らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

埒が明く

2015-03-21 | 雑学

北朝鮮による拉致問題や北方領土問題、一向に埒(らち)が明きません。
拉致問題については、昨年7月に再調査が始まったものの調査している気配は全くなく、回答期限が来れば理屈を作って先延ばししています。
核、ミサイル、拉致は、北朝鮮にとって、絶対譲れないカードなので、これからも進展は期待できないような気がしますが、しかし、現在の安部政権で進展を図らないことには、益々困難になって行くことでしょう。
横田さんご夫妻を始め、拉致されたご家族の心情を思うといたたまれない気持ちになります。
何か「埒(らち)が明く」手立てはないものでしょうか?

ところで、この「埒が明く」という表現ですが、一般的には「埒が明かない」と使われることから、違和感を感じるかもしれません。
ところが、「埒(らち)」とは、馬場の柵のことで、昔、春日大社の祭礼で、一夜神輿の回りにこの「埒」を立てて囲み、明け方、金春太夫(こんぱるだゆう)がそれを開けて祝詞を読み上げる習わしがあり、一般の人はそれがすむまで「埒」の中に入れなかったことから、物事が進行することを「埒が明く」といったのだそうです。

このように本来は肯定的な意味で「埒が明く」という表現が多く用いられてきましたが、現在では否定的な意味の「埒が明かない」が一般的な活用になっているようです。
従って、「埒が明く」という肯定的な表現も当然使用される語と言うことで、誤りではないと言うことをご紹介しておきます。

北朝鮮の「拉致」、一日も早く埒が明いて欲ししものですね。

 


クレオパトラ

2015-03-20 | 趣味

世界三大美女と言えば、「クレオパトラ、楊貴妃、ヘレネ、」のようですが、日本ではヘレネに代わって「小野小町」が入って三大美女と言われています。
これは明治時代に出来た表現のようですが、おそらく、当時の講談師や文士兼新聞記者みたいな人が作った表現のようで、その理由の一つは、“和・洋・漢”の代表ということ。
そして二つ目は“三人とも様々な伝説があって、ネタにしやすかった”と言うことのようです。

何はともあれ、常に“絶世の美女”との形容が付いて語られるクレオパトラですが、「クレオパトラの鼻がもう一センチ低かったら、世界の歴史は変わっていただろう」と言ったパスカルのこの言葉は余りにも有名であり、かなりの美形だったのではないかと言われています。
が、しかし、実際には彼女が絶世の美女だったという証拠は何処にも残っていないそうです。

最近、イギリスのタイムズに載った記事では、絶世の美女と形容されることの多い古代エジプトの女王クレオパトラだが、2000年前の古代ローマ銀貨に描かれた顔はその評価を覆すものになりそうだ、ということです。
それによると、ニューカッスル大学が発見した銀貨に描かれていたクレオパトラの顔は、とがったあごに薄い唇で、鼻も鋭角。
硬貨の裏面に描かれているのはクレオパトラと恋仲にあったとされるローマの軍人マーク・アントニー(マルクス・アントニウス)だが、その顔も、どんぐり眼にかぎ鼻、薄い唇とそれほど魅力的とはいえない容姿になっている、と報じています。

・クレオパトラ7世頭部(紀元前40年頃、ベルリン美術館蔵)(ウィキペディアより)


ある書物に、バチカン博物館や大英博物館には美しいクレオパトラ像が展示されていますが、これは後世の彫刻家たちが想像したクレオパトラを彫像化したものだそうです。
でも、クレオパトラが魅力的だったことは事実のようで、シーザー、そしてアントニウスと、ローマの英雄を二人までその魅力で夢中にさせたことがそれを証明しているということです。

しかし、シーザーはクレオパトラの容姿に惹かれた訳ではなかったようで、当初シーザーは、「たかが女が統治できる程度の国だ」と、エジプトを可なり侮っていました。
ところが実際に出会ったエジプトの女王クレオパトラに骨抜きにされてしまったのです。

シーザーがまず驚いたのは、女王が語学に堪能で、ヘブライ語、ギリシャ語、ラテン語などを自由に話すことができたそうです。
そして、それ以上シーザーの心を捉えたのは、素晴らしい声だったと言われています。

ギリシャの哲学者で、著述家であるプルタルコスは、「クレオパトラには抵抗できない魅力があった。説得力にみちた言葉や振る舞いは一種の心地よい刺激をかもした。彼女が語る時、その声の響きは甘く心地よかった」と書き残しているそうです。
また、ローマの政治家であり歴史家ディオン・カッシウスも、「彼女の語る時の魅力は実に大きかったので、聞く人全てを打ち負かした」と記しているのだそうです。

男を惹きつけた魅力的なクレオパトラですが、その実態は美貌ではなく、語学力と声で男たちを魅了したのかも知れませんね。
以上、某書物からご紹介しました。


一本刀土俵入り

2015-03-19 | ナツメロ

今、大阪で大相撲春場所が行われていますが、今場所もまた横綱白鵬が一人、ここまで全勝を守って、優勝争いの先頭に立っています。
毎場所、毎場所このような一強総弱が続くと次第に大相撲に興味がわかなくなり、私はここ数場所テレビ観戦をしていません。
日本人力士を始めとする総弱の力士たちには奮起を願いたいものです。

さて、相撲と言えば、、三橋美智也が昭和32年に歌った歌謡曲に「一本刀土俵入り」がありました。
これは長谷川伸の戯曲「一本刀土俵入り」を曲にしたものですが、歌舞伎や映画・芝居などでもよく演じられている出し物です。
今日はこの曲を三橋美智也と三波春夫のナツメロでお聴きください。

・三橋美智也の「一本刀土俵入りです。

 【一本刀土俵入りのあらすじ】
水戸街道の宿場町、取手の茶屋旅籠、我孫子屋の二階の窓にもたれて、酌婦のお蔦が酔いをさましていました。
そこへ空腹でふらふらしながら取的(力士の最も下の者:ふんどしかつぎ)の茂兵衛が通りかかります。
茂兵衛は破門された相撲の親方のところへ、もう一度弟子入りしようと駒形村から出てきたのですが、すでに無一文の状態です。

からんできたやくざの弥八を頭突きをくらわせて追っ払ってやったのがきっかけとなり、茂兵衛はお蔦に問われるままに、身の上話を語ります。
実家も焼けてしまい、天涯孤独な身の上の茂兵衛は、立派な横綱になって故郷の母親の墓の前で土俵入りの姿が見せたいという夢をあきらめられず、飲まず食わずの旅をつづけて、なんとか又入門をゆるしてもらおうと江戸へ向かっていると言うのでした。

母親想いの純情一途な茂兵衛の話に心をうたれたお蔦は、故郷越中八尾の母親を想って、小原節を口ずさみます。
そして持っていた巾着(きんちゃく)のお金全部と櫛、簪(かんざし)まで茂兵衛に与えて立派な横綱になるようにと励まします。
茂兵衛はこの親切を生涯忘れないと誓うのでした。

お蔦のおかげで食べ物を手に入れることができた茂兵衛だが、一足違いで渡り船に乗り遅れてしまいます。
そこへ後を追ってきた弥八と仲間が襲ってきましたが、茂兵衛は川の中へ投げ込んでやっつけてしまいました。

10
年後、望みを果たせず、やくざになっていた茂兵衛は取手に戻ってお蔦を探し、やがて再会を果たしますが、そこに死んだはずの夫・辰三郎が現れます。
夫が戻ってきた喜びもつかの間、辰三郎はイカサマ賭博で追われる身で、たちまち一味がお蔦の家を取り囲みます。 

茂兵衛は今こそ恩返しだと体を張ってお蔦達を救い、借りた金を返し、3人を逃がします。
そのときに晴れ晴れと静かに言い切るのが、「一本刀土俵入り」の名セリフです。
『お行きなさんせ。仲よく丈夫でお暮らしなさんせ。ああ、お蔦さん、棒ッ切れを振り廻してする茂兵衛の、これが、10年前に櫛、簪(かんざし)、巾着ぐるみ、意見をもらった姐さんに、せめて見てもらう駒形の、しがねえ姿の土俵入りでござんす』

「一本刀土俵入り」の見せ場は、何と言っても最後の名セリフです。
三橋美智也の歌にはセリフが入っていませんが、三波春夫はセリフを入れて歌っているので、こちらも併せてお聴きください。

・こちらは三波春夫のセリフ入り「一本刀土俵入りです。

  


琴線に触れる

2015-03-18 | 雑学

今日は文化庁が言葉の本来の意味を解説しているページ、「ことば食堂」からご紹介します。
ご紹介する内容は、昨年12月18日に公開された第17話「琴線に触れる」」です。

「琴線に触れる」とは、本来どのような意味でしょうか?
広辞苑には、「琴線(きんせん)」・・・①琴の糸。②感じやすい心情。心の奥に秘められた、感動し共鳴する微妙な心情。「―に触れる」と説明しています。
辞書に説明しているように、「琴線」は、元々は琴の糸のことで、それを、物事に感動する心の奥の心情を表すものとして比喩的に用いる言葉なのです。
一部の辞書には、注意として、「琴線に触れる」を、触れられたくないこと。不快な話題に触れる意で使うのは誤り。と書いており、例えば、「 私の一言が彼の琴線に触れたのか、急に怒り出した」などの表現は誤りと説明しています。

・昨年12月18日に公開された「ことば食堂」の「琴線に触れる」の動画です。


ところが、文化庁が平成19年度に行った「国語に関する世論調査」で、「琴線に触れる」の意味を尋ねたところ、結果は次のとおりでした。
(ア) 怒りを買ってしまうこと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・35.6%
(イ) 感動や共鳴を与えること・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・37.8%(本来の意味)
(ア)と(イ)の両方の意味で使う・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1.4%
(ア)、(イ)のどちらの意味でも使わない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・0.6%
分からない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・24.6%

全体では、本来の使い方である(イ)の「感動や共鳴を与えること」と回答した人が37.8%、本来の使い方ではない(ア)の「怒りを買ってしまうこと」と回答した人が35.6%で、その割合に大きな差はありませんでした。

「琴線に触れる」が「怒りを買ってしまうこと」という意味での用法が広がっている理由としては、目上の人などの怒りを買ったときなどに使われる「逆鱗(げきりん)に触れる」という語との混同などがあるとも考えられるということです。

では、正しくはどのように使用したらよいのでしょうか?
例えば、子供のたどたどしい言葉であっても、人の胸の奥の心情を揺り動かし、感動の涙を誘うことがある、ということを「琴線に触れる」を使って、「片言でいう小児の言葉が胸中の琴線に触れて、涙の源泉を突くことがある。」と、表現することもできます。

このように「琴線に触れる」の本来の意味は、感動や共鳴を与えることです。
「触れられたくないこと」、「不快な話題に触れる」の意味で使うのは誤りです。
十分気をつけたいですね。


同僚がルーブル美術館へ出展

2015-03-17 | 地元紹介
先日、現役時代の同期会に参加してきました。
開会の冒頭、会員の動向について紹介した中に、絵画歴50年になるW君の作品がルーブル美術館に出展されたとの紹介があったので、今日は彼のHPからその作品をご紹介したいと思います。

W君は現役の頃から数々の賞を受賞している画伯で、毎年開催されている同期会では受賞作品の紹介や作品のオークションなどが行われ、落札金は会費に寄付して頂いています。

彼の主な受賞は、山岳絵画「克宏ギャラリー」にリンクしていますのでご参照ください。
その彼の山岳絵画が昨年10月、フランスのルーブル美術館のルーブルアートフェアに6点出品され、今後1年間ルーブルのHPを通じて全世界に発信されると言うことです。
・同期会で配布されたルーブル美術館出典を知らせる記事です。


・出展した6枚の絵画は次の通りです。HPからの無断転用は禁止されているので、頂いた絵ハガキからご紹介します。


なお、ルーブル美術館への出展作品6点は「克宏ギャラリー」の作品集23に掲載されています。
他にも作品集が30集まで掲載されているのでご覧ください。

それにしても同期の中には凄い才能の持主がいるものです。
絵画や書、焼き物などの芸術作品を手懸けている方は多くいますが、その殆どの方はそれだけで満足、或いはもう少し本腰を入れて個展を開いたり、更に、出来ることなら国内の展示会に出品することを目指すのが精いっぱいであろうと思います。
しかし、W君はそれを飛び越えて海外の美術館に、それも誰もが一度は出展したいと願うフランスのルーブル美術館に出展されるとは、ただただ驚くばかりです。

私は、W君とは一緒に仕事をしたことはありませんが、同期入社の末端に名前を連ねる一人として喜びを分かち合うと共に、彼のますますの活躍を祈りたいと思っています。


演歌の故郷「宗右衛門町」

2015-03-16 | ナツメロ
昨日に続き、大阪ミナミの「演歌の故郷」を訪ねました。
今日の演歌の故郷は道頓堀川の北側に位置する「宗右衛門町」です。

・「宗右衛門町」の看板から奥(東側)約350メートル、左側(北側)約120メートルが宗右衛門町です。


宗右衛門町は、平和勝次とダークホースが昭和47年(1972年)にこの街の名前を取り入れて200万枚の大ヒットを記録した歌謡曲、「宗右衛門町ブルース」で一躍有名になった地名です。
地名の由来は、1615年の道頓堀川開削に関わった人物の一人である山口屋宗右衛門からで、発音は宗右衛門町(そうえもんちょう)ですが、地元では長音が取れて「そえもんちょう」と発音するのが一般的です。

それでは43年前の大ヒット曲「宗右衛門町ブルース」をお聴きください。










演歌の故郷を訪ねる「法善寺」

2015-03-15 | ナツメロ
先日、現役時代の同期会があったので、久しぶりに大阪ミナミへ出かけてきました。
大阪には演歌に歌われている場所がたくさんありますが、今日はその一つ「法善寺」を演歌と共にご紹介したいと思います。

「法善寺横丁」
法善寺横丁は法善寺の北側、ミナミの繁華街にあって、静かななにわ情緒を漂わせている細い通りです。
東西両端にある門に掲げられている「法善寺横丁」の文字は、西は藤山寛美、東は3代目桂春団治によるものです。
横丁は東西に長さ80m、幅3mの2本の路地が伸び、通りの両側には老舗の割烹やバー、お好み焼き、串カツ店などが並んで、風情ある石畳が敷かれています。
この地は元々、浄土宗天龍山法善寺の境内で、参拝客相手の露店がいつしか横丁に発展したものです。

・藤山寛美の文字です。


「法善寺」
法善寺は寛永13年(1637年)に琴雲の開山により建立された浄土宗のお寺で、山号は天龍山です。
不動明王と金毘羅堂の慈悲地蔵尊のある境内は数十坪、両方にお参りしても1分とかかりません。
恐らく、「これほど小さいお寺にも関わらず、全国的に有名なお寺は稀でしょう」といわれている法善寺ですが、江戸時代の始め頃は境内も広く、本堂や庫裡、墓地などもあって、寛永21年(1644年)から始まった千日念仏回向の中心地として栄え、「千日寺」とも称されていました。
現在の千日前の地名はその前に拓けたところからついた名前ということです。



「水かけ不動」
この不動明王は太平洋戦争で辺り一帯がほとんど焼失したときも、唯一焼け残ったそうです。
現在では「水かけ不動さん」と呼ばれ、お寺のみならず地域のシンボルとなって人々に愛されています。
本来、不動明王は手に剣と縄を持ち、悪因縁を断ち切るべく怖い顔をしているのですが、このお不動さんは優しい顔をした男前だったそうです。
しかし、今は顔はもちろん全身が緑の苔に覆われているので、その表情をうかがい知ることができません。

水かけの由来は、一説によると、かつて一人の女性が「頼んまっせお不動さん」と願をかけ、合わした手で水をすくい全身にかけたのが始まりと言われています。
今では、お参りする誰もが柄杓で水をかけるため、苔は青々と輝き、その光沢を失うことはありません。

・苔に覆われた「水かけ不動」さんです。


それでは藤島桓夫が歌った「月の法善寺横丁」をお聴きください。



上京型詐欺に注意

2015-03-14 | 消費者問題
長野・金沢間の北陸新幹線が今日開業し、上り一番列車が午前6時に金沢から東京に向けて出発しました。
これで東京-金沢間は最短2時間28分で繋がり、現在よりも約1時間半早く結ばれるようになります。
報道によれば、この新幹線の開通により、金沢や富山を始め北陸の沿線各都市は首都圏からの観光客が増えることを期待しているようです。

しかし、新幹線の開通はオレオレ詐欺も待ち望んでいるようです。
先日テレビで、新幹線を利用して上京させる「上京型詐欺」が増加しているので注意して欲しいとのニュースが流れていました。

警察庁によると、地方に住む高齢者に息子や孫を装って電話をかけ、東京まで現金を持参させる「上京型」詐欺が昨年初め頃から増え始め、信越地方や東海地方など新幹線沿線地域を中心に被害が発生しているということです。
今年に入って既に12件発生しており、そのうち6件で2500万円の被害が発生していると報じていました。

上京型詐欺の特徴は、被害に遭った人の多くが新幹線沿いの地域に住んでいることです。
従って、今日開通した北陸新幹線沿線に当たる富山県、石川県、福井県などが狙われる可能性があるとして、警察庁が新たに注意を促しています。

詳細な事例について、ヨミウリオンラインの「新幹線 上京型 のワナ」にリンクしておきます。

更に、新幹線だけでなく、飛行機を使って東京に呼び寄せる手口もあるようです。
その事例の概略は、次の通りです。
犯人は被害者の息子をかたり、「インフルエンザにかかり、声が変かもしれない。携帯電話を変えた。株で損をして、会社のお金を2人で2000万円使い込んだ。羽田に来て欲しい」と電話を掛けてきました。

電話を受けた熊本の70歳代の老夫婦は羽田空港に飛びました。
到着後、国内線第1ターミナルで夫とはぐれた妻が、ターミナル内を不安そうな表情でキョロキョロしていたところ、JALの空港係員に声を掛けられました。
係員から上京した理由を尋ねられると、「息子にお金を渡すために来た」と言われたことから、「詐欺ではないか?」と感じた係員が上司に相談。現金の受け渡し場所を変更するなど不審な点があったことから、被害者を空港内の交番へ案内して被害を防いだ。

詳細な事例については下記にリンクしておきます。
飛行機による「上京型詐欺」の事例です。

警視庁の調べによれば、親族を装ったオレオレ詐欺被害者の内、
・8割以上は女性です。
・そして約5割が70歳代です。
・約7割が夫婦2人又は一人暮らしだそうです。
・犯人がなりすました息子や家族の約9割が首都圏に居住しているそうです。

自分は大丈夫と過信せず、離れた家族との間に合言葉を決めておくなどの対策をして、被害に遭わないように気をつけてください。

モナリザ

2015-03-13 | 趣味
レオナルド・ダ・ヴィンチが残した名画の一つに「モナリザ」があります。
この絵画はヴィンチが残した最高の肖像画とも言われています。
謎めいた彼女の微笑みは魅力的ですよね。
でも、この肖像画のモデルになった女性には、持病があったのではないかと言われています。
そこで、今日はこの話題を取り上げます。

・レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザです。


モナリザのモデルになったのはフランチェスコ・デル・ジョコンドと言う裕福なフィレンチェの貴族の夫人だとされています。
肖像画をよく見ると左目の眼がしらの辺りが少し盛り上がって黄色くなっている部分があります。
これについて医師たちは「黄色腫(おうしょくしゅ)ではないか」と考えているそうです。

黄色腫とは、皮膚に現れたコレステロールの塊のことで、血液中のコレステロールが高い高脂血症患者、特に高コレステロール血症の方にはしばしば黄色腫と呼ばれる病変が出現するそうです。

・左目の目頭(鼻に近いところ)に黄色く少し盛り上がっって描かれています。これが黄色腫ではないかといわれているものです。


最近の研究によって、モナリザは身長163センチ、体重74kgと推測されており、かなり肥満気味だったと言われています。
専門家の間では、この体重なら高脂血症になっても不思議ではないだろうと言うのが共通の意見だそうです。

なお、この肖像画が描かれたのはジョコンド夫人が出産したばかりの時期だそうで、一般的には、妊娠時にはコレステロール値が高くなることから高脂血症になったのではないかとも考えられているのだそうです。

モデルが抱えていた病気が500年後に分かってしまうほど、レオナルド・ダ・ヴィンチの筆遣いは緻密だったということですね。



みやすい

2015-03-12 | 地元紹介
私が生れた地方には「みやすい」と言う方言があります。
先日、某新聞に載っていたのでご紹介します。

「みやすい」という言葉、皆さんはどのような意味だと思われますか?
多分、「見やすい」や「観やすい」と解釈されると思います。
ところが私の故郷、岡山県の西部、瀬戸内海に面した笠岡地方では意味が異なります。

例えば、「こんなんみやすかろう」と言うと、「こんな事、簡単だろう」と言っているのであり、また、「今日のテストはみやすかった」と言うと、決してカンニングをした訳ではありません。「今日のテストは簡単だった」と言っているのです。

新聞記事によると、「みやすい」の原型は「みやすし」で、平安時代から用例が見られ、その意味は「見苦しくない」で、『枕草紙』にも登場しているのだそうです。
これが、明治以降になると「みやすい理屈」のように「筋道が立っていて、よく理解できる。分かりやすい」と言う使い方が現れると説明しており、この意味が広がって方言に残ったのかも知れないと解説していました。

「みやすい」の反対に当たる方言に「いたしい」があります。
この意味は「難しい」と言う意味で使われますが、この言葉の語源は説明されていませんでした。
使用例としては、「いたしいこと言いさるのぉ。(難しいことをおっしゃいますね)」とか「今日のテストはいたしゅうてできりゃあせんかった。(今日の試験は難かしくて出来なかった)」などのように使われます。

「みやしい(易しい)」や「いたしい(難しい)」という言葉は子供の頃よく使ったものです。
新聞記事を読んで、五十数年振りに懐かしく思いだしたのでご紹介しました。