盛岡に移動後、訪れたのが写真の家。
まだ工事が完了しておらず、写真撮影などは後日に順延。
っていうことなんですが、設計者の方や、工事にあたった工務店の方などに
お話を伺うことができました。
こういうのはこういうので、それなりに見方は出来るもの(笑)で、
いつも住宅を見ている側にしてみると、コンセプトなどは
別段聞き取るのに、支障はありません。
中に入りたいと考えて、入口を捜すのですが、どうも見あたらない・・・。
って、それとおぼしき場所にたどりついても
一般的な玄関ではありませんでした。
建物は道路というか、通路に対しては入り口はありません。
この建物は、道路から入り込んだ敷地に建っています。
親御さんが所有する大きな敷地の奥に建っているのですね。
で、通路は北側で南側は広い畑地に面していて、そちら側に開口を開いている。
そちら側には左右にそれぞれ土間や、デッキが装置されていて、
玄関に相当しているのは、それらの空間。
そのように考えれば、まぁ、日常使い的には支障はないでしょうね。
土間は農園仕事などのための広めの空間ですので、
自由度の高い「入り口空間」とは言えるのではないかと思います。
っていうような印象を抱いたのですが、
考えてみると、玄関って言うのは心理的な意味合いが大きいとは言えますね。
武家屋敷などでは、ことさらに玄関の「格式」などが強調される。
そういうのは、確かに身分制社会の象徴とも言えるわけで、
現代のような社会で、玄関というのをそのように見なす必要はない。
だとすると、空間要素としては外部と内部との心理的な「結界」要素が残る。
このあたりでは、世代的な違いというのも大きくなるものかも知れません。
この家の建て主さんは30代ということですが、
家としての他者との付き合い、というような部分は、
そう大きく意識していないのではないかと思われます。
それよりも「セルフ」の部分が拡大して、興味関心の方向が大きくなっている。
そして、そういう結界的仕分けも意識が大きくない。
なにか、そのような印象が強まってきます。
家というものも、時代によって変化してくるのは当然ですから、
このような変化も、ある意味、自然なものかも知れないと思われます。
たとえば竪穴式住居などでは、明確な結界などはありえない。
でもまぁ逆に言えば、玄関というものにまで変化が現れてくるほど、
現代は、人間の暮らし方とか、社会性というものがゆれ動きはじめているのか、
というとらえ方もあるかも知れませんね。
もうすこし、考察する必要がある事柄なのかも知れません。
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