母ヨーコたんより暑中見舞いが届いた!
昨日会ったばかりだけど、じーんとしてしまう。
母は絵手紙が趣味。
実家の庭の蓮の花をモデルに、ゆめかわなタッチで描かれた絵手紙に胸キュン。
「蓮は泥より出でて泥に染まらず」
蓮は、仏教において特別で神聖な花である。
泥水から生まれながらも、すくっと真っ直ぐに伸び、高貴な花を咲かせる。
咲いた花は泥には染まらず、清浄に満ちている。
きれいな水ではなく、むしろ泥水の養分を吸ってこそ、大輪の花が咲くのだそう。
その姿から釈迦は、「泥(困難や悲しみ)があればこそ、そこから立ち上がったあとには清らかな大輪の花(人生)があるのだ」と説いた。
夕食は、母が昨日持たせてくれたかぼちゃの煮物と枝豆。コンビニのお好み焼き、そしてビール。
最高にオヤジっぽい晩酌。さっきまで清らかな蓮に思いを馳せていたのに。
枝豆は母が近所の直販店まで買いに行くそう。ホクホクしてて美味。
かぼちゃはあまり味付けをせずとも素材の味を生かすという母の技法によりシンプルなのに味わい深い一品に。
ママ、色々ありがとう。
母は姑(明治生まれでメンタル強め)と暮らしていた頃、毎日のように姑のもとにやって来る小姑たちにうんざりしていた(なぜだか小姑の姑も来ていた)。
なので我が家にはプライバシーが皆無であった。
夫(クマパパ)は、毎日残業。子ども3人をほぼワンオペで育てた母。
庭も「私の目が黒いうちは木一本切らせない」という姑の謎の縛りで好きなようにできなかったらしい(でも姑自らは手入れをせず、木は伸び放題、ちょっとした密林みたくなっていた)。
しかし今は姑が他界して、小姑たちも来なくなった。家も建て替えて、庭には母の好きな花々が咲き乱れている。
蓮を咲かせるのは泥を入れ替えたりせねばならず、とても大変である。
だけれど母は毎年必ず蓮を咲かせたくて頑張っている。
「蓮は泥より出でて泥に染まらず」
姑・嫁、その他諸々に耐えた母は、ピンク色に咲くその言葉を、目で、心で、噛みしめたいのかもしれない。
昨日会ったばかりだけど、じーんとしてしまう。
母は絵手紙が趣味。
実家の庭の蓮の花をモデルに、ゆめかわなタッチで描かれた絵手紙に胸キュン。
「蓮は泥より出でて泥に染まらず」
蓮は、仏教において特別で神聖な花である。
泥水から生まれながらも、すくっと真っ直ぐに伸び、高貴な花を咲かせる。
咲いた花は泥には染まらず、清浄に満ちている。
きれいな水ではなく、むしろ泥水の養分を吸ってこそ、大輪の花が咲くのだそう。
その姿から釈迦は、「泥(困難や悲しみ)があればこそ、そこから立ち上がったあとには清らかな大輪の花(人生)があるのだ」と説いた。
夕食は、母が昨日持たせてくれたかぼちゃの煮物と枝豆。コンビニのお好み焼き、そしてビール。
最高にオヤジっぽい晩酌。さっきまで清らかな蓮に思いを馳せていたのに。
枝豆は母が近所の直販店まで買いに行くそう。ホクホクしてて美味。
かぼちゃはあまり味付けをせずとも素材の味を生かすという母の技法によりシンプルなのに味わい深い一品に。
ママ、色々ありがとう。
母は姑(明治生まれでメンタル強め)と暮らしていた頃、毎日のように姑のもとにやって来る小姑たちにうんざりしていた(なぜだか小姑の姑も来ていた)。
なので我が家にはプライバシーが皆無であった。
夫(クマパパ)は、毎日残業。子ども3人をほぼワンオペで育てた母。
庭も「私の目が黒いうちは木一本切らせない」という姑の謎の縛りで好きなようにできなかったらしい(でも姑自らは手入れをせず、木は伸び放題、ちょっとした密林みたくなっていた)。
しかし今は姑が他界して、小姑たちも来なくなった。家も建て替えて、庭には母の好きな花々が咲き乱れている。
蓮を咲かせるのは泥を入れ替えたりせねばならず、とても大変である。
だけれど母は毎年必ず蓮を咲かせたくて頑張っている。
「蓮は泥より出でて泥に染まらず」
姑・嫁、その他諸々に耐えた母は、ピンク色に咲くその言葉を、目で、心で、噛みしめたいのかもしれない。