中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

京都御所

2009-11-10 10:34:35 | 身辺雑記
 以前よく講座に参加し、その後もパソコンのことでいろいろとアドバイスをもらったりしているパソコン教室主催の「デジタルカメラピクニック」で京都御所の特別公開(11月1日~10日に行った。

 平安京は平城京から遷都して以来、その中心の紫宸殿を正殿とする大内裏はたびたび焼失しては再建することを繰返し、そのたびに一時的な皇居としての里内裏が造られた。京都御所はその里内裏の一つだったが、平安京の歴史の後半の五百数十年は、1869年の東京奠都までここが皇居だった。官邸や公家の屋敷があった周辺は現在は広大な京都御苑となり、京都御所はその中にある。

 右手が京都御所。石の基壇の上に造られた築地(ついじ)で囲まれている。


 宜秋門。摂家親王、門跡、公家などが利用し。公家門、唐門(からもん)とも言う。


 御車寄(おくるまよせ)。宜秋門から入った公家達は、ここから参殿した。


 諸大夫(しょだいぷ)の間。正式参殿の時、先ずここに控えた。桜の間、鶴の間、虎の間の3室が連なっている。






 新御車寄(みくるまよせ)。天皇のための玄関。大正4年の即位礼の折に、自動車が利用できるように新築された。


 建礼門。御所の南側にある正門。


 紫宸殿の南庭を取り巻く回廊と承明門。


 紫宸殿。京都御所の正殿。即位礼や節会などの儀式の場。右手が左近の橘。


 右近の桜。


 紫宸殿の木組み。


 紫宸殿南庭と回廊。南庭も重要な儀式の場。


 清涼殿。天皇の日常生活の場。


 小御所。皇子の元服や立太子礼、幕府の使者や大名の拝謁などに使われた。




 御学問所。学問、月々の和歌の会などに使われた。


 御池庭。御学問所に面する回遊式庭園。


(続)

雑記・雑感

2009-11-09 11:23:48 | 身辺雑記
稠酒
 先日西安を訪れた時李真の親からもらった稠酒(チョウチョウ)は、アルコールに弱い私でも飲めるおいしい酒だ。私がこの酒を初めて口にしたのは1906年のことで、西安の李真の家で食事をした時に出された。香りの好い、薄く白濁した甘い酒で、アルコール度は2~3度で弱いから、左党は敬遠するかも知れない。李真は甘酒と言う。西安特産のこの酒の起源は古いらしく、趙珩(Zhao Heng)という随筆家は「殷周代に神を祭り、祖先を祭った醴(れい)は稠酒にほかならない。『詩経』「周頌」の「豊年」で詠じられている醴は稠酒である。これで甘酒を作り、祖先にすすめ献じる」と書いている。唐代の有名な詩人の李白は酒豪としても知られていたが、彼が飲んだのはこの稠酒なのだそうだ。この酒ならやはり唐代の詩人杜甫が「李白斗酒詩百篇」と詠じたのも誇張ではあるまい。寝る前にガラスのコップに入れ、小鍋で沸騰させた湯で温めて飲むととても美味い。この酒のことは前(06・9・21)にもブログに書いた。(11/4)



 今年は柿の生り年なのか、あちこちでたわわに稔った柿の木を見かける。近所の農家の畑地の一隅にも色づいた柿がたくさんあり、いかにも秋の風情という感じである。










 こんなにたくさんの柿をどうするのかと思うが、おそらく渋柿なのだろう、放置しておくようだ。干し柿にするにも手が足りないのではないか。(11/5)


食事をしない
 少し前に、NHKが夜の7時半からの「クローズアップ現代」で、「“食”がいのちを救う」というタイトルの番組を放映していた。近頃の若い人たちの中にはまともに食事をせず、アイスクリームやスナック菓子で済ませるのが増えているらしい。要するに一時的に腹が膨れればいいのだ。そのため栄養不足となり、血液が薄くなって、献血しても受け付けられないこともあるようだ。番組に出ていたある大学教員は、主食はカップ麺や菓子だけで、食後にサプリメントだけを飲んで済ませている。彼は食事することには無関心で、食事が生きていくための最低限という時代ではなくなったというようなことを言い、机の引き出しの中の山のようなサプリメントを見せた。このサプリメントを60種類、300錠飲むのだと言う。掌に山のようにサプリメントを盛り上げて口に入れる様子は寒気がするような光景で、これでは絶対にいつか障害が起こるだろうと思った。このようにまともに食事をしない者の多くは、幼時から食事の楽しみを知らないままに育ってきたことがあるらしい。「飽食の時代」と言われる裏にはこのような精神的に貧しい現実があるのかと考えさせられた。(11/7)



お客様は神様か。

2009-11-08 09:38:36 | 身辺雑記
 ある新聞の投書欄に、20歳の大学生が投書していた。全文をあげる。


 「お客様は神様」という言葉は、接客指導で「お客様を大切に扱いなさい」という意味でよく使われる。私もコンビニエンスストアでアルバイトをしているので、お客さんに気持ちよく買い物をしてもらえるように、この言葉を胸に仕事をしてる。
 しかしこの言葉を勘違いして、自分が「神様」のように扱われて当然と思うお客さんが増えているような気がする。わざわざ買いにきてやっているんだからと言わんばかりの態度で、店員に無理難題を突きつけたり、不要なレシートを投げつけたり、やりたい放題だ。
 だから、私が買い手の時は、「お願いします」「ありがとうございました」を言うのを忘れないようにしている。それだけでお互い気持ちのよい買い物ができるはずだ。「神様」と勘違いしているお客さんも早く気づいてもらいたい。


 私は「お客様は神様」という表現には違和感を覚えるほうだが、それはさて置いて、買い物をした時には支払いをすると必ず「ありがとう」は言う。これはだいぶ前に、米国ではスーパーで買い物をした客がレジ係に「サンキュー」と言うということを読んで、これは良いことだと思って実行している。喫茶店やレストランで、ウエイトレスが注文の品を持ってきた時にも言う。中国では食卓に出された茶を飲むと絶えずお代わりを注いでくれるが、その時にも「謝謝」と言うが、ほとんどの場合ウエイトレスは小声で「不客気 ブカチ」(どういたしまして)と応じる。何でもないことだが心が和らぐものだ。

 日本では、サービス業従事者、例えば店員やウエイトレスに対して一段と見下したような態度や物言いをする者が少なくないという。まして店側に何か落ち度があると居丈高に怒鳴りつける者もいるようだ。これは自分が「神様」と思っているわけではなく、個人の資質なのだろうが醜いことだ。

 日本のサービス業の接客態度は世界でも有数のものだと言われる。かつての中国やソ連などの社会主義国家の国営企業の従業員の接客態度は最悪と言われていた。およそ客を客とも思わない「売ってやる」と言わんばかりの態度で、言葉遣いも乱暴だったそうで、西安の李真などは店員に怒鳴られたこともあったと言っていた。最近の中国ではかなり接客態度は良くなって、とくに北京オリンピックがあったり、上海万博が開かれることもあって、空港での服務員の態度はここ数年でも格段に良くなっている。それでも一部にはまだ無愛想な店員もいるらしい。

 ことさらに客を「神様」扱いにする必要はない。慇懃無礼でない限り、物柔らかい接客態度でいいし、客のほうも相手をねぎらうような気持ちと態度で接すれば、お互いに気持ちが良いというものだ。

ハナミズキ

雑記・雑感

2009-11-07 10:04:35 | 身辺雑記
老人力
 最近はどうも指先の力が弱くなったようだ。飴などが密封されている包装袋のギザギザの部分を切ろうとしても、ちょっと頑丈だとなかなかうまくいかない。缶を開けようとして蓋についているタブを引っ張ろうとする時も少し手間取ることがある。Hr君やHg君もそうだと言う。力が入らないだけでなく、指先が鈍くなったようなったようで、シャツの小さなボタンを留めたり、新聞や本のページをめくる時にももたつくことがある。これも年のせいで、年をとるとこういうものなのだろう。いや、何かにつけ「年をとると」とか、「年をとった」と思うのは消極的でよくないのだそうだ。ある人の書いたものを読むと、そういう時は「老人力がついてきた」と積極的に考えるべきだと言っていた。物は考えようということなのだろうが、生活の知恵などのようなことならいざ知らず、足腰が弱ったり、指先の力が弱ったりしても「老人力がついてきた」と言うのは、なんだか負け惜しみのような気がしないでもない。(11/2)


木枯らし
 2日前には25度くらいもあって日中は汗ばむほどで、外では雌雄2匹の蝶が暖かい日差しの中をくるくる回りながら追いつ追われつして、春先のような光景だった。それが一転して今日は寒く強い風が吹き、地面には落ち葉が舞っていた。近畿では木枯らし1号が吹いたという。インタネットの気象情報で天気図を見ると、冬型の気圧配置になっている。本格的な冬の到来か。北の方ではもう雪になっているようだ。まだ暖房は入れていないが、そろそろ石油購入の手配もしなければならないだろう。男物の衣服を扱っている卒業生のI君の店では先月には冬物に入れ替えていたが、こんなに暖かいととぼやいていたから、これで少しは希望が持てるか。今年も後2ヶ月足らずとなった。慌しいことだ。(11/2)
 

中央新幹線
 超電導磁気浮上式リニアモーターカーを使って、東京―大阪間を時速500キロで67分で結ぶという構想で、JR東海では2年前に東京-名古屋間で2025年をめどに先行開業させると発表していた。最速で40分で結ぶそうだ。このほど大阪までの延伸が発表されたようだが、それによると予定は2045年、今から36年後になると言う。夢の新幹線と言うことだが、36年後に開業とは、私にとってはまさに夢物語だ。どんなに頑張ってもその時には112歳だから乗れるはずがない。もし乗れたら大きなニュースになるだろう。私どころか、今48歳と45歳になる息子達でも覚束ない。息子達は東京ー名古屋では乗れるかも知れない。中央新幹線を計画している技術者達も、テスト路線は別にして誰も自分が乗れるとは考えていないだろう。未来への計画と言うものは、自分が生きている間になどという視野では到底実現するものではない。中央新幹線は、おそらくよほどのことが起こらない限り実現するだろう。その頃の日本や世界はどのようになっているのだろう。孫たちや、西安の撓撓や宸宸たちのためにも平和な世界であってほしい。リニアモーターカーそのものには、僅か15分の路線だったし、取り分け感動的、驚異的なものでもなかったが、上海で乗ったことがあるから、それで良しとしておこう。(11/3)

 
大丈夫です
 あるフアーストフード店に入っていた時、30歳前らしい会社員風の男性が入ってきて注文した。いくつかの品名を言い、一区切りついたところで注文を聞いていた女性店員が「おあと、○○などはいかがですか」と尋ねた。するとその男性は「大丈夫です」と答え、店員は頷いて金額を言い、男性は支払いを済ませた。このような場合は「結構です」とか「要りません」というところなのに「大丈夫です」はどういう意味なのだろうと奇妙に感じた。しかし女性店員には意味が通じたようだから、近頃の若者言葉なのかも知れない。言葉は意味や使い方が変化するものにしても、この「大丈夫です」にはちょっと驚いた。(11/4)









痴的学生

2009-11-06 07:03:23 | 身辺雑記
 先月のことだが、呆れるような記事を見た。慶応大学の1年生の男子学生9人と女子学生1名が公然わいせつ容疑で書類送検されたという記事だった。

 彼らは広告学研究会のサークル仲間で、「夏の思い出になる映像を残そう」と、9月20日の午前4時ごろ、紙パンツだけをはき、穴を開けて陰部を露出させた状態で、大学近くの商店街から東急東横線日吉駅に向かって疾走した。しかし、「それでは面白くない」と、無人の日吉駅ホームに侵入し、全裸になって駅構内やホームを走り回り、改札前に並んで記念撮影した。撮影したのは女子学生で、サークルの打ち上げ会で上映することにしていたという。男子学生うち5人が酒を飲んでいたようだ。この行為を通行人が目撃して110番したので捕まった。

 まったく何をか言わんやという話で、慶応大学と言えば私学の名門中の名門で、それなりの内容を持った学生がいるものと思っていたが、知的さの片鱗もなく「痴」的と言うほかはない。学生達は「ばかなことをしてしまった」と言っていたそうだが、バカもバカ、度し難いバカ者達だ。「夏の思い出になる映像を残す」ということがこのように自分達の恥をさらけ出すような行為とは、かつて西安の西北大学の文化祭で下品な演技をして中国人学生の怒りを招き、街頭デモにまで発展した日本人留学生の行為を思い出す。こういうのを「豆腐脳」と言うのだろう。

 もちろん男子学生達の露出行為も論外だが、それを撮影したという女子学生の神経にも呆れる。男達の卑猥な姿を撮影することに抵抗を感じなかったのか。恥ずかしいとは思わなかったのか。そのような話が出た時に、止めるようにと言ったり、撮影係になることを断らなかったのか。最近の若い女性の性についての感覚はこんなものなのか。つくづく考えさせられてしまった。

 彼らは未成年で、少年法の保護を受けているから、氏名が公表されることはない。学内ではサークル名から分かるだろうが、大学の各学部はどのような処置をしたのか。おそらくは厳しく叱るということくらいで済ませたのだろう。大学は「各方面にご迷惑をお掛けして申し訳ない」と言っているようだが、別に各方面に特にご迷惑をおかけしたわけでない。多くは呆れたり、不愉快になったくらいだろう。大学は言ったのかどうかは分からないが、「言語道断な行為で、まことにお恥ずかしい」と言うべきではなかったか。


 



雑記・雑感

2009-11-05 09:08:16 | 身辺雑記
ニュース
 八丈島近海で転覆した8人乗り組みの漁船から、3人が救出された。90時間も船内の1室に閉じ込められていた奇跡的な生還だ。NHKのニュースでも連日報じていたし、救出された後は、どうして生存することができたのかを分析していた。今夜の7時のニュースではわざわざ実物大の船室(居住区)の模型をスタジオ内に作って、ニュースキャスターがその中に入って解説していた。大きな出来事があるたびにNHKのニュースでは模型や模式図を作って解説するが、短時間によく作るものだと感心することがある。しかし、今回の船室の実物大模型などはわざわざ作るほどのことはあったのか。図で示すだけで十分だと思う。僅か1、2分の放映のためにつまらぬ労力を使うものだ、これはお遊びのようなものではないか。資金の潤沢なNHKならではのことだろう。(10/30)


76歳
 落語の三遊亭円楽師が肺癌のため亡くなった。享年76歳。正統的古典落語の第一人者だった。先日は、女優の南田洋子さんがくも膜下出血で死去。76歳。偶然だが76歳の人の訃報が続いた。76歳は今の私の年齢だから、他人事では思えないような気持ちになってしまう。先日電話してきた妹は「76歳はまだ若いよ」と言ってくれたが、人からは声が若いとか顔のつやがよくて張りがあると言われても、やはり76歳はそれなりの年齢だ。それでも厚生労働省の統計によると2008年度の日本人男性の平均寿命は79.29歳、75歳まで生存する割合は男性が71.2%だそうだから、血圧も血糖値、コレステロール値などの諸数値は正常だし、持病も無いので、まだ頑張れるか。(10/31)


非道
 東京の49歳の会社員が、朝の通勤電車内で高校1年生の15歳の少女に痴漢行為をしたうえ、新宿駅に降りた少女の腹部を殴って「ちょっと来い」と脅し、腕をつかんで改札を出て約200メートル離れた公衆トイレに連れ込んで性的暴行をしたとして逮捕された。容疑者は「欲望が抑えられなかった」と供述しているという。新宿駅には多くの乗降客がいたが少女は怯えて助けを求めることができなかったようだ。白昼堂々と何と言う悪辣な奴だろう。けだものにも劣ると言うと獣には悪いくらいの極悪非道な行為だ。少女が受けた身体的、精神的な傷の大きさは計り知れない。このような犯罪者には可能な限りの厳罰を与えるべきだ。日本の刑法では女性への性的犯罪に対する罰は軽いと批判されることがあるようだ。私はこのような病的な輩には、欧米の一部で検討されたり提案されているという、去勢という付加刑があってもよいと思っている。(10/31)


生き目次
 数日前からあることを調べたいのだが、それがどの本に載っていたかが思い出せない。あれこれ当たってみたが結局見つからなかった。私は記憶力がそれほどよいほうではないから、いろいろなことを記憶しているわけではないが、若い頃から、調べたい事がどこに載っているかはかなり覚えていた。それで息子達に質問されると「○○を見ればいいだろう」と答えることがよくあった。あるとき学生だった次男が「お父さんは生き字引ではなくて生き目次だね」と笑った。褒められているのか、冷やかされているのかよく分からなかったが、おもしろい表現だと思った。その生き目次も最近は古くなってほころびが出てきているようだ。(11/1)




女士

2009-11-04 08:35:46 | 中国のこと
 中国民間航空に乗って日本から中国に行くと、中国語、英語、日本語のアナウンスがある。その中国語の最初に何か言うのだが、その最初にいう言葉が初めのうちは判らなかった。

 知人に何を言っているのか尋ねたら、「女士們(ニュイシメン)、先生們(シェンションメン)」と言っているのだと教えられた。なるほどと思って、それ以後は聞いても確かにそのように聞こえている。「女士」は女性への敬称、先生は男性への敬称(教師の意味ではない)、「們」は複数を示すから、要するに、英語の「レディース アンド ジェントルメン」の直訳だ。機内の中国語に続く英語のアナウンスの最初は「レディース アンド ジェントルメン」だから対応している。

 前に紹介した『漢語いろいろ』(岩波書店)によると「女士」の来歴は非常に古いそうで、孔子の「詩経」に見えていて「女でありながら、学徳すぐれた男性ごときふるまいあるもの」とされているそうだ。「女でありながら・・・男性ごときふるまい」と言うのがいかにも差別的だが、儒教の大御所のことだから仕方がないのか。今では教養ある女性に対する敬称として広く使われているようで「女史」と同義だろう。実際にはもっと広く「ミセス」程度の意味でも使われていて、手紙の宛名には既婚婦人に対しては例えば「李真女士」などと書く。「様」くらいのことだ。中国の女性は結婚しても普通は姓を変えないから、結婚前は「李真小姐(シャオチェ)」で結婚したら「女士」に変えればよいから簡単だ。

 女性の社会的地位が低かった中国では、もともと「女士們」というような、まして「先生們」より前に置くような呼びかけはあったのかどうか。おそらく比較的新しい用法ではないだろうか。日本語の直訳は「紳士淑女諸君」か「紳士淑女の皆様」というところだろうが、明治の雰囲気が漂う、いかにも古めかしく肩肘張った表現だし、男性の方を先に置いている。今時このような言い方をすることはないだろう。機内で中国語と英語に整合させようとして「紳士淑女の皆様」などと呼びかけられてはのけ反ってしまう。さすがに「皆様。当機はただいま・・・」のように「皆様」で済ませている。

 英語ではもう定型になっているからともかくとして、中国語でももっと簡単に、「皆さん」に相当する「大家(ダアジャ)」でも使えばいいのにとは思うが、それが適当なのかどうかは中国語の知識が貧弱だし、中国の風習にも疎いから何とも言えない。



西安で(11)雑記④

2009-11-03 10:53:55 | 中国のこと
遅延
 これまでに中国の国内線の遅延には何回も出くわしたから、遅れるのがあたりまえだと思ってしまうほどになっていた。もちろん。出発が遅れるということだ。1時間くらいの遅れはあたりまえで、時には2、3時間も待たされるから、定刻に飛び立つと儲けたような気さえした。もっとも中国国内での1日の便数は非常に多いから、定刻どおりのほうが多いのかも知れない。

 今回も往路の上海浦東発西安行きの便は1時間ほど遅れた。搭乗してもいっこうにエンジンがかからない。機内アナウンスはあるが国内線では日本語はないから何が原因なのかまったく分からない。乗客は皆おとなしくしていたのは、理由が分かったからか、それともこんなものだと思ったのかは分からない。そのうちに客室乗務員が飲み水のサービスを始めたのでおやおや、これはまずいと思った。実は以前北京から関空に向かう便に搭乗した時もまったく動こうとせず、この時はまだ空港に止まっているのに機内食が出された。動かない機内で機内食を食べるのは妙な体験だった。この時には日本語放送があったから止むを得ない理由があることは分かったが、関空に着いたのは深夜だった。こんなことになってはかなわないなと思っていると幸い動き出したが、滑走路に差し掛かると飛び立つ飛行機が次々に連なってくるのが見えたので、何か全体的なトラブルがあったのだろうと想像した。

 帰途の西安発上海浦東行きの便も遅れた。最初は、よくあることだが搭乗口が変更され、そこに行くとだいぶ待たされたし、搭乗してもしばらく動かなかった。幸い上海での関空行きの便への乗り継ぎは十分に時間があったから焦ることはなかった。

 それにしてもよく遅れるものだと思う。これからも国内線を利用する時には遅れるのを承知しておいたほうがいいかも知れないし、帰国する時には国際線の待ち時間が十分にある便をとったほうがいいようだ。


大声
 「中国語ヒソヒソ話ってあるのかな」という川柳があった。中国の街中ではまるで怒鳴るように大声を上げている男女をよく見かける。大きいだけでなくよく通る声だ。こういう場面にたびたび出くわすと、確かに中国人はヒソヒソ話などはしないのではないかと思うこともある。しかし謝俊麗や李真、袁毅などの友人は、彼女達の家族も含めて皆大声で話すことはない。階層的なものがあるのだろうか。

 帰途、西安から上海に向かう国内線で、呆れるような例に出会った。前の座席に3人の男達が座っていたが、その真ん中の男が大きな声で話す。それだけではなく長時間まったく切れ目なしに話し続けるので、うるさいことこの上ない。時折前の客が迷惑そうに振り返るのだが、まったく無頓着。静かな機内でこの男の声だけが響いていた。普通の会話でこれほど長く喋り続けるのには初めて出会った。まるで演説して自己陶酔しているようで、いらいらしてしまった。こういうのは中国人にも珍しいのではないだろうか、程度が低いなあ、中国人の恥みたいな男だと思った。





西安で(10)雑記③

2009-11-02 08:47:31 | 中国のこと
子守唄
 謝俊麗の家族と昼食をして家に帰った時、撓撓(ナオナオ)が眠そうになった。すると祖父が抱き上げて、優しい声で何か口ずさみながら、家の中を歩いた。すぐに撓撓は寝入ってしまい、祖父は自分の部屋に連れて行ってベッドに寝かした。

  日本の子守唄のようにゆったりしたメロディーではなく、何かささやきかけるようなリズミカルなものだった。チャットで俊麗に聞くと「大老猫,你別来,我家的撓撓要睡覚(ダアラオマオ、ニイビエライ、ウォチャアタナオナオ・ヤオシュイチャオ)」と書き送ってきた。口ずさんでみると確かにリズミカルだ。訳してみると「大きな年寄り猫。来ないでおくれ。うちの撓撓は寝るんだよ」となる。なぜ「大老猫」なのか由来は分からないが、昔から言い伝えられているものだろう。もう1つあったようだが方言で訳しにくいと俊麗は言った。

  撓撓は祖父でないと寝付かないという。祖父に抱かれて優しい声を聞いていると安心するのだろう。良いおじいちゃんだ。

料理店で


秦腔
 果果や小雨の家族と食事をした後、近くの豊慶公園という所を散策した。しばらくして彼らと別れて謝俊麗夫婦と家に帰ることにし、公園を出ようとすると、楽器を奏でる音や歌声が聞こえてきたので俊麗に尋ねると、陝西省の音楽で秦腔だと言ったので見に行くことにした。公園内の周辺には回廊があって、その一角で秦腔が行われていた。

 秦腔(チンリアン)は西安がある陝西省で行われている地方劇の一種と言う。ここで演じていたのは曲と歌だけで劇はなかったが、掲げてある紅い幕を見ると「西安市豊慶公園民衆秦腔自楽班」とあったから、この公園を常舞台にしている同好会のようなものなのだろう。さまざまな中国楽器で合奏し(チェロもあった)、その前には女性が立って歌っていた。しばらくすると男性に代わったが、どうやら喉自慢のようなものらしかった。周囲にはやや年齢の高い聴衆が熱心に聴いていた。私にはもちろん歌詞の意味は分からないし、俊麗にも分かりにくいものらしい。しばらく聴いてからそこを後にしたが、曲全体としてはなかなか魅力的なものだったし、雰囲気がよかった。






西安で(9) 雑記②

2009-11-01 09:11:30 | 中国のこと

 西安の車は10年前に比べると格段に増えた。ラッシュアワーの時には大変な混雑だ。運転はかなり荒っぽく、ちょっと隙間があればどんどん割り込むし、クラクションの音がけたたましい。よく事故を起こさないものだと思うが、Hg君達は滞在中の5日間で5回ほど接触事故を見たと言った。この程度の事故の場合は警察を呼ぶことはなく、当事者同士で話し合い、埒が明かない場合は呼ぶと言うことだ。
 
 車以上にすごいのは通行人の道路の横断だ。西安の車道は広い。その車道を車の流れを見計らいながらどんどん横断していくので見ていてもひやひやする。車はスピードを落とすことはない。これは10年前とは変わっていない。いつか李真に、事故が起こったらどちらが悪いのかと尋ねたら「さあ、人間のほうでしょう」と言ったが本当なのかどうか。横断歩道ではない所を渡るのだから人間が悪いと言えばそれまでだが、横断歩道のある所は間隔が長い。つい渡ってみたくなるのは人情かもしれない。

  西安のタクシーは以前は小型で、それもくたびれた感じのものだったが、今では国産の中型車となり色も鮮やかだ。初乗り6元(約70円)でかなり安い。タクシーの数は多く、市民はよく利用するようだ。私も滞在中は何度も利用した。運転席と客席の間には頑丈な鉄柵が取り付けてある。強盗防止なのだろうが、こういうことをするのは、以前は強盗が多かったのかも知れない。


唐人形
 西安に着いた最初の夜に、通訳の張さんに案内されて粥料理がおいしいというレストランに入った。ここは普通の団体客は案内しませんと言ったが、天井の高い落ち着いた雰囲気の店だった。

 私たちのテーブルにはまだ10代に見えるような女の子がついて、茶を注いだりしてくれた。目の細い下膨れの頬が紅い、純朴そうな娘だった。その顔を見ていると、博物館などで見た唐代の女性の土俑の顔に似ているのに気がついた。

 食事が一通り終わってから手招きしてその娘を呼んだ。怪訝そうな表情でそばに来た娘に「あなたは唐代の人形だね。とても可愛い」と言うと首まで紅くなって小走りに柱の陰に隠れた。その様子がまた初々しかった。帰り際に見送ってくれたので「再見」と言って手を振ると笑顔で応えてくれた。

    Hg君撮影