らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

万博公園散策(1)

2017-10-15 | 地元紹介

先日、大阪・吹田市の万博記念公園に隣接するホテル阪急で高校時代の同窓会(クラス会)が催されたので参加してきました。
当日の参加者は東京地区から1名、岡山・広島地区から9名、そして大阪地区から9名の計19名が参加しました。
3年ぶりに顔を合わせたクラスメートは見かけは老けていますが、後期高齢者とは思えないくらい健康面や口が達者であり、元気そのものでした。

さて、大阪万博と言えば、今から47年前の昭和45年に開かれた日本万国博覧会のことですが、万博記念公園はその会場跡地が公園化されているところです。
広大な敷地には人工的な森林が造られており、まるでハイキングに来ているような感じで園内を歩くことができます。

日本万国博覧会についてはご記憶されていると思います。
昭和39年の東京オリンピックに続いて、昭和45年に大阪で開催しました。
戦後25年で驚異的な高度経済成長を遂げた日本は世界を驚かせたましたが、その成長ぶりを示したのがここ千里で開催された日本万国博覧会でした。

日本万国博覧会のテーマは「人類の進歩と調和」でした。
進歩と調和という共存の困難なこの主題に人類の高い理想を追求した多くの展示。そして「太陽の塔」は“原点”の“起点”として万国博の輝かしいシンボルでした。
テーマの精神を集約的に表現するシンボルゾーンのほぼ中央、お祭り広場の大屋根をつらぬいて、高さ65メートルの太陽の塔がそびえていたのですが、現在も当時のまま太陽の塔が公園の入口にそびえていて、訪れる人たちを出迎えてくれています。



嘗ての日本万国博覧会会場は、現在ではこの案内図のように全面が公園化しています。



高速道路をまたいで万博記念公園の入口へ向かう通路には陸橋が架けられています。
中央が中国自動車道、それを挟んで左右に走る道路は中央環状線です。



「太陽の塔」
太陽の塔は、芸術家の岡本太郎がデザインし、1970年に開催された日本万国博覧会のシンボルゾーンにテーマ展示館として、母の塔・青春の塔・大屋根(長さ292メートル、幅108メートル、高さ約40メートル)とともにつくられました。
塔の頂部には金色に輝き未来を象徴する「黄金の顔」、現在を象徴する正面の「太陽の顔」、過去を象徴する背面の「黒い太陽」という3つの顔を持っています。

・入場門を入ると太陽の塔が出迎えてくれます。


「太陽の塔・背面」
太陽の塔の構造は、鉄骨、鉄筋コンクリート造りで一部軽量化のため吹き付けのコンクリートが使われています。
また、内部は空洞になっており、博覧会当時は展示空間でしたが、現在は公開していません。
「太陽の塔」は過去・現在・未来を貫いて生成する万物のエネルギーの象徴であると同時に、生命の中心、祭りの中心を示したもので、博覧会開催期間中、テーマ館の来館者に多くの感動を与えました。

・過去を象徴する背面の「黒い太陽」です。


「水車」
太陽の塔から西方面へ少し歩くと水車茶屋があります。
ここに立てられている説明によれば、
この水車は箕面市上止々呂美上ノ所地区の村の共有物として昭和28年に作られ(初代の木製水車は文政年間(1820年代)に設置)余野川べりに米搗(こめつ)きの音を立てて回っていたのが、時代の変遷にともない使用されなくなり、昭和48年に万博記念公園に地区より寄贈されたものです。



「森の足場」
森の足湯」では、万博記念公園内の間伐木を薪にしてボイラーで燃焼し、その熱エネルギーで地下水を温水にして、足湯に利用しています。
熱から電気をつくる発電機「スターリングエンジン」も併設されています。
一度に6人までご利用できる内湯「欅の湯」(けやきのゆ)と、一度に10人までご利用できる外湯「華の湯」(はなのゆ)があります。
広大な自然に囲まれた自然文化園を散策されたのち、ひと時の癒しの時間として利用される人もいるようです。



明日も万博記念公園をご紹介します。