既報の通り、昨日北大工学部で3年生相手に「講義」であります。
これは北海道大学・森太郎准教授との交友からひょうたんから駒の企画。
先生は、社会での住宅の動きを学生たちに感じて欲しいということだったのでしょう。
わたしとしては、若い世代のみなさんと気分を共有できるのはウレシイ。
ちょうどわが家の息子と同じ年代の人たちなので、
そのあたりのかれらの気分の勘所はわきまえているつもり。
講義のテーマは「メディアと建築」といったものでしたが、
いま、住宅と向き合いながらメディアを創っている立場で、
むしろその臨場感とか、なまなましい現場感覚をお伝えするべきと考えました。
わたしとしては、住宅メディアを作り続けて30年近いので
取材をし続けてきて、だんだんと経験知が積み上がっていき、
本質的な人間居住というようなことに興味が向かっていく。
古民家などにもふつうに取材したりすると、
いわば、時間と空間を超えたような人間活動の「取材・ヒアリング」が
いろいろな機縁を通して感じるようになってくる。
そうしたときにモノサシとしての歴史、「人類史」視点のような、
巨視的なスタンスでも見ていくようになる。
「そもそも、どうして人類は寒冷気候から身を守ることを考えたのか」
「住宅デザインの本然はどこにあるのか」
とくに、わたしは建築を学んだ学生ではなく、文系の人間として、
この住宅というものと向き合ってきて、そんな本質的立場であろうと思っている。
いわば普遍的人間としての「住」の意味合いの対象化でしょうか。
そんな「スタンス」について、お話しさせていただきました。
まぁ予想通り、総数250枚くらい用意したプレゼンデータは、
約半分くらいを猛スピードで見せて、話したところで
予定時間を遙かにオーバーしてしまいました(笑)。
しかしそもそもの趣旨が、メディアと建築なので、
その現在進行形を「伝える」意味では、狙い通りだったのではと思っています。
講義のあと、2問だけ学生さんたちとの「応答」もできました。
「環境建築」というコトバについて中国からの女子留学生さんの指摘は、
納得できるもので、ある視座を与えられもしました。
また、講義後、数人の学生さんからも質問があって、
廊下で応答させていただいたりもしました。
若々しい感受性と触れあえるのは無上の楽しい経験ですね。
さらに、数人の方からはFacebook友だち申請もいただきました。
若い年代の人たちはFacebookよりもInstagramとか、ツイッター、LINEの方が
より身近なんだろうと思いますが、
年寄りに合わせてきてくれて、まことにありがたいところです。
今後、大いに学生さん年代とも「交流」していきたいと願っています。