三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

第2回東北住宅大賞授賞式

2008年05月21日 07時08分57秒 | 住宅取材&ウラ話

先週金曜日、表題のように表彰式が行われました。
大賞受賞は秋田県出身の建築家・納谷学、新さんの兄弟です。
昨年もお父さんの住む実家、能代の住宅で応募されましたが、
惜しくも優秀賞に終わったので、ことしはリベンジということ。
受賞作品については、現在発売中のReplan東北版最新号で掲載していますが、
築後150年近いという民家の再生型リニューアル。
こういう民家が、そのデザインと愛着を維持しながら、
最新のデザイン感覚で再生され、ながく残っていくように改修されたもの。

というような次第になったわけですが、
東北の住宅に限らないのですが、建築家の役割として
既存住宅をどのように現代的なすまいに作り替えていくのか、
その想像力とデザイン力がおおいに発揮されなければならないと思います。
納谷さんは、どちらかといえばシンプルモダンデザイン的な志向性の建築家ですが、
今回の再生住宅ではみごとな古材の迫力を活かした
光の投入の仕方を見せてくれていました。
古材の堂々とした質感に対して徹底して白壁を対比的に置いていって、
コントラストが明快な空間を作り出しました。
既存状態では、防寒のためにその下側に天井が張られていたみごとな梁が
そのまま表しになって、外光のいろいろな入り方に沿って、
時々刻々と変化する表情を見せていました。
ひとつの古民家リフォームの可能性を表現していると言えます。

今年以降も、この賞は継続していくと言うこと。
とくに、ことしはJIAの大会が仙台で開かれるので、
その目玉イベントとしても行われるようです。
ぜひ、大きな盛り上がりを見せていって欲しいと念願しています。

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水と建物のデザイン

2008年05月20日 16時05分25秒 | 住宅性能・設備

写真は恵庭カントリークラブというゴルフ場のクラブハウスの様子。
コテコテのアメリカンデザインで、豪華絢爛という
きわめて装飾的な建物だったので、ついシャッターを押していたなかの一枚です。
ゴルフ場としての事業計画は、当初のものはまったく破綻して、
経営的には行き詰まり、倒産して、その後、経営母体が転売を繰り返してきているというもの。
なんですが、ここまで豪華絢爛というものなので、
「もったいない」ということなのか、
こういう写真のような状態が維持されているのです。
はじめの計画では、北海道で一番のゴルフ社交場を目指していたそうなので、
立地的にも、北海道地元のメンバーと言うよりも
広く全国的なメンバー構成を考えて、豪華施設を作ったのでしょう。
ゴルフ不況が叫ばれて久しいのですが、
いまでも、けっこうなプレーフィーを取るということ。
まぁ、わたしどもはシーズントップで正式オープン前だったので
超格安で入場できた次第なんですけれど(笑)。
しかし、こういう噴水装置まである人工池なので、
維持管理費用だけでも相当にかかる。
すごいものだなぁと、他人事ながらびっくりさせられていたのです。

こういう池とか、水を建築的に活かす、というのは
大変ポピュラーで、世界標準的な考え方ですね。
飛鳥朝時代、蝦夷のための宮廷の外交的「迎賓施設」に、
こういうプール装置がしつらえられていた、という記録も残っていて、
その復元土木の写真も見たことがあります。
金閣や、平等院鳳凰堂、平泉の庭園など、
日本の建築でも、たいへん事例が多い。
海外の住宅地でも、高級層を狙う場合には
多くの場合、池や湖を囲むように造成する。
わかりやすくて、そういう水辺に近いほど価格が高く設定されている。
水の果たす背景的な役割、
外観を引き立たせる、建物内部視線からは、もっともシンプルで不変な
「自然の感受装置」という意味合いが込められるのですね。

しかし、このゴルフ場クラブハウス、
確かに建築的にはよい建物であり、その佇まいも味があるのですが、
こういう素晴らしいものでありながら、果たして残っていくものかどうか、
どうも疑問に感じます。
いわゆる、地元性というようなものは感じられない。
やはりバブリー、という印象の方が強烈すぎて、
「愛着を持って、存続させていく」というふうには感じられない。
なにかが違うように思いますね。
絵的には美しいけれど、どうも親近感とは違う感覚が襲ってくる。
デザイン的にわたしたちのDNAとは異質なので、
無意識のうちに、これは自分たち自身とは関係ない、というように思いこむのか。
いや、単純に一般庶民的なひがみなのでしょうかね(笑)。
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建物の装飾性

2008年05月19日 06時25分17秒 | 住宅取材&ウラ話

仙台の街では、市内各所にあった寺院建築を駅東側に
一括して移転させて、「新寺町」という地名の街区を作っています。
お寺というと歴史性を感じさせる「古美」た風情というのがポイントですが、
この一帯では、むしろ建築としては新しいものばかりで、
わび、という感じがイマイチ、いたしません。
わが社の事務所はこの地域にあるのですが、
むしろ事務所のほうが「古びた」鉄筋コンクリートで、風情を感じるほど(笑)。
という次第なんですが、
やはり寺院建築では、そんなにおかしな「新建材」などを使うことは少ないので、
まっとうに年をとり続けているようなところは感じられます。
素材の若々しさは目にそのまま感じられるけれど、
これからが素材の味わいがだんだんに出てくるものなのでしょう。
最低、百年くらいの風雪を経ていかないと、
「わびさび」というような建築的な味わいには到達してこないのでしょうね。
出江寛さんのお話しに、
「わびとはなにか?」という疑問への答として、利休の師匠である
武野紹鴎の残した、
「わびとは、正直で、慎み深く、おごらぬさまを言う」という言葉が紹介されていました。
出江さんにお話を聞いたら、出江さんは京都の出身と言うことで、
小さいときから、古いお寺などで遊んで過ごしてきたのだそうです。
自然にそうしたことへの感受性が育てられる環境にいた、ということ。
この言葉そのままに理解すれば、
建築としての有り様というものが見えてくる部分があるでしょう。
きっと、そういう部分が本質的なものなのだろうと感じられます。

一方で、お寺さんの建築には奥行きのある装飾性もあります。
写真にあるように、ゴテゴテとは言えないけれど、
過不足なく、随所にデザインが施されています。
大きな意味では、単純な三角の屋根の造形を引き立てるような役割を担っているのでしょうが、
ひとつひとつの装飾は、感覚がおもしろいものばかり。
ディテールを見ていると、ちょっと時間を忘れるような気がしてきます。
「あれはなんの意味を持っているんだろうか?」という素朴な疑問が
次々に起き上がってきて、ひとがそのものに託した機能や思いを
思念し続けるような時間を味わうことができます。
そういう思いが、ふたたび、単純な外観プロポーションに戻ってきて
カタルシス的なものも感じられるようになる。
多くの人間が見続けてきたお寺などの建築デザインには
そういうさまざまな「仕掛け」が詰まっているのだろうな、と思われます。
まぁ、こういう新しいお寺さんは、伝統的美感の
「しきたり」を忠実になぞっている、というところなのでしょうが、
それでも、いろいろに想像力を膨らませてくれます。
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仙台遊歩道デザイン

2008年05月18日 07時29分08秒 | こちら発行人です

仙台の街って、歴史的な景観というものが
米軍による爆撃で焼失しきったことで、あまり残っていない街。
旧日本軍の構想では、東京が占領された場合、
仙台を防御ライン中心地と考えていたそうです。
なので、逆に言えば米軍の爆撃目標として大きなターゲットになったのでしょう。
そういう経緯が、戦後の街づくりでは逆手に取られて
大きな街路が東西方向に3本、広瀬通・青葉通・定禅寺通りなど
作られることにつながったということ。
いろいろな歴史がそこに投影されているということが出来ますね。

で、いま現在の仙台を全国にメッセージするのに
こういった通りがたいへん重要なファクターになっているのはご存知の通り。
仙台の通称に「杜の都」というのがありますが、
あれは定禅寺通りの景観を抜きにしては考えられないほど。
仙台城が焼失してなくなっていて、
歴史的な街並みも失われた仙台としては、
もう「通り」文化を目指すしかないのではないのではないでしょうか。
そんなことから、写真のような新興の通り、駅東口側の「榴ヶ岡通り」でも
いろいろな工夫を考えているようです。
名前から言えば、ツツジを大群生させるというようなのもいいかと思うのですが、
このようなちょっとした親水公園風の仕掛けを試みています。
周囲の樹木の種類は、知らないのですけれど、
やっぱりケヤキなのでしょうか、
時間を掛けて、どんな景観に育っていくものかどうか、
また、周辺のみなさんの思いが注がれはじめるものかどうか、
興味を持ちながら、時々散歩させていただいている次第です。

駅のこちら側は、楽天イーグルスの本拠地球場まで、
まっすぐな道になっているので、
楽天の頑張り次第で、地域のシンボル通りに育っていくような部分が
生まれ育っていくかも知れません。
ただ、そういう意味からはまだ、この親水公園のオブジェなど
建築的な要素は、ちょっと力不足のような気もします。
まぁ、都市計画ということになっていく話題なんですけど、
見つめ続けていきたいなと考えています。
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JIA出江寛次期会長

2008年05月17日 06時54分35秒 | 住宅取材&ウラ話

きのうはJIA東北支部のいろいろな催しがあり、参加してきました。
わたしも審査委員を拝命していた「住宅大賞」の授賞式などのイベントもあり、
折からの青葉祭り前日の仙台メディアテークで行われました。
ことしは17年ぶりにJIA全国大会が仙台で開かれると言うことで、
それに向けての「プレ大会」的な催しになっていました。

写真は来賓として、というか、
その迫力のあるメッセージは、とても「来賓」というような穏やかさではないのですが(笑)
元気いっぱいの「旬のひと」JIA出江寛次期会長の講演も聴くことができました。
ことし、JIAの会長職ははじめて選挙で選ばれることになり、
立候補を表明した出江寛さんと、現職の仙田満さんのあいだで争われ、
出江寛さんが当選して、6月からは新会長となるのだそうです。
自ら立候補して、政党の党首選挙並みに「公約」を掲げ、
その実現の道筋も、ロードマップで示すという公明正大な姿勢を通しています。
その主張されるところは至ってシンプル。
国、国交省に対して「建築家」という存在を証明させるということに尽きるでしょう。
建築士という制度がさまざまな矛盾を抱えてきている現状で、
それを打開して、革新しようと努力されています。
お話しの中で、安藤忠雄さんとのやり取りが紹介されていましたが、
世界の建築物の設計料は、実施をともなわない基本設計だけでも
かれ、安藤さんは建築費の20%をいただけるそうです。
それに対して、日本の公共建築の設計料は2%なのだとか。
しかも、それすらも「随意契約」であるならばまだしも、
「競争入札」で安売り合戦を強いられるというのが現実なんだとか。
そういう結果、世界的に活躍する安藤忠雄さんですら、
「所員に、満足な給料を支払うことができない」
というようになるのが実際のところなのだそうなんですね。
こういう現状に対して、究極的には「建築家法」の制定を目指して
建築家の地位向上の運動を展開しようというのが出江寛さんの主張。
具体的には、台湾で実施されているというシステムですが、
建築確認と同時に、「設計契約書」を添付することを義務化させようという作戦。
設計という行為が「無料」です、というような
社会風潮に歯止めを掛け、コンプライアンスを明確化し、
最終的には消費者保護につながるような改革に着手しようというのです。

やはり人間の価値は、社会のためになることに
私心を捨てて立ち向かおうとする情熱の部分だろうと思います。
自分の役割も明確に示して、責任を持ってなすべきことを成そうとする迫力は
十分に伝わってきた気がしました。
ぜひがんばって欲しいものだと共感の気持ちを抱いた次第です。

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日本の公共空間デザイン

2008年05月16日 07時46分29秒 | 歴史探訪

写真は足利氏の本拠に建てられた寺院の正面からの外観。
よく歴史巡りなどをすると、日本では決まって宗教的な施設になる。
この足利氏の発祥地とされる居館跡地も
お寺として存続しているのですね。
京都に残っている建築も多くがそういう残り方をしている。
金閣は足利義満が私邸、迎賓館的に造営したものだし、
京都中、歴代の権力者が妄執に駆られて造営した建物がそういう形で残る。
なにやら、現代の宗教法人の無税特典というのは日本伝統の文化なのかと、
つい、疑ってしまいます(笑)。

こういう敷地の大きな建物空間の場合、
そのなかにいくつかの建物が共鳴するように配置されます。
よくあるのが、背の高い建築~塔のようなもの、
校倉のような倉庫状の建築、
そして、大きな屋根のデザインで見せる主建築。
きっと、このような配置デザインって、中国の影響から来るものでしょうね。
地形と方位などを考えて、良い気が満ちるように考えられているのでしょう。
そして、時間を掛けて植栽が施され、
独特の東アジア的な「公共的空間」が演出されてきているのだと思います。
で、そういうなかでもやはり、この写真のように大きな屋根の
デザインというものが、一番直接的にひとびとに訴求してくる。
屋根はいろいろな建築的検討の結果、選択されるのでしょうが、
この建物など、大変ユニークな造形を見せてくれる。
寄せ棟を基本にした入母屋ですが、ちょっと寸詰まりなのが楽しい。
日本人はいちばん、寄せ棟というのが心情に似合っているのでしょうか?
寄せ棟は、台風などの風の被害に対して柔構造のような気がします。
まずそういう気候風土に対する適格性があって、
そのうえで、心情的なものが積み上がっていくものなのでしょう。
古民家などでは、ほとんどの屋根が寄せ棟です。

やっぱりこういう空間性には、ほっとするようなものがありますね。
日本人ということを意識させられる部分。
でも、北海道では、なぜか寄せ棟はほとんど採用されない。
たぶん、日本と北海道を分ける最大のものは屋根デザインでしょう。
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建て替えの間取り

2008年05月15日 06時34分28秒 | 住宅取材&ウラ話

写真は先日取材してきた盛岡市のお宅。
岩手県の民間で行っている「エコハウスコンテストいわて」で
大賞を受賞した住宅です。
熱損失係数はほぼ1を切るレベルで、暖房はヒートポンプを採用。
随所に熱環境性能を追求している高性能住宅です。
ということなのですが、
この家は実は老朽化した住宅を建て替えたもの。
施主さんの要望は、なによりも暖かく快適な住宅性能というものだったので、
その要望を最大限、現状で可能な限り実現させているのです。
一方で、暮らし方とか、ライフスタイルとかの面では、
特段意識しないで、設計者と打ち合わせるウチに、
だんだんと、前の家のプランに行き着くようになったということ。
なので、最終的な間取りプランは前の家と大きな変化がないのだそうです。

まぁ、面白い結果にはなったなぁと、
建て主さんと設計者は笑い会っていたのですが、
こういうの、取材しているとときどき見かける事例です。
間取りって、知らず知らずのうちに生活ぶりに溶け込んでいて、
同じ敷地に建て替える場合、間取りを変えないというのは、
ある意味、合理的で「継続性」の面で理にかなってもいます。
せっかく建て替えるんだから、と思う部分もあるのですが、
その家を使っていくのは建て主さん。
生活の仕方、流儀のようなものって、出来上がっているとすれば、
それをあえて変えなければならない、という理由はない。
あさ、起きたらこの方向に行けばトイレがあり、
そこから新聞を取りに行って、居間で新聞を見ながら、
お茶を沸かす、みたいな「生活習慣」は、そのひとがたどりついたもの。
そういう部分にも変化を求めたい、という希望も理解できるけれど、
たとえば、高齢者の場合には
そうした部分に過度な変化を与えない方が「安心感」を持てる。
まぁ、人によりけり、ということもできますが、
案外、こういう継続性の方がいいというケースも多いんですね。

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江戸期の婚姻

2008年05月14日 06時18分30秒 | 歴史探訪

きのうもご紹介した「歴史人口学」。
なかなか奥行きがあって、興味深いテーマですね。
そのなかに江戸期の一般的な婚姻年齢について触れていました。
というか、婚姻と言うこと自体についても研究されている。
そういうなかで、江戸期の「小作農」という社会的存在が
日本人の基準的規範の基礎になっているというような部分があります。
「伝統的家族観」とでも呼べるようなものが、
実は江戸期の「小作農」を基準とした「家族構成」だとしています。
直系家族を単位とした「家族3世代同居」型の単位が
江戸期に社会の基本因子と規定されたのだ、と。
婚姻率というのも、こういう社会的なシステムが常識化して
「皆婚」に近い率になっていった、というわけなんですね。
それより以前には、婚姻率って50%すら切っているような社会。
小作農にとっては、家族を基本とした労働集団が経済単位にもなっているので、
婚姻は、家を存続していくという子孫づくりの側面と同時に
直接的に嫁としての労働力獲得と言うことでもあったのです。
婚姻の年齢は男性で平均的に27,8歳前後、女性で20歳前後。
一度、このような「常識」が根付いて、
それが長い時間、「伝統」的とまで思われ続けて存続してきている。
現在でも、核家族化の進展はあるけれど、
基本的社会規範としては、この常識が基本になっている、ということ。

このように指摘されれば、ふむふむなるほど、と了解できます。
で、平均的な寿命は40歳前後だったそうなので、
婚姻というものは、都合10年前後ほどの期間、維持されるものだったことになります。
わたしの仕事は住宅を考える仕事なので、
住宅というものの基本因子である婚姻や家族というものを考えるのは大前提。
そして現代が、どのような家族関係に向かっていくのか、
見通していくためにも、こうした視点を持つというのは大変重要。
いろいろ考えさせられますね、ふ~む。

<写真は近所の公園の様子>
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歴史人口学

2008年05月13日 06時20分10秒 | 歴史探訪

面白い本を発見して見ておりました。
人口から見る日本歴史、ということなのですね。
いまわたしは、どちらかというと平安末期の時期の動乱期の歴史を
いろいろに興味を持って見ているんですが、
こういうのに掛け合わせてみると実に面白い。
日本の戦争、土地争奪の歴史って、
織田信長がはじめて(といわれている)専従の軍事組織を作るまでは
兵農が一体で、分離不可能という状態だったのだろうと推定できる。
古代の頃の戦争にしても、兵は募兵が基本。
ということは普段の仕事は別にある人間が「いくさ稼ぎ」で駆り出されていたのが実態。
そしてその多くは、農民の次男三男ということだったのだろうと推定できる。
そういうひとびとを練兵して、戦場で使ったのでしょう。
平安末期の戦争の兵の実態を調べた本などでもそのあたりが見えてくる。
兵隊の数というのは、どうもいい加減ではあると思うのだけれど、
それにしても、富士川の合戦~関東に武権を樹立した頼朝軍が対峙した
平氏の側の「朝廷軍」が12万人とか書かれている。

それに対して、この人口学の本によると
その当時の日本の人口が全体で680万人ほど、となっている。
実際には現地周辺での募兵が大きかっただろうと思われるので、
東海地域で見てみても、総体で43万人あまり。
女子ども、老齢者もいるわけで、そう考えたら
この当時の「戦争」って、いったいどういうものだったのか、
色々に興味深いものがあるのですね。
確かに政治軍事貴族たちの争乱ではあっただろうけれど、
そういう意味合い以上に兵站や運輸、兵糧の提供などなど、
現地にとっては、たぶん一大ビジネスという側面はあっただろうと思われる。
現地の人間にとっては、どっちが勝つとか負けるとかはあんまり関係なく、
誤解を恐れないで言えば、
いわば公共事業的なものでもあったのかも知れない。
昔は、「家」単位が基本の社会であって、
たとえば戦死しても、家が存続して行くことの方の価値観が大きかった。
個人の死というものの考え方がいまとは違う。
そういう「無常」感に、仏教という宗教も拡大できる素地があったのかも知れない。

というような次第なんですが、
この人口学って言う物差しで、歴史を見ていくって
ものすごく大切な視点を提供してくれるようですね。
考えてみれば、経済が、700万人程度の人口とその程度の生産段階での争いなんですね。
で、一般大衆はたぶん、ほとんどが明日の生活のことしか考えられない社会。
どうも、かなりのリアリズムが見えてくるような気がします。

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旬の毛ガニ

2008年05月12日 05時32分00秒 | おとこの料理&食

友人に北海道オホーツクの雄武町出身者がいまして、
かれから、おいしい毛ガニのことを情報で仕入れております。
毛ガニが一番おいしいのは、流氷海明けから、今の時期なんだとか。
風味・味わい・身の締まり具合など格別。
ということで、友人たちとこの時期、
「かにを食う会」というのを企画して、連年続けております。
きのうはその上、50を半ば超えて再婚した友人のお祝いも兼ねておりました。
ということで、20人ものパーティになりまして、
にぎやかに楽しみました。

で、かにであります。
大きからず、小さからず、500gというほどあいのが
一番おいしいと言うことなのだそうです。
食べるその日の朝に、送ってもらう浜ゆでのもの。
冷凍などはしていないのですね。
氷などで自然に保存させながらなので、風味が損なわれない。
雄武町の畠山水産というところから送ってもらうものです。
毛ガニを食べ始めると、みんな無口になります。
ひたすら、身を取り出すことに集中するから、没頭するのですね。
おいしいものに無心になれるというのも、いいのでしょうか(笑)。
雄武出身の友人は小さいときから、
おやつが毛ガニだったというヤツでして、
食べ方はまさにプロ級(?)。
色々教えてもらった割り方で、たのしく味噌から足先まで、みっちり楽しめました。

やっぱり旬の味わいは格別です。
オホーツクの海のうまみがぎっしりと詰め込まれていて、
飽きが来ない味わい。
500gというのも、腹ごたえの面でもちょうどほどよい。
おいしい酒が、より一層うまさを引き立ててくれます。
都合、1時間ちょっとくらいの至福の時間を楽しめました。
毛ガニ、旬の時期はもうすこし、ということ。
おいしいことは太鼓判を押せますね。
ということで、本日は食の話題でした。ではでは。

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