高松市の栗林公園を見学した翌日、私たちは大阪府熊取町へ帰る途中、淡路島の“淡路ファームパーク・イングランドの丘”に立ち寄り、園内の動植物を見学しました。
今日から数回に分けてその模様をご紹介します。
このイングランドの丘は世界の可愛い動物とふれあいが出来る“グリーンヒルエリア”とイギリスの湖水地方を思わせる“イングランドエリア”の二つのエリアに分かれて造られています。
この日の淡路島も高松と同様に猛暑日であったため、園内の施設などの見学は殆どせず、孫の行きたいところを中心に見て回り、短時間で切り上げました。
・イングランドの丘のパンフレットです。
・グリーンヒルエリア”のゲートを入ると「イングランドの丘(England Hill)」の大きな表示が迎えてくれます。
・グリーンヒルエリアにある大温室です。
「陸ガメ」
このカメはアフリカが原産国のケヅメリクガメと言います。甲羅の大きさが80センチを超える大型の陸ガメで迫力がありますが、おとなしい性質だそうです。
「ワラビー広場」
ここに飼育されているワラビーは「ベネットアカクビワラビー」で、オーストラリア南東部のタスマニア島に分布しており、木の葉、草を主食にしている大型のワラビーです。
基本的な習性はカンガルーと同じで、生まれた子をおなかの袋で育てることや、後ろ足で跳びながら移動するなど似ている面が多く、夜行性で日中は寝そべっていることが殆どですが、人によく馴れているため、エサの時間になると係員の近くに集まってくるそうです。
「コアラ館」
ここのコアラ館には日本で唯一、北方種、南方種の2種類のコアラが暮らしています。
コアラは一日の殆どを寝て過ごし、活動を始めるのは夕暮れの薄暗い時間帯だと言われています。
食事に2時間をかけ、後は木の上での休憩や毛づくろいをしたりするようです。
・気持ち良さそうに寝ているコアラです。
コアラの餌はユーカリだけです。このため日本でコアラを飼育するためにはコアラが好む種類のユーカリを栽培する必要があるそうです。
・眠りから覚めてユーカリの葉っぱを食べているところです。
栗林公園の見学コースには南側を回るコース(60分モデルコース)と北側を回るコースがありますが、私たちは当日の高松の気温が35度以上の猛暑日であったことから北側コースを諦めて、南側コースだけを見てきました。
このコースには、この公園の中で一番眺めが良いと言われている築山“飛来峰”があります。
「飛来峰(古富士)」
ここに立てられていた案内板によれば、"明治43年文部省発行高等小学読本(教科書)の文章中に、風致の美を持って世に聞こゆるは水戸の偕楽園、金沢の兼六園、岡山の後楽園にして、これを日本の三公園と称す。
然れども高松の栗林公園は木石の雅趣却ってこの三公園に優れり”と説明されていました。
・飛来峰への上り石段です。“飛来峰”という築山の名称は中国杭州にある名勝地から得た命名と言われています。
・飛来峰から眺めた南湖と「偃月橋(えんげつきょう)」です。ここからの景色が栗林公園の中で一番良いと言われています。
「芙蓉峰」
梅林橋あたりから見ると富士山のような形をしているので富士の別名である芙蓉の名がついたとされています。
・これが梅林橋から撮影した築山“芙蓉峰”です。富士山の形に見えるでしょうか?
・芙蓉峰から眺めた北湖と紫雲山です。湖の奥に見える赤い橋は梅林橋です。梅林橋の右側には屏風松と箱松も見えます。
「栗林公園古図」
説明によれば、この古図は色彩の状態や色使いから、作成時期は江戸時代後期頃と推定されていますが、延享2年(1745年)の大改修の際に設けられた北湖と西湖を繋ぐ水路が描かれていないことなどから、本図が表している景観年代は延享2年以前と思われているそうです。
“この図は5代藩主による大改修以前の姿を描いた絵図を元に作成された可能性があります”とも書かれていました。
「栗林公園の名前の由来」
栗の林と書く通り、江戸時代には北庭付近に栗の木が非常に多く植えられていて、下屋敷の名称が「栗林荘」と呼ばれていたことに由来します。
現在ではその後の作庭の影響もあってあまり栗の木を見ることは出来ませんが、庭園部分は大きく南庭と北庭に分かれていて、南湖を中心とした南庭は江戸時代初期の池泉回遊式の大名庭園となっており、それに対して北庭は、以前、江戸時代は鴨場として使われていたものを明治末期から大正初期にかけて造園作庭し改修した庭園となっているそうです。
・現在の絵図です。
シリーズでご紹介している高松市の栗林公園は、ミシュランの観光版(ギード・ベール)日本版で、最高評価の見ツ星に選ばれているそうです。
4回目の今日は、その最高評価を得ている公園の南湖周辺の景観をご紹介します。
「楓岸」
説明によれば、この辺りの築山を楓岸と言うそうです。位置は南湖の南側の湖岸にある築山です。
一面に広がる苔やその名のごとく楓の姿など、変化に富んだ光景を観賞できます。
とりわけ優美に枝を張っている楓は四季折々にその姿を変え、楽しませてくれるそうです。
散策道路が整備されており、気候の良い時期に訪れるととても素晴らしいと思います。
・秋になると楓の紅葉が綺麗だそうです。
南湖の湖岸には大きな鯉がたくさん泳いでいました。餌を投げ入れると大きな口をあけて競って食べていました。
鯉に混じってナマズも泳いでいました。子供の頃はよく見かけましたが、最近は余り見ることがなく、珍しいので撮影してきました。
南湖に浮かぶ3つの島です。
「偃月橋(えんげつきょう)」
この橋は栗林公園内にある14の橋の内でも最も大きい橋です。
名前の由来の偃月(えんげつ)とは弓張月、つまり三日月の形をしていることから名付けられた橋で、美しい反りが南湖の景観を引き立てています。後方の山は紫雲山です。
現在の橋は平成13年3月に新しく架けかえられた橋だそうです。
「舟蔵跡」
藩政時代、歴代藩主が舟遊びをされた時の舟を係留していた場所で東隈(とうわい)と呼ばれています。
この船着き場は南湖、北湖、西湖など園内の各沼や池に繋がっており、優雅に舟遊びが出来るようになっていたようです。
高松の「栗林公園」シリーズをアップしていますが、この公園は東門から入ると、南側と北側の2つの散策コースがあります。
初回からご紹介しているのは南側のコースで、3回目の今日も南湖の周りをご紹介します。
「講武榭(こうぶしゃ)」
藩政時代に武を練った場所です。馬に乗って弓を射る訓練を行ったところで、扇屋原とも言われています。
「日暮亭(ひぐらしてい)」
江戸時代にあった日暮亭という茶屋跡に、明治31年(1898年)に石州流の茶室を再建したものです。
「掬月亭(きくげつてい)」
この建物は江戸初期の頃(1640年頃)建てられた回遊式大名庭園の中心的建物であり、歴代藩主が大茶屋と呼び最も愛用した建物です。
1745年に松平5代藩主頼恭公が中国の詩人千良史の詩の一句「水を掬すれば月手にあり」からとって掬月亭(きくげつてい)と命名したものだそうです。
・正面からの掬月亭です
・南湖に面している掬月亭です。
「涵翠池(かんすいち)」
案内板によれば、この池は「掬月亭(きくげつてい)」の西に造られている池で、翠(みどり)を涵(ひた)すという意味だそうです。
石組の素晴らしい中島の瑤島(ようとう)の木々だけでなく、背景となっている紫雲山の自然を含めた意図で命名したものです。
昨日に続き、栗林公園の素晴らしい庭園をご紹介します。
「根上り樫」
案内板によれば、明治の末、この位置に幹が二股に分かれた老松があり、樫がこの松の分かれ又の部分に生えていた。
生長と共に樫の根は、松の空洞化した幹の中を通り地中までおろしていたが、その後、老松が枯死したため、この根上り樫が出来たものである。
「屏風松と箱松」
2段になっている松並のうち、北側の背丈の高い松並を屏風松と言い、南側の低くなっている松並を箱松と言います。箱松はその名の通り箱の形を装った松です。
・屏風松の後ろ側の松並木です。絡み合うような届折して伸びたその見事な枝ぶりは正に圧巻です。
「北湖」
案内板によれば、この池泉内には前島、後島の二島、その奥に富士を縮景した芙蓉峰を築き、手前には求心点として朱塗りの「梅林橋」を架けるなど景勝地の一つとなっています。
この北湖は南湖に対する命名であり、南湖に次ぐ大池泉であり、特に白い玉敷きの汀線の美しさを青い池面にくっきりと見せています。
「梅林橋」
別名「赤橋」と呼ばれ、緑一色の湖景に一点朱色が鮮やかに映え、付近庭景に対する見事な引き締め役になっています。
「ぼたん石と見返り獅子」
全くの自然石であり、奥の石はボタンの花、右手前の石は獅子が振り返ったような姿に似ていることから、このように名付けられています。
先日、高松に住んでいる二男のところに行ってきました。
当日の高松は35度以上の猛暑日だったので、木陰が多く散策しやすい栗林公園を案内してくれました。
そこで、今日から数回に分けて名勝・栗林公園の美しい庭園をご紹介します。
高松へはJRの電車で行く方法がありますが、関西空港が近い我が家からは、関西空港を発着している高松行きのリムジンバス(空港送迎バス)が早くて便利なので、このバスを利用することにしました。
当日、バスの利用客は15~16名と少なく、空席が多いためゆったりと座れ、関西空港から高松道“高松中央インタ―”バス停までの約3時間15分は快適なバスの旅でした。
・渡っている橋は明石海峡大橋です。マイカーで渡った事はありますが、バスでは初めてなので車内から撮影しました。
淡路島の東浦です。明石海峡大橋を渡って程なく行くと東浦の地に差し掛かります。
・大鳴門橋です。鳴門の渦潮が白く波立っています。
「栗林公園」
パンフレットによれば、栗林公園は国の特別名勝に指定されている庭園の中では最大の広さを持っている公園だそうです。
松の緑濃い紫雲山を背景に6つの池と13の築山を巧みに配し、江戸時代初期の回遊式大名庭園として、優れた地割、石組を有し、木石の雅趣に富んでいます。
「栗林公園入口」
栗林公園には東門と北門がありますが、この門は東門です。正面の小高い山が紫雲山(しうんざん)です。
「公園の沿革」
案内によれば、本園の起こりは、元亀、天正の頃から当地の豪族であった佐藤氏によって西南地区に築庭されたのに始まると言われ、その後、寛永年間(1625年頃)讃岐領主生駒高俊公によって、南湖一帯が造園され、寛永19年(1642年)入封した松平頼重公(水戸光圀公の兄君)に引き継がれたそうです。
以来、5代松平頼恭に至る100年余りの間、歴代の藩主が修築を重ねて延亨2年(1745年)に完成したもので、明治維新に至るまで松平家11代、228年間にわたり下屋敷として使用されました。
明治4年(1871年)に高松藩が廃されて新政府の所有となりましたが、明治8年(1875年)3月16日、県立公園として一般公開され、現在に至っています。
「鶴亀松」
亀の形をした石組の上に、黒松が鶴を舞う姿さながらの形をしていることからこの名がつけられました。(右下の石が亀の形をした石です)
8月11日から昨日14日まで所用でブログの書き込みを休ませていただきました。
今日から再開しましたのでよろしくお願いいたします。
さて、再開最初の記事はお花をご紹介します。
花の少ないこの時期、我が家の鉢植えの「ニオイバンマツリ(匂蕃茉莉)」が僅か二輪ですが咲いています。
この花はナス科の常緑低木で、原産地は南アフリカだそうです。
「ニオイバンマツリ(匂蕃茉莉)」の特徴は、花が咲くと1~2日後には次第に紫から白に変化することであり、最盛期にはまるで2色咲きのようになります。
また、ニオイという名の通り甘い香りをがあり、この香りは夜に強くなります。
・咲き始めは紫色です。
・薄紫に変わりつつあります。
最初に咲いた紫色の花が1日~2日経って白くなりました。紫花と白花が一本の木に咲いているように見える珍しい花です。
一昨日の8日が立秋で暦の上では秋ですが、実際の季節は今が夏本番の最も暑い時期です。
天気予報では、今週も全国的に30度以上の真夏日になる地域が多く、一部の地域では35度以上の猛暑日になると予報しています。
今年は国や電力会社からの節電要請により、従順な日本人は暑さを我慢するのが美徳とばかりに無理をし、それが一因となって熱中症で病院に搬送される方が増加しているようです。
自分の体は自分が守らなければ、誰も守ってくれません。
決して無理をせずに暑い時にはエアコンで涼をとりましょう!
熱中症と言えば、7月13日のNHK番組、“ためしてガッテン”で熱中症対策を解説していましたので、今日はその一部をご紹介します。
詳細は下記アドレスをご参照ください。
(ご参照)
ためしてガッテン「血液からツヨクなる! 熱中症で死ぬもんかSP」
http://www9.nhk.or.jp/gatten/pdf/program/P20110713.pdf
番組では、“ちゃんと効果のある熱中症対策を!”として次の3点を取り上げていました。
1.塩分補給の真実
私たち日本人は、塩分に関しては必要量をはるかに上回る量をふだんの食事で摂取しているため、日常生活でジワジワと汗をかく場合には、さらに意識して塩分を補給する必要はないとのことです。
去年から今年、あふれる熱中症対策情報の中で、「塩分補給が大切」というフレーズだけが一人歩きして、「大量の汗をかくときは」という大事なひと言が抜けてしまっていたことが誤解の原因と思われます。
塩分補給を意識する目安は、
①玉の汗を長時間かくとき。
②腕などを水洗いしてからなめてもしょっぱいときです。
その際は、
・0.1~0.2%の食塩水、ナトリウム量で換算すると40~80mg/100ml程度のスポーツドリンクなどがおすすめです。
・とにかく夏の日常生活における脱水予防には、こまめな水分補給を心がけてください。
2.暑さに強くなるウラ技
・暑さに強い体とは、運動をする習慣によって汗をかきやすくなり、体温が上がりにくく暑さに強いい体を作れること。
・運動後に牛乳を飲むこと。
ポイントは、牛乳に含まれるたんぱく質です。 運動後にたんぱく質をとると、アルブミンが合成されます。
アルブミンには水分を保持する働きがあるため、血液中にアルブミンが増えると、水分が引き込まれ血液量が増えるのだそうです。
3.効率的に涼しくなれる方法
体を冷やすポイントは「首」です。
首は、救急救命士など専門家向けのマニュアルで、熱中症になった場合に、冷やすことがすすめられている場所の一つです。
太い血管があるため、効率的に体を冷やすと考えられているのです。但し、冷やしすぎや長時間の冷却は避けてください。
結論は、
・暑い時には無理をせず、エアコンの使用や水分の補給などを早めに行って熱中症にならないように気をつけましょう。
・「大量の汗をかくとき」以外の水分補給は牛乳がよいこと。
・そして、塩分の取り過ぎに注意しましょう。
と言うことでした。
(お詫び)
誠に勝手ながら、明日11日から14日までお休みさせていただきます。
15日から再度書き出す予定です。
今日9日は66回目の長崎原爆忌を迎えます。
毎年のことながら、長崎原爆忌は6日の広島平和記念日と比べてマスコミの報道はやや控えめになっているように思いますが、私の思いすごしでしょうか?
広島もそして長崎も、66年前に原爆投下を受けた悲惨な町に変わりありません。
当時、アメリカ軍の原爆投下の目的地点は広島、小倉、長崎、新潟の順に行うことが決定されていました。この事から、もし小倉に投下されていたならば長崎は原爆の被害を免れたかも知れない都市です。
それだけに、今日の長崎原爆忌の祈念式典については広島の時と同様、平和を希求する姿勢を大きく報道して欲しいものです。
今日の「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」は、午前10時35分から爆心地に近い平和公園(長崎市松山町)で営まれ、被爆者や遺族、菅首相らが参列して犠牲者の冥福を祈ります。
今年は原爆投下国の米国からズムワルト首席公使が初めて参加するほか、核保有国の英国、フランス、ロシアや国際原子力機関(IAEA)、欧州連合(EU)の代表が出席し、参加国数は過去最多の46カ国となる見通しだそうです。
ズムワルト氏は別の予定で日本国外にいたルース大使に代わり、6日に広島市で行われた平和記念式典にも参加しており、氏は声明で「長崎平和祈念式典に出席する初の米国代表として、第2次世界大戦の全ての犠牲者に敬意を表すことを光栄に思う。米国はオバマ大統領が掲げる核兵器のない世界の実現という目標に向け、引き続き日本と協力できると期待している」と述べています。
アメリカから初めて参加するズムワルト首席公使です。
田上富久市長は平和宣言で、原発事故による放射線被害への危機感を表明し、原子力に代わる再生エネルギーの開発を進め、原発に依存するエネルギー政策を見直すよう訴える予定だそうです。
なお、福島第1原発事故が起きた福島県からは、瀬戸孝則福島市長と、いわき市の中学校生徒会役員43人が招待されます。
8月8日は「そろばんの(算盤)日」だそうです。
「そろばん(算盤)の日」とは、そろばんを弾く音「パチ(8)、パチ(8)」の語呂合わせで全国珠算教育連盟が1968年に制定したものです。
そこで今日はそろばん(算盤)について調べました。
そろばんの原型は紀元前2500年頃のメソポタミア(現在のイラク)のウル王朝あたりで生まれたのではないかと思われているようです。
当時の計算方法は、土や岩の上に線を引き、その上に小石を並べて計算していたといわれます。
その後、紀元前後のローマ時代には、線ではなく溝を彫って、その中に同じくらいの大きさの小石を入れて転がす方式のものが使用されるようになり、この時点で既に上珠と下珠が分離されていたようです。
現在のように珠を串刺しにする方式は、中国で生まれたものではないかと言われています。
中国の算盤は、上珠が2個、下珠が5個の16進法の算盤だったようで、これは、当時の中国では、十六両で一斤という単位の仕組みがあったためですが、これが日本に伝わると、日本では特に十六進法は使用していなかったので(日本は1両=4朱、1朱=4分、という4進法)、早々に上珠は1個に改造され、下珠は5個のままでした。
江戸時代に既に乳井貢という人が下珠は4個でいいではないか、と提唱したようですが、実際に4珠の算盤が普及するのは1935年(昭和10年)に文部省令が出てからのようです。
しかし、それまで5珠の算盤に慣れていた人は簡単には切り替えられず、昭和30年代半ば頃(1960年代頃)までは5珠の算盤を使用していたようです。
そんな算盤も電卓・パソコンの普及と共に次第に使われなくなり、最近では、算盤は伝統工芸品の指定も受け、実用品から、趣味のものへと変質していっているようです。