三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【断捨離の中、再生復活するモノたち】

2018年01月26日 09時33分23秒 | Weblog
住宅リノベでは自分自身の生活痕跡が掘り起こされる。
それらの取捨選択「断捨離」が不可欠。自分自身が生きてきた断面。
正面から見つめ続けていると生きたことが再構成されてきて
まったく見えなかったことが見えてくる。
わたしが生きてきた時代は、大量生産社会・大量消費社会。
それまでの人間とモノとの関わりが大きく変容した世界。
「モノを大切にする」ことが基本的価値感だったそれまでに対して
初期から本格的導入期の日本資本主義は大きな果実を得ることができた。
逆に言えば、「モノを大切にする」価値感が資本主義の成長を支えた。
規格大量生産で生産されたモノでも、それまでの「モノがない」社会との
大きな財的落差によって大きく受容された。個人所有住宅もそうかも。
やがて需要が一段落してモノの絶対需要は満たされたけれど、
機械設備などのわかりやすい資本主義的経済拡大だけは
人々の意識に残り続け「必要を満たす」需要から、必然的に
「欲求を喚起する」需要にいつしか取って変わっていった。
やがて人々は「モノ」に対して醒めてくるようになる。
たぶん、資本主義にとっては根底的な危機は労働者階級闘争ではなく、
むしろこういうタイプの危機であるのかもしれない。
その社会的危機の集中的残滓が各家庭に大量にある「モノの山」。

大部分はそのまま処分したり娘のようにメルカリで販売する楽しみになるのですが、
あるモノが設計者の慧眼で価値再発見された(笑)。
それが写真の「空気充填タイプ・サンドバッグ」。
これがわが家にやってきたのにはある物語があって、
高校時代以来の交友の友人からある経緯で「もらった」もの。
かれとは長い交友。かれが新婚当時、独身のわたしの部屋に遊びに来て
わたしが実家から持ってきていたブロンズ製の壁掛けをじっと見て
「これ、いいな」とつぶやいていた。
で、酒を飲んだりしてわたしは酔いつぶれて寝てしまった。
翌朝かれは姿を消していて、くだんの壁掛けの位置がなんか虚ろだった。
二日酔いの目にだんだんと事態が明瞭になってくる。
「あいつ・・・(笑)」
まぁしょがない、新居に飾りたくなったのだろう、
大した「新婚祝い」も贈っていなかったことも思い出して、
やれやれ感とともに黙認することにした(笑)。
はるかな後年、かれの新築の家で祝いも持参して酒を飲んでいたら、
居間のいちばん良い場所に、その件の壁掛けブロンズがかかっている(笑)。
「おお、こんなに大事にされてきたか!」と、そのことを思わず喜んでしまった。
そのことを話し始めたら、ごまかしの破顔一笑とともに、
「持って行け」としつこく勧められたのが、この「空気充填タイプ・サンドバッグ」。
まぁ数十年の時間を経て、互酬が成立したワケなのだ。
で、このモノはわが家では息子が一時期使ったけれど
わたしにはそういう趣味はなく、長らく眠っていて今次断捨離では
処分されそうになっていたが、設計者の丸田絢子さんから、
「三木さん、これ社員さんたちのストレス解消に使いましょう」という提案。
「社長の無理難題でムシャクシャしたときに、これを叩きまくりましょう!」
う〜〜む、いい。サイコーだ。わたしも使いたい(笑)。
モノの価値、やはり人間の需要とのいい関係が大切。
モノがそれぞれの価値感需要をしっかり取り戻すのはいいことだ。
久しぶりにモノの叫び声をしっかりと聞いた気がしております。
コメント
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