仕事中に他の建物に移動する際、私はけっこうぼんやりしている。たまに空なんか見上げちゃったりして。ちょっとした息抜きタイムなのである。今日は秋めいている日差しとは裏腹に若干暑かった。
ふと、小中学生のときの運動会の練習を思い出した。ちょうど今の時期に行われていた。校庭に満ちた埃っぽい空気や練習後に飲んだ水道の味、歓声…。
他の建物に向かう途中、少しだけ思い出の箱を開けてみた。
中学3年生の時。英語教師が好きだったが、同じクラスのM君も好きだった。当時は今と違って恋多き乙女だったんである、私は。
頭がよくてオタクで眼鏡男子だったM君。制服のボタンを細い指で弄りながら、私のことを「亮子さぁん」ってか弱く呼んでいた彼の様子とか、まるで昨日のことのように思い出せる。
あれは中学3年の初秋の日だった。
「体育祭は男女でフォークダンスをやるぞ~」
と体育の教師が言い放ったんである。
問題教師の彼が言い放つことは、大概にしてエロか下らないことが多かった。きっと戯言に違いないと半信半疑だったのだが、体育祭の日にちが近づくにつれてそれは現実味を帯びてきて、…ついに練習の日がやってきた。
私たちの学年は11クラスもあった。ちょうど子供の数が多い団塊ジュニア世代。
先生たちの監視のもと、420人の男女がゾロゾロと校庭で円になる。体育教師からダンスの手本を学んだあと、音楽スタート!(ちなみにオクラホマミキサー)
今はどうか知らないが当時の先生は怖かった。集団行動の規律を乱すものは悉く皆の前で晒されながら怒られたんである。それが普通だった。多感な時期に皆の前で「腕立て伏せ30回!」とか命令されちゃうんである。
体育祭のフォークダンスというシーンにおいて、恥ずかしがって異性の指に触れられないなんていう非国民な生徒は他の生徒の前で辱しめを受けるに違いない。そんな思惑があったからか、我々生徒は素直に従った(卒業式のとき、担任が泣いてしまうほど手がかからない学年だった)。
…なんて書きながら、それは大人になってから懐古する際に帯びる脚色で、当時の私は「いやだー」とか言いつつ、M君のしなやかな指のことしか考えていなかった。いつも胸元のボタンを弄っているあの指を触れることができるだなんて!体育教師ありがとう!エロ教師、万歳!と密かに狂喜乱舞であった。
前夜。
いよいよM君と踊れる!というときに、音楽が止まってしまったらどうしよう?とか、考えちゃうわけ。よく漫画などでそういうオチを見聞きしてきたから杞憂は募るばかりであった。
しかし、私は無事M君と踊ることができた。
あの瞬間のことは忘れられない。
彼の手羽先みたいな指の感触…。
もうね、ここはヨーロッパのどっかの古城で開催されている舞踏会なのよー!
中学校の校庭なんかじゃない!
着ているものも運動着なんかじゃなく、なんか、こう、ふわふわひらひらしたドレスなんだから!
そんな乙女的妄想を展開させていた。
今から考えると我々はたぶん両思いだったんだと思う。
受験の後、彼は県立の男子校に、私は共学の高校に進んだ。
卒業式には彼の第2ボタンを特殊なルートでゲット。
5年後のクラス会で再会してたまに連絡を取っていたが、それもいつの間にか途絶えた。
今、彼は何をしているか私には分からない。
交わらない、そういう運命だったんだ、と33歳になった私は現実を静かに受け止めている。
さあ、着いた。
会長にこの書類を渡さなくっちゃ。
「会長、失礼いたします。〇〇〇のレポートをお持ちいたしました」
「うぐ。ありがとう」
…今の私。
異性の指に触れる機会はこれだけ。
書類を渡す際に何かの弾みで触ることがある会長の指…。
これも運命。
ふと、小中学生のときの運動会の練習を思い出した。ちょうど今の時期に行われていた。校庭に満ちた埃っぽい空気や練習後に飲んだ水道の味、歓声…。
他の建物に向かう途中、少しだけ思い出の箱を開けてみた。
中学3年生の時。英語教師が好きだったが、同じクラスのM君も好きだった。当時は今と違って恋多き乙女だったんである、私は。
頭がよくてオタクで眼鏡男子だったM君。制服のボタンを細い指で弄りながら、私のことを「亮子さぁん」ってか弱く呼んでいた彼の様子とか、まるで昨日のことのように思い出せる。
あれは中学3年の初秋の日だった。
「体育祭は男女でフォークダンスをやるぞ~」
と体育の教師が言い放ったんである。
問題教師の彼が言い放つことは、大概にしてエロか下らないことが多かった。きっと戯言に違いないと半信半疑だったのだが、体育祭の日にちが近づくにつれてそれは現実味を帯びてきて、…ついに練習の日がやってきた。
私たちの学年は11クラスもあった。ちょうど子供の数が多い団塊ジュニア世代。
先生たちの監視のもと、420人の男女がゾロゾロと校庭で円になる。体育教師からダンスの手本を学んだあと、音楽スタート!(ちなみにオクラホマミキサー)
今はどうか知らないが当時の先生は怖かった。集団行動の規律を乱すものは悉く皆の前で晒されながら怒られたんである。それが普通だった。多感な時期に皆の前で「腕立て伏せ30回!」とか命令されちゃうんである。
体育祭のフォークダンスというシーンにおいて、恥ずかしがって異性の指に触れられないなんていう非国民な生徒は他の生徒の前で辱しめを受けるに違いない。そんな思惑があったからか、我々生徒は素直に従った(卒業式のとき、担任が泣いてしまうほど手がかからない学年だった)。
…なんて書きながら、それは大人になってから懐古する際に帯びる脚色で、当時の私は「いやだー」とか言いつつ、M君のしなやかな指のことしか考えていなかった。いつも胸元のボタンを弄っているあの指を触れることができるだなんて!体育教師ありがとう!エロ教師、万歳!と密かに狂喜乱舞であった。
前夜。
いよいよM君と踊れる!というときに、音楽が止まってしまったらどうしよう?とか、考えちゃうわけ。よく漫画などでそういうオチを見聞きしてきたから杞憂は募るばかりであった。
しかし、私は無事M君と踊ることができた。
あの瞬間のことは忘れられない。
彼の手羽先みたいな指の感触…。
もうね、ここはヨーロッパのどっかの古城で開催されている舞踏会なのよー!
中学校の校庭なんかじゃない!
着ているものも運動着なんかじゃなく、なんか、こう、ふわふわひらひらしたドレスなんだから!
そんな乙女的妄想を展開させていた。
今から考えると我々はたぶん両思いだったんだと思う。
受験の後、彼は県立の男子校に、私は共学の高校に進んだ。
卒業式には彼の第2ボタンを特殊なルートでゲット。
5年後のクラス会で再会してたまに連絡を取っていたが、それもいつの間にか途絶えた。
今、彼は何をしているか私には分からない。
交わらない、そういう運命だったんだ、と33歳になった私は現実を静かに受け止めている。
さあ、着いた。
会長にこの書類を渡さなくっちゃ。
「会長、失礼いたします。〇〇〇のレポートをお持ちいたしました」
「うぐ。ありがとう」
…今の私。
異性の指に触れる機会はこれだけ。
書類を渡す際に何かの弾みで触ることがある会長の指…。
これも運命。