三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【囲炉裏を現代住宅に再生できないか?】

2019年06月01日 07時11分15秒 | Weblog
先般来、衝撃的な通り魔殺人事件などを見ていて
現代の個人主義が行き着く先としての「孤独」について考えさせられています。
そしてその孤独は、家族の維持が困難になってきたことが
その背景にあるのだと思う次第。
イギリスでは13%が「孤独」状態だとされている。
こうした問題は経済構造とか社会環境総体から来るモノであって
ひとり住宅が変えられるテーマではもちろんないでしょう。
しかし、個人主義というのは現代の住宅でも色濃く浮き立つテーマ。
住宅はシアワセのありようを考える営為でもあるので、
いろいろに考えてみたいと思うのです。

いまの住宅はさまざまに「家族関係」のありようを考えていますが
そのカタチは「家族」がどう癒やしの空間を共有するかがいちばん大きい。
で、中核的なのは「食べる場所」ではないかと。
そこにどういう癒やしや雰囲気が仕掛けられているか、
このことが大きいのではないか。
そんなイメージを持っていると象徴的に浮かんでくるのは
写真の「囲炉裏」という伝統的食空間。
こうした装置、これまであまりにも無視されてきたように思う。
たぶん明治期までの日本の住宅ではこのような空間こそが
人と人の「繋がり」を象徴していたのではないか。
現代では調理空間は別仕立てで座椅子とテーブルという食空間で、
囲炉裏は手間ばかりかかりそうと忌避されている。
っていうよりも、こうした想像力が日本人から廃れてきている。
写真は北海道西部海岸の「花田家番屋」のものですが、
炉の中には石が敷き詰められていて、
炉の火からの熱をじっくり蓄える蓄熱効果があるのではと想像できた。
実際に鉄瓶などがそのように置かれてもいる。
座る態勢が基本でテーブル面は炉の周囲を区画の木枠部分が相当し、
食材料理の一部は、この玉砂利面も利用したに違いない。
お酒の燗酒などは、玉砂利と似合うかも知れない。
熱源は、現代的なガスやクッキングヒーターなども
仕込まれやすいだろうと思う。
さらに座面についても、囲炉裏テーブルみたいな発展形が想像できる。
なにより「暖を囲んでの家族の集い」みたいな雰囲気が楽しめそう。
こういう家具装置のようなものを開発できれば、
市場価値を生まないモノだろうか?
まぁわたしのような人間が考えることなので、市場実験もすでに行われ
市場価値がないと実証されているのかも知れないけれど・・・。
「家族関係」重視型の家づくりとして機能するようにも思う。
興味を持つ方がいたら、いっしょにマーケティング活動してみたい(笑)。
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