つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

目撃した、津幡の争議。

2011年02月14日 23時56分03秒 | 日記
「今日の一枚」は、津幡町内のある民家を写したスナップ。
かつて僕は、この家の前で、労働争議を目撃した。

あれは、小学校3~4年生の頃だったろうか。
津幡小学校からの帰り道、時ならぬ喧噪を耳にして、
僕は駆け足に近づいた。
すると、同じ鉢巻をした大人たちが、
一定のリズムで怒りの声を上げているではないか!!
「賃上げ要求を受諾せよーっ!」
「労働環境を改善せよーっ!」

…当時は理解できなかったが、声を枯らし、玄関先へ向って
そんな事を叫びながら拳を突き上げていたのだろう。
小学生にとっては、立派な異変である。
…ワクワクした。
平和な時間の中に、突如出現した争い事だ。
興奮した僕は、シュプレヒコールの揚げ足を取って、叫び始めた。
「○×△□せよーっ!」
「※●▼?せよーっ!」

すると、怒られた。
「坊主っ!ふざけるなっっっ!!」
真剣な大人の凄みを見せつけられ、すごすごと退散。

そろそろ春。
春闘が近づくと、彼らの血走った眼を思い出すのである。
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津幡のヰタセクスアリス。

2011年02月13日 22時22分17秒 | 日記
「今日の一枚」は、庄から能瀬方面への幹線沿いに建つ怪しげな建物。
「電波天国」と書かれた壁の中は、おそらく「アダルト天国」だろう。
“モラルのグレーゾーン”は、何故か静かで目立つ所にある。
例えば集落と集落の境目。
あるいは自治体の境界線近辺。
とにかく、生活空間が途切れる辺りが定位置なのである。
…思えば、僕が子供の頃「性」を意識したのも、ボーダーラインだった。

それは、人気のない原っぱや空き地の片隅。
人家や店舗とは一線を画する場所で、
時折、打ち捨てられたエロ本を見つける事があった。
雨風にさらされ、本というより紙の塊と言った方が正しいかもしれない、
出版物としては末期状態。
暗い衝動に促されるままペリペリと音を立てつつページをめくると、
その先々にめくるめく世界が僕を待っていた。

多分、表現は現在の方がストレートだ。
しかし、衝撃は70s当時の方が、何倍も大きい。
嬉しさよりも驚きが上回る「ヰタセクスアリス」。
今ではノスタルジーも含め、思い起こすと甘酸っぱい気分になる。
…エロスの洗礼。
大人への入口だった。
しかし出口はまだ見えない。
性と愛の世界は奥が深い。
オッサンになった今も「異性」は、神秘の世界だ。

人里から離れてポツネンと佇む「電波天国」。
どこか寂しげに映ると同時に、ほんの少し心がざわめく。
そう感じられるうちは、僕も生きている実感が持てるのである。
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津幡小学校に集う。

2011年02月12日 14時47分49秒 | 日記
おととい、FMラジオで「キャロル・キング」特集を聴き、
僕の心に「友人」というキーワードが浮かんだ。
そこで、選んだ「今日の一枚」は、
津幡小学校前で「あいさつ運動」をする学童達のスナップ。
きっと彼等はクラスメイト…友人達だ。

さて「キャロル・キング」である。
彼女は、アメリカの音楽界を代表する歌姫の1人であり、
数えで70歳、「古希」を迎えた今も現役で活躍中。
だが、現在のポジションを得るまでは紆余曲折。
プロになって間もなく妊娠・出産のために表舞台を降り、
曲作りの裏方に徹して、当時の夫と共に全米No.1ヒットを輩出。
ところが「ザ・ビートルズ」に代表される“イギリスの侵略”によって職を奪われ、
同時に私生活も破綻。
一旦は都落ちするものの、女性シンガーソングライターの先駆けとして復活を果たす。
まるで、うららかな陽だまりの様な歌声は、苦労を重ねて辿りついた境地だ。

特集の最後に流れた「You've Got A Friend」に心が震え、
不覚にも落涙してしまった。

『落ち込んで、悩んでいるとき。全てが上手くいかず慰めが欲しいとき。
 目を閉じてわたしの事を考えて。
 そうすれば、わたしはすぐに飛んで行く。 心の闇を明るく照らすために。
 もしも、頭上の空が暗く雲がいっぱいになったなら。
 あの北風が吹き始めたなら、顔を上げ、大きな声でわたしの名前を呼んで。
 すぐに、わたしがドアをノックする音を聞くだろう。
 冬でも、春でも、夏でも、秋でもかまわない。
 呼んでくれさえすれば、わたしはすぐに飛んで行く。
 You’ve Got A Friend. 君にはかけがえのない友がいるんだ。』
(原典:You've Got A Friend-Carole King/意訳:りくすけ)

かけがえのない友。
それは人であっても物であっても、形のない何かであってもいい。
「キャロル・キング」の場合は「歌」。
どんなに大変な時も捨てる事のなかった音楽こそFriendだったのかもしれない。

僕の場合…複数あるような気がする。
一つに絞れないのは、浮気性のためだろうか?
ただ、学び舎に通っていた当時の「思い出」は、間違いなくその一つだ。
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津幡の竹林。

2011年02月11日 15時14分47秒 | 自然
真冬に比べて過ごしやすくなったとはいえ、朝晩はまだ冷える。
早く春にならないかなと考え、春のイメージを思い描いていたら、
爽やかな風が吹き抜ける「竹林」が浮かんだ。
「今日の一枚」は、そんな津幡町の竹林である。

僕は竹林に身を置くのが好きだ。
真っ直ぐに天へ伸びる直線的な造形美を持つ「竹」。
その林の中は調和のとれた美しい景観。
また、風にそよぐ竹の枝葉には趣きがあり、
青竹独特の清涼な香りも漂う。
とにかく、とても落ち着くのである。

竹は日本人と関わりが深い。
例えば、籠や竿などの道具として利用されてきた。
また、炭に加工され、燃料にもなる。
ちなみに「竹炭」は、津幡町の特産品。
町のHPにはこう紹介されている。

『健康増進や防虫に効果。
 ⇒倶利伽羅竹炭生産組合 TEL(076)288-0393
 飲料炊飯用、入浴用、清浄用、倶利伽羅夢まくら、
 倶利伽羅夢マット、竹酢液、竹ちく液など。』

更に、竹と日本人は精神的にも繋がりが深い。
昔から日本人のインスピレーションを刺激してきた。
日本画、水墨画、和歌、俳句など、
竹と竹林をモチーフにした作品は枚挙に暇がない。
例えば「永井荷風」はこんな一句を残している。

『夕風や吹くともなしに竹の秋』

「竹の秋」とは「春の季語」である。
竹のサイクルは一風変わっていて、秋に花を開き、春から夏にかけて落葉。
古い葉が黄ばんでくる四月頃の様子を指す言葉なのだが、
すぐに若葉へ入れ替わるため、常緑の印象が強い。

そして「竹の秋」は「筍」。
あの小気味いい食感、ほんのり漂う青い匂い。
まさに春の味だ。
次の季節を待ち遠しく感じる要因の中には、間違いなく筍の魅力が含まれている。
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津幡町で感じた仏蘭西の香り。

2011年02月10日 23時29分28秒 | 日記
去年6月6日の投稿で、中学時代に始まったフランス狂について書いた。
キッカケは、漫画「ベルサイユのばら」である。
そこから更に記憶を遡っていくと、原点は「今日の一枚」…
津幡中学校近くの洋菓子店兼レストラン「マロニエ」に辿り着く。

いつから店を構えているのか正確なところは分からない。
だがここは、僕が初めてヨーロッパを意識した場所だ。

新聞がまだモノクロ一辺倒だった頃、
僕は、海外面の片隅の「世界の街角」的な「囲み記事」が好きだった。
例えば、モスクワっ子の秘かな流行とか、
シカゴの大道芸人とか、ジャカルタの名物オジサンなど、
スペースを割くに価しない小ネタが掲載されていた。
ある日そこに「色づくパリのマロニエ並木」といった小さな見出しで、
自転車のハンドルを握るパリジャンが黄色くなった木々の葉を見上げる写真と
秋の風景を紹介する短いコラムが添えられていた。
…と言ってもあくまで白黒なので色彩は想像の産物に過ぎないのだが。
とにかくその記事に惹きつけられた僕は
「マロニエ」という言葉の響きに西欧の香りを感じたのである。

そして当時、近隣では唯一の存在だった件のケーキ専門店で
バターやクリーム、粉砂糖の甘い香りに接し、
『これぞ仏蘭西!』…と感慨を抱いた。

特に好きだったケーキは「モンブラン」。
軽く焼き色をつけたスポンジの上に艶かしい生クリームを配し、
黄色いマロンクリーム⇒パウダーシュガーを散らしたそれは、
頬っぺたが落ちるほど美味かった。
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