らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

ジオラマで見る懐かしの昭和(2)

2017-10-12 | 地元紹介

「ジオラマで見る懐かしの昭和」の2回目です。
私がこのジオラマの見学をしていた時、民放のテレビカメラが取材に来ました。
テレビ局は毎日放送で、“ちちんぷいぷい”と言う番組の取材で来ていること、放送は翌日の9月29日と言う事を知りました。

そして、翌日の、“ちちんぷいぷい”を観たところ、このジオラマを制作した岸和田市在住の人形作家・南條 亮(あきら)さん(74歳)が登場していました。
番組の中で、南條さんはこのジオラマについての想いを次のように話していました。
『戦後の町が好きなんだ。あの時の浮浪児みたいな子供たちが成長して、後の昭和に生きている。あの状態からどういう風に立ち直って、ほんわかした昭和30年代に生き延びてきたか』と、しみじみと語っていたのです。

「演芸会」
ジオラマの前に置かれている説明では、「下町の空き地や公園では「のど自慢大会」「演芸会」などが行われるようになった。ほんの少しお腹が満たされてきた人々には、やっと笑う余裕が出てきたのだろうか」と、書かれていました。

・このジオラマはエンタツ・アチャコの漫才を再現しています。


「胴馬」
前に立った子供の股ぐらに頭を突っ込み胴馬を作ると別のチームは馬の背中に飛び乗って押しつぶすと勝ちです。必ず一番弱い奴が狙われ、二重、三重に乗っかられて、押しつぶされる。
たくさんの子供が一緒に、一円のお金も道具も持たず体力とチームワークをかけて攻防戦が展開される。
同時にこんなことで怪我をする奴はいなかった。擦り傷、切り傷などは怪我の内には入らなかったのである。
今の子供に取り戻して欲しい逞しさの一つでもある。
と書かれています。

・胴馬の風景です。


「小川の魚とり」
町の中にもあちこちに畑があった。灌漑用水の水路や池にはメダカ、フナ、モロコやエビなどの生き物がいたるところにいた。
子供たちは毎日、家に帰る頃は泥んこになっていた。



「駄菓子屋と八百屋」
横丁の駄菓子屋は子供たちの社交場。悪ガキも泣き虫も男の子も女の子も小さな子、大きな子、皆の大切な遊びの基地だった。
子供は大八車で買い出しに行き、せっせと店の仕事をし、大人はへぼ将棋に興じている。
この頃ラジオでは「テネシーワルツ」がよく流れていた。世の中では今のような凄惨な事件は少なかったかもしれない。



「嬉しい給食」
救援物資のお陰で給食に食べたことがないおかずが出てきた。
子供たちは大喜び。
先生「それでは皆さんいただきます」

・学校における給食の風景です。


空き地があれば円を書いてすぐに相撲を取っていました。
私が子供の頃には横綱の照国や前田山、東富士、千代の山、鏡里などが活躍しており、相撲人気は絶大でした。
子供たちはラジオから流れる実況を聞いて、顔も見た事もない横綱の名前を名乗りながら相撲を取っていたのです。

・子供相撲は勝ち抜き戦でした。


子供たちが生き生きと遊んでいる姿が再現されています。