原京に関する遺跡や出土品の展示などが見どころとなっています。

・これが歴史館の会場です。今年の神戸の観光の目玉にしては小さな建物でした。


「館内の展示品」
冑(かぶと)の展示では実際に頭に冠ることができます。
この冑の重さはおよそ4㎏だそうです。試しに冠ってみましたが可なり重いです。
これを冠って戦場を動き回った昔の人は、首が強かったのでしょうね。


・これは十二単衣(じゅうにひとえ)の重さを体験できる器械です。
 ツアーの同行者が肩で押し上げて体験していましたが、重いのにびっくりしていました。
 十二単衣の重さはおよそ10kgだそうです。


・入道清盛の肖像画です。歴史書などでよく見かける絵ですね。


「教ケ島」
清盛が日宋貿易の拠点とする大輪田泊(おおわだのとまり)は南東からの風波による海難事故が絶えませんでした。そこで清盛は、泊まりの沖に風よけや波よけとなる人工島の築造を命じました。
工事は極めて難しく、海の神が工事を妨げているのではないかと考えた人々はその怒りを鎮めるために人柱を立てようと考えました。
しかし、それは「罪業である」として反対され、石の表面に一切経を書いて海中に投げ入れ工事を完成させました。
これにより、築かれた島は「教ケ島」と呼ばれるようになったそうです。



・左は経ケ島で使われたと言う杭片と右は築港工事の達成を願って埋められたと言う経石です。


「福原遷都」
保元(1156年)・平治の乱(1159年)に勝利した平氏は平清盛を筆頭に一門が高位の官職を独占し、各地に500か所とも言われる荘園を持ちました。
仁安2年(1167年)清盛は太政大臣になると僅か3ヶ月で辞任し、翌年に出家して福原に山荘を構えます。
以後、教ケ島を築いて大輪田泊(おおわだのとまり)を改修し、日宋貿易に乗り出しました。
平氏の権勢に対し、治承元年(1177年)、後白河院の近臣が平家打倒を企てた「鹿ケ谷事件」が発覚し、院と平氏の対立が明らかになります。
治承4年(1180年)6月2日に清盛は平氏一門、安徳天皇、高倉上皇、後白河法皇と共に京を経って福原(神戸市兵庫区)に向かいました。
これが福原遷都です。



昨日と今日の2回に亘り「ドラマ館」「歴史館」をご紹介しましたが、平清盛と神戸の関わりを知るには、清盛ゆかりの地を巡るのがいいかも知れません。
観光案内のパンフレットとして「平家一門の栄華を偲ぶ名所・史跡」の地図が用意されていました。