三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【青函連絡船の残照】

2017年04月26日 07時55分49秒 | Weblog
さて一昨日から青森県内でのミッションであります。
きのう1日、青森市内を行脚して夕刻には、十和田に移動致しました。

青森市内にいると海岸の公園を散歩するのが定番コース。
そうすると目に飛び込んでくるのが定置されている「青函連絡船」。
とくに北海道民にとっては忘れがたいものがあります。
わたしは、東京の大学に入ったので、なんどもこの連絡船に乗って
北海道と本州を往復していました。昭和40年代のこと。
この時期は同時に飛行機交通が劇的に増えてきた時期でもあり、
帰省での往復が徐々に置き換わっていった時期でもある。
でも混雑期とか、スカイメイトという割安運賃が利用できない時期には、
上野発の列車に乗って、青森駅に到着すると、
どういうわけか、ダッシュで連絡船への通路を走って乗船した(笑)。
あれはいまだになぜなのか、自分でもよくわからない。
たぶん、連絡船内で「いい場所」を確保する条件反射的な行動だったのでしょう。
でも連絡船内で居場所がなかったという記憶も持ってはいない。
そういえば、逆のケース、連絡船を下りて汽車に乗る場合には
だれも走ったりはしていなかったように思います。
乗客には、必ずと言っていいほどに行商のおばさんたちがいた。
まだしも北海道開拓のための「物資輸送」根拠地というような側面が
この青森にはあったように思います。
青森に係留されているこの光景に、かならずフラッシュバックする行動記憶。

さて、本日からは青森県東部、三八上北方面を回ります。
きのうの北朝鮮特異日には無事に日本列島ではなにごともなく過ごしましたが、
予測不能なかの国のこと、どんなことが起こるかもわからない。
まぁやるやる詐欺みたいなことだとは思いますが、さりとて
「日本列島沈没」などと狂気丸出しのアナウンスも行っている。
北朝鮮には差し迫った危険はないと言っていた政治家の方は、
ぜひ、いまこそ、その言葉を実行して交渉して欲しいと思います。
きのうの十和田市内での食事時にはみなさん、この話題で持ちきり。
国の安全・平和を考える機会にもなっていると実感できますね。
北方日本列島の米軍基地・三沢周辺であちこち、
注意を払いながら、行動していたいと思います。
コメント
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