写真は江戸時代の「蝦夷地地図」の一例。
先日もわたしのブログでは、人類史の巨視的視点について書きましたが、
きのうのんびり、BSテレビを見ていたら、
「大英博物館展」という展示が東京美術館で現在開催中という案内番組。
人類200万年というようなふれこみによる展示だそうです。
われわれ現生人類よりも先行した人類の痕跡について
かの博物館では展示が行われているようです。
その最古の人類痕跡では、石を他の石で割って、道具として使えるように
「加工」した状況が明瞭であるということだそうです。
学芸員の方の説明では、その石を使って、直接ではない「ご先祖」様たちは
他の動物が獲物として食用に供した動物死骸の骨を砕いて
その「髄液」を貴重な栄養源として摂取していたとされていました。
で、その髄液摂取によって、他の動物とは違った
脳の進化が人類にもたらされた、というように解説されていました。
その発達した脳の領域とは、言語を司る部分と重複するそうで、
人類が言語を用いるようになった起源ではないかということ。
というようなことで、
どうも最近わたしは、巨視的な人類史とふしぎと触れる機会が多い。
先行した人類から、わたしたちホモサピエンスは
枝分かれして発生してきたのでしょうから、
DNAレベルで、こういった進化はわたしたちを形作ってもいるのでしょう。
縄文の開始から13,000年というのが、
この列島社会でのわたしたちの親しい歩みと思いますが、
そうすると世代更新としては、500世代くらいではないかと書きました。
わが家は、江戸の中頃までは確実に遡れる家系なのですが、
確実そうなのは、おおむね10世代程度。
その以前になると、確証がないというか、
どうも三木姓を持った商家を、わたしの直接の肉親のご先祖が
M&A的に入手したようで、
三木姓の方のご先祖様はまだ先までたどれるのですが、
わが血縁の家系の方は、ちょっと手掛かりが見えてきません。
江戸の前期頃のご先祖様が、その家系について書き残した文書もあり
その家系についての故地を訪ね、類縁とおぼしき方たちの墓や家も
確認はできましたが、「あの、その昔・・・」と図々しく声掛けするのも
ややはばかられたので(笑)、その段階から先には進めずにおります。
江戸期以前の社会では、家というのは法人格である意味合いの方が強く
必ずしも血縁関係重視ということでもなかったようです。
家の「相続」にあたって、5親等程度まで幅広く認められていたそうで、
その間で便宜的に「養子」関係でも縁づけられればよかったようです。
血縁と言うよりも、そのような社会状況の中を生き抜いてきて
現在のわたしたちが存在している、
その総体が「ご先祖さま」であるのだろうと理解しています。
家系をたどるうちに、いつしか人類史的な、よりマクロな視点に
導かれていっているように思われます。
恐縮ながら、本日も考古的、歴史的な妄想のブログで、失礼(笑)。
先日もわたしのブログでは、人類史の巨視的視点について書きましたが、
きのうのんびり、BSテレビを見ていたら、
「大英博物館展」という展示が東京美術館で現在開催中という案内番組。
人類200万年というようなふれこみによる展示だそうです。
われわれ現生人類よりも先行した人類の痕跡について
かの博物館では展示が行われているようです。
その最古の人類痕跡では、石を他の石で割って、道具として使えるように
「加工」した状況が明瞭であるということだそうです。
学芸員の方の説明では、その石を使って、直接ではない「ご先祖」様たちは
他の動物が獲物として食用に供した動物死骸の骨を砕いて
その「髄液」を貴重な栄養源として摂取していたとされていました。
で、その髄液摂取によって、他の動物とは違った
脳の進化が人類にもたらされた、というように解説されていました。
その発達した脳の領域とは、言語を司る部分と重複するそうで、
人類が言語を用いるようになった起源ではないかということ。
というようなことで、
どうも最近わたしは、巨視的な人類史とふしぎと触れる機会が多い。
先行した人類から、わたしたちホモサピエンスは
枝分かれして発生してきたのでしょうから、
DNAレベルで、こういった進化はわたしたちを形作ってもいるのでしょう。
縄文の開始から13,000年というのが、
この列島社会でのわたしたちの親しい歩みと思いますが、
そうすると世代更新としては、500世代くらいではないかと書きました。
わが家は、江戸の中頃までは確実に遡れる家系なのですが、
確実そうなのは、おおむね10世代程度。
その以前になると、確証がないというか、
どうも三木姓を持った商家を、わたしの直接の肉親のご先祖が
M&A的に入手したようで、
三木姓の方のご先祖様はまだ先までたどれるのですが、
わが血縁の家系の方は、ちょっと手掛かりが見えてきません。
江戸の前期頃のご先祖様が、その家系について書き残した文書もあり
その家系についての故地を訪ね、類縁とおぼしき方たちの墓や家も
確認はできましたが、「あの、その昔・・・」と図々しく声掛けするのも
ややはばかられたので(笑)、その段階から先には進めずにおります。
江戸期以前の社会では、家というのは法人格である意味合いの方が強く
必ずしも血縁関係重視ということでもなかったようです。
家の「相続」にあたって、5親等程度まで幅広く認められていたそうで、
その間で便宜的に「養子」関係でも縁づけられればよかったようです。
血縁と言うよりも、そのような社会状況の中を生き抜いてきて
現在のわたしたちが存在している、
その総体が「ご先祖さま」であるのだろうと理解しています。
家系をたどるうちに、いつしか人類史的な、よりマクロな視点に
導かれていっているように思われます。
恐縮ながら、本日も考古的、歴史的な妄想のブログで、失礼(笑)。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます