つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

越中と境を接する加賀の国・津幡。

2010年12月12日 11時13分49秒 | 日記
おととい、金沢で富山の人と会った。
その人は、朴訥で、しかし内に秘めたる情熱の持ち主。
僕個人が抱く「越中人」のイメージの典型である。
そんな印象を受けるのは、子供の頃に接した「売薬さん」の影響かもしれない。

定期的に家を訪れていた「売薬さん」。
母親の手が離せない時は、僕が玄関先まで薬箱を持って行った。
箱の中身をチェックし不足分を補充すると「売薬さん」は明細を手渡してくれる。
それを元に料金を支払うのだ。
彼の顔は覚えていないが、真面目な仕事ぶりは記憶に残っている。
暑い夏も寒い冬も、一軒一軒、各家庭の常備薬カルテを手に巡回するのは
子供心に大変なことだろうと察していた。
そして、帰り際に紙風船やお菓子をくれて、笑顔で去って行った。

富山の県民性として、一般的に言われるのは、勤勉実直・まじめ・粘り強い。
…こんなエピソードを聞いた事がある。

金沢の卸で営業をしている男性、富山出身のA君。
取引先の小売店が新規オープンするため、開店準備の応援にかり出された。
現地には、メーカーや他の卸から助っ人が来ていたが、夜も更けてくると、
理由をつけて帰り始め人数が少なくなり、彼を含めた5人が残された。
何かの拍子に、誰かが「僕は富山の出なんですよ」と口にしたところ、
残った全員が富山出身者だと判明したのだそうだ。
…なるほど。

江戸時代、富山は加賀・前田藩の支配下にあったためか
とかく、金沢の人は富山に対して反目する事が多い気がする。
だが「今日の一枚」…津幡町の倶利伽羅付近で撮影した標識が示す通り、
津幡は境を接するお隣さん。
津幡人の僕は富山に親近感を持っている。
コメント
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