先日、現役時代の趣味の会である「歴史探訪同好会」のメンバー14名と大阪府内の紀州街道を歩いてきました。
今回は南海電鉄春木駅(岸和田市)から南海電鉄泉佐野駅(泉佐野市)までの12㎞~13㎞です。
晴天に恵まれ、4月中旬を思わせる暖かい日差しの下、全員元気に歩き切りました。
今日から数回に分けてご紹介します。
「旧 和泉銀行本店」
スタート地点の春木駅前から1時間ほど歩いたところに由緒ありそうな重厚な建物がありました。
正面入口には「C・T・L・BANK」と書かれていたので、もしや「銀行?」と思い、説明書きを読んでいたところ、中から女性が出てきて、「見学可能」と言っていただいたので、内部を見学させてもらいました。
この建物は、昭和8年に建てられた旧和泉銀行の本店だったそうです。
その後、阪南銀行、大阪銀行、そして戦後には住友銀行、岸和田信用金庫、泉州信用金庫、南大阪信用金庫と入店が続き、平成16年の大阪信用金庫を最後に銀行の役割を終えました。
現在はダイエット食品を扱うタイムリーカンパニーなど3社が共同保有し、C・T・L・はこれらの会社の頭文字です。
その後、国の登録有形文化財に登録され、一般開放もされているということです。
・嘗て、銀行の営業場だった建物の内部です。正面の右の開いている部屋は金庫室です。
・頑丈な金庫の扉もそのまま残っています。
・金庫の中では絵画が展示されていました。
「紀州街道」
街道沿いに立てられている説明によれば、紀州街道は大坂高麗橋から住吉・堺・岸和田城下を通り、和歌山に至る街道です。
近世以前は熊野街道が泉州地域の主要な幹線道でしたが、海沿いの町が発展していくにつれ、慶長7年(1602年)頃に沿岸部を結ぶ街道として成立しました。
江戸時代初期には紀州徳川家は大和街道を通り、伊勢松坂を経由して参勤交代を行っていましたが、第六代宗直以降は紀州街道を通り、大坂・京・東海道を抜け、江戸へ向かう道程へと改めています。
これは第八代将軍徳川吉宗を出した紀州徳川家の家格に見合うように、行列の威容を道中で示すためであったと言われています。
このように参勤交代に使用されることで一層街道の整備が進み、町場の発展と共に多くの商家や町屋が建ち並んだそうです。
・綺麗に整備されている岸和田市内の街道です。
「こなから坂」
「こなから」とは半分の半分、即ち、4分の1を意味し、この坂が4分の1勾配に見えたことから、この名前が付けられたと伝えられます。
敬老の日の前日のだんじり祭りには、岸城神社に宮入するだんじりがこの「こなから坂を」一気に駆け上がり城に向かって豪快なやりまわしを行います。