正月に行われる箱根駅伝を毎年TVで観ているので知っているのですが、横浜市保土ヶ谷区に権太坂があります。
この坂は駅伝では往路コースの第2区、保土ヶ谷~戸塚間にあって、急こう配で難所として知られており、過去のレースではこの坂で立ち止まった選手も何人かいました。
権太坂の名前の由来は、次のように伝えられています。
ある旅人がこの坂を登りきったところで、そばにいた農夫に尋ねたそうです。
「急勾配で長い坂道ですね。この坂は何という名前なのですか」と。
農夫は耳が遠く、自分の名前を尋ねられたものと勘違いして「権太です」と答えたために、「権太坂」と伝えられるようになったということです。
「権太坂」の由来はこのくらいにして、私の故郷岡山では「ごんた」という方言があります。
意味は悪ガキのことで、使用例としては「おめえは(お前は)ごんたくれじゃのう」などと使っていました。
この「ごんた」と言う言葉、実は、同じ意味で関西でも広く使われているようです。
先日、某新聞に載っていたのでご紹介します。
関西では、やんちゃな子供や言うことをきかない子供を「ごんた」とか「ごんたくれ」と言います。
この「ごんた」の語源となる人物が実際に居たのだそうです。
人形浄瑠璃や歌舞伎の「義経千本桜」に「三段目すし屋の段」という話がありますが、ここに登場するすし屋の放蕩息子が「権太」だそうです。
この息子はゆすりたかりを繰り返すやくざ者で、地元では「いがみの権太」と呼ばれていました。
この後の芝居の内容は省略しますが、この芝居が各地で上演される内に、権太のようなやんちゃ者と言う意味で「ごんた」が定着したと言われています。
この物語の舞台と伝わるすし屋が奈良県の下市町にあるそうです。
創業800年余りの「つるべすし弥助」と言うお店だそうで、ここの49代目の店主は「先祖に権太のような荒くれ者がいてたわけではないですが、長い歴史のなかでは道楽者もいれば、しっかり者もいるのではないか」と話しているのだそうです。(以上某新聞記事より)
この、ゆすりたかりを繰り返す「いがみの権太」が遠く離れた岡山にも伝わったのかも知れません。
岡山では悪ガキのことを「ごんた」と呼んで、方言で生きています。
この坂は駅伝では往路コースの第2区、保土ヶ谷~戸塚間にあって、急こう配で難所として知られており、過去のレースではこの坂で立ち止まった選手も何人かいました。
権太坂の名前の由来は、次のように伝えられています。
ある旅人がこの坂を登りきったところで、そばにいた農夫に尋ねたそうです。
「急勾配で長い坂道ですね。この坂は何という名前なのですか」と。
農夫は耳が遠く、自分の名前を尋ねられたものと勘違いして「権太です」と答えたために、「権太坂」と伝えられるようになったということです。
「権太坂」の由来はこのくらいにして、私の故郷岡山では「ごんた」という方言があります。
意味は悪ガキのことで、使用例としては「おめえは(お前は)ごんたくれじゃのう」などと使っていました。
この「ごんた」と言う言葉、実は、同じ意味で関西でも広く使われているようです。
先日、某新聞に載っていたのでご紹介します。
関西では、やんちゃな子供や言うことをきかない子供を「ごんた」とか「ごんたくれ」と言います。
この「ごんた」の語源となる人物が実際に居たのだそうです。
人形浄瑠璃や歌舞伎の「義経千本桜」に「三段目すし屋の段」という話がありますが、ここに登場するすし屋の放蕩息子が「権太」だそうです。
この息子はゆすりたかりを繰り返すやくざ者で、地元では「いがみの権太」と呼ばれていました。
この後の芝居の内容は省略しますが、この芝居が各地で上演される内に、権太のようなやんちゃ者と言う意味で「ごんた」が定着したと言われています。
この物語の舞台と伝わるすし屋が奈良県の下市町にあるそうです。
創業800年余りの「つるべすし弥助」と言うお店だそうで、ここの49代目の店主は「先祖に権太のような荒くれ者がいてたわけではないですが、長い歴史のなかでは道楽者もいれば、しっかり者もいるのではないか」と話しているのだそうです。(以上某新聞記事より)
この、ゆすりたかりを繰り返す「いがみの権太」が遠く離れた岡山にも伝わったのかも知れません。
岡山では悪ガキのことを「ごんた」と呼んで、方言で生きています。