考古とか歴史とかの専門研究のみなさんの最新知見を
いろいろに興味深く、読んだり聞いたりさせていただいておりますが、
そのなかで、北海道島での住居の変遷でエポックメーキングなことがある。
それは中世のある時期、たぶん最近研究では11世紀から12世紀にかけてと
言われることが多いようですが、
いわゆる檫文時代から、「アイヌ文化」期への転換期に当たります。
この時期に北海道ではそれまでの
囲炉裏+かまどという暖房・調理システムから
かまどが消滅して、もっぱら囲炉裏によるものに替わるのです。
同時に、煮炊きの容器が土器から鉄鍋に替わっていくのです。
さらにそれまでの竪穴住居から、平地式に住宅工法も変化する。
余談になりますが、檫文からアイヌ期へって、この時代区分について、
北海道以外の人、いや、北海道でも歴史に興味ない人には
なんのことか、良く理解出来ないかも知れませんね。
檫文というのは、土器の最後の時代で北海道では、このころまで
土器文化が続いていた。一方の「アイヌ文化期」ですが、
こういう言い方だと、アイヌの人たちはこの時期に突然どっかから
この北海道に移住してきたような印象を与えてしまう。
そうではなく、実際にはアイヌの人たちがその以前からずっとこの地の
優勢民族であり続けていたのが実際であって、いわゆる生活スタイルによる
時代区分として、今に至る「アイヌ文化」の成立という意味合いなのです。
先日のシンポジウムでも民間の方から学会のみなさんに問題提起があった。
どうも北海道考古学の初期段階での「便宜上」の仕分けが
学会内論議を経ることなく、今に至っているということのようです。
で、どうしてかまどが消滅して、囲炉裏に暖房と調理が
一本化されることになったのか、その「どうして」という部分について
突っ込んだ研究は、不勉強で知見がありません。
そういうことなので、今のところは推測で考えざるを得ない。以下、私見です。
それまでの竪穴が平地式に替わったことについては、
江戸時代の北海道探検者たちが、より北方の民族住居について
室内の湿気対策がたいへんで、健康被害をもたらせていた実態について
報告されている文献があります。
「夏の家」と「冬の家」の両方を交互に住み替えている様子を伝えている。
10世紀から12世紀に掛けては気候も温暖期にあたっている。
竪穴は冬場はいいけれど、夏場には生活しづらかったのでしょう。
そこに、本州の和人社会から土器に代わる鉄鍋が大量に移入された。
かまどは、本州地域では農耕による炭水化物食材・コメの炊きあげ用として
強い存続性があったけれど、北海道島ではそういった食習慣はないなかで、
制作も面倒なかまどは、鉄鍋+自在鉤+囲炉裏調理のセットで不必要とされた。
きっと北海道島では、かまどは檫文土器とセットで、それも
鍋料理主体のアイヌの人たちの食習慣では、面倒があったのかも知れない。
かまどは排気を工夫する必要もあって、壁面側に据えられていて
暖房の場である囲炉裏で食事するのに、
いちいち、食べ物を取りに行かなければならなかったのかも知れない。
こういう「キッチン革命」が、この転換の主要因だったのではないか、
そんな素人の妄想を抱いている次第ですが、みなさん、いかがお考えでしょうか?
もし、知見をお持ちの方は、情報をお教えください。