「
細川家の至宝 珠玉の永青文庫コレクション」を観に吉熊と東京国立博物館行った。
東京は雨。
上野公園には栗の花の香りが漂っていた(あの匂い…嫌い)。
さて「細川家の至宝」
二部構成。
一部
武家の伝統-細川家の歴史と美術-
一部は…歴史音痴な私にはちょいと辛かった。
音声ガイドを着用していて良かった。その音声ガイド、声の主は細川護熙氏!
自分ちのお宝を紹介するんだもの。適任っちゃー適任だよな。
まずは鎧兜の羅列!
5月の節句何宅分?っつーぐらい、ずらっと。
細川忠興の兜(黒糸威横矧二枚胴具足)の上にあるやつ、あれってスーパーハボキっぽくね?
どの鎧も小さめで、「昔の人って小柄だったの?」という疑問が残った。
千利休の茶道具など、知識のある人が見れば興奮するのかもしれないが、なんせ知識のない私。器一つにしても「へぇ」としか思えなかった。
唐物尻膨茶入 利休尻ふくら
これって何に使うのだろう。
息を呑んだのはこの鞍。
馬の背に敷いているやつ。
時雨螺鈿鞍
鞍には高度な漆芸技術によって美しく装飾された例が多く、実用的な道具であるとともに、武士の誇りや威厳、美意識が表現される品物でもあったらしい。
絡み付く葛の葉の間に配された「恋」「時雨」「原」などの文字から、慈円の「わが恋は松を時雨にそめかねて 眞葛が原に風騒ぐなり」(『新古今和歌集』所載)という歌が読み取れる。
風流である。
そして細川ガラシャコーナー!
歴史上の人物女性部門で私の3つの指に入るガラシャ。美人で教養があり、素直で明るいステキ女子だ。元の名前は「たま」。たまちゃんなのだ。
織田信長暗殺というクーデターを起こしたガラシャの父・明智光秀。嫁ぎ先の細川家としてはたまを離縁か殺害した方がいいのでは?と夫・忠興に薦めた。が、忠興拒否。ラブラブ夫婦だったようだ。たまは2年間、幽閉された。やがて幽閉が解除されるも、忠興には側室ができていて子まで成しているではないか!たま、失望。そんな辛く悲しい日々のなか、たまはキリスト教に目覚め、洗礼を受けてガラシャとなる。しかし戦火の花となり、散りゆく。涙なしでは語れない悲運の女性なのである。
そんな彼女の直筆の書(旦那宛)を見られて感動した。
流れるような文字が涼しげで人柄を思わせる。あと和歌短冊「たつねゆく」
自殺するときのガラシャの様子を侍女・霜が書いた報告書(霜女覚書)も必見。
解説によると、ガラシャは淡々と死を迎えたらしい。
当時の武士のタシナミったら、能、茶、和歌。
細川家に伝わる能面に目が釘付け。
般若
こういうのを家族と見ると必ず「あ、ママだ」と誰かが呟く。
吸い込まれていきそうなぐらいリアル。顎の出っ張りがボンバイエ?
他にも狐やら猿やらユニークな能面があった。
唐織 胴箔地撫子蝶文様
金糸を全面に通して織り込んだ金地は「胴箔」と称され、豪華絢爛と形容される唐織の中でも、もっとも格調が高いとされている。
見た感じ、重そう。
第二部
美へのまなざし-護立コレクションを中心に-
細川家の16代当主・細川護立は、早くから白隠慧鶴や仙義梵といった禅僧の書画を収集し、これがコレクションの原点となった。同時代を生きた横山大観・菱田春草・小林古径といった日本画家の活動を支え、洋画にも目配りし、コレクションのジャンルは多岐かつ深い。
本当は小林古径の「髪」(1931年)を観たかった。
しかし、展示入れ替えがあり、あの絵は既に去っていた。残念!
あの絵、髪の多さといい長さといい、まるで私。
高校時代、資料集で見た時から親近感を持っていた。
で、今日観たのは同じ小林古径の「鶴と七面鳥」(1928年)
この鶴がとても可愛くてメロメロ。
くりくりお目目にふわふわの羽毛。
鶴に抱きつきたくなった!!
七面鳥は…とりあえず、サンシャイン牧場(畜産)の七面鳥に見えた。
「乞食大燈像」(白隠慧鶴)
鎌倉時代末期の禅僧、大燈国師が、京都の五条橋の物ごいの群れに入って厳しい修行に励む姿が描かれている。
この独特なユーモラスに溢れた画風にロックを感じてしまった。
細川護立は十代の頃から古美術に目覚め、お母さんに小遣いを前借りして古美術品を買いまくったらしい。スケールでかすぎ!
ちょっぴり地味な展覧会で人も少な目だったので、ゆっくりと観ることができた。
兜にしろ書状にしろ、何百年も前のものと対峙するときの緊張感って良いものだ。
「このガラス越しに…あの人の作品が」
と思うと興奮してしまう。
3時間近くの鑑賞だったので少々足にきた。
喫茶店で一服。
熱いコーヒーが身に沁みる。
明日からまた仕事!
土日休みのOLは、48時間限定のシンデレラ。
また怒濤の一週間を潜り抜けよう。
週末は林真理子先生の講習もあるし!
楽しみ!