きのう、なにやら見覚えのある筆跡の郵便物が届いた。
知人の建築家・藤島喬さんから、ご自分の事跡を表現した冊子だった。
あんまり詳しく年齢は憶えていなかったけれど、
あらためて見ていたら、1946年生まれということだから、
もうすぐ70歳になるのだと、驚かされた。
人間必ず歳を取っていく。当たり前だけれど、
こういうふうに「気付かされる」ことが最近、多くなってきたように思う。
建築家のひとたちは、大体、加齢してくるとこういう「仕事集」を
発刊したくなるようなのです。まぁ一種の自然現象のようなモノで、
ほほえましくもあり、一抹の感慨もあったりする。
わたしは、ユーザー志向の強い住宅雑誌を発行し続けてきています。
でも、大学は文化系であり、マスコミ志望だったので、
メディアの事業を始めた結果として、住宅建築の世界に入ってきた人間です。
本来、テーマは住宅でなくても良かったのかも知れません。
しかし、選択したその事業領域を深化させていくプロセスで
読者のみなさんといっしょに、建築への興味を深めていったように思います。
ビジネス的に、建築家のみなさんとの接点はあまりないのが実際なのに
住宅の取材をしていくなかで、建築家の家づくりに
深い興味を覚え、その仕事が果たすべき役割、
現代人の人間性の深い把握、それを通した建築デザイン、
さらにプロダクトとしての性能の進化の志向性などに共感を持った次第です。
広告や出版などのビジネスとしてだけ考えれば、
このような志向は、あんまり有用的ではないと思いましたが、
しかし、北海道というフロンティア志向の強い地域環境が
知らず知らず、自分自身にも影響を及ぼしているのかも知れません。
こういった建築家たちの仕事を、デザインの面でも性能志向の実践としても
寒冷地という条件の中で、最前線で戦っている現実の姿を
多くのユーザーに、住宅メディアとして伝えていくことを
できる可能性のある人間は、していくべきだと思った次第です。
そんな意味で、ある種、同時代人としての近縁性を
共有している実感を持ち続けております。
そういったみなさんから、このような冊子が届くようになり、
思わず、立ち止まるような思いに囚われる次第であります。
しかし、冊子の中でも
「これで引退か?と思われるかも知れない」
と書かれていたけれど、それに続けて書かれていた通りだと思います。
「まだそこまでには至っていない。建築を作りたい。
創作への憧れであり、創作意欲はまだあると思っている。
・・・タイトルを建築への憧憬とした所以である」。
高齢化時代とは、今後も社会が追究すべき大きなテーマ。
歳を取っても、いや歳を取っているからこそ気づけるデザインがある。
いまのわたしの大きな興味である縄文に即して言えば、
縄文はそれまでの社会から、定住という契機からの必然の変化として
一気に高齢化が進展し、そこで高齢者の「知恵」が、社会発展に
大きく寄与したとされているのが最先端の考えなのです。
いま、わたしたちの社会でも、そうした変化が
否応なく押し寄せてきているのだと、そんな風に思えてなりません。
そんなエールを送らせていただきたいと思います。
知人の建築家・藤島喬さんから、ご自分の事跡を表現した冊子だった。
あんまり詳しく年齢は憶えていなかったけれど、
あらためて見ていたら、1946年生まれということだから、
もうすぐ70歳になるのだと、驚かされた。
人間必ず歳を取っていく。当たり前だけれど、
こういうふうに「気付かされる」ことが最近、多くなってきたように思う。
建築家のひとたちは、大体、加齢してくるとこういう「仕事集」を
発刊したくなるようなのです。まぁ一種の自然現象のようなモノで、
ほほえましくもあり、一抹の感慨もあったりする。
わたしは、ユーザー志向の強い住宅雑誌を発行し続けてきています。
でも、大学は文化系であり、マスコミ志望だったので、
メディアの事業を始めた結果として、住宅建築の世界に入ってきた人間です。
本来、テーマは住宅でなくても良かったのかも知れません。
しかし、選択したその事業領域を深化させていくプロセスで
読者のみなさんといっしょに、建築への興味を深めていったように思います。
ビジネス的に、建築家のみなさんとの接点はあまりないのが実際なのに
住宅の取材をしていくなかで、建築家の家づくりに
深い興味を覚え、その仕事が果たすべき役割、
現代人の人間性の深い把握、それを通した建築デザイン、
さらにプロダクトとしての性能の進化の志向性などに共感を持った次第です。
広告や出版などのビジネスとしてだけ考えれば、
このような志向は、あんまり有用的ではないと思いましたが、
しかし、北海道というフロンティア志向の強い地域環境が
知らず知らず、自分自身にも影響を及ぼしているのかも知れません。
こういった建築家たちの仕事を、デザインの面でも性能志向の実践としても
寒冷地という条件の中で、最前線で戦っている現実の姿を
多くのユーザーに、住宅メディアとして伝えていくことを
できる可能性のある人間は、していくべきだと思った次第です。
そんな意味で、ある種、同時代人としての近縁性を
共有している実感を持ち続けております。
そういったみなさんから、このような冊子が届くようになり、
思わず、立ち止まるような思いに囚われる次第であります。
しかし、冊子の中でも
「これで引退か?と思われるかも知れない」
と書かれていたけれど、それに続けて書かれていた通りだと思います。
「まだそこまでには至っていない。建築を作りたい。
創作への憧れであり、創作意欲はまだあると思っている。
・・・タイトルを建築への憧憬とした所以である」。
高齢化時代とは、今後も社会が追究すべき大きなテーマ。
歳を取っても、いや歳を取っているからこそ気づけるデザインがある。
いまのわたしの大きな興味である縄文に即して言えば、
縄文はそれまでの社会から、定住という契機からの必然の変化として
一気に高齢化が進展し、そこで高齢者の「知恵」が、社会発展に
大きく寄与したとされているのが最先端の考えなのです。
いま、わたしたちの社会でも、そうした変化が
否応なく押し寄せてきているのだと、そんな風に思えてなりません。
そんなエールを送らせていただきたいと思います。
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