つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

バスストップ、津幡町内。

2010年12月11日 23時23分37秒 | 日記
「今日の一枚」は、近所のバス操車場。
奥には北陸鉄道の路線バス、
手前には、通学途中の中学生が写っている。

かつて本津幡のバス停は、この撮影場所にあったが、
現在、150メートルほど離れたJR本津幡駅前へと移動。
バス停が立っていた頃の操車場の様子は、写真とは違う。

地面は未舗装。
車両を転換するスペースの最奥には扉のないバスの車庫。
他に人工物はなく、隅に大きな柳の木が一本。

確か、幼い僕は母に手を引かれ、そこで度々バスを待っていたはずだ。
記憶の中の風景は、画像に写る実際のスケールよりも断然広く、空もうんと高い。
やはり子供の目線で眺めていたためだろう。
…などと、シャッターを切った直後に思いを馳せていたら、
バスは大きな車体を揺らしながら180度転換。
手前の自転車の進行方向とは逆へ去って行った。
これから一旦、始発のJR本津幡駅前へと向った後、
旧道を抜けて、終点のJR金沢駅を目指して走る。

途中、幾つか津幡町内のバス停を通るが、その一つがこれだ。

「横浜」である。 また、これもそうだ。


今度は「潟端」である。

横浜の横に浜はなく、潟端の傍に潟はない。
水辺に縁のない場所なのに、こうした地名が付いているのは、
おそらく「河北潟」が干拓される以前の名残りだと思う。
昔、河北潟は、今の3倍は大きく真水と海水が入り混ざった汽水湖だった。
バス停周辺には、1950年代まで田園と水郷が広がっていたという。
その頃の道は、アスファルトではなく水路。
バスではなく手漕ぎの舟が、人と物を運ぶ手段だった。
…そんな往時の津幡町を、この目で見てみたいものである。
コメント (2)
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