世界三大美女と言えば、「クレオパトラ、楊貴妃、ヘレネ、」のようですが、日本ではヘレネに代わって「小野小町」が入って三大美女と言われています。
これは明治時代に出来た表現のようですが、おそらく、当時の講談師や文士兼新聞記者みたいな人が作った表現のようで、その理由の一つは、“和・洋・漢”の代表ということ。
そして二つ目は“三人とも様々な伝説があって、ネタにしやすかった”と言うことのようです。
何はともあれ、常に“絶世の美女”との形容が付いて語られるクレオパトラですが、「クレオパトラの鼻がもう一センチ低かったら、世界の歴史は変わっていただろう」と言ったパスカルのこの言葉は余りにも有名であり、かなりの美形だったのではないかと言われています。
が、しかし、実際には彼女が絶世の美女だったという証拠は何処にも残っていないそうです。
最近、イギリスのタイムズに載った記事では、絶世の美女と形容されることの多い古代エジプトの女王クレオパトラだが、2000年前の古代ローマ銀貨に描かれた顔はその評価を覆すものになりそうだ、ということです。
それによると、ニューカッスル大学が発見した銀貨に描かれていたクレオパトラの顔は、とがったあごに薄い唇で、鼻も鋭角。
硬貨の裏面に描かれているのはクレオパトラと恋仲にあったとされるローマの軍人マーク・アントニー(マルクス・アントニウス)だが、その顔も、どんぐり眼にかぎ鼻、薄い唇とそれほど魅力的とはいえない容姿になっている、と報じています。
・クレオパトラ7世頭部(紀元前40年頃、ベルリン美術館蔵)(ウィキペディアより)
ある書物に、バチカン博物館や大英博物館には美しいクレオパトラ像が展示されていますが、これは後世の彫刻家たちが想像したクレオパトラを彫像化したものだそうです。
でも、クレオパトラが魅力的だったことは事実のようで、シーザー、そしてアントニウスと、ローマの英雄を二人までその魅力で夢中にさせたことがそれを証明しているということです。
しかし、シーザーはクレオパトラの容姿に惹かれた訳ではなかったようで、当初シーザーは、「たかが女が統治できる程度の国だ」と、エジプトを可なり侮っていました。
ところが実際に出会ったエジプトの女王クレオパトラに骨抜きにされてしまったのです。
シーザーがまず驚いたのは、女王が語学に堪能で、ヘブライ語、ギリシャ語、ラテン語などを自由に話すことができたそうです。
そして、それ以上シーザーの心を捉えたのは、素晴らしい声だったと言われています。
ギリシャの哲学者で、著述家であるプルタルコスは、「クレオパトラには抵抗できない魅力があった。説得力にみちた言葉や振る舞いは一種の心地よい刺激をかもした。彼女が語る時、その声の響きは甘く心地よかった」と書き残しているそうです。
また、ローマの政治家であり歴史家ディオン・カッシウスも、「彼女の語る時の魅力は実に大きかったので、聞く人全てを打ち負かした」と記しているのだそうです。
男を惹きつけた魅力的なクレオパトラですが、その実態は美貌ではなく、語学力と声で男たちを魅了したのかも知れませんね。
以上、某書物からご紹介しました。