しょうけい館に行くべく、秋葉原駅で乗り換えて岩本町駅まで歩く。
久々に来たのだが、秋葉原の男子率の高さに驚く。
途中、川べりの素敵な喫煙所を発見し、一服。
去年NHKのETV特集
「戦傷病者の長い戦後」で知った
「しょうけい館」(九段下)にやっと行けた。
番組を見てからずっと行きたかったのだが、なかなか行けずに今日になってしまった。
九段下駅からひっそりとした路地裏を歩く。
しょうけい館
ここでは日中戦争・太平洋戦争で負傷し傷害を負った傷痍軍人に関する資料が展示されてる。
どんな人がどこでどんな傷(創)を負ったのか、そのときのこと、その後の人生が生々しく展示されてあった。
ある者は目玉を失い、片手片足を失い、また銃弾が体内の奥まで入っていて取り出せずに亡くなるまで苦しんだ、など・・・。
小さな資料館だと聞いていたが見ごたえは十分。ひとつひとつ丁寧に目を通していくとけっこう時間がかかった。
1Fの図書スペースの蔵書量も多く、水木しげるの本もたくさんあった。
「鬼太郎のベトナム戦記」を手にとって少し読んだが面白かった。
乃木希典が「手を失った人でも煙草が自由に吸えるように」と考案した乃木式義手を受付の女性に頼んで実際に体験できたりもできる。
受付の女性に装着していただいた。
義手でたどたどしく書いた「平和」の文字。難しかった。
受付女性に「ここへはどうして?親族にどなたか戦争で負傷されたのですか?」と聞かれた。
私の母方の祖父が沖縄戦開始の1週間前に沖縄を脱出したこと、そしてマラリアを自力で治したことは母から聞いていたが、彼が負傷したとは聞いていない。亡くなる前にもう少し聞いておけばよかったとは思うが、寡黙な祖父はあまり多くを語らなかった。
遠くの国で負傷し、飢えと空腹と痛みでもがき苦しんだ方々。「治療はしなくていい。水をくれ。うまい、うまい」と言って亡くなった人の様子を描いたスケッチの前で涙が止まらなかった。
戦後70年。もうあのようなことが起こりませんように、今一度強く願った。
この館名に込められた意味「承継」こそが平和への礎になるのではないだろうか。
空腹に気づき、飯田橋のファッキンで食事。

ファーストキッチン、見つけると入りたくなる。
ベーコンチーズバーガーとポテト(焦がしバター醤油)で満たされる。うまー。
地下鉄で東池袋へ。
プラネタリウム「満天」で「ナオト・インティライミ僕らが空を見上げる理由」を堪能。
(このプラネタリウムは来月から工事に入るらしい)
ソウルフルで軽快な音楽と満天の星の融合に癒された。
“満天”ナオト・インティライミ 僕らが空を見上げる理由(わけ)
終盤に流れていた「君に逢いたかった」という歌の歌詞が素敵だった。
「君に逢いたかった 待ち続けてた 運命が僕らをつないだ
傷つきながらも 旅して僕ら やっと 巡り会えた」
地球という星が生まれたのも、そこで生命が誕生したのも、奇跡。
祖父が戦争から戻ってきて、母を生み、そして私が生まれたのも、奇跡。
日々雑多なことに塗れて忘れてしまうけど、今、こうしてブログを書いているのも「奇跡」なのだ。
今日も楽しいソロ活動を堪能できた。
来週も頑張ろう。
