今週はずっと出張に出ていまして、
2日間ほど東京に滞在していました。
わたし、東京に来ると時間を作っては上野の東京国立博物館に行くのが習慣。
今回は、手前側の科学館でもなんと、「ナスカ展」アンコールを行っていましたので、
両方、掛け持ちで見学してきました。
本日は、そのうちの博物館での「宮廷のみやび」展です。
なんですが、のっけから結論を言ってしまうと、
やはりがっかりさせられた、というか予想通りというか、
「ああ、やっぱりね」という展示だったのです。
日本の文化の中で、藤原氏、のちに別れて近衛家となるのですが、
このような貴族が果たしてきた役割は、理解はできるのですが、
やはり生理的に、こういう国家権力に寄生して
その甘い汁を吸ってきた、という存在に対して好意的にはなれないのです。
展示は、おおむね、天皇家との関わりを誇示するようなものの羅列。
かれらにとっては、政治的な「戦利品」のようなものですね。
そういうものが、今日的な価値観で見返してみたとき、
はたしてどれほどの意味があるのか、疑問です。
貴族というのは、「文化・文芸」の道を民族の中で
大きな役割として果たしてきた、ということですが、
それは民衆への大きな抑圧の結果として
かれらが獲得し続けてきたことであって、多少の努力要素や素養というものはあったにせよ、
基本的には、たまたま、そのような境遇に生まれたからそうなっただけだと思うのです。
「そのことにどれほどの意味があるの」と内語し続けてしまった次第。
まぁ、下々の「ひがみ」ですね、これは(笑)。
よく「王朝文学の香り」とかなんとか、
一般民衆のリアリズムとはまったく無縁な恋物語などを
さも、立派な香しい文化ともてはやすような考えがありますが、
どうにも同意できませんね。
展示の中で、近衛前久という戦国期日本史にも名前が登場する人物が出てきます。
わたしは、司馬遼太郎さんの文学で、この名前を知っていました。
家康を描いた司馬さんの「覇王の家」のなかで、
ほぼ天下統一の事業が完成に近づきつつあった信長を
家康が自分の領土の中を通らせて富士山を見物させる旅行接待をするくだりがあります。
その間の政治的な背景に触れながら、
家康と信長の心事を推量し、考察しながら展開するお話ですが、
そこにこの「前・関白」の名が登場します。
政治的にはなんの実態もない存在でありながら、身分だけは高位であるこのひとが、
信長に、富士山見物の旅への同行をねだったのですね。
それに対して信長は、「わごれなどは、さっさと帰れ!」と大喝したという描写があります。
<確か本文では、東山道を帰れ、となっていたはずですが。>
「信長から酷いことを言われた」と日記に記していたそうです。
しかし、このとき信長は、天下一気性の難しい自分を接待するという家康の
政治的な覚悟のほどを思いやって、その心事を計っていて、
そのうえ、身分だけは天下第一等である近衛が加われば、
家康には、どれだけの心理的負担になるか、それを考慮しない近衛前久に
つい、どなってしまった、というような消息を文章にしていたのです。
そうした存在であるという、知識の下敷きから、
展示を見ている自分がいるせいなのか、やはり遊離した存在という意識が働くのですね。
しかし、信貴山絵物語など、目を奪われるような素晴らしいものもあります。
また、書の歴史展示と考えれば、大きな意義のある展示でしょう。
確かにこういう存在がなければ、
日本の文化の大きな部分は継続性を持ってこれなかったのは事実でしょう。
まぁ、色々な事柄を考えたり、感じたりした展示でした。
その意味では、意義はある、とも言えるかも知れませんね。
ということで、本日は国立博物館レポートでした(笑)。ではでは。