MとAのミュージカル・ラン日記 ♪♪♪

音楽を聴きながら走る市民ランナーのブログです。ランと音楽以外のスポーツについても書きます。今は大谷翔平に夢中です!

ランと痛み

2014-11-24 | 走りながら考えたこと
 このところ痛みを抱えながら走っているので、「痛くても走る」「どのくらいの痛みなら我慢して走るか」というようなことを考えていた。
 一番の基本としては「痛いなら走らない」ってことだと思うんだけど、ランナーには「痛くても走りたい」「痛みをこらえて走らねばならない」時というものが、確かにある。
 理屈には合っていない。そんなことはわかっている。だから医者も半ばあきれる。

 とはいえ、我慢できる痛みの限界というものはある。押して走れる痛みなら大したことはない、ということもできるけど、痛みというのはかなり個人的な感覚なので、ある人にとって我慢できない痛みでも、また別の人にとっては「まだまだ我慢できる」という場合もありそうだ。
 痛みはもちろん障害の程度と密接に関係があるから、「程度」の判断を見誤るとこじらせて当分走れないような事態にもなりかねない。
 薬や道具で痛みを抑えることのリスクもそこにある。

 「痛み」で思いだすのは、もうどうにもならないほど痛くて歩くしかなかった(そう信じていた)えちご・くびき野100kmマラソンのことだ。
 レース最終盤、あるランナーが仲間のランナーに「俺だって膝が痛くて痛くてもう走れないくらいなんだよ」と仲間を励ますためか自分を鼓舞するためか話しかけているのが聴こえた。外目からは全く痛みなどなく走っているようにしか見えなかったのでとても意外だった。
 「この人の痛みは自分の痛みと同じくらいだろうか?」と考えるとともに「ひょっとしたら、多くのランナーが、今の自分くらいの痛みでもこらえて走っているのかもしれない」と思った。
 そして、今の自分の痛みくらいで「痛くて走れない」なんて言ってるのは、多くのランナーから見ると「ちゃんちゃらおかしい」と言われるのかもしれないなと考えたのを覚えている。

 たとえばお産の痛みについて「男の人だったらきっと我慢できないわよ」なんて、男の我慢がだらしない証のように言う女性がいるけれど、お産(に限らないけど)のように我慢するもしないも自分でどうしようもない痛みと違って、走るのをやめて歩くとか止まるとかすれば、ランニングの痛みはなくならないにしても大幅に軽減するケースが多い。
 極端に言えば、痛みは自分の意志でコントロール可能なのだ。ただし、走るのをやめねばならない。ランナー以外の人にとっては意味がわからない選択肢なんだろうな。
コメント
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