つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡電話今昔物語。

2010年12月01日 23時15分29秒 | 日記
12月になった。
さすがに師走である。…忙しい。
このブログもやや滞りがちになってしまうかもしれない。
時間が許す限り、回を重ねていこうと思う。

さて、「今日の一枚」は、かつて看板だった薄い鉄板。
津幡のとある場所に、土地の間仕切りようとして立てかけてあった。
見てお分かりのように、本来のあるべき姿とは違う向きになっている。

文字としては…『近日オープン ビッグママ津幡本店 従業員募集』。
数字としては…『07628-8-23○○』(○○は、判別不能)。
文字から察するに、どうやら、今も津幡町にあるスーパーマーケット
「ビッグママ」のオープン時のものらしい。
数字から察するに、どうやら、30年以上は昔に造られたもののようである。
…というのも、当時、津幡町の市外局番は5桁だったからだ。

僕が中学に進むかどうかという頃、4桁になり、
大学へ進学してここを離れる直前か直後か判然としないが3桁になった気がする。
何しろ、一桁の市内局番は久しぶりに見た。
そして「黎明期の電話機」の記憶を思い出した。

母親の出身地…津幡町の最深部にして富山県と境を接する「河合谷」では、
電話のデザインが別物だった。
いわゆる黒電話なのだが、ダイヤルがないのである。
本体の右横に付いたハンドルを回す。
すると交換所に信号が届いて、交換手が出る。
そこで所定の番号を告げて、交換所で電話をつなげてもらい、
ようやく話ができるのだ。
これだけ携帯電話が普及した世からすれば、ずい分スローな仕組みである。

今やスマートフォンなどは「電話」の名前は残っているものの、現実は多機能端末。
友人、不特定多数の他人、株式市場、全世界へと繋がる一種のブラックホールだ。
反面、人間を介して「通話」のみが成り立つのは、
極めてシンプルだが安心できる。
奇怪な小さな機械に頼りきった生き方より、
血が通っていると思えるのは、僕だけだろうか?
コメント (2)
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