イタリアの風に吹かれて ~con te partiro~

前世(かこ)から未来(いま)へと紡がれし時の記憶
あなたと交わした約束の欠片を辿る遥かなる愛しき旅

印刷の日

2016年03月14日 20時35分59秒 | 出店のお知らせ

この場をお借りして
4日にフェスタのチラシを発送させて頂きましたが、
励ましのお言葉やご連絡を下さった皆様、どうも有難うございました。
アクションに対し反応が返ってくるということは有難く励みになります。
久しくお会いしていない皆様ご多忙と存じますが、
どうぞお元気でお過ごしくださいませ。

こちらはフェスタで販売する作品の一部(ポストカード)です。
私のお気に入りの作品。タイトルは【私の中のイタリア】です。

今日はグッと冷え込みました。私の住む地域では終日静かに雨が降っています

こんな日は、いつも以上に愛しのニャンコちゃんが
膝の上に乗ってきてくれるので心も体も温まります。
作業中も彼女を起こさないように気をつけながら、PCのキーをトコトコしています。

フェスタ出店まで3週間を切ったので、ポストカードや2Lサイズの作品を中心に

印刷していました。インクが切れそうです
書画・文字アートはワンサイズ、色紙のみのご用意となります。
デザイン画は3サイズ(大きくてA4)のご用意となります。
それぞれ、あと何作品描こうかもほぼ決まりました。


あわせて作品以外に当日ブースに持参するテーブルクロスなどの
細々とした小物などもメモリました。(これが結構色々あるんです)
地元なので当日晴れていれば
自転車で
現地に赴く予定ですが、はたして自転車の前とうしろのかごに

作品であり、必要な荷物が全部乗るのだろうか・・・・そんなことも考えます。

常々思うこと、それは作品たちは皆ご縁のある方の元へお嫁入するということです。
今回もお客様とそうした佳き出逢いと
はじめましてがあるといいいなと思います。

当日ご要望があれば フェスタ価格にて
文字アートの
ご注文を受け賜ろうかなと思っています。

 「風の伝う道」でご注文下さったお客様はご存じですが、
通常は事前にお振込みを頂いており 
作品代金以外に別途送料と
振込手数料をご負担頂いております。
フェスタ当日も前払いというシステムは変わらない為お代はその場で頂戴し、
お名前、ご住所他は当方が用意したノートorメモに記載頂き、
お届けまでに2週間ほどお時間を頂くことになりますが、
振り込み手数料と送料分とお気持程度
お安く
ご提供させて頂くつもりですので、お心が動いたら
その辺のことも
おたずね下さいませ。

尚、物販は1人で対応させて頂いております。
初めてのこと故、
勝手がわからず、てんてこ舞いかもしれませんが、
遠慮なくお声かけくださいね。

時々、冷やかしのような方もいらっしゃるそうなので、
そうしたことはご遠慮下さいます様、伏してお願い申し上げます。


ベットで寛ぐルーチェさん

2016年03月14日 00時00分00秒 | しっぽのついた可愛い大切な家族






買った年の冬は自ら1度入ったきりでその後は見向きもしなかったモコモコ
ベット。
モコモコした柔らかな素材は猫のお母さんやお父さんの温もりを思い出すのか
前から大好きなルーチエさん。
ベットとしては使わないものの時々この上で 喉をゴロゴロ鳴らしながら
前足でイッチニ イッチニとやっていました。
今シーズンはこんな風に自らベットの中へ入ることが多くなりました。

そして熱くなるとこうしてベットの上に出てきます。
いちおうルーちゃんのベットですが私が寝る時はこのベットから出て来て
私のベットの中に入り一緒に寝ます。冬は本当に嬉しいです。

今このモフモフベットは丸いトランポリンに丸いラグをかけその上に

去年の「ねこのきもち」の付録のブルーのテントと、
モフモフベットに見向きもしなかったので 作年秋に買った
小さなアイボリーのベットの3つを置いています。
このブルーのテントは普段は箪笥の上に置いているのですが、
冬以外はお気に入りで日中良くこの中に入っています。

猫は自分の好きな物、好きな場所、好きなこと
好きな人をよく知っています。
だからこそ、嫌いな物には見向きもしません。自由です。
私はそんな自然体の猫の生き方を尊重し憧れ微笑ましく思います。
だから理由があって心地よさを感じないものに
人間のご都合で無理やり「ここに入って」などとは絶対に言いません。

私が育った環境はその逆でした。
親はまさか子供に自分の理想を押しつけてきたという認識は
なかったようです。(実際にこうしたことに気付いた時、
これまでされてきた嫌なこと、傷ついてきた数々を時に涙ながらに
何度となく親に伝えましたが親はえっ?という反応で、
一生懸命育ててきたのにという言葉が返ってきたからです。)

例えば、小学生の頃からロングヘアにしたいと思っていても、
幼稚園の時にトウシューズとチュチュに憧れバレーが習いたいといっても
習ったのは当時流行っていたピアノであり、常に母から
「○○ちゃんはショートヘアが似合う」と言われ、
私がお小遣で買った服もいつのまにか黙って捨てられていたり、
派手なものでなくても、母の好みの服でないと
当たり前に「返してきなさい」と言われ、私は悲しい気持ちを封印し
後日、レシートを持って電車に乗りそのお店に行き
返品または他のデザインと交換してきました。
スタッフから交換理由を聞かれても決して親に言われたからとは言わず、
自分が気に入らなかったからとその原因は自分であるとし、
親をかばっていました。
中学時代 部活で着るジャージの色もそうでした。
お年玉でスポーツ店に行き、リレーのメンバーで
この色でジャージを揃えようと決めた色を買って帰り
嬉しくて母に見せると開口一番、
その色は不良の色だから替えてきなさいと言われ、
ジャージを手に一時間程考えたのち悲しい気持ちを振り払い
夕暮れ、スポーツ店に戻り違う色に替えましたが、
サイズがワンサイズ大きい物しかなくそれを買って帰りました。
当時ウエストが54cmくらいのスリムな体型だった為、
ウエストがブカブカだったので部活中ウエストの上からゴムパンドをして
ジャージが下がらないようにしていました。
ティーンそして20代までは親がそんな風にたえず無意識に
私の好きを阻み、選ばせず、言葉による洗脳を続けていたことは
両親、そして私自身も気づいてはいませんでした。
ただ、思春期の多感な時期はイチイチ口出ししてきて
本当にウルサイナ、とは思っていましたが、だからといって
非行に走ったり、親を困らせるということもなく、
その逆に学校や近所などでは○○ちゃんは足も速くリーダーシップもあり賢い子と、
評判の目立つ子でした。

幸いなことに、こうした制約の中で育っていない人というのは、
自分の好きキライであり、不快と感じることは
例えお金を頂くという立場であっても臆せず自分の思いを貫き、
ハッキリ主張する傾向が多く見受けられます。本人は自分の予想した通りに
 こと運ばない不自由さに苛立ち「もう、嫌っ」とフラストレーションが溜まるギリギリの所で
自分の思いを解放する。当人は圧力をかけるつもりなど毛頭なく、ただ感情のままに、
そして無意識に今置かれている自分の状況を淡々と発信しただけかもしれませんが
時にそれは相手の感情をもコントロールをすることにも繋がるという
危うさもはらんでいるということには
気付いてはいないようですが。
恐らく、あれはダメ、これはダメ、と規制されるような体験は皆無なので、
良くも悪くも どの様な時も 自分の思いに忠実であり、
自分の都合を優先に、前面に出し堂々と伝えるということも
厭わないのかもしれません。
そうした他人の想いには頓着ない あっけらかんとした言動は
 ある意味羨ましくもありますが、反面、時に相手の気持ちを慮ることであり、
それを聞かされた側がそれをどう感じるかに想いを馳せることも
人としてやはり大事なんじゃないかなとも思います。
勿論相手にそんなことは言いはしませんが。

調和って それぞれが心地よく感じる中にこそ生まれるものと
私自身はそのように感じています。

例えば、別に反省するようなことではないことも
察知してよ的に圧力をかけるような物言いをされると、
よほどお気楽な人でない限り、
あら、申し訳ないことをしちゃったかしら?と
本来謝るようなことではないことなのに、
気付かずすみませんでした、と簡単に謝っている方を見ると、
「え?なんで謝っちゃうんだろう?」と思います。
悪くないことを簡単に詫びてしまうというのは強い相手をより強く
勘違いさせてしまうことになり、自分がこうしたいと思ったことは
言えば必ず周りが
折れ自分の考えに合わせると
変なスパイラルができてしまうと感じるからです。
今世なのか、来世なのかは分かりませんが
そうした人にとっての時がくれば 人の気持ちを慮るということもまた
学ばれるのかもしれませんが・・・・。

ピュアでシンプルに生きている生き物を見ていると、
人って本当に複雑なんだなと感じます。