台風10号が近づいてるようで、これからの進路が気になります。
気象庁の予報では、8月27日から28日ごろにかけて関東から四国に上陸するとみられてるようで
たいした被害が出ない事を願っています。
今月2度目の手芸の会では、わたすげさんはワンピースを、Kさんはブラウスを作ってます。
私はと言えば、「チェニック」と「みいやんさん人形」の大物二点を作った後は暫くは作品を作る気が起きないので
「梅の花」を沢山作っておけば、いざ吊るし飾りを纏める時が楽なのです。
わたすげさんがワンピースを作ったのですが、とても素敵ですね
縫い方が簡単で着やすそうなので、もう1着を別の柄で作ってます。
リーダーはパッチワークで、体操の寝転んだ時に使うマットを作ったそうです。
私の作品ですと言うような物ではないですが、暫くは梅の花を作ろうと思ってます。
92歳の東京の姉、元気ですが耳が遠くて電話では会話が通じないので
3年前から今頃の時期になると、我が家で採れたブドウを持って元気な顔を見に行ってるのです。
お陰様にてブドウ2種類も形は悪いですが立派にでき、幾つも実が付いてない1房づつを残して
去年は12房しか生らなかった食べ頃のピオーネの方が、何かの獣に半分近くを食べられてしまったので
今年は、2種類とも15房づつ出来たので袋掛けした上から、更に網のネットで覆いました。
幾つも実が付いてない1粒を食べてみて、甘くて美味しくなったので
24日(土)ブドウを持って遊びに行って来ました
姉宅に行ったら娘(姪)が来ており、私達が行くのを待ってたようです。
娘(姪)は姉宅の近くに住んでいて、姉が92歳と年を摂ったのもあって
最近では息子(甥)と娘(姪)が頻繁に訪れてるようで、幸せな姉だと思います。
姪は用事があると、私達と30分間くらい話しをした後に帰って行きましたが
我が家で持って行ったブドウを、1粒づつ味見してましたが甘くて美味しいとビックリしてました。
そして半分以上を貰って帰って行きました。
姉は家の中では動くのに困る事は無く、昼食の支度をして待ってくれてました。
長く歩く事が出来ないと言ってますが、最近の私がそうなので、よく分かります。
ですが姉は我が家に88歳まで、お土産用の重たい荷物を持って電車で来てたのですから凄いです。
姉の元気な顔を見てお喋りして2時間程で帰ってきました、お土産を戴いてね。
大正琴の新しい楽譜を貰いました。
「恋のバカンス」です、懐かしい曲です。
約6000人のユダヤ難民の命を救った外交官の杉原千畝さん、「六千人の命のビザ」の本を読んで
日本人で他にも沢山の方々がユダヤ難民を助けてるのですが、杉原千畝さんが書いたビザは日本が通り道であって
長くても10日位の滞在期間しか無かったそうで、その間に行き先が決まってる人は問題ないのですが
行き先が未だ決まってない人達は、本国に強制送還されてしまえば死が待ってるのです。
そんなユダヤ難民たちの窮地を救ったのが小辻節三さんです。
次々と神戸に辿り着くユダヤ難民たちの窓口になり、日本政府と様々な形で交渉して
見事にビザの延長をして、全員を送り届けたそうです。
小辻節三さんは亡くなられて、ご本人が希望したイスラエルの墓地に埋葬されたそうです。
そして彼の名前も、ユダヤ難民を助けた人々の名前を刻んだ「ゴールデン・ブック」の碑に
名前が載ってるそうです。
私がビックリしたのは、この本を書いたのは俳優の「山田純大」で杉良太郎の息子です。
この方が何故、このような本を書いたのか?
杉原千畝さんがビザを書いたユダヤ難民たちのその後は、どうなったのだろう?と気になっていたそうで
山田純大氏が小辻節三さんの存在に気づいたのは、「命のビザ」の本を読んで疑問を持ち
小辻節三さんについて調べてみたいと思ったそうで、読んでみて、詳細に調べたと感心しました。
気象庁の予報では、8月27日から28日ごろにかけて関東から四国に上陸するとみられてるようで
たいした被害が出ない事を願っています。
今月2度目の手芸の会では、わたすげさんはワンピースを、Kさんはブラウスを作ってます。
私はと言えば、「チェニック」と「みいやんさん人形」の大物二点を作った後は暫くは作品を作る気が起きないので
「梅の花」を沢山作っておけば、いざ吊るし飾りを纏める時が楽なのです。
わたすげさんがワンピースを作ったのですが、とても素敵ですね
縫い方が簡単で着やすそうなので、もう1着を別の柄で作ってます。
リーダーはパッチワークで、体操の寝転んだ時に使うマットを作ったそうです。
私の作品ですと言うような物ではないですが、暫くは梅の花を作ろうと思ってます。
92歳の東京の姉、元気ですが耳が遠くて電話では会話が通じないので
3年前から今頃の時期になると、我が家で採れたブドウを持って元気な顔を見に行ってるのです。
お陰様にてブドウ2種類も形は悪いですが立派にでき、幾つも実が付いてない1房づつを残して
去年は12房しか生らなかった食べ頃のピオーネの方が、何かの獣に半分近くを食べられてしまったので
今年は、2種類とも15房づつ出来たので袋掛けした上から、更に網のネットで覆いました。
幾つも実が付いてない1粒を食べてみて、甘くて美味しくなったので
24日(土)ブドウを持って遊びに行って来ました
姉宅に行ったら娘(姪)が来ており、私達が行くのを待ってたようです。
娘(姪)は姉宅の近くに住んでいて、姉が92歳と年を摂ったのもあって
最近では息子(甥)と娘(姪)が頻繁に訪れてるようで、幸せな姉だと思います。
姪は用事があると、私達と30分間くらい話しをした後に帰って行きましたが
我が家で持って行ったブドウを、1粒づつ味見してましたが甘くて美味しいとビックリしてました。
そして半分以上を貰って帰って行きました。
姉は家の中では動くのに困る事は無く、昼食の支度をして待ってくれてました。
長く歩く事が出来ないと言ってますが、最近の私がそうなので、よく分かります。
ですが姉は我が家に88歳まで、お土産用の重たい荷物を持って電車で来てたのですから凄いです。
姉の元気な顔を見てお喋りして2時間程で帰ってきました、お土産を戴いてね。
大正琴の新しい楽譜を貰いました。
「恋のバカンス」です、懐かしい曲です。
約6000人のユダヤ難民の命を救った外交官の杉原千畝さん、「六千人の命のビザ」の本を読んで
日本人で他にも沢山の方々がユダヤ難民を助けてるのですが、杉原千畝さんが書いたビザは日本が通り道であって
長くても10日位の滞在期間しか無かったそうで、その間に行き先が決まってる人は問題ないのですが
行き先が未だ決まってない人達は、本国に強制送還されてしまえば死が待ってるのです。
そんなユダヤ難民たちの窮地を救ったのが小辻節三さんです。
次々と神戸に辿り着くユダヤ難民たちの窓口になり、日本政府と様々な形で交渉して
見事にビザの延長をして、全員を送り届けたそうです。
小辻節三さんは亡くなられて、ご本人が希望したイスラエルの墓地に埋葬されたそうです。
そして彼の名前も、ユダヤ難民を助けた人々の名前を刻んだ「ゴールデン・ブック」の碑に
名前が載ってるそうです。
私がビックリしたのは、この本を書いたのは俳優の「山田純大」で杉良太郎の息子です。
この方が何故、このような本を書いたのか?
杉原千畝さんがビザを書いたユダヤ難民たちのその後は、どうなったのだろう?と気になっていたそうで
山田純大氏が小辻節三さんの存在に気づいたのは、「命のビザ」の本を読んで疑問を持ち
小辻節三さんについて調べてみたいと思ったそうで、読んでみて、詳細に調べたと感心しました。