上砂理佳のうぐいす日記

3月31日(月)から4月6日(日)まで銀座中央ギャラリーの「10×10版画展」に銅版画小品を出品します★

聞いてくだされば★

2018-05-13 | うぐいすよもやま日記
十和田湖で泊まったホテルのロビーに、レトロお洒落な公衆電話がありました。
わくわく~わくわく~しますね~。
そういえば最近は、公衆電話を探すのも大変です。
こんな電話が街にあったら、かけるのが楽しいのに~。

わからないことがあったら、なんでもかんでもすぐネット検索しちゃう。 
最近の「常識」になってますが、ちょっと恐ろしくなってます。
ネットがすべて正解じゃないのに。
そう言いながら私もついググってますが。。。
確かに便利です。
昨日、オーサーのこと書いてる時も、「ネットありがたや」思いましたからね(笑)。

ネットで調べたら良いことは勿論たくさんあるけど、人間に聞いた方が早くて正確な場合は、人間に聞いてくださいまし。
なんで私が目の前にいるのに、私の情報をググるのか(笑)。
不思議で仕方ありませんです。はい。
なんかね。悲しくなっちゃうの。はい。

人間に聞く→答える。
って、そこにコミュニケーションが生まれる。だから良いんじゃないですか。
物事をすべてネットで調べて頭に入れた気になっても、それは「コピペした」に過ぎないから。
「コピペ」と「理解した」「自分のものにした」は違うのですよ。
そんなに人間に聞くのが億劫なのかしら。

この間あるギャラリーを探していた時も。
近くまで来てるはずなのになかなかわからない。ちょっとした裏路地。
辺りのお店(カフェやブティック)に、計四軒聞いたけど、聞いた人全員スマホでググってくださるの、これが(笑)。
いや。
スマホで調べるのは出来るんですよ!
そうじゃなくて。
「ご近所さんとして○○ギャラリーを知りませんか」と、聞いているのです。

ふだん、何見て生きてんだー!
って、つい愚痴ってしまいました(笑)★
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B・おーさーさんの84年★

2018-05-13 | フィギュアこんな話も
今日はTVでザギトワさんやってましたねえ~。
あのヒョウ柄のお衣装で出ずっぱりって。。。なんてサービス精神旺盛なんだろか。
ハビにケイトリンに、皆様こんな日本のバラエティに出て頂いて、ほんと申し訳ないっす。いっぱい稼いで帰ってください もうこういう番組にメドベージェワ出ないのかなあ。
なんか衝撃の移籍でしたが、メドベージェワ選手は五輪銀メダルに終わり、同門の後輩のザギトワ選手が優勝したことで、それは心穏やかではいられないでしょうね。
でも、オーサーのところってのは意外でした。
メドベージェワはもう完成されているので、オーサーに師事することでどんな化学変化が起こるのか、疑問だし、でも見たくもあります。

ユナ・キム選手、そして羽生選手、ハビエル・フェルナンデス選手のコーチとしても有名になったブライアン・オーサーですが、私は元々彼の大ファンでした。
若い時のオーサーは、もうそれはそれはカッコ良く、初めて見たのは1984年のサラエボ五輪
当時はスコット・ハミルトンというアメリカの大スターが君臨していて、金メダル大本命でした。
しかしこの時、期待の新鋭として颯爽と登場したオーサーは、SPもフリーも、目の覚めるような素晴らしい演技で、会場をかっさらいました。
検索してみたらありましたオーサーのサラエボ五輪の演技!
そうそう。フリーのフィニッシュ・ポーズも記憶通り。よく覚えてる(笑)。
もう、キラキラでハツラツとしてて、あっちゅうまに私の「フィギュア王子」になってしまいました(笑)。

ハミルトンも今見ても素晴らしいスケートだけど、オーサーの演技は更にエモーショナルで、お客さんのハートを掴むのが上手かった。だからみんなオーサーに夢中になりました。
このサラエボの時は確かSPもFSも1位だったけど、「規定」が苦手で出遅れて銀メダルになったと思います。
当時は「規定」=「コンパルソリ」があったんですよね。
TVではほとんど放映されない。これが全体の順位点で大きな比重を占めていたんで、素晴らしい演技をしても優勝出来ない、なんてことがあった。
王者のハミルトンは規定が大の得意だったんです。いつも首位通過でした。
それにしてもハミルトン、今見てもいいわあ~。上手いわー

さてサラエボの翌シーズンからハミルトンは引退し、遂にオーサーの時代がやってきた
と小躍りしていた私の前に、立ちはだかる大きな壁=ブライアン・ボイタノ登場。アメリカの若手です。
オーサーが先駆者だったトリプルアクセルジャンプも、軽々と2本(!)跳びました。
当時はフリーで3アクセルを跳ぶことは、1本だけでも大変だったのに、85年以降のトップ選手は「2本」が主流になっていって、多分オーサーは相当焦ったことでしょう。

85年に日本で開催された世界選手権。
オーサーは優勝大本命として取り上げられたのに、実際に勝ったのはロシアのファデーエフでした。彼は3アクセルをコンビネーションで跳んだ!軽々と。オーサーファンの私も、脱帽せざるを得ない位の素晴らしい演技でした。
そしてボイタノの台頭。彼はほんっとうにジャンプを失敗しない人でした。
腹立つぐらいに完璧でした(笑)。
でも芸術性は低かった。オーサーの方が優れた演技をするのに。お客さんを沸かせるのに。
なのに勝てない。ボイタノが完璧なジャンプを跳ぶ一方で、オーサーはいつもどこかで少しミスしてしまう。惜しいところで勝てないのです。
この頃の私のストレスたるや、もうもう、半端なかった(笑)。
オーサーは「無冠の帝王」と呼ばれていました。ボイタノがミスした世界選手権でやっと初優勝出来たけど、88年のカルガリ五輪では再びボイタノに敗れ、五輪金メダルの夢をかなえることなく、引退していきました。

今思うと、オーサーは「規定」が苦手だったことが最後まで響いたのかな~と思わざるを得ません。でも本当に演技そのものは素晴らしかったです。
素晴らしかっただけに、「世界一」を獲ったのが一回だけだったのが、私としては悲しかった。

動画を見ていたら、やはり88年のカルガリ五輪より、「めざましい若手」として登場した84年サラエボ五輪の方が、はるかに輝いて見えます。
あの時はハミルトンを追い上げれば良かったから、気持ちも楽だったのかな。
後ろから追い上げられるようになってからのオーサーは、ちょっと変わりました。やや萎縮というか、守りに入ってミスが出たような記憶があります。

今はもう、あの「王子様オーサー」のおもかげはありませんが(ごめん)、不思議なのは彼自身の現役時の演技スタイルと、今の生徒達の演技があまりリンクしないこと。
あまり点数計算せず情熱のままに滑ってる印象が強かったので、「GOE対策万全」と言われる今の「オーサー・スタイル」が、どうにもしっくりこない。
まあ時代が違って採点法が劇的に変わったから、なんとも言えませんが。
輝ける若き日のオーサーと、今の戦略家オーサーは、別人なのでしょう。
そう思って自分を慰める?世界の片隅のフィギュアファン★
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