例によってレースから1ヵ月以上が経ってしまった。そういえば少し前に正式な完走証も届いた。順位は年代別、総合とも半分よりちょっと上ぐらい。
正式には「完走認定証」と言うらしい。ゴール時の写真が2枚載ってるのだが、写真で見ると意外にほっそり見えるが、実はお腹も出てるし体重はベストから程遠い。
三年続けて雨のレース
前日の金さんのランニングミーティングに登場した町長さんは「3年連続の雨では洒落にもならないからなんとかしないといけない」と挨拶されたが、これといった有効手段があるはずもなく、雨となった。
100均で長袖の透明雨合羽を用意した。スタート時の雨は大したことはなく、トイレもさほどの混雑でもなかった。それでも家人のアイデアで簡易テントを用意して行ったのが正解だった。
右足の状態を確かめるべく、何度か短めのジョグを繰り返した。痛み自体はそれほど強くはない。なんとかなりそうだ。
荷物を預け、列に並ぶ。雨は降っている。
ストレッチをしながら待つ。そうだ、ロキソニンを飲んでおかなくちゃ。2錠を水なしで飲む。
着圧ソックス
足の痛みはほとんど気にならなかった。今回着圧ソックスを履かずに走った。というのもこのところ走後・走中にふくらはぎを攣るケースが多くて、ソックスのせいもあるんじゃないかと考たからだ。
しかし、もっとよーく考えてみれば、コンプレッションがかかってるせいでけいれんや足攣りが起こるわけではなくて、脱ぎにくいためにあちこち必要な力がかかることが原因だ。
雨で身体が冷えるような天候出会ったことを考えれば、ふくらはぎが冷えて緊張しないようにする意味でも、着圧ソックスを履いておくべきだった。
25㎞までは快調だったが・・・
正直これまでにもまして時間が経ってしまい細かなことは記憶も危ういので、1㎞毎のラップを見ながら思い出していくことにしたい。
出だしの1㎞も想定より1~2分速くやり過ごすことができて、序盤は順調だった。雨も小ぶりになったので、思い切ってスタート手前で着ていた雨合羽を大会スタッフに預けてしまった(運よく?回収してたのだ)。
その後雨が激しさを増した事を考えれば(結局最後まで止まなかった)身体の冷えを防ぐ意味で、着圧ソックス不使用とともに、これは大きな失敗だった。
作戦おさらい
とにかく、5分切るくらいのペースで35㎞までイーブンペースが大まかな作戦だった。これはここ最近いつも同じ。きちんと走力をキープできていればそれは可能なはずで、このペースから落ちていくようなら普段の練習が足りていないということなのだ。
たとえ調子が悪かったとしても、5分オーバーのラップを刻んで3時間40分とか3時間50分を狙うというような走り方をするつもりはなかった。
しょくにんさんに感謝
赤い揖斐峡大橋を越えたところで(9㎞付近)、雨の中でもいつものようにお猿姿のしょくにんさんが気合の入った応援をしてくれていた(どうもありがとうございました)。ちょうど第一関門のあたり。この橋の上から見る揖斐峡の景色は息をのむほど美しい。立ち止まり写真を取るランナーも少なくない。Qちゃんもこの辺りでハイタッチしていることが多いが、ちょうど車に乗り込み移動するところだった。
おにぎり
前半は基本登り。きつい坂では特に腕を下げ気味にして強く振ることを心がける。後半いささか肩の筋肉に疲れを感じるくらいだったから、しっかりできてたんじゃないかと思う(鍛え方が足りないけど)。
雨だったので多少5分を越えてもいいやというくらいの気持ちで余裕を持って走っていた。
藤橋の湯の裏、山沿いの狭い歩道を過ぎたあたりで(18㎞付近)、差し出された白いものをお餅か何かだと思って手に取ったら、でっかいおにぎりだった。何も入ってない白飯。大きさにちょっとたまげたが一口食べたらとってもおいしい米だった。それにしても大きすぎてどうしたらいいかわからない。
雨でびしょぬれの手袋をした手で持って少しずつ食べながら走り続けるしかない。食べ物を捨てるということは、よほどの理由がない限りわたしにはできない。捨てるくらいなら手にすべきではないというのがわたしのモットーなのだ。
結局、食べ終わるのに折り返しをすぎてしばらくまでかかった。お腹が減る頃ではあったので、携行したエナジージェルを摂らずこのおにぎりで済ますことにしたのだが、食べ終えた時点でジェルなんかよりおにぎりが力になってくれるとポジティブに考えようと思った。
※公式HPから拝借しました。
16~19㎞あたりは一段ときつい上りなので5'20/㎞までペースが落ちたほか、24~25㎞、27~28㎞の間もタイムがかなり落ちているが、いよいよこのコースの肝とも言える29㎞・32㎞の2段坂手前まではまずまずいいペースで走ることができた。
とは言いながら、25㎞あたりからかなり脚がきつくなっていたのも事実だった。
咳と吐き気
身体の異変は中間点あたりからはじまっていた。小さな咳が出るようになっていた。併せて軽い吐き気も感じていた。なぜかはわからない。
この2つの坂をずっと意識して走ってきたのに、それでも魔の手に落ちたのは悔しかった。どんなに遅くてもいいからとにかく止まらないで32㎞からの坂を乗り越えるんだという強い気持ちで脚を動かしていた。しかし、脚だけでなく吐き気のほうもどんどんと強くなってきた。
きっと弱い自分が止まるためのエクスキューズを無意識のうちに脳が発しているに違いない。騙されちゃいけない。そう思っていた。
終わらない坂
一方で、外から見たらほとんど止まっているように見えるんじゃないかというくらいゆっくりにしか身体を動かせていない気がしていた。この走りでは上っても上っても坂が終わらない感覚に陥ってもいた。
32~33㎞のラップは走っていたにもかかわらず7分を越えていた。
止まる・ガツン
そして33kmすぎ、ゼンマイ掛けのおもちゃが動力を失って止まるみたいに、あるいは電池がぴったりとなくなったみたいに坂の終わる直前で止まった。吐きたかった。ひどく気分が悪かった。
手をついて吐こうとするが、吐けない。何度かそうしているうちに、2度ほどスタッフ(ボランティアのお医者さん)に「大丈夫ですか?」と声をかけられた。「休みながらゆっくりいけば大丈夫だと思う」と答えてしばらく歩いたが、もう一度停まったところでガツンとふくらはぎを攣った。
あまり経験がないような激しい痛み方。今度は女性のお医者さん?が跳んできてくれた。
女医さんに感謝
余りの痛みにうめき声を上げ、最初はひざまずくことさえできなかったのに、この方がとても親切に対応してくれて、椅子を持ってこさせてくれたり(もっとも椅子に座れるようになったのはずいぶん後だった)、ゆっくり時間をかけてふくらはぎのマッサージをしてくれた。ゴールにたどり着けたのはこの女性ボランティアのおかげだった。
彼女に「救護車呼びますか?」と尋ねる地元スタッフの声を遮り「走ったらまた攣りますかね?」と聞いたら「少し歩いてみてまた攣ったらあきらめた方がいいと思います。歩けるようなら、これから下りが続くから歩幅を狭くしてゆっくりいけばんなんとかなるかもしれない。でも、半分歩くつもりのほうがいいですよ」とアドバイスしてくれた。
せっかくだからいろいろ尋ねてみたのだが、雨のせいであまり汗をかいていない気になり給水や塩分摂取が不足している人が多く足を攣るランナーが多いそうだ。折り返しで塩タブレットを1つ取ったが足りなかったのかもしれない。
給水も取ってはいたのだが、たしかにこの2つの坂を挟む区間で吐き気と同時に喉の渇きを感じていた。水が飲みたくて給水所が早く来ないかと思っていた。
リスタート
礼を言って「とにかく行ってみます」と椅子から立ち上がった。おそるおそる歩き始めたが半分攣ってるような感覚。もう一回同じような攣り方をしたらもう走れないなと思った。
33~34㎞の1㎞は23分以上かかっていた。といってもこの時は時間など全く気にしてなかったけれど。
このあとはとにかく攣らないように痛みが強くなってきたら早めに立ち止まり短めにマッサージをし(長く立ち止まってるとまた攣ってしまうリスクが高い)、またゆっくりと走った。
いろはす
38kmすぎでコース脇でマッサージしていたら、女性二人が近づいてきて水(いろはす)のボトルを差し出してくれた。
この水はうまかった。ひょっとしてお友達か誰かを応援するために準備していたのかな?と思ったけど厚意に甘えて、厚かましくも半分残ったボトルを指して「これいただいて行っていいですか?」と聞くと笑顔で「どうぞ」と応えてくれた。さっきの喉の渇きが頭をかすめたのだ。
礼を言って再び走り始める。少しずつ飲みながら結局ゴールまでペットボトルを持って走った。この水がなかったらやっぱり最後まで走り切れなかったかもしれない。ありがとうございました。
※ゴールまでペットボトルを持って走った。
激しく落ち込む
山を抜けて完全に眺望が開けた井の口橋辺りからは残り3㎞。堤防の上を走り続ける単調なコース。距離の割になかなかゴールが見えてこない。途中40㎞でカウントダウンが聴こえ、通過寸前4時間がコールされた。それまでタイムのことは忘れていたが「あー、サブ4もできなかったんだ」と少し落胆する。
いつもなら残り4㎞を目安にラストスパートをかけるのだが、さすがにそれは難しかった。
それでも最後の1~2㎞はもう足も攣っても構わないやという気持ちで走った。気がついたら吐き気も不思議とおさまっていた。
ゴールまでの間にざっと100人以上はぬいたと思う。数えたわけじゃないけれど。
最後は大観衆の中を走りぬけてゴールした。悔しさの方が圧倒的に大きかったけれど(ゴールの顔が笑ってなかった)、エントリー15回連続フルマラソン完走だけは成し遂げた。
先日女性ランナーがフルマラソン1200回完走したというニュースを目にした。
1200回から見たら15回は0に限りなく近いが、フルマラソンを走り始めて丸6年間計15回、DNFもDNSも1度もないというところが少しばかり誇らしくもある。特に意識してたわけじゃないけど長く続けてるとそんなこともひそかにとぎらせたくない目標になってたりする。丸6年無遅刻無欠勤に似てるけど、完全な自由の中でやってるところが少し違う。
次も頑張ろう。
過去三回とのラップ比較。
25㎞までは前回のラップをほぼきれいにトレースしているが、そこから少しずつかい離し始めとんでもないグラフになってしまった。
ゴール後のあれこれ。大会の感想。そして感謝。
ゴールから荷物受取までがいささか遠くてこの間に何度か足を攣った。ゴールしてホッとしたからなのかまた気分が悪くなってきた。ちょっと血の気が引く感じ。
自前のテントにたどり着き、とにかくずぶ濡れのウエアを着替えてしばらく横になっていた。
北海道に続いて4時間前後。今回も歩いたり止まったりしている。いろいろ含めて今の実力はこんなもんなのだなというのが正直なところだ。
今回は今までになくいろんな方のお世話になった大会だった。1人だったら走り切れていない。
一時は感想もおぼつかなかった苦しい大会だったけど、時間をおいて振り返れば今振り返ればやはり楽しい、素晴らしい大会だった。だいたいあんなに長いハイタッチの列は初めてだ。以前は整然とした子どもたちの応援に多少「やらされてるのかな」という思いがあったけど、今年はみんな楽しんでるのが伝わってきてうれしくなった。
いびがわマラソンはわたしの走らなかった3年の間も進化しつづけ、さらにいっそうランナーにやさしい大会になっていた。救護体制の充実ぶりはおそらく日本一だと思うし、どういうからくりかよくわからないがあんなにスムーズな給水も記憶にない。
この大会を支える皆さんの熱意と努力には本当に頭が下がる。
雨の中応援してくれた皆さん、応援していただいた皆さんにお礼申し上げます。ありがとうございました。
《おしまい》
※おまけ。公式HPにアップされていたゴールシーンの動画。4:03~4:12。
いびがわマラソン2014ゴールシーン フル⑩
正式には「完走認定証」と言うらしい。ゴール時の写真が2枚載ってるのだが、写真で見ると意外にほっそり見えるが、実はお腹も出てるし体重はベストから程遠い。
三年続けて雨のレース
前日の金さんのランニングミーティングに登場した町長さんは「3年連続の雨では洒落にもならないからなんとかしないといけない」と挨拶されたが、これといった有効手段があるはずもなく、雨となった。
100均で長袖の透明雨合羽を用意した。スタート時の雨は大したことはなく、トイレもさほどの混雑でもなかった。それでも家人のアイデアで簡易テントを用意して行ったのが正解だった。
右足の状態を確かめるべく、何度か短めのジョグを繰り返した。痛み自体はそれほど強くはない。なんとかなりそうだ。
荷物を預け、列に並ぶ。雨は降っている。
ストレッチをしながら待つ。そうだ、ロキソニンを飲んでおかなくちゃ。2錠を水なしで飲む。
着圧ソックス
足の痛みはほとんど気にならなかった。今回着圧ソックスを履かずに走った。というのもこのところ走後・走中にふくらはぎを攣るケースが多くて、ソックスのせいもあるんじゃないかと考たからだ。
しかし、もっとよーく考えてみれば、コンプレッションがかかってるせいでけいれんや足攣りが起こるわけではなくて、脱ぎにくいためにあちこち必要な力がかかることが原因だ。
雨で身体が冷えるような天候出会ったことを考えれば、ふくらはぎが冷えて緊張しないようにする意味でも、着圧ソックスを履いておくべきだった。
25㎞までは快調だったが・・・
正直これまでにもまして時間が経ってしまい細かなことは記憶も危ういので、1㎞毎のラップを見ながら思い出していくことにしたい。
出だしの1㎞も想定より1~2分速くやり過ごすことができて、序盤は順調だった。雨も小ぶりになったので、思い切ってスタート手前で着ていた雨合羽を大会スタッフに預けてしまった(運よく?回収してたのだ)。
その後雨が激しさを増した事を考えれば(結局最後まで止まなかった)身体の冷えを防ぐ意味で、着圧ソックス不使用とともに、これは大きな失敗だった。
作戦おさらい
とにかく、5分切るくらいのペースで35㎞までイーブンペースが大まかな作戦だった。これはここ最近いつも同じ。きちんと走力をキープできていればそれは可能なはずで、このペースから落ちていくようなら普段の練習が足りていないということなのだ。
たとえ調子が悪かったとしても、5分オーバーのラップを刻んで3時間40分とか3時間50分を狙うというような走り方をするつもりはなかった。
しょくにんさんに感謝
赤い揖斐峡大橋を越えたところで(9㎞付近)、雨の中でもいつものようにお猿姿のしょくにんさんが気合の入った応援をしてくれていた(どうもありがとうございました)。ちょうど第一関門のあたり。この橋の上から見る揖斐峡の景色は息をのむほど美しい。立ち止まり写真を取るランナーも少なくない。Qちゃんもこの辺りでハイタッチしていることが多いが、ちょうど車に乗り込み移動するところだった。
おにぎり
前半は基本登り。きつい坂では特に腕を下げ気味にして強く振ることを心がける。後半いささか肩の筋肉に疲れを感じるくらいだったから、しっかりできてたんじゃないかと思う(鍛え方が足りないけど)。
雨だったので多少5分を越えてもいいやというくらいの気持ちで余裕を持って走っていた。
藤橋の湯の裏、山沿いの狭い歩道を過ぎたあたりで(18㎞付近)、差し出された白いものをお餅か何かだと思って手に取ったら、でっかいおにぎりだった。何も入ってない白飯。大きさにちょっとたまげたが一口食べたらとってもおいしい米だった。それにしても大きすぎてどうしたらいいかわからない。
雨でびしょぬれの手袋をした手で持って少しずつ食べながら走り続けるしかない。食べ物を捨てるということは、よほどの理由がない限りわたしにはできない。捨てるくらいなら手にすべきではないというのがわたしのモットーなのだ。
結局、食べ終わるのに折り返しをすぎてしばらくまでかかった。お腹が減る頃ではあったので、携行したエナジージェルを摂らずこのおにぎりで済ますことにしたのだが、食べ終えた時点でジェルなんかよりおにぎりが力になってくれるとポジティブに考えようと思った。
※公式HPから拝借しました。
16~19㎞あたりは一段ときつい上りなので5'20/㎞までペースが落ちたほか、24~25㎞、27~28㎞の間もタイムがかなり落ちているが、いよいよこのコースの肝とも言える29㎞・32㎞の2段坂手前まではまずまずいいペースで走ることができた。
とは言いながら、25㎞あたりからかなり脚がきつくなっていたのも事実だった。
咳と吐き気
身体の異変は中間点あたりからはじまっていた。小さな咳が出るようになっていた。併せて軽い吐き気も感じていた。なぜかはわからない。
この2つの坂をずっと意識して走ってきたのに、それでも魔の手に落ちたのは悔しかった。どんなに遅くてもいいからとにかく止まらないで32㎞からの坂を乗り越えるんだという強い気持ちで脚を動かしていた。しかし、脚だけでなく吐き気のほうもどんどんと強くなってきた。
きっと弱い自分が止まるためのエクスキューズを無意識のうちに脳が発しているに違いない。騙されちゃいけない。そう思っていた。
終わらない坂
一方で、外から見たらほとんど止まっているように見えるんじゃないかというくらいゆっくりにしか身体を動かせていない気がしていた。この走りでは上っても上っても坂が終わらない感覚に陥ってもいた。
32~33㎞のラップは走っていたにもかかわらず7分を越えていた。
止まる・ガツン
そして33kmすぎ、ゼンマイ掛けのおもちゃが動力を失って止まるみたいに、あるいは電池がぴったりとなくなったみたいに坂の終わる直前で止まった。吐きたかった。ひどく気分が悪かった。
手をついて吐こうとするが、吐けない。何度かそうしているうちに、2度ほどスタッフ(ボランティアのお医者さん)に「大丈夫ですか?」と声をかけられた。「休みながらゆっくりいけば大丈夫だと思う」と答えてしばらく歩いたが、もう一度停まったところでガツンとふくらはぎを攣った。
あまり経験がないような激しい痛み方。今度は女性のお医者さん?が跳んできてくれた。
女医さんに感謝
余りの痛みにうめき声を上げ、最初はひざまずくことさえできなかったのに、この方がとても親切に対応してくれて、椅子を持ってこさせてくれたり(もっとも椅子に座れるようになったのはずいぶん後だった)、ゆっくり時間をかけてふくらはぎのマッサージをしてくれた。ゴールにたどり着けたのはこの女性ボランティアのおかげだった。
彼女に「救護車呼びますか?」と尋ねる地元スタッフの声を遮り「走ったらまた攣りますかね?」と聞いたら「少し歩いてみてまた攣ったらあきらめた方がいいと思います。歩けるようなら、これから下りが続くから歩幅を狭くしてゆっくりいけばんなんとかなるかもしれない。でも、半分歩くつもりのほうがいいですよ」とアドバイスしてくれた。
せっかくだからいろいろ尋ねてみたのだが、雨のせいであまり汗をかいていない気になり給水や塩分摂取が不足している人が多く足を攣るランナーが多いそうだ。折り返しで塩タブレットを1つ取ったが足りなかったのかもしれない。
給水も取ってはいたのだが、たしかにこの2つの坂を挟む区間で吐き気と同時に喉の渇きを感じていた。水が飲みたくて給水所が早く来ないかと思っていた。
リスタート
礼を言って「とにかく行ってみます」と椅子から立ち上がった。おそるおそる歩き始めたが半分攣ってるような感覚。もう一回同じような攣り方をしたらもう走れないなと思った。
33~34㎞の1㎞は23分以上かかっていた。といってもこの時は時間など全く気にしてなかったけれど。
このあとはとにかく攣らないように痛みが強くなってきたら早めに立ち止まり短めにマッサージをし(長く立ち止まってるとまた攣ってしまうリスクが高い)、またゆっくりと走った。
いろはす
38kmすぎでコース脇でマッサージしていたら、女性二人が近づいてきて水(いろはす)のボトルを差し出してくれた。
この水はうまかった。ひょっとしてお友達か誰かを応援するために準備していたのかな?と思ったけど厚意に甘えて、厚かましくも半分残ったボトルを指して「これいただいて行っていいですか?」と聞くと笑顔で「どうぞ」と応えてくれた。さっきの喉の渇きが頭をかすめたのだ。
礼を言って再び走り始める。少しずつ飲みながら結局ゴールまでペットボトルを持って走った。この水がなかったらやっぱり最後まで走り切れなかったかもしれない。ありがとうございました。
※ゴールまでペットボトルを持って走った。
激しく落ち込む
山を抜けて完全に眺望が開けた井の口橋辺りからは残り3㎞。堤防の上を走り続ける単調なコース。距離の割になかなかゴールが見えてこない。途中40㎞でカウントダウンが聴こえ、通過寸前4時間がコールされた。それまでタイムのことは忘れていたが「あー、サブ4もできなかったんだ」と少し落胆する。
いつもなら残り4㎞を目安にラストスパートをかけるのだが、さすがにそれは難しかった。
それでも最後の1~2㎞はもう足も攣っても構わないやという気持ちで走った。気がついたら吐き気も不思議とおさまっていた。
ゴールまでの間にざっと100人以上はぬいたと思う。数えたわけじゃないけれど。
最後は大観衆の中を走りぬけてゴールした。悔しさの方が圧倒的に大きかったけれど(ゴールの顔が笑ってなかった)、エントリー15回連続フルマラソン完走だけは成し遂げた。
先日女性ランナーがフルマラソン1200回完走したというニュースを目にした。
1200回から見たら15回は0に限りなく近いが、フルマラソンを走り始めて丸6年間計15回、DNFもDNSも1度もないというところが少しばかり誇らしくもある。特に意識してたわけじゃないけど長く続けてるとそんなこともひそかにとぎらせたくない目標になってたりする。丸6年無遅刻無欠勤に似てるけど、完全な自由の中でやってるところが少し違う。
次も頑張ろう。
過去三回とのラップ比較。
25㎞までは前回のラップをほぼきれいにトレースしているが、そこから少しずつかい離し始めとんでもないグラフになってしまった。
ゴール後のあれこれ。大会の感想。そして感謝。
ゴールから荷物受取までがいささか遠くてこの間に何度か足を攣った。ゴールしてホッとしたからなのかまた気分が悪くなってきた。ちょっと血の気が引く感じ。
自前のテントにたどり着き、とにかくずぶ濡れのウエアを着替えてしばらく横になっていた。
北海道に続いて4時間前後。今回も歩いたり止まったりしている。いろいろ含めて今の実力はこんなもんなのだなというのが正直なところだ。
今回は今までになくいろんな方のお世話になった大会だった。1人だったら走り切れていない。
一時は感想もおぼつかなかった苦しい大会だったけど、時間をおいて振り返れば今振り返ればやはり楽しい、素晴らしい大会だった。だいたいあんなに長いハイタッチの列は初めてだ。以前は整然とした子どもたちの応援に多少「やらされてるのかな」という思いがあったけど、今年はみんな楽しんでるのが伝わってきてうれしくなった。
いびがわマラソンはわたしの走らなかった3年の間も進化しつづけ、さらにいっそうランナーにやさしい大会になっていた。救護体制の充実ぶりはおそらく日本一だと思うし、どういうからくりかよくわからないがあんなにスムーズな給水も記憶にない。
この大会を支える皆さんの熱意と努力には本当に頭が下がる。
雨の中応援してくれた皆さん、応援していただいた皆さんにお礼申し上げます。ありがとうございました。
《おしまい》
※おまけ。公式HPにアップされていたゴールシーンの動画。4:03~4:12。
いびがわマラソン2014ゴールシーン フル⑩