つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

主を待つ車輪。~津幡井上小学校にて。

2010年12月06日 07時34分26秒 | 日記
「今日の一枚」は、津幡町立「井上小学校」にて撮影。
校舎の壁に沿って並べられた一輪車である。

最近、ニュースを通じて知ったのだが、一輪車には「フィギュア競技」があって、
日本は世界でもトップクラスの実力なのだそうだ。
その「全日本選手権」では、美しく着飾った男女が一輪車に乗って
アクロバティックな演技を披露していた。
確かに素人目に見ても、レベルが高い事は窺える。
また、同じニュースを通じ、一輪車競技における日本躍進の下地になっているのが、
学校教育にあるのだと知った。
一輪車は、平成4年度より小学校3・4年のカリキュラムに編入され、
今では、全国の90%以上の小学校が保有しているのだという。
何故なのか?…一輪車には「教育的効果」が認められるかららしい。
しかし、僕が子供だった頃、一輪車はとてもマイナーな存在だった。

車輪が一つしかないという時点で、乗り物としては、趣味の領域。
サーカス以外では滅多にお目にかかれなかったのではないだろうか。
そのサーカスでも、花形の動物曲芸や空中ブランコなどに比べると、やや地味。
幕間のつなぎや、ピエロの小道具としての印象が強い。
それが、今や教育課程の花形とは、時代は変わるものである。
そして、僕が一輪車に抱くイメージの源、サーカスも変わってしまった。

今年10月、戦前に設立された「キグレ・サーカス」がテントを畳んだ。
日本でのサーカスの最盛期は昭和30年代。
当時は全国に30以上のサーカス団があったが、
テレビの普及や、興業会場祭りが衰退したことで徐々に減少。
1990年代には、キグレ、木下、ポップの3大サーカスが残るのみ。
サーカス業界の規模は、ずい分と小さくなった。
今や「シルク・ドゥ・ソレイユ」のようなエンタメ集団じゃないと、
生き残っていけないのだろうか?

話があちこちに飛んでしまったが、ともかく、一輪車を取り巻く環境は変わった。
競技人口が増えれば、市場は拡大し、資金が増え、技術交流も盛んになる。
色んな意味でレベルが上がる。 …それは良い事である。
競技者の皆さんには、是非、頑張って欲しい。

一輪車は学校の校庭で、今日も乗りこなしてくれる主を待っている。
コメント
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