妻が逝ってからしばらくたって少し落ち着いた頃になると、再婚はしないのかと聞かれたことが何度かあるが、実際に話を持ち込まれたことはない。私がその気になれば話はあったかも知れないが、そのようなことは考えもしなかった。そのうちに年を取ってしまって、再婚話などは現実的なものではなくなった。
私が担任したある女子の卒業生の父親は、連れ合いを亡くした後、八十歳くらいになっても付き合う女性がいたようで、「ババフレンドよ」とその卒業生は笑っていたが、安心している様子でもあった。一緒に旅行などしたようで、どのような相手かは知らないが、ちょっと羨ましく思い、それも悪くないななどと思いもしながら、我が身には何か無縁なことに思われた。第一、余計なことに気を遣うのが面倒くさいことでもあった。
私のような年寄りにとっては、結婚は出生、死と共に自分の人生の大きな節目に思われた一大イベントだ。生まれることも死ぬことも自分の意志ではどうにもならないものだが、結婚はそうではない。中国貴州省に住む苗(ミャオ)族のある支族は水が乏しく貴重なこともあって年中入浴することがなく、一生に3回、生まれた時と結婚する時と死んだ時にだけ沐浴するのだそうだ。やはり結婚は重要なものと考えられているのだろう。
しかし結婚の重みはだんだん軽くなっているようにも思う。できちゃった婚とか何とかで、タレントなどが恥ずかしげもなく堂々と記者会見して発表するかと思うと、離婚報告会見したりするなど、いくら職業柄と言ってもいかにも軽々しい。有名人だから私的なことでも公的なこと錯覚しているのではないか。
離婚は増える傾向にあるようだ。親戚の娘にもいるが、驚くほどあっさりと離婚した。結婚観が変わったのか、辛抱がないのか、とにかく結婚というものはそれほど軽いものなのかと思う。離婚は中国でも北京や上海などでは多く、離婚率はかなり高いようだ。一人っ子でわがままに育っているのが多くて辛抱することができないことや、女性の高学歴などが理由と言われもしている。
こんなことで、大げさに言えば結婚を人生の大事業と思っている私にとっては、妻が死んだからと言って、それをもう一度やろうということは考えられなかった。幸いと言うか、妻を喪った時には私は既に65歳になっていたから、再婚を考える年齢は過ぎていた。かつての私の同僚で3人再婚したのがいたが、皆50代の働き盛りで、それなりの立場もあったから、やはり再婚することは必要だったのだろう。
独りの生活は不便も多いが、何よりも妻がいてくれないことの寂しさは深いものがあり、何年たっても慣れることはなく、妻が懐かしい。この思いが再婚する気がまったく起こらなかった理由かと思うことがある。
私が担任したある女子の卒業生の父親は、連れ合いを亡くした後、八十歳くらいになっても付き合う女性がいたようで、「ババフレンドよ」とその卒業生は笑っていたが、安心している様子でもあった。一緒に旅行などしたようで、どのような相手かは知らないが、ちょっと羨ましく思い、それも悪くないななどと思いもしながら、我が身には何か無縁なことに思われた。第一、余計なことに気を遣うのが面倒くさいことでもあった。
私のような年寄りにとっては、結婚は出生、死と共に自分の人生の大きな節目に思われた一大イベントだ。生まれることも死ぬことも自分の意志ではどうにもならないものだが、結婚はそうではない。中国貴州省に住む苗(ミャオ)族のある支族は水が乏しく貴重なこともあって年中入浴することがなく、一生に3回、生まれた時と結婚する時と死んだ時にだけ沐浴するのだそうだ。やはり結婚は重要なものと考えられているのだろう。
しかし結婚の重みはだんだん軽くなっているようにも思う。できちゃった婚とか何とかで、タレントなどが恥ずかしげもなく堂々と記者会見して発表するかと思うと、離婚報告会見したりするなど、いくら職業柄と言ってもいかにも軽々しい。有名人だから私的なことでも公的なこと錯覚しているのではないか。
離婚は増える傾向にあるようだ。親戚の娘にもいるが、驚くほどあっさりと離婚した。結婚観が変わったのか、辛抱がないのか、とにかく結婚というものはそれほど軽いものなのかと思う。離婚は中国でも北京や上海などでは多く、離婚率はかなり高いようだ。一人っ子でわがままに育っているのが多くて辛抱することができないことや、女性の高学歴などが理由と言われもしている。
こんなことで、大げさに言えば結婚を人生の大事業と思っている私にとっては、妻が死んだからと言って、それをもう一度やろうということは考えられなかった。幸いと言うか、妻を喪った時には私は既に65歳になっていたから、再婚を考える年齢は過ぎていた。かつての私の同僚で3人再婚したのがいたが、皆50代の働き盛りで、それなりの立場もあったから、やはり再婚することは必要だったのだろう。
独りの生活は不便も多いが、何よりも妻がいてくれないことの寂しさは深いものがあり、何年たっても慣れることはなく、妻が懐かしい。この思いが再婚する気がまったく起こらなかった理由かと思うことがある。