三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【鎌田紀彦氏の「エコハウス」審査への疑問から】

2017年11月20日 07時20分25秒 | Weblog
住宅の賞というのはたくさんあります。
わたし自身もそういう賞の審査員をやったりしたこともある。
顧みていかに不明であったかと恥じらう自分がいます。
そういう経験からしても、やっぱりそれぞれ成立の仕方が違う個別の住宅に
「優劣」を付けるのは、相当ムリがあるようにいつも感じています。
きのうFacebookをチェックしていたら、秋田の建築家・西方里見さんが
自ら応募された賞の選考過程について、率直な意見を発言されていた。
わたしのような人間は、応募する作り手とは違う立場なので、
その内的な葛藤は、忖度することはできるけれど見えにくい部分もある。
けれど、言わんとしていることはおおむね共感出来ると思いました。
そんなことを考えていて、数日前の建築知識ビルダーズ主催の「エコハウス」
審査の時にゲストとして発言を求められた鎌田紀彦氏の発言を思い出した。
以下、録音データからその内容・要旨を。

「ボクは世の中に厚い断熱の建物を普及させようと思ってやってきたんですけど、
この審査に残った厚い断熱の住宅を見ていると感慨深いものがある。
しかし、このコンテストは厚い断熱を競うものではなく、エコハウスなのだという。
では「エコハウス」ってなんだ、なんの意味があるんだろうと考えさせられた。
何を競っているのかが疑問。エコハウスがなにを意味しているのか不明。
(中略〜北海道から応募した住宅へのコメントで)審査員の顔ぶれをを見て
どうしてこの人たちが北海道の住宅を審査できるのかと思った(会場爆笑)。」

かく言うわたしも、(会場爆笑)のあたりで激しく同意していた(笑)。
まぁ先生らしい一流のジョークではあったのですが、核心も突いているなぁと。
住宅の賞ということには大きな意義はあると思います。
とくにいま断熱ということが普及段階にある日本の温暖地においては
賞の存在自体が、そのことへの関心を呼び起こす大きな起爆剤になる。
この「エコハウス」賞がそういう役割を果たしてきていることはリスペクトします。
しかしその上で、住宅に優劣を付けるコンテストをやるのであれば、
その「判断基準」要素を常識的にわかるように明示すべきだと思う。
応募する側にとっては、非常に多くの設計制約を踏まえながら、
ある解に至った建物を、さらに非常な努力を払って「応募」している。
その努力に対して「優劣を付ける」には、明確な基準が示されなければならない。
ある北海道の住宅の賞の「講評」で、本州地域から来た審査者が、
応募者が住宅説明にQ値とかC値とか平明な数値を示して話しているというのに、
断熱気密について自らはほとんど知識がないと公言されていた。
断熱という基本を踏まえてデザインしている応募者対象に対して
失礼ながら、そこを知らないで住宅デザインを審査していることになる。
そのような住宅の賞のいまの現実を見ていると、人口の8割を占める温暖地側が、
人口規模の多寡のエセ「正統性」や恣意で順位を押しつけているだけではないかと。
それは中央に対して「鄙」は服従すべきと言っているようにも聞こえる。
住宅の賞というものに、どうも納得がいかない部分がある。
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【一夜で真冬(泣) 雪とのパッシブな対話とは?】

2017年11月19日 06時19分43秒 | Weblog
全国のみなさん、おはようございます。
できれば広く日本中の温暖地にお届けしたいステキな白い恋人です。
これから始まる冬のセレナーデ、忘れずに来る律儀なヤツとお笑いください。
・・・って、まぁ。愚痴はとめどなくあふれ出てくる(笑)。
ややヤケ気味に迎える本格的冬将軍。にしても、いきなりの大雪模様。
もうちょっとね、冬の到来には抒情感くらいがほしいですよね。
少女が空を見上げ、その瞳にキラキラと落ちるほのかな雪くらいがいい。

というようにどんなに嘆いてみても、始まりません。
本日から、北国の男として雪との格闘は避けて通れないさだめ。
長靴を取りだしてきて、除雪器具も引っ張り出して、
用意を調えて、始めたいと思います。
雪かきは始めてしまえば、あとは慣れなので、
カラダも習慣に対して従順に対応するようになる。
それは人間の考える範囲を超えた事象なので、
自分たちの気持ちに整理整頓を付けて、自然と仲良くするしかない。
考えてみるとこういった対応は、自然へのパッシブな人間対応といえる。

ただ、温暖地の建築研究者の方から「自然と繋がる環境住宅」論を
聞かされたりすると、ちょっと「繋がりたくない」気分になるのは仕方がない。
これは物理の問題であって、けっして情緒の問題ではない。
「繋がって」しまうと、人間の体温が奪われてしまう凶暴さを北の冬は持っている。
だからといって非パッシブに、エネルギーを爆使いして
いわば、アクティブに対応できるものでもない。
雪とは対話しパッシブに受け入れて、人間生存領域と「仕分ける」しかない。
基本的に「断熱」は、この「仕分ける」ために人類が獲得した普遍的技術。
コントロール可能な人間生存環境創造を容易にする知恵であり、
少なくとも北国的には「環境」というコトバはそれこそが中核的概念だと思う。
そこから敷衍して気候に対して人間生存領域を普遍的に獲得する手段となった。
いわばイキモノとしての生存センサー領域創造にかかわるこのことについて、
やや文学的比喩のような「自然と繋がる」みたいな言い方をされると、
その気分において許容しがたくなるのですね。
断熱を無視した「環境論」には、危険の匂いを感じざるを得ない。

おっと、雪かきから断熱論になってしまった(笑)。
切り替えてこころ穏やかに、自然に対応してきたいと思います。
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【地域オリジナル限定版「Replan青森」VOL4発刊!】

2017年11月18日 06時59分37秒 | Weblog
本日は当社の新刊のご紹介です。
これから年末年始にかけてたくさんの別冊企画が進行しています。
この「Replan青森」は、南北に長く地域性の顕著な東北地域で
さらに密着して「地域性」に配慮した青森県オリジナル版。
年に1回の企画でことしで4年目、第4号の発刊。
北海道並みの厳寒地対応が不可欠である一方、日本の伝統的な家づくりも息づく。
そして「青い森」と呼ばれる豊富な地場木材資源に恵まれた青森県。
大きくは太平洋側と日本海側に分かれていて、
その真ん中に陸奥湾に面した県中央の青森市がある。
日本海側は多雪で湿度の多い地域。青森市も独特の気候特性で
北海道札幌以上の多雪地域でもあります。
一方、太平洋側は小雪で、乾燥しているけれど底冷えの地域。
改正前の「省エネ区分」では北海道と同じ1地域も存在していた。
地域住宅雑誌として青森の家づくりの「羅針盤」の意味合いを込めました。
家を建てると言うことは、その地域に根ざして生きることそのもの。
青森の土地を知り、気候風土をよくわきまえ、
最新の技術を巧みに取り入れ、さらにいごこちのいいデザインを求める。
そう考えれば、やはり地域を知り尽くした「作り手」の情報発掘が欠かせない。
大手ハウスメーカーではあり得ない技術研鑽と、デザイン感覚を磨いた作り手たち。
みなさんの家づくりが素晴らしいものになるように、
地域住宅雑誌としての視線で、厳選した優良ビルダー情報をお届けします。

Contents
◆巻頭特集
青森で家を建てる。ということ
Case.01 最小限の好きなものに囲まれたシンプルな暮らし
Case.02 共有リビングから広がるプライベートガーデンのある二世帯住宅
Case.03 インテリア・家具好きの“理想”を追求でき価値も続く家
◆地域を深く知る県内ビルダーが建てた 青森の住まい・実例集 
◆オススメの収納アイデア
◆エルムECOタウン 厳選3実例 
◆新住協青森支部特集 「Q1.0住宅で日本一の短命県の汚名返上! 」
◆Q1.0住宅デザイン論 <新住協 代表理事・鎌田 紀彦>

■webにて先行予約も受付中!!
11月16日(木)~11月21日(火)
※期間中にお申し込みいただいた方へは、
一部地域の方を除いて、発売日までにお届けします。
2017年11月29日発売・A4版 本体価格907円(税込:980円)
お申し込みはこちらへ。
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【安藤忠雄展 「住むきびしさ」の芸術止揚】

2017年11月17日 06時41分21秒 | Weblog
前回の東京出張時、見学しようとしていたらなんと「火曜日休館」だった(泣)、
東京乃木坂の国立新美術館で開催中の「安藤忠雄展」ようやくチェックイン。
なんですが、乃木坂駅で降りて国立新美術館方面に向かったら、
駅構内に「臨時券売所」ができていた。
どうも当方の認識不足のようで、大勢の「高齢者」(失礼)のみなさんが
みんな吸い寄せられるようにこの展覧会に足を向けているではありませんか。
まぁ平日の午前中という時間帯と言うこともあったのでしょうが、
建築志望の若者や、中国観光客以上に、高齢の方が目立った。
みんなちょっとめかし込んで大人の美術鑑賞、エスプリ感を発している。
おお、都市ゲリラ・安藤忠雄はいまや、国民的人気「芸術家」ということなのか。
こういった薫り高い文化嗜好対象になったのだとご同慶の思いが募ってくる。
どうやら、わたしごとき人間には計りがたい巨大さが安藤さんにはある。

「わたしに住宅の設計を依頼する人には、住みにくいですよとハッキリ言う。
そういう生きることの大変さに意味があると思えるひとと、
いっしょに住宅を作ってきた。寒いツライという人には、頑張れと言ってきた」
と例のダミ声のイヤホン解説が語りかけてくる。
さすがに図表で掲示されていた住宅作品の施主さんに北海道の人はいなかった。
「寒いツライ」を「服をたくさん着込めばいい」と説諭されて、
なお、その大先生と「生きるツラさ」の芸術的境地を共有したいと考える人は、
いないことはないだろう。またそのことを全否定もしない。
しかしそれが人間の暮らし方として高位であるとは言えないし、
そういった無断熱「自然」住宅が「優れている」などとは絶対に言えない。
安藤忠雄さんは、わたし的にはきわめてアンビバレンツな存在であります。
<注:アンビバレンツ=同じ物事に対して、相反する感情を同時に抱くこと。
一人の人物について、好意と嫌悪を同時に持つ、などのような場合が該当する。>
住宅建築についてはその造形感覚について刺激的ではある。
それこそ写真表現者的には、思わず引き込まれるような場の緊張感がある。
しかしどう考えても、ああしたコンクリート打ち放しの身体的環境が、
生身の人間に対してどうであるか、容易に想像が付く。「寒いツライ」。
一方で、いまや世界的に展開している非住宅の建築群について、
「多くの人間が集まる場の創造力」については、同意する部分が多い。
先般、講演会で氏の口から聞いた札幌真駒内霊園の「頭大仏」については、
その発想の面白さ、天才ぶりに大いに共感した。
札幌に住んでいる人間として、安藤さんが「手を加える」前の大仏には
世間一般同様、どうしても承服しがたい印象を持っていた(笑)
しかしその大仏を小山を築いて被覆し、一方で地面レベルからトンネルを
あえてくぐり抜けさせて、あふれる光の中に大仏を再見させるプランニングは、
たぶん茶室的な「出会い」創造コンセプトと、深く驚かされ惹き付けられた。
トマムの「水の教会」でも、このコンセプトは一貫していたと思います。
建築はまずはその場で感受するものだと思うので、
安藤さんの建築は大好きで、あちこちめぐり会うことがやはり楽しみです。

安藤さんはスフィンクスみたいなもので、
たぶん、相対する人間を映し出す鏡のようなものであるのかも知れませんね。
かれが出現したときの時代の建築関連メディアの人たちにとって、
たまらない妖しさが魅力としてあっただろうことは疑えない。
ただひとつ、安藤さんが世に出てきた同時代に、
北海道ではコンクリートブロック外断熱の住宅群が地域の建築家たちによって
創造されていた。わたしなどもその創造運動に関わってきて、
自宅もそのように建てた人間からすると、安藤建築にある無常観は持っている。
はるかな後世になって、安藤さん的コンクリート打ち放し無断熱住宅建築と、
初めから人間環境優先で考え「外断熱」で建てられた北方型ブロック住宅建築の
どちらが歴史的評価を得るのかについては、しかしまだ諦めているワケではない。
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【温度差がない設計の自由 鎌田紀彦-堀部安嗣対論】

2017年11月16日 06時39分05秒 | Weblog


昨日はジャパンホームショーの行われている東京国際展示場にて
鎌田紀彦-堀部安嗣対論のイベントがあり、取材してきました。
最近になって温暖地でも2020年断熱義務化を控えて、
高断熱高気密への対応が作り手の側で盛り上がってきたようで、
こうしたイベントでも、よく鎌田先生が登場するようになって来た。
とくに今年は、いろいろな催事に鎌田先生が引っ張りだこのようです。

この対論の模様については、詳細に内容をチェックして
ほかのテーマともあわせてまとめたいと思っています。
本日はそういう意味で速報的な報告を。
断熱気密化というテーマについては、いまの「普及」主戦場は温暖地だと思います。
一方で寒冷地・北海道東北は「深化」の段階という違いがあるのでしょう。
鎌田紀彦先生の発言はこれまでの流れのままであり何も変化はない。
ただ、今回の対論相手、堀部安嗣さんのような温暖地の建築家やビルダーさんが
ようやくふつうに高断熱高気密化に取り組みはじめたということ。
対論の中で堀部安嗣さんが正直に答えていたように、
要するに思い込み、高断熱高気密にすると自由な設計デザインが
制約を受けるのではないか、ということへの
「なんとなく」の拒否反応レベルだったとの告白。
そういった段階を乗り越え、堀部安嗣さんは、いごこちとか、
目には見えないけれど決定的な「環境」要素も設計できるようになって
より高レベルの住環境をユーザーに提案していけると実感しているという。
とくに、これまでの設計ではたとえば建物北側の温度低下を無意識に
設計要素としてアタマに入れ与条件と考えていたけれど、
高断熱高気密化することで、家中の温度差がなくなるという「自由度」を
大きく認識するようになった、と発言されていた。
そういう「制約」が設計において排除されるようになったということ。
そうか、と同意できた部分でした。
このような気付きのことについていえば、
北海道でも、高断熱高気密化が進んで「吹き抜け」などの空間設計に
ほぼ躊躇がなくなった時期が数十年前にあった。
それと同質のコトバが、いま温暖地の設計者の認識として
発せられるようになって来たのだと理解出来た。
温暖地と寒冷地の「普及段階と深化段階」という相違が実感できた瞬間。
考えてみれば当たり前のことですが、
ようやく共通の地点に立って論議がはじめられると思わされました。
そうした気付きを持った温暖地の住宅の作り手たちからは、
寒冷地側も大いに「学び」を得られるようになるのではと期待が高まります。
堀部安嗣さんからは住宅建築の古層の知見、技術などへのリスペクトも
発言がありましたが、そういった部分は寒冷地住宅も
大いに学んでいきたいと思った次第です。
結局は日本の住宅が総体として「進化」プロセスにあるのだと思いました。
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【江戸期絵図面に見るナマナマしい地方「政経」構造】

2017年11月15日 06時52分03秒 | Weblog



写真はわが家の先祖伝承を探訪してきて
先般見学して来た姫路市林田の「三木家住宅」復元主屋の様子です。
この林田という地域は江戸期には1万石といういちばん小規模の「大名領地」。
1万石というのは、米の生産高が1万人の1年分に相当するという意味。
この計算式はなかなか秀逸なようで、江戸期末期の全国の石高は3.000万石と言われ、
また人口も3,000万人と相似していたとされる。
で、大名さんは「建部」さんということだそうですが、
この下の絵図面では「武部」という名前で記載されています。
「武部内匠頭」1万石というように記載がある。
絵図制作に当たっての「校正」が十分ではなかった(笑)のか、
そもそも漢字の表記にはおおらかであったのか、その両方でしょうか。
で、わが家の家系に連なるこちらの「三木」さんは、
絵図上では「構」と表記され「三木三郎左衛門」の屋敷が図右上にある。
ちなみにこの三木家住宅は復元され、配置図平面図は以下の通り。



塀がまわされた中庭空間の様子は、絵図の三木家図でもわかる。
さらに「御下高一万石百姓也」と記載されていて「大庄屋」の機能がわかる。
図には「御成門」も描かれている。
ということで、政治というか、軍事警察機構当主である建部(武部)さんと
経済を司っている「三木家」さん両方で「一万石」という表記・記載が重なっている。
江戸時代のニッポンの1/3000のミニチュア模型のような
典型的な地域支配の構造がピンナップされているのですね。
まことにわかりやすい。
まぁ実際に1万人程度がこの領国地域に居住存在していたかどうかは
そこまではわかりませんが、江戸時代このような構造によって
社会は営まれてきたことが明瞭に伝わってきます。
大体、絵図にこうした経済支配の差配人の家屋敷が明示されるのですから、
支配構造のどうであるかは、明らかではありますね。

歴史理解って、ある定点的な了解点から広がっていくのだと思います。
こういう「座標軸」が明確になり、そして復元された三木家住宅がある。
それらを大きな手掛かりにして、いろいろな人間活動が「取材」で明らかになる。
わたしの場合、たまたま遠い縁戚のような気分も感じられて、
この播州姫路の地が一気に超身近なものに感じられるようになってきました。
この「歴史のモノサシ」を使って、もっと生々しく学んでいきたいと思っている。
まことに老後の研究テーマには事欠かない次第であります(笑)。
ただしそのような境遇にまで至れるのかどうか、
日々地道に経済活動に精を出して、将来は坂の上の雲を追っていきたいです。
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【空間コミュニケーション 人間と平面図】

2017年11月14日 12時05分59秒 | Weblog
わたしは建築を勉強した人間ではありません。
ビジネス的興味、人間的興味から住宅ということに関わるようになった。
それでも住宅の表現手段としての「図面」は、すぐ直感的に空間把握できた。
一般的に賃貸住宅を借りるというようなときでも、
平面図がほぼ誰でもが共通のコミュニケーションツールになり得る。
これはたぶん人間同士が地面に棒状の石や木片で線画を描いて相談したような
そういった古層人類的経験知の結果なのでしょう。
はじめてこういう「視点」を人類が獲得したのは、いったいどういう経緯か、
ふかく思いを致させられるものがあります。
たぶん想像をたくましくすれば、狩猟採集の時代に落とし穴とかをつくって
獲物を集団で獲得するとき、その方法として作戦会議が行われたでしょう。
コミュニケーションツールとしてこういった「図面」が頻用された。
線画という抽象性には空間を単純化して理解させる把握力がある。
集団的狩猟行為はさまざまな人間の営為を生んだに違いないけれど、
その基礎にこういった「上方からの視点」というものが役立ったのではないか。
人類学の本を読むと言語もまた、こういった必要性が大きかったとされる。
合図とか、動物の自然心理のウラをかくことが言語の発達を促したとか。
狩猟行為がどんどん複雑化し高度化して行く過程で、
より複雑な「作戦会議」を共有していくのに、線画図面は大きく関わっただろう。
コトバと同時くらいにこうした「図面」は原初的な気がする。

この平面図というものは、現実にはあり得ない「上から見下ろす」建築的視点。
そして同時に、作り上げていくときに非常に便利な情報伝達を兼ね備えている。
建築もまた多くの人間の共同作業であり、言語発生と同時とも思える
このコミュニケーションツールを大いに活用する営為。
最近、またいろいろな図面などを引っ張り出しては
それを土台にして語り合うことが多いので、このわかりやすさを再認識する思い。
しかし図面でもう数十年前のものをみると「青焼き」図面が出てくる。
手書きの風合い感も垣間見えていて、風情があるのだけれど、
それを見せると現代の建築関係の人たち、みんな困ったような顔をする。
いまはすべてコンピュータソフトで情報処理するようになって、
昔のように大型青焼き機が存在しなくなっている。図も大型でコピーも取りにくい。
通常の印刷もA3までのものに変換されるようになって来ている。
「写真に撮って、画像にして取り込むか」
「PDFにしてもらえませんかね」
などといった声が交差している。ほんの数十年の人類変化のすさまじさを実感する(笑)。
そういえば、人類のある発展段階で普遍的だっただろう、集団狩猟行為は
いまやすでにほとんど記憶継承もされていないでしょうね。

上に掲載したのは、江戸東京たてもの園のなかの「三井八郎右衞門邸」。
本日は珍しくやや寝不足で、更新が遅れました。
日々の雑感ブログ篇でした。
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【株価上昇が示しているサインとは?】

2017年11月13日 06時50分58秒 | Weblog
株というのは、経済の先行指標であるとよく言われる。
ここのところ、日本株の上昇が顕著に見られるようになってきた。
経済アナリストの言説はあんまり地に足が付いているとは思わないけれど、
経営をしている人間としては、やはり目は通しておくようにしています。

「日本株は過去21年の常識を覆す大相場に発展か」 2017/11/08
経済アナリスト 田嶋智太郎氏
という、日経さんのWEB上の記事などを拝見した。
〜ついに日経平均株価が1996年6月26日につけた平成バブル崩壊後の
戻り高値=2万2666円を上抜け、一気に2万3000円に迫る水準まで上昇してきた。
(中略)言うまでもなくこのところの株価急上昇の立役者は海外投資家である。
彼らは、日本人が思う以上に先の衆議院選挙で与党が大勝したことによって
政権が安定していることを評価し(中略)期待を強めている。そして、彼らは再び
日本の大型優良株や値がさハイテク株などに触手を伸ばし始めておりそうした
個別銘柄の寄与度が高い日経平均株価の伸びをより高いものにしている。(中略)
大きな流れは"過去21年の常識"を覆すほどの"大相場"へと向かう展開に
なってきているものと思われる。〜
っていうような「イケイケドンドン」風の威勢のいい記事。
東京はこうした傾向がモロに感じられるのでしょうが、
地方ではこうした動向とは無縁の無風状態が続いているようだけれど、
しかし身の回りでも、一時期のような停滞感は底を打った雰囲気はある。
知人が、中央区の地下鉄駅から5分ほどの親から相続して持っていた住宅を
つい先年、RC外断熱賃貸MSに改造したけれど、
そのプロセスで、札幌市中心部での地価高騰状況を側聞した。
銀行の話でもそういった状況変化が裏付けられていると。
そういえば、積水ハウスが東京都心の土地購入話で詐欺にあったニュース。
たぶんそれだけの「バブル」状況が東京などでは出来している証拠。
世界的な金融の動きが、日本に注目してきている流れはあるのでは。

たしかにこれまでの日本では短期間に政権が交代して不安定で
世界の金融から取り残される現実があったのかも知れません。
ドイツでは選挙の結果でメルケル政権が不安定化しているそうで、
EU圏内の不安定化が進んでいるともいわれる。
先進国の常識的政権交代はアメリカでは4年2期で8年が一般的だし、
メルケルさんに至っては、2005年から首相なので12年もやっている。
とくに金融余剰の現代世界では、投資対象としての先進国の政権安定は
経済成長性評価の面では大きなプラス判断になってきているのだろう。
グローバルな環境変化が、そうした動きに敏感なマネーに影響する。
あくまでも「民主的」である大前提で、政治の安定は好材料なのでしょう。
少なくともマネーは正直に日本の現状をそう語っているように思われる。
このような流れが、さて足下の住宅建築にどのような動きとなって現れてくるか、
よりリアルに現実を見ていく必要があるでしょうね。
経済的環境要因が大きく動き始めている可能性が高いのではないか。
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【雨読マーケティング研究 in 氷雨さっぽろ2017】

2017年11月12日 08時40分22秒 | Weblog
週末を狙って悪天候のさっぽろ地方であります。
こういう日には打合せとか、いろいろなデスクワークに精を出すことに。
昼過ぎからは、ある建築計画のはじめての会合。
設計者・施工者に来ていただいて、論議を集約していくことができました。
やっぱり建物を計画していくのは本当に面白いものだと再認識。
建築にあたっては、やはり計画がいちばんのキモだと思いますね。

ということで、イラスト画は日本の経済市場規模マップ。
市場規模に応じてボックスの大きさが違っているのですが、
それぞれの規模が直感的に理解出来るので、ときどき参照しています。
日本経済最大の市場は、自動車・付属製品製造業で、62兆5,000億円規模。
以下、そのボックスの大きさに沿って逓減していく。
建設は第2位ですが、関連しての「不動産」を合算すると90兆円超。
あとわたしが関連するマーケットで言えば、広告が6,2兆円。
出版1.5兆円、住宅リフォーム6.5兆円などとなっています。
リンク先でご自分の関係するマーケットを参照されると興味深いのでは。
自分の会社の売上規模などと、こうした巨視的データを比べていると、
位置関係、日本のなかでの自分の立場などと妄想するのに
いろいろな気付きを得られると思います。
大きく衣食住というようにいいますが、
この建設関連90兆円というのは、日本の国家予算とほぼ同額規模。
考えてみれば、人間は生きている時間の9割前後は「建物」のなかで過ごす。
そのイレモノを考える仕事というのは、非常に普遍的。
ちょとやそっとでは市場要因が極度に減衰することも考えにくい。
先日、奈良で「石舞台」を見学して来ましたが、
そこで考えたのは、石器時代から建築的営為はあったに違いないという想念。
ピラミッド建築のように石を組み合わせて構造をつくっていくのは、
相当の技術歴史があったに違いないと思った。
建築の中こそが、人間の本然的な「環境領域」であることは疑いない。
よく「自然と繋がる」環境建築、というように言い放つ言説があるけれど、
やはり人間の普遍的追求テーマはそういう方向性ではなく、
外界の多様な気候環境、自然条件の中で、普遍的生存要件を構築するかが
まずは基本テーマでなければならないだろうと思う。
その置かれた自然環境の中でもっともパッシブな解決法で
普遍的な生存環境を創造するのが、いちばんの建築の任務であろうと。

おお、また、別のテーマに想念が移ろっていく(笑)。
それはそれでまた深めていきたいと思っております。
本日は、巨視的な経済構造の視覚的把握という話題提供でした。
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【健康への国費投入、医療費偏重から住宅断熱へも】

2017年11月11日 07時26分15秒 | Weblog
きのうはすっかり忘れていた腸内検診。
1年ちょっと前に大腸検診を受けガンの疑いはなく、数個のポリープ切除を行い、
その「1年点検」みたいなことで、医師から言われて受診した次第。
まぁまったく自覚症状があるわけではなかったのですが、
たまたま整腸薬が欲しくて行ったら、ちょうどいいからと1年点検になった(笑)。
食事制限から下剤服用でお腹をからっぽにする必要がある。
そういう準備をして内視鏡を下から入れられて検査する。
おかげさまで腸内には不審な様子は見られなかったということで、無事終了。
診療費は5,000円以上の患者個人負担でした。

日本人男性、わたしの年齢では平均的生存年は82才くらいだそうで、
わたしの場合、それを考えた人生設計を立てています。
逆算して、それまでにどのようなことをやっておくべきか、
そういう計画性をもった生き方をしたいと思っている。
それに対しての「投資」として肉体・健康のコントロール・管理をしている。
日本の医療制度というのは、国民長寿命化システムを構築してきたと思います。
このこと自体は、まことにすばらしい。
死が訪れる直前までの「ピンピン」状態をしっかり考え、
そこから先は「余命」として、いつ「コロリ」が来ても安寧な心境で迎えられる。
ただ、こういった医療システム総体として日本全体で年間42兆円超、お金が掛かる。
国家予算に占めるこういった費用は、ほぼ固定化されている。
建築の側から、住宅の性能向上でこの日本の医療費削減のひとつの方策とする
そういう社会運動も提起されているけれど、
厚労省は「エビデンス(証拠)が不十分である」としてなかなか取り合わない。
建築の側では日本人の「よりよい生き方」を考えて
住宅を高断熱高気密化して住宅性能を高めると有為な健康上の結果が得られると
エビデンス努力をして、一部の医療関係者からも協力が得られているけれど、
たしかに医薬品許認可のような厳密性のある証明にまでは
道のりは相当にあるのも事実だろうと思われる。
しかし一方で、高齢者延命長寿化だけが社会の求めるべき「幸福」かどうか、
国家一般会計予算が90兆円、特別会計を入れても200兆円前後のなかで、
医療システムだけがほぼ聖域化され
40兆円を超える財政規模で、なお膨張し続けている現状ははたしてどうなのか?
誰が見ても、その現状には財政的危機感を感じるのではないか。
どう考えてもこの金額規模になってくると岩盤的に固定化した構造、
あえていえば「権力構造」がそこに構築されるだろうと容易に疑いを持つ。
こういった視座でしっかりと議論できるような政治論はあり得ないのだろうか?
そもそも住宅の高性能化効果には、新規医薬品許諾のような
厳密性は不必要で、国民「常識」的判断こそが基準であるべきではないか。
自分自身の身をもって体感しながら、いつもこのテーマを考えさせられます。
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