三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

「プレジデント Family」から取材

2008年02月19日 06時00分59秒 | こちら発行人です

出版関係の仕事をしていながら、
やっぱり北海道東北というローカルでやっているので、
いろいろ情報にうとい部分もあります。
先日、「プレジデント Family」という雑誌の取材を受けたのですが、
それまでまったく誌名を知らなかったし、いわんや
どんなジャンルの雑誌なのかも知りませんでした。
案外とそんなものでして、なかなか領域外のことへの興味は持ちにくい。
なんですが、まぁ、「プレジデント Family」なので、
「プレジデント 」が、新しい雑誌を出しているのだと言うことはわかる。
で、Famiiyというコンセプトがよくわからない。

で、住宅関係のことで取材を受けたのですが、
そのときに逆に取材して、色々情報収集した次第です。
いまどき、わざわざ、東京から札幌へ交通費もかけて取材に来ると言うことは
そこそこビジネス的にもいい線、行っているのかなぁ、と。
そのあたり、興味一杯だったんです。
で、聞いてみて、その雑誌テーマに驚かされることばかり。
まぁ、ようするに子育てをメインテーマとした雑誌なんですが、
その内容が、プレジデント社らしく徹底的にお金にこだわった内容。
最初は経済誌プレジデントの別冊特集で発行されたそうですが、
一流有名大学にはいくらお金をかけて、どういう塾や学校に入れたらいいか、
というような徹底的な現世利益、
直接的に高学歴というものを、わが子に付けさせるにはどうしたらいいか
そういうテーマ、満載で発行したのだそうですね。
そうしたら、二子多摩川の紀伊国屋さんでの販売が、
なんと、1日に800冊売れたと言うことなんだそう。
まぁ、なんとも現代の心理状況を克明に物語っている雑誌だと思い知りました。
子育て、ということから想像する人格の涵養とか、
「豊かな人間性教育」などというお伽噺ではない、
まさに少子化時代の「勝ち組」指向を全面開花させているんですね。

まぁさすがに現在は、もうすこし、おとなしい
「子育て」に編集方針を持ってきているようではあるのですが、
受験シーズンになってくると、有名私立校、
って、小学校や中学校までを中心に学校の実名満載。
効率よく教育費を使って、どうするこうするみたいな記事オンパレード。
そういう意味では、首都圏地域の地域専門誌といえなくもないですね。
だから、札幌なんかにいると、そういう情報に接しにくいのかもしれない。
でも、多くの親はこういう情報を得ようと血まなこなんですね。
いやはや、わが身の無知ぶりを思い知らされたような次第です。
時代はどんどん変わっていっていますね。
いまや、こどもたちはこういう時代の中で生きているのですね。
ちょっと、浦島太郎のような気持ちになってしまいました。うーむ。

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歴史画に残るアイヌ風俗

2008年02月18日 06時32分16秒 | 歴史探訪

この絵は、アイヌの人たちの風俗を描き続けた小玉貞良さんという絵師の方の筆。
古代蝦夷風俗之図(小玉貞良画)
アイヌの長老たちが松前城にウイマム(お目見え)に至る図。
小玉は18世紀中葉のもっとも古いアイヌ絵の画家であった。
当館北方資料室所蔵原画より複製。(貞良 宝暦年間頃活躍)

こういう絵画というのは、いろいろなことを教えてくれる。
アイヌの人たちは文字を記録しなかったので、
その生活文化を表すよすががない。
そうした隙間を埋めてくれるのが、こういう絵。
日本の国家は、律令制時代の対・蝦夷以来、
伝統的に、「まつろわぬ」人々に対して「教化」するように
かれらを招いて、文化に触れさせる儀式を行ってきた。
小さい「外交」ともいえる。
で、それに招かれたアイヌの人たちを描いている様子。
アイヌの人たちにも階級分化があって、立派な蝦夷錦を着た
酋長と、その夫人、こどもと
従者と思われる荷物を背負った人物が表現されている。
アイヌの人たちは活発に交易していたようですが、
その着ている蝦夷錦も北方アジアの民族から手に入れた中国の官服生地。
肩からは、たぶん、日本社会との交易で得られた日本刀を背負っています。
従者が持っているのは、交易の品であるのかも知れませんね。

一方で、こうしたアイヌの人たちを描いて記録した
絵師というような職業が、少なくとも松前では成立していた。
このひとは、継続的に作品を残し続けているので、
ほぼそのような職業であったことはあきらかなんですね。
たぶん、松前藩のほうから、
「今度、アイヌの連中がやってくるから、記録にするので絵をひとつ頼むよ」
というような注文を受けて、描いたものでしょうね。
出来上がった作品は掛け軸にして
場合によっては、松前藩から幕府や、京都など上方に献上されたかも知れない。
たぶん、上方や江戸などでは、こういう異国情緒が好まれるだろう、
というような計算が働いていたに違いないと思います。
そういう「交易関係」がこうした絵が生産され、残ってきた背景にあるのでしょう。
いろいろな想像を掻き立てられる絵でした。

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暖房設備計画

2008年02月17日 07時52分30秒 | 住宅性能・設備

宮城県での住宅リフォーム取材時の写真。
このお宅、平屋で60坪近いという面積なので、
暖房の選択は難しい。
断熱工事はそこそこしっかりできても、暖房は全館暖房ではコストが問題。
2階建てだと、工夫もできるけれど、平屋では
たとえば蓄熱暖房を考えたら台数が増える。コストアップ。
ということから、このお宅では写真の温水ルームヒーターを選択。
このシステムでは、5台までこのヒーターを設置できるんですね。
しかし、部屋数7LDKで、設置が確認できたのは3台、
まぁ、コストを考えても、どうしても非暖房室ができる。
伺ったときには、家族が暖房のある部屋で集まって過ごされていました。
伺ってすぐには気付かなかったのですが、
下の男の子どもさんは、ぴったりこのヒーターにくっついている。
ヒーターは移動しますが、移動にともなってセットで動いている(笑)。
撮影の関係で部屋を動いていただいたときには
移動先の部屋でそこのヒーターにぴったりくっついている。
なんともわかりやすい「快適指向」ぶりでした(笑)。
で、どうしてもそこも撮影のため、移動せざるを得なくなったら、
今度は屋外で壁に向かってキャッチボールを始めていて、
ついに体を動かして温まることにしていました。
さすが男の子、やることがわかりやすいなと変に関心もいたしました。
確かに理にかなっていると思いますね。

ということなんですが、
平屋の古い家って、確かにリフォームばかりでなく、
全館暖房って言う意味からは、暖房設計が難しい。
たぶん、居間や食堂というLD空間を家の真ん中に計画して、
その他の居室を囲むように配置することで、
暖房熱源の広がりを工夫する、ということになるでしょうが、
既存の条件がそういう工夫を受け入れられない場合、
なかなかに難しいだろうな、と理解できますね。
この家の場合、住みながらの工事で、
半分を工事しながら、半分で住んでもらうということだったので、
間取り的にも難しかったようです。
このあたり、なかなか難しいプランニングですね。
とくに既存建物の制約のあるリフォームでは
どのように考えるべきか、
設計という観点から見たら、暖房設備計画というのは本当に難しい。

しかし、子どもさんのライフスタイル(笑)は、
まことに正直に「快適性」を表しているわけで、
そういう方向で、設計プランニングは
考えられていかなければならないのは自明だと思いますね。

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北海道建築指導課の住宅への取り組み

2008年02月16日 07時28分02秒 | 住宅性能・設備
おととい、2007年度最後の道庁の諮問会議が終了。
3年間続けてきた「中古住宅流通促進」についての取り組みでした。
何回か、このブログでも触れてきましたが、
この取り組みはたいへん実践的で、
中古住宅の流通と性能向上・再生型リフォームの推進を両にらみで図る
まさに画期的な取り組みだったと思います。
とくに実際の「社会実験」として、中古住宅を業者さんが購入して
付加価値を付けて再生住宅として実際に販売まで手がけるという現実を切り開きました。
性能向上を担保するために、「住宅検査人」という概念を作り出し、
実際にその業務をマニュアル化したりもしました。
最終回の審議会では、取り組みの総括・今後の課題、
4月以降の新年度の取り組みの方向性などが論議されました。

こうした地方自治体の取り組みって、
大体が3年間の時間を区切って予算化し、それ以降は
民間の動きにゆだねるような方向で終了するというケースが多いのです。
しかし、今回の取り組みでは、
ちょうど国交省の推進する200年住宅ビジョン事業への橋渡しが
うまくいきそうと言うことで、継続しての取り組みが可能になりそうだと言うことでした。
税金の使い道について、とかくの議論のあるところですが、
今回の取り組みについては、本当にその実行力に敬服しました。
北海道は、その前身としての北海道開拓使の時代から、
北方圏での居住環境を研究するという実践的な取り組みを行ってきました。
全国の行政機関の中でもまったく特異な動きだったと思います。
そういう流れの中で、知事さんが日本建築学会賞を受賞するようなことにもなったのですね。
長い年月の寒冷地での家づくりについての地道な活動は素晴らしい。
国交省などがいろいろな国としての住宅性能基準を作るときに
こういった北海道の活動が大きな経験値の下敷きになったことは疑いようがありません。

ちょうど、ストック型の住宅施策に国全体としてもシフトチェンジの時期ですが、
今回の3年間の取り組みは、まことに意義深かったと思います。
既存住宅をいかにして、次世代に渡る優良な建築資産に転化していくのか、
目的はまさに、時代の最先端を切り開くものだったと思います。
ぜひ2008年度においても、継続的に事業が育っていって貰いたいものと念願します。

なんですが、
しかし、こういう意義深いものだったせいか、
毎回の審議会拘束時間がたいへん長く、また論議の盛り上がりが熱気がありまして、
なんというか、わたしたち審議委員はすごく仕事させられた。
まぁ、たいへんに人使いの荒い取り組みだったと思います(笑)。
もちろん、いい仕事を協働できた、という思いが強く、
いい意味で言っているワケなんですが(笑)。
今後も、ぜひ新しいマーケットを生み出すんだ、という気概で
盛り上げていきたいと思っている次第です。

写真は、北海道の住宅への取り組みを象徴する「北総研」エントランスのプレート。

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出版というもの

2008年02月15日 13時09分14秒 | リプラン&事業

本日は更新が遅れておりました。
さすがに、ここんとこ作業やらなにやら、
ただでさえそう広大ではない(笑)頭のなかが一杯になっていまして、
にわかにブログを書こうという気力が起きませんで、
やむなく仕事が始まっているこの時間にアップとなりました。

っていっても、書くことは仕事に関連したこと。
そうです、出版と言うことです。
書くのが遅れたのは、基本的なことを調べてからにしようと思ったからなんですが、
まぁ、諦めました(笑)。
一昨日ですが、カミさんと坊主の趣味でいつも眺めさせられている
朝のフジテレビの情報番組で
出版界に関するマーケットデータが出ていたんですね。
わたしは小さいマンガ少年のときから、一貫して
このような仕事が好きで、続けてきたワケなんですが、
最近は出版界が構造不況業種に指定されるのではないかという危惧まで出ていますね。
総売上金額が、10年近く低下を続けている、
主要取次会社が、前年マイナス予算を組んでいるという業種なんですね。
本日の朝刊でも「主婦の友」が廃刊になるというニュース。
最盛期には160万部も出ていたという雑誌が、直近では14万部という落ち込み。
(すいません、時間がないので記憶に基づいて書いていますので、若干数字は違うかもしれません)
近年は、こういう売上の低下を補おうと、出版の点数は逆に増えている。
たいへん厳しい状況になっているのです。
で、番組中では出版大国のドイツとの比較が出ていて、
人口が日本の6割くらいのドイツが出版売上では日本を大きく上回っているのだとか。
そのワケとして大きいのが書店の利益率の高さが上げられていました。
日本では平均的に20%程度なのに対して、
ドイツでは35%ほどの利益が書店に入ってくるのだそうです。
その分、日本では「委託」という取引形態なのが、
ドイツでは「買い取り」という形態なんだとか。
ようするに流通システムの問題で、書店に「売れる本」に対する選別眼がきびしいということ。
売れる本を、自己責任で買い取りで仕入れて販売するのですから
必然的に、生きるか死ぬかの厳しい選別になるのですね。
たしかにインターネットの普及は
「情報」という側面での出版の独占部分を侵している部分があるでしょう。
しかし、それならば、日本だけが落ちている理由説明にはならない。
やはり、構造的な問題もそこにあるのでしょう。

より状況に肉薄するような視点を持たない限り、
牧歌的な出版の世界は終わりを告げるのかも知れません。
厳しく自分自身も、問い直さなければならないと考えています。

<写真は江戸期の旅行カタログの挿絵>
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仙台泰陽楼もやしラーメン

2008年02月14日 06時36分14秒 | おとこの料理&食

B級ですね(笑)。
まぁ、庶民的な味わいを求めるグルメ求道記、久しぶりに行きます。
どうもわたし、もやしラーメンに深い愛着がある。
なぜといえば簡単で、
生まれ育った実家が「もやし」製造業で、
そして、子どもの頃からさっぽろラーメン産みの親の
三平ラーメンの大宮さんが生家にもやしを購入に来ていたのですね。
って、そういうのは自分の味の好みとは関係ないエピソードではありますが、
その後、実家の仕事をアルバイトで手伝ったりしていまして、
それはラーメン店などへの業務用もやしの配送なんです。
免許を取ったらすぐに休み期間中、やっていまして、
勢い、さっぽろラーメンの食べ歩きをやっておりました。

そんな経緯や、体験が微妙に味の好みに影響していくものなのか、
いまや、すっかりもやしラーメン党になっております。
しかし、もやしラーメンという名前自体も、そのように名乗っているかどうか、
店によってはわからないのですね。
控えめに「野菜ラーメン」とか、もやしが主体だけれど、
他の野菜炒めも混ぜているケースも多い。
そこへいきますと、仙台で結構好きな大衆中華の「泰陽楼」の
こいつは、そのまんま、「もやしラーメン」なんですね。
中華らしく、やや軽く「あん」がかかっている。
そのスープを引き連れつつ、シャキシャキ感のある歯ごたえのもやしが
「小気味よく」口の中でハーモニーを奏でてくれる。
で、スープで出汁の風合いをかみしめながら、
ややほっそりとした、やややわらかめの麺にたどりつく。
あつあつ、といいながら、はじめは少ない本数の麺をすすり、やがて、
もやし、麺、もやし、麺、という交互の食感を楽しむ。
まぁ、ときどきレンゲでスープも楽しむ。
っていうような繰り返しが、腹の中で豊かな時間を感じさせてくれる次第なんです(笑)。

値段は、覚えていない(笑)。
500~600円ではないでしょうか?
まぁ、大衆中華の値段ですね。
さっぽろラーメンとはまったく違うラーメンなんですが、
どうも最近は、こういう系統にすっかり嵌っておりまして、
家で作るラーメンも、麺が細めになってきております。
わが家の坊主も、鍋料理の締めの麺など、すっかり細麺好みに変化。
さてさて、みなさんはお好み、いかがでしょうね。ではでは。

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里山に繋がる裏庭

2008年02月13日 06時00分32秒 | 住宅取材&ウラ話

きのう書いた集住形態の農家群の中の住宅です。
このお宅は、この一帯の「家守り」役であったと思われる大工さんの家。
というか、いまは大工さんだったお父さんが亡くなって、
その娘さん夫婦を中心にした4世代同居のお宅です。
どうも推察するに、この大工さんが、きのう触れたような農家住宅を建てたり、
保守管理・増築などの作事一般を受け持っていた気がします。
現代がもう、システムとしてなくそうとしている、
「家守り」システムですね。
これは、建築の専門家である地域居住の大工さんが、
その地域での色々な建築的相談事を専門的に受け、管理していく社会システム。
現代のように、ハウスメーカー・商品化住宅システムの全盛期になってくると、
ちょっとした補修など、「どこに頼んでいいかわからない」
というような状況が生まれてきてしまう。
たぶん、こういう不便な状況って、最近というか、
戦後高度成長期以降、顕著になったのではないかと思います。
いわゆる、ハウスメーカーの成長期で、国策としてもそういう建築企業を培養した。
官主導で進められた「ハウス55」計画は、
労働者として大量に都市に集められた農家の2男・3男という
あらたな「住宅希望者」に対して、
既存の家づくりシステム(家守り」を中心とした地域工務店ネットワーク)では
住宅建築を請け負うのは不可能だと判断して、
そういう建築の受け皿として、
規格大量生産型のプレハブメーカーを国策で養成したのですね。
というような経緯で、今日の状況を迎えてきていて、
いまや、地域工務店というのは、業界としての存続の縁にある。
先日も、全建連という工務店の全国組織のトップの方とお話ししたのですが、
そうした危機が、まさに迫っているという状況ということです。

写真は、この地域(宮城県の石巻近郊の山間農業地域)での
家づくりの基本である、里山に寄り添った住宅計画の結果、必然化する
自然の里山の裏庭を撮影したものです。
家の裏の山からは、四季変化に応じて
いろいろな恵みももたらされて、暮らしになくてはならない潤いを
もたらしてきたに違いないと思います。
春の山菜採りから、秋のキノコ取り、落葉は貴重な肥料に、と
伝統的な農家の暮らしの基本的バックグラウンドだった。
そういう暮らし方が、そのまま、国土の保全に繋がっていた。
そうです、身近な森林の管理に繋がるわけですね。
こういう一連の営みを、官僚統制的手法で破綻させてきたのが
戦後の高度成長システムの弊害であった。そして、気付いたときには
それを復元する社会システム自体も崩壊してしまっていた、
というのが現実の姿なのです。

しかし、そういうなかで、この家に暮らして育った娘さんが
この家に愛着を感じて、お父さんが建てた家を壊して建て替えるのではなく、
なんとかリフォームして暮らし続けたいという希望を持たれたのです。
現代では、こういう古い建物を延命させて現代的な暮らしやすさを実現するのは
たいへん気骨のいる作業だと思いますが、
幸いにしてリフォーム会社の担当の女性の方も、
「またこの家に帰ってきた気がするんです(笑)」っていうように、
建て主さんといっしょになって苦労したことが、
その明るい表情から伺えたのです。
そんな明るい女性ふたりの会話を聞いていて、
なんとなく救われるような気がした取材でした。
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農家住宅の地域性

2008年02月12日 06時49分00秒 | 住宅取材&ウラ話

先週末には、宮城県石巻近郊の住宅のリフォーム事例を取材。
周辺には独特の形式の農家群が集まっています。
昔の農家の建てられようには色々なスタイルがありますが、
一般的に多いのは集住スタイルで、ミニ都市のように集まって暮らすもの。
それに対して、各家屋がぽつんぽつんと建てられるのが「散村」といいます。
この地域では、集住の家屋が、それも周囲の小山を背にするように建つ
「里山」形式で、しかも路に沿って連続して建てられていました。
これは、たぶん、季節風から暮らしを守る知恵でしょうね。
その目的をさらに明確にしてくれるものも見られます。
面白いことに、この地域では道路側に面して、
各戸が納屋のような建物を一様に建て並べているのです。
このように建てられれば、区切られた内部の空間は
冬の季節風から、ほぼ守られるような半外部の空間になる。
写真は、そうしたなかでもひときわ立派な建物。
高さも通常の2階分ほどもあり、内部の平面も広大に保護できます。
このように季節風を遮れば、内部には宮城県らしい
日射の豊かさが実感できるような空間が出来上がる。
大変よく考えられた、地域のくらしに似合った住宅装置であることがわかります。
塗り壁などは剥落して土壁が露出し、
何度もリフォームを試みてきた様子が手に取るように残されていますが、
いまは、どうも使用を諦めたと思われるような佇まい。
そうでしょうね、この建物の用途を推察すれば、
たぶん、農業用の倉庫が主要任務。
入り口から内部を見通すと、いろいろな農家の仕事のための小屋がけがあります。
それらはみな、ほぼうち捨てられたような状態だったので、
最近は使用されていないような雰囲気なのです。
そうなれば、外観的なものに気を使っていくような心映えはなくなる。
入り口の上部には、外部なのに開口部飾りの欄間まで見られています。
欄間は通風などの用途を考えているもので、しかもデザイン的に考えているということは
「家格」を表現しようとした装置であったことはあきらか。

考えてみると、いまの日本ではここまで考えている
「農家としての住宅装置」というデザインは存在しない。
農家であっても、主屋についていえば、
無国籍的な都市型住宅のプロトタイプが無自覚に建築されているケースが多い。
農家の側からも、ハウスメーカー的な宣伝デザインを希望する、
というような場合が多いのではないかと思われます。
素晴らしい伝統的建築デザインの古民家を
「○○ホームみたいな洋風の感じにしてください」
というようなリフォーム希望が寄せられる。
確かに、農家の暮らしようも、農作業のやり方も
伝統的な様式とはまったく変わってしまっているので、
そうした変化自体はやむを得ない部分ではあるけれど、
そのまま放置していけば、いったいどのような「地域的アイデンティティ」が残るのか?
まず、残っていくことはないでしょうね。
後世の人が、こういう家の建て方を見て、現代の暮らしを想像すれば、
その驚くべき想像力の枯渇ぶりに驚くのではないか、
そんな危惧の思いがわき上がってくるのを禁じ得ません。

でも、じゃぁ、どうすればいいのか、
と考えても、残念ながらなかなか、解決策は見つからない。
実際にこうした建物のオーナーさんから、
「都市的な快適性」を願われれば、そのように建築することになるのは
自明なのではないかと思われます。
地域的必然性の欲求の低下というなかで、
現代的な暮らし方という摩訶不思議なパワーが、無国籍建築を
大量生産していく、
こういうプロセスは、これからも増殖し続けるのでしょうか?

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青いライオンのシーサー

2008年02月11日 08時04分02秒 | 出張&旅先にて

さて、趣味の「シーサー探し」ですが、
って、あんまり知られてはいないでしょうね(笑)、
全国の面白いシーサー像を見て歩くという、勝手な趣味を持っています。
まぁ、旅費交通費はかかるけれど、
それは仕事などで行くついでなので、それとしてはお金かからない、
歩き回らなければならないので運動になる、
というけっこうだらけの楽しい趣味です。
そういう心がけをしておりますと、情報なども来るし、
なにより、道端の名もないシーサー像たちが語りかけてくるようでもある。
たまたま、そのときにカメラを持っているかどうか、
それが最大問題という趣味ですね。

というようなことなんですが、
東京上野、博物館巡りの最中にお目に掛かりましたね。
ごらんの像ですが、
由緒を調べたら、ずいぶんと高貴な出自を持つシーサーであります。
この像が置かれているのは、
重要文化財に指定されている、日本初めての洋風美術館「表慶館」エントランス。
なんでも大正天皇ご成婚を祝して建築されたそうです。

表慶館
1909年(明治42年)、東宮皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の成婚を祝う目的で開館した。設計は宮廷建築家の片山東熊(かたやまとうくま)。建物は重要文化財に指定されている。展示室は1・2階に9室あり、長らく考古資料の展示に使われていたが、平成館開館以後は特別展示等に時折使用されるほかは閉鎖されていた。その後、教育普及センター「みどりのライオン」が開設され、レクチャーやワークショップ、スクールプログラムが行われている。

という由緒書きWikkipediaに載っております。
そういう建物なのですが、
シーサーとしての青いライオンは、シーサーらしく阿吽の形相で
左右から訪れるものを睥睨しております。
が、どうもそういう迫力は感じられない。
いまいち、シーサーのユーモアには到達していないし、
形相のおどろおしさで威圧する、という態でもない。
どうも、ふつうにライオンが2匹、場違いにいる、という雰囲気。
どうも、竣工当時のアイデアと、実際の立ち上がった雰囲気とのあいだに
濃密さが感じられない仕上がりではないかと思います。
想像すると、洋風建築としての格式と、伝統的なシーサー像との
バランス感覚が、宮廷建築としてうまく消化しきれなかったのでは、
というような感じがいたします。
とはいえ、残された青ライオンシーサーには責任はない。
屈託なく、広大な博聞館前の広場で番をしております。
まぁ、かわいいといえるでしょうね。
本日は、やんごとなき由縁を持つ、シーサーのご紹介でした。ではでは。
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ナスカ展

2008年02月10日 08時50分36秒 | 歴史探訪

きのうは国立博物館の展示体験記でしたが、
あんまりオススメではありませんね、ということでしたね。
ですが、もう一方の科学博物館での「ナスカ展」はすごい正解!
っていうか、こっちのほうは「アンコール」にお応えしての催事なので、
ほぼ、正解は理解できるところではあります。
とにかく、世界最大の謎と言ってもいい、ナスカの地上絵の謎解き展ですから
まぁ、盛り上がりが全然違うわけですね。
展示は、ナスカの人々のDNA分析やら、
先行する文化の特徴の紹介などなど、立体的に直感的にナスカ文化を体感できる。
とくにミイラの分析からナスカの人々が、バイカル湖周辺で誕生した
モンゴロイドの流れを汲む民族であり、
わたしたち、日本人と遠い親戚関係にある、というあたり、
「そんなこともわかってきたんだ」と現代科学を見直す思い。
地上絵については基本的には謎とされていますが、
デザイン自体は、ナスカの人々が800年前後という長い歴史期間、
かれらが育んできた世界観や、描写手法そのものであり、
また、地上絵を描く手法の解説なども開示されていて、
宇宙人説などへのおだやかなニュアンスでの否定が感じられます。
描き方は、まず小さく描きたい絵を地上に描いて、
そこから、放射線状にロープなどで、距離と角度を特定しながら、
「測量」的に描いていく方法が示唆されていました。
「なるほど」という説明ですね。
また、世界各地に地上絵の伝統はありますよ、という例示も示されています。

こういう表側のテーマとは別に、
わたし的に強く考えさせられたのが、DNA的に近いかれらの首狩りの風習。
戦国期など特徴的なように、わたしたちの文化でも
歴史というのはまさにお互い同士の殺し合いの連続そのもの。
ナスカの人々もたいへん戦闘的な民族だったようで、
繰り返し、首狩りへの執着心が語られています。
首狩りを文化的な、たとえば陶器などのデザインにまで登場させたりしている。
生と死、戦争というものの概念世界が現代世界とは違うので、
即座に野蛮と決めつけられないけれど、やはりすごいものがある。
そうした世界観のなかで、一方で頭部への開頭手術なども技術が進んでいる。
こうした手術の成功確率も高かったという調査結果。
信長は、宿敵・浅井長政の首級・骸骨を酒杯にして
家臣に回し飲みさせたというような逸話があるけれど、
やや、近いような感覚世界にかれらの世界観はあったと想像される。
わたしたちにも、似た感覚世界のDNAはあるということなのでしょうか。

というような、独特の異種世界を体験したような気がした展示。
最後にはバーチャルリアリティのナスカ地上絵空中見学体験もできました。
どうも、ああいうの、苦手気味なのですが、
なんとか、最後まで気分が悪くならないように注意しながら、
見学を終わった次第です。
面白かったです、文句なしです。
こういう展示として、構成なども素晴らしかった。
アンコール開催というのも、むべなるかなです。
東京に住んでいる人は、やっぱりずいぶん、トクしていると思います。
いいですよね、こんな大予算を使った展示のたぐいが
それこそ、毎日のようにどこかしこで行われているのですから、
そうしたメリットの地域間格差って、すごいものがある。
所得税というような「富裕税」は存在しているけれど、
こういう「文化接触格差」の税の概念って、取り上げられることは少ない。
こういう点、「都市の快適性」という側面から、論議すべき時期に来ている。
少なくともこういうことについての格差はまったく放置・無視されている。
ひとつの考えとしては「文化税」などを創設して、、こういう展示を見に行くのに
地方の人に必然的に掛かってくる旅費交通費などをキャッシュバックする。
その経費負担を「文化税」全体で考えていく、というのは無理なのでしょうか?
わたしだけかなぁ、こんなこと考えるのは?
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