昨日は「大寒」でした。寒さの厳しいこの時期には「ロウバイ(蝋梅)」が見ごろを迎えます。
今日は我が家の庭に咲いている「蝋梅((ロウバイ)」の花をご紹介します。
「蝋梅」はロウバイ科ロウバイ属の落葉低木で、別名は「カラウメ(唐梅)」、「ナンキンウメ(南京梅)」と言われています。
原産地は中国で、日本には17世紀初期に渡来し、主として観賞用の庭木として栽培されています。
名前に「梅」が付いていますが「梅」の仲間ではありません。
・我が家の蝋梅の木です。
「名前の由来」
名前の由来は、中国でも蝋梅と呼ばれていたからとする説や、蝋細工のような花からとする説、更に、蝋月(陰暦12月)に咲くからとする説などの諸説があります。
英語名では「Winter Sweet」と呼ばれ、冬に咲く花で、甘い香りが漂うことからこの名前がつけられたのではないかと言われています。
また、学名のチモナンサス(chimonanthus)もギリシャ語の「cheimon(冬)」+「anthos(花)」が語源であり、矢張り「冬の花」を意味しているようです。
・学名・英名の通り、冬に咲き、甘い香りが漂う蝋梅の花です
「蝋梅((ロウバイ)」は黄色の花が12月~2月にかけて咲きます。
花弁は分厚く、蝋のような質感があり、非常に良い芳香があります。
・蕾や花弁には蝋細工のような艶があります。
「蝋梅((ロウバイ)」の種子にはアルカロイドであるカリカンチンという有毒成分を含んでおり、誤って口に入れると中毒になります。
中毒になればストリキニーネ、即ち、アルカロイドの一つで、筋肉を硬直・痙攣(けいれん)させる毒薬のような中毒症状を示すそうなので十分注意が必要です。
・我が家の蝋梅は現在3~4分くらいの開花です。
「大寒」とは、寒さが一年で最も厳しくなる頃であり、暦便覧には「冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也」と説明しています。
日本列島は今週に入って、「大寒」に合わすかのように強い寒気に居座られ、日本海側を中心に大雪に見舞われています。
今年の「大寒」は、正に暦通りの寒さとなっています。
この「大寒」寒波による大雪で、雪国では屋根の雪降ろし中の落下事故や屋根から落ちてきた雪に埋もれて亡くなった方が全国で46人にも上っているそうです。
専門家は、事故防止の注意点として”雪下ろしは一人では行わず、必ず二人以上で行って欲しい”と指摘していました。
雪国の皆さん、屋根の雪降ろし時には、くれぐれも事故のないように注意をしてください。
「大寒の行事」
さて、大寒の行事に「大寒禊(たいかんみそぎ)」があります。
・「大寒禊(たいかんみそぎ)」とは、冷水に入って心身を清め、無病息災を祈る行事です。
禊とは、「水(霊)注ぎ(みそそぎ)」を略した言葉といわれており、日本神話のイザナギノミコトの日向の阿波岐原(あわぎはら)における禊祓いに倣った、最も古い行法といわれています。
水は海に篭(こも)る霊力によって心身の不浄を除き、自分自身の本心の力を最も良い状態にすると信じられいるそうです。
・「凍り豆腐」「寒天」「酒」「味噌」などの製造業者の方は、寒の内のこの時期に寒気を利用して仕込を行います。
・更に、今日は「二十日正月」でもあります。
「二十日正月」とは、正月の終わりとなる節目の日で、この日を以って正月行事は終了します。
京阪神地方では、正月に用いた鰤(ぶり)の骨や頭を酒粕、野菜、大豆等と一緒に煮て食べる風習があり、このことから「骨正月」、「頭正月」とも言われています。
今日は栽培4年目にして初めて収穫した「ハッサク(八朔)」についてご紹介します。
我が家のハッサクは昨年も花が咲きましたが、受粉樹がなかったため実が止まることなく全て落ちてしまいました。
今年は4月の開花時に知人から受粉用の花を頂き人工受粉をしたところ、花後にはたくさんの幼果がつきました。
このハッサクの木は4年目とまだ若いので、木に負担をかけないようにその殆どを摘果し、結局13個を育てることにしました。
そのハッサクが漸く収穫の時を迎えたものです。
・6月末のハッサクです。この頃キズのないきれいな実を充実した枝に1~2個残すように摘果しました。
「ハッサク(八朔)」とは、八月朔日(さくじつ)の略で、朔日(さくじつ)とは1日のことです。
つまり「旧暦の8月1日には食べられる」という意味でこの名前がついたようですが、実際の収穫時期は12月~1月の冬季であり、8月の頃にはとても食べられる状態ではありません。
・1月になって漸く黄色に熟れてきたハッサク(八朔)です。この木に13個生らせたので比較的大きなハッサクに成長しています。
今回は取り敢えず3個を収穫し保存方法などを確認することにしました。
八朔は1カ月くらい保存して追熟させないと甘みが出ないと聞いていたので保存方法を調べた結果、家庭菜園では収穫して1週間~10日ほど風通しの良い涼しい納屋などに保存し、その後、新聞紙に包んで2週間ほど保存すると書かれていました。
また、木で完熟させる「木成りハッサク」という方法もありますが、これは2月以降まで木に生らせたまま収穫しないで熟成させる方法なので、木が弱り、水分も抜けるらしく家庭菜園では無理のようです。
私はもみ殻の中に入れて追熟させることにしました。
今回3個だけ収穫しましたが、木に負担をかけないために残りの10個についても早めに収穫する予定です。
昨日は「阪神・淡路大震災」から16年目の1日でした。そのため、関西の各テレビ局や新聞ではその特集番組を組み、テレビでは何回となく放映していました。
思い起こせば「阪神・淡路大震災」は、平成7年(1995年)1月17日、午前5時46分に淡路島北部を震源として発生し、神戸や阪神地区、淡路島に大きな被害をもたらしました。
地震の規模を示すマグネチユードは 7.3で、揺れの大きさは「震度 7」といわれており、人が感じる震度1以上の揺れの範囲は、東は福島県の小名浜、西は長崎県の佐世保、北は新潟、南は鹿児島までの広い範囲であったそうです。
この大震災では死者数6434名、被災世帯は46万世帯以上という大被害をもたらしました。
・16年前、震災直後の神戸の街です。
16年目の昨日朝の神戸の気温は氷点下0.7度と小雪が舞う寒さだったようです。その寒さの中、被災地では地震が起きた午前5時46分にあわせて犠牲者に黙祷を捧げご冥福を祈っていました。
テレビのインタビューや被災者の現在の心境をを聞いていると、16年経った今でも被災者一人一人が心の奥に深い傷跡を残していることが窺えます。
震災から16年経って、神戸市では人口の38%が震災の後に生まれたり転入してきたりした震災を知らない住民となっており、震災の体験と教訓を語り継いでいく必要性を報じていました。
昨日は、兵庫県内で79の追悼行事が開かれ一日中祈りに包まれたようです。更に、震災を知らない子どもたちに体験を語り継ぐ催しも各地で行われ、犠牲者への追悼とともに震災の教訓を伝える1日になったと報じていました。
地震大国日本では、近い将来、東海、東南海、南海地震が発生する確率が高くなっているようです。
昨日の震災特集を観ていて「阪神・淡路大震災」の教訓を生かした備えを十分しておく必要性を再認識したところです。
今日は自宅の窓越しにウォッチした可愛いメジロをご紹介します。
我が家の庭には毎年この時期にメジロのつがいがやって来ます。メジロ以外にもヒヨドリや、雀も庭に舞い降ります。
その飛来目的は、フェンスに這わせているチロリアンランプの花の蜜を吸うためです。餌の少ない冬場は野鳥たちにとって貴重な栄養源なのでしょうね。
特にメジロは花の蜜を求めて殆ど毎日、しかも一日に数回飛来することもあります。
蜜を啄(ついば)む様はとても愛らしく、居ながらにして「バードウォッチング」が楽しめ、毎日の飛来を楽しみにしているところです。
・フェンスに止まって周りの様子を窺っているところです。
「メジロ(目白)」はスズメ目、メジロ科に属する鳥です。全長は12cm前後とスズメよりやや小さめです。
分布は日本や中国などの東アジアから東南アジアまでの広範囲にわたって生息する留鳥です。
留鳥とは、年間を通して同じ場所に生息する鳥のことを言います。
・ガラス越しに7~8倍位のズームでシャッターを切りました。タイミングよく正面から撮影することができました。
メジロは緑がかった背と暗褐色の羽を持ち、雌雄同色で、名前の由来となっている目の周りの白い輪が特徴の野鳥です。
この目の周りの白い輪は英名の謂れにもなっているようであり、英名では、「Japanese White-eye」といわれています。
・蜜をついばむ直前です。
メジロは和歌山県と大分県の県鳥に指定されているそうです。因みに大阪府の府鳥は「モズ」です。
・チロリアンランプの花の蜜をついばんでいるメジロです。
メジロは梅の花にもよく飛来することからウグイスと混同されやすいようですが、ウグイスは「声は聞けども姿は見せず」とよく言われるように、警戒心が強くて藪の中からめったに出てきません。
それに比べてメジロは警戒心が緩く、観察しやすい野鳥です。
・(参考)これがウグイスです。
暦は既に「寒中」に入って10日となり、正に、1年で最も寒さが厳しい時期の真っただ中にあるため、この寒さは当然と言えば当然なのかも分かりません。
「寒中」はいくつかの言葉を生んでいます。
今日は「寒の入り」から9日目を言い表している「寒九(かんく)」について調べました。
「寒九(かんく)」
「寒九(かんく)」とは、「寒の入り」である二十四節気の「小寒」の日から9日目を言い、次のような行事と言い伝えが残っています。
・「寒九(かんく)の水汲み」
「寒中」の時期は寒さが最も厳しく、この寒さと乾燥のために雑菌の繁殖が抑えられることから、この時期に汲んだ水は質がよく、腐りにくいといわれています。 殊に「寒九の水」は薬になるとまで云われているそうです。
また、水の質が味の善し悪しに影響する酒造りでは、寒の水を使った酒は味がよいと言われ、寒の時期は酒造りが最盛期となります。 このためこの時期には、酒蔵では最も重要な行事として「寒九(かんく)の水くみ」
の行事が行われるようです。
・「寒九(かんく)の雨」
更に、「寒九(かんく)の雨」と言う言葉もあります。
「寒九(かんく)の雨」とは、「寒九(かんく)」頃に雨が降るとその年は豊作になると言い伝えられているものです。
これは、一説には、「寒九(かんく)の雨」によって高い山に降り積もった雪が水分をたっぷり含んで凍結し、水ぬるむ季節を迎えると、豊富な雪解け水となって田畑を潤し、豊作をもたらすと解釈されていることです。
実際、長野県の長沼村(現長野市)では、「寒九(かんく)の雨」が降らなかった1924年(大正13年)には水不足になって凶作に陥り、村人の間で水争いを巡って騒ぎが起きたことを歴史が伝えており、この水争いを
きっかけに農業用水の整備が進んだとされています。
他にもこの時期、寒風に晒した食べ物は味がよく、染め物の色は鮮やかであると言われており、「寒干し」や「寒晒し」と言った言葉も生まれています。
今日1月15日は「小正月」と呼ばれており、関西の一部の地方では今日までが「松の内」としているところもあります。
そこで今日は「小正月」と「松の内」について調べました。
「小正月」
小正月とは、正月の「望の日(満月の日)」のことですが、現在は新暦の1月15日を言い、1月1日の元旦を「大正月」と呼ぶのに対してこのように呼ばれています。
昔は月を基準にして1ヶ月を数えており、その1ヵ月は「望(満月)」から「望(満月)」の日までとされていたため、一年の最初の「望(満月)」の日を正月としてお祝いしていました。
現在では、一年の最初の望(満月)は15日とは限りませんが、昔の名残りで15日を「小正月」と呼んでいます。
この小正月は地方によっては「女正月(めしょうがつ)」とか、「二番正月」と言っているところもあるようです。
「女正月」と言われている所以は、暮から正月にかけて年賀などの挨拶客の接待で忙しく働いた主婦を、年賀行事が一段落した「小正月」の時期に、せめて1日だけでも家事から解放してあげようという労(ねぎら)いの意味でこのように呼ばれるようになったようです。
「松の内」
「松の内」とは、新年にお迎えした年神様のために、道しるべとして門ごとに置かれる門松などの松飾りのある期間を言います。
本来、「松の内」とは「小正月」までを言いますが、現在では、1月7日までを「松の内」としている地方が関東を中心に広まっているようです。
その経緯は、1662年1月6日江戸幕府により、1月7日を以って飾り納めを指示する最初の通達が江戸の城下にお触れとして発せられ、それに倣って関東を中心に広まったと考えられていることによります。
これに対して関西では現在でも一部の地方で小正月までを「松の内」としている地区が数多くあるようです。
小正月には次のような風習があります。
・「小豆粥(あずきがゆ)」
小豆粥とは、小豆を米に混ぜて炊いた粥のことで、邪気を除くとして、古くから小正月の朝に食べる習慣があります。
この小豆粥の風習は中国から伝わったものです。中国では「小豆粥」を炊いて家族の健康を祈る慣わしが古くからあり、それが日本に伝わって現在に至っているようです。
・「左義長・三毬杖(さぎちょう)」
「左義長・三毬杖(さぎちょう)」とは、正月に飾った門松や注連(しめ)飾り、書初めで書いたものなどを持ち寄って焼く火祭りのことで、「どんど焼き」とも言われています。
「どんど焼き」の語源は、火が燃える様子を「尊(とうと)や尊(とうと)」と囃し立てた囃子言葉がなまったと言う説や、どんどん燃える様子から「どんどん焼き」、「どんど焼」、「とんど焼き」などと言われるようになったとの
説があるようです。
1月~2月は落葉果樹の剪定時期となります。
私は数年前から畑の隅で巨峰の木を1本栽培していますので、毎年この時期に剪定をしています。
今日はそのブドウの剪定についてご紹介します。
ブドウの剪定について調べてみると、大きく分けて2つの方法があります。
一つは山梨県でなどで行われている「長梢(ちょうしょう)剪定」、もう一つは岡山県などで行われている「短梢(たんしょう)剪定」です。
・「長梢(ちょうしょう)剪定」とは、来年伸ばす枝に5~6芽残して剪定する方法で、樹勢の強い品種に適用し、
・「短梢(たんしょう)剪定」とは、 1~2芽残す方法で、こちらは樹勢の弱い品種に適用する剪定です。
我が家では樹勢の強い巨峰を栽培しているので「長梢(ちょうしょう)剪定」を参考にして行いました。
・これは収穫後、そのままにしていた剪定前のぶどう棚です。
「長梢(ちょうしょう)剪定」の基本は前述したように、前年に伸びた枝の5~6芽を残して切り詰めます。
次に、今年育てる枝は1芽を残し、新芽を傷つけないように次(2つ目)の芽との中間、或いは2つ目の芽の上で剪定します。
ただし、欠けた枝がある場合は隣の芽を2芽以上残し、空いたスペースを埋めるための芽を確保するように剪定します。
これが果樹の本に書かれている剪定の基本ですが、私の場合は当初の整枝が出来ていないことと場所が狭いことで基本通りの整枝は難しく、枯れた枝や樹勢の弱い枝、古い枝などを大幅に剪定し、丈夫な枝をできるだけ棚の誘導線に沿って伸ばすように剪定しました。
・剪定後のぶどう棚です。棚がすっきりしました。
・アライグマ対策のネットです。
昨年はこのように防獣ネットを全面に覆い、2枚のネットが重なる個所を縫い合わせていましたが、それでもアライグマが侵入し被害を被りました。
今年は、ネットを棚の上部50cmに高めて張り直しました。更に、重なっている個所はもう少し細かく縫い合わせ、土面に隙間が出来ないように工夫するつもりです。
昨年の春先に植え付けたサトイモを少しずつ収穫していますのでご紹介します。
昨年夏の大阪南部・熊取町は記録的な猛暑で、家庭菜園におけるサトイモ栽培は、畑の乾燥に悩まされ水やりに大変苦労しました。
サトイモは乾燥を嫌うので毎日の水やりが欠かせません。乾燥を防ぐ為マルチをしていますが、それでも株元の土は一日で白く乾燥してしまいます。
このため、猛暑の中、毎日j畑に出かけては1日に1回、乾燥がひどい時には朝夕の2回にわたって40L缶に入れた水を天秤にかついで運びました。
今日ご紹介しているサトイモはその汗の結晶です。
・昨年9月頃の我が家のサトイモ畑です。あぜ道や横の畝は土が乾燥して真っ白になっています。
昨年の猛暑によりサトイモに花が咲きました。関西地方でサトイモに花がつくのは大変珍しいそうです。
調べてみるとサトイモは原産地が熱帯アジアなので、高温、多湿、多雨の条件が重なると花が咲くこともあると書かれていました。
・これがサトイモ(里芋)の花です。
夏に青々としていたサトイモの葉も、冬にはこのように枯れてしまいます。
我が家ではマルチの上から稲わらをかぶせてそのまま保存しておき、必要分だけ掘り起こして収穫しています。
・今回は5株を収穫しました。
・1株の親芋の周りにはこのように小芋がついています。
・これが収穫した5株の親イモです。この親芋は一昨年に収穫した小芋を植え付けたものです。1年でこのように大きくなってたくさんの小芋を生みました。
・掘り起こした小芋にはこのように細い根が生えています。
・土を洗い流し、根を取り除いたたサトイモ(小芋)です。生産農家はこのような状態で出荷しています。
苦労の甲斐あって、比較的大きさの揃ったよい芋が収穫できたと自己満足しているところです。
昨日は全国各地でこの冬一番の冷え込みになったようです。
私が住まいしている大阪南部の熊取町は冬でも比較的温暖ところですが、昨日は流石に寒く、明け方の最低気温は氷点下になりました。
この寒さの中でも水鳥は元気そのものです。
今日は長池公園の池を泳ぐ水鳥をご紹介します。
・餌を探して長池の水面を泳いでいる水鳥です。この水鳥は渡り鳥なのか、1年中日本に生息している鳥なのか不明です。
水面に波形を描きながら元気に泳いでいる水鳥がいたので思わずシャッターを押しました。
・10倍ズームでも水鳥の種類が判別できるまでの拡大映像になりませんでした。
・水鳥は5羽飛来していました。
優雅に泳ぐ水鳥を見ていると冬の寒さを一時的に忘れさせてくれます。
冷たい水の中の水鳥たちよ、”インフルエンザにかからないように注意しろよ”。