「今日の一枚」は、自宅の近所で撮影。
ご覧のとおり雪景色である。
これから年末年始にかけて天気予報は、またもや雪。
願わくばドカ雪だけは避けてもらいたいものだ。
さて、よく言われる事だが、昔の雪の量は現在の比ではない。
昭和38年の「三八豪雪」では、金沢で積雪181㎝。
二階からの出入りを余儀なくされる程だったらしいが、
幸か不幸か、僕は生まれておらず体験できなかった。
昭和56年の「五六豪雪」では、金沢で積雪126㎝。
中学生だった僕は、学校への行き帰りにも難儀したが、
とにかく毎朝雪かきに追われた。
どかしてもどかしてもキリがない。
ようやく確保した人道を、僅か数時間で覆い隠してしまう。
「またか…」
何度、そうため息をつき、徒労を繰り返したことだろう。
僕は額の汗をぬぐいながら、鉛色の空から落ちてくる白い雪をうらめしく見上げた。
他にも「豪雪」までは達しないものの、
毎年それなりにまとまった雪が降るのは当たり前。
昼、茶の間で灯りを点けずに本を読んだりしている時、
スーッと暗くなると「雪の合図」だ。
窓の外へ視線を移せば、案の定、すりガラス越しに白い影が見える。
僕はコタツから身を出して電灯からぶら下がったヒモを引く。
点滅しながら蛍光灯が青白い光を放つ。
再び文字の上に目を走らせ、物語の行方を思い描いていると、
今度は微かな震動が伝わってくる。
一緒にゴゴゴと音も聞こえてきた。
「除雪車」だ。
大きな鉄の塊が家の前を通る時は、かなりものもの。
家の中がビリビリと震え、蛍光灯の灯りも小さく左右に揺れる。
やがて震動がおさまり、音が遠ざかると、
路面につもった雪はなくなり、除雪車の雪かきからこぼれた雪によって、
家の前には低い壁ができた。
最近は、こうした経験をずい分としていないように思う。
子供の頃に比べて家で過ごす時間が極端に短くなったせいもあるが、
やはり雪の少なさが大きな要因だろう。
低い雪の壁をついぞ見た記憶がない。
除雪車が出動するまでもないのだ。
果たしてあの雄々しい機械は、暖冬を喜んでいるのだろうか?
ご覧のとおり雪景色である。
これから年末年始にかけて天気予報は、またもや雪。
願わくばドカ雪だけは避けてもらいたいものだ。
さて、よく言われる事だが、昔の雪の量は現在の比ではない。
昭和38年の「三八豪雪」では、金沢で積雪181㎝。
二階からの出入りを余儀なくされる程だったらしいが、
幸か不幸か、僕は生まれておらず体験できなかった。
昭和56年の「五六豪雪」では、金沢で積雪126㎝。
中学生だった僕は、学校への行き帰りにも難儀したが、
とにかく毎朝雪かきに追われた。
どかしてもどかしてもキリがない。
ようやく確保した人道を、僅か数時間で覆い隠してしまう。
「またか…」
何度、そうため息をつき、徒労を繰り返したことだろう。
僕は額の汗をぬぐいながら、鉛色の空から落ちてくる白い雪をうらめしく見上げた。
他にも「豪雪」までは達しないものの、
毎年それなりにまとまった雪が降るのは当たり前。
昼、茶の間で灯りを点けずに本を読んだりしている時、
スーッと暗くなると「雪の合図」だ。
窓の外へ視線を移せば、案の定、すりガラス越しに白い影が見える。
僕はコタツから身を出して電灯からぶら下がったヒモを引く。
点滅しながら蛍光灯が青白い光を放つ。
再び文字の上に目を走らせ、物語の行方を思い描いていると、
今度は微かな震動が伝わってくる。
一緒にゴゴゴと音も聞こえてきた。
「除雪車」だ。
大きな鉄の塊が家の前を通る時は、かなりものもの。
家の中がビリビリと震え、蛍光灯の灯りも小さく左右に揺れる。
やがて震動がおさまり、音が遠ざかると、
路面につもった雪はなくなり、除雪車の雪かきからこぼれた雪によって、
家の前には低い壁ができた。
最近は、こうした経験をずい分としていないように思う。
子供の頃に比べて家で過ごす時間が極端に短くなったせいもあるが、
やはり雪の少なさが大きな要因だろう。
低い雪の壁をついぞ見た記憶がない。
除雪車が出動するまでもないのだ。
果たしてあの雄々しい機械は、暖冬を喜んでいるのだろうか?