中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

菅改造内閣発足

2010-09-19 11:51:43 | 身辺雑記
 月初めから2週間にわたる民主党の代表選、コップの中の嵐と一部で揶揄されながら、連日のマスコミの報道にいささか辟易しながらも、菅首相が再任されて決着がついた。僅か3ヶ月前に退いた小沢氏が代表選に打って出たり、首相を退任したら次の選挙には出ない、政界から引退するとも言っていた鳩山前首相がトロイカ方式を言い出して菅・小沢の間を取り持とうとしたり騒がしいことだった。

 代表選の前や最中に、どちらが勝っても「挙党一致」で行くと言われたりしたが、改造内閣の顔ぶれは、やはり小沢支持グループを遠ざけたものになったようだ。おそらく小沢支持グループではこれから何かにつけて反発の動きがあるだろうから、内閣や党の運営は難しいものがあるだろう。

 政権党はもちろんのこと、政党として党是に沿って何かを遂行していこうとするなら、「挙党一致」は当然のことだろう。それを殊更に言おうとするところに今の民主党の問題があるのではないか。現に代表選が終わった後で、東京・赤坂の路上で小沢氏を支持するある衆議院議員はたまたま通りかかった菅首相支持の同期の1回生議員らに、「勝ち組が来た。おれらを下に見て…。覚えておけよ。おまえらとは一生口をきかんわ!」といきなり罵声を浴びせたという記事をインタネットで見た。アルコールでも入っていたのか、何とも幼稚で粗野、下品なことだ。1回生議員でこれだから、いくら上層部が「挙党一致」と言っても所詮はきれいごとに過ぎないだろう。このような品性の低い議員に国政を任すのかと思うと暗い気持ちになる。こんな輩は、国会の場でもやかましくヤジを飛ばすしか能がないのではないか。

 敗れた直後は殊勝に「一兵卒として協力する」と言っていた小沢氏は、改造内閣を信任する両院議員総会には出席しなかった。「一兵卒」なら出席すべきだと思うが、やはり「将」の気分なのだろう。とかく言の軽い政治家は少なくない。

 改造内閣の顔ぶれが発表された夜、駅の売店の前を通りかかると、ある夕刊紙Gの大きな見出しが目に入った。「菅内閣短命」というようなものだった。この新聞は代表選の間、小沢氏支持のようで、菅氏をあげつらう見出しを見ていたから、こういう見出しになるのだろう。わざわざ買ってみるほどもないから、何を根拠に発足したばかりの内閣を「短命」と決め付けているのかは分からない。この夕刊紙はイェロウ・ペーパーのようなもので、とかく読者を煽るような記事を書くことは知っていたが、一定の人気はあるようだ。男性衣料の店をやっている卒業生のI君も電車で自宅に帰るときによく買っているらしい。

 このような自身の言論にあまり責任を持たないような新聞でもジャーナリズムの端くれだろうが、そうでなくても最近のマスメディアから冷静な判断の材料になるような報道が得られにくいのは、私自身の姿勢にも問題があるのだろうが、残念に思っている。


奇抜な自然の造形

2010-09-18 11:15:04 | 身辺雑記
 前にも紹介した、大阪府池田市の自宅の近くの里山風のちで自然観察をしている弟の「生き物観察記」に、奇抜な蛾の写真があったので紹介する。

     

 大きさは25ミリくらいだそうで、このように形といい色と言い、不思議とも思えるような蛾だ。昆虫の名はよく知っている弟も、さすがにこれは分からないので博物館に問い合わせたら、ナカグロクチバとことが判ったらしい。弟は「金糸で刺繍したワッペンのようで」と表現しているが、見事な金色だ。それにしても、このような形や色は自然界ではどういう意味があるのだろうか。不思議に思う。

 ついでに同じ日に載っていた蛾の写真。ホバリング飛行しながらアベリアの花に口吻を伸ばして吸蜜している。ホシホウジャクと言うそうだ。

     

 「生き物観察記」は、下記URLで。

  http://www.wombat.zaq.ne.jp/aubbb009/

秋の虫の話題

2010-09-17 08:51:38 | 身辺雑記
 日中はまだ汗ばむが、朝夕は少し涼しくなってきた。夕方日が落ちて暗くなるとあちこちで虫の声が聞こえてくる。虫は季節を心得、正直だ。鳴いているのはほとんどコウロギらしい。これでスズムシの声が聞えたらもっと秋らしいだろうと思うが、残念ながらこの辺りには野生のスズムシはいない。

 秋の虫についての話題を2つ見た。

 長野県の松川村では昭和60年頃からスズムシによる町おこしをしようと有志のグループが人工飼育を始め、今では小包便で全国に発送する取り組みが定着しているそうだ。村では、さらにスズムシをPRして活性化につなげようと、自然に生息するスズムシの捕獲を禁ずる条例案を村議会で可決した。これによると村の全域をスズムシの保護区域とし、保護の目的で村長が認める場合以外は捕獲を禁じること、土地の開発をする場合、スズムシの生息地に配慮することなどが定められているという。罰則規定はないようだ。村長は「村のシンボルであるスズムシを保護することで、自然を守ることや村のPRにつながり、多くの人が村に訪れるようになればうれしい」と話している。

 なかなかユニークでよい試みだと思う。秋の虫の音は童謡にも歌われるほどに我々日本人には秋の風物詩としてなくてはならないもので、これが雑音としか聞き取れないという欧米人には理解できないものだろう。長野県はちょっと遠いが村を訪れて、スズムシのすだく声を聴きながら涼風に吹かれて夜道を散歩できれば、この上ない贅沢だと思う。

           インタネットより。

 昼間に鳴く虫と言えばキリギリスだが、青森県八戸市で、キリギリスの虫かごを積んだ路線バスが運行され人気を集めているそうだ。バス会社が地元の昆虫愛好家のグループと協力して今月から運行しているという。キリギリスは、バスの前と中央の入り口付近に置かれた虫かごにそれぞれ1匹ずつ入れられている。2匹のキリギリスが競い合うように羽をふるわせると、車内には独特の鳴き声が響き、利用者が秋の涼しげな雰囲気を味わっていたと記事は伝えている。乗客の反応もいいようだ。
 
 これはほほえましい試みだと思う。スズムシのような優雅さはないが、「チョン・ギース」と鳴く声を聞くと、草むらでキリギリスを捕まえようとした幼年時代を思い出したり、夜店の屋台の虫籠に入れられたキリギリスを思い出したりする人はあるだろう。

           インタネットより。





三字経と唐詩

2010-09-16 08:38:05 | 中国のこと
 西安の謝俊麗の息子の撓撓(ナオナオ)は今日(9月16日)で2歳になった。最近はどんどん成長し、言葉もずいぶん増えてかなりのことも言えるようになっているようだ。夜寝る前になると「パパは要らないからゴミ箱に捨てる」などと言うのよと俊麗は笑っていた。ある童謡の歌詞でも「空の星」と言うのを「空のママ」と言い換えたりするというから可愛い。

           

 中国の家庭教育でよく使われるものに「三字経」というのがある。宋代の王応麟という儒者が作ったもので、儒学を基本にして、諸子百家の伝承や中国の歴史、当時の常識的知識を分かりやすく三文字一組の漢文に表わしたもので、次のように始まる。

1.人之初,性本善,性相近,習相遠。

 人は生まれたばかりの時,その本性と性情は誰でもがみな純粋で善良であった。そして小さい時には誰もが皆その本性,性情,賢愚などの資質に大きな差異はない。しかしながら成長する過程において各人が皆異なった環境や習慣に影響されて、大人になったときには各人の本性、性情、賢愚には極めて大きな差異が生じてしまった。

2.苟不教,性乃遷,教之道,貴以專。

 もしも子供に対する教育を重視せずに教育を施さないならば,子供たちがもともと持っていた純粋な本性や素晴らしい資質,善良な性情が歪曲し変化してしまう。子供を正しく教育する道(方法)は真摯な態度でその真意を常に子供の心の上に注ぐことこそが最も重要なことである。

 以下、第87まであり、全部で1044文字ある。この三字経を撓撓は暗誦し始めたらしい。まだ字は読めないから、俊麗が読むのを聴いて覚えたようだ。今は第13まで言えるらしい。もちろん意味はまったく分からないだろうが、リズムがあって気に入っているのだろう。俊麗の家にはこの三字経の一覧を印刷したものがあって、撓撓がもっと幼い頃から窓際に掛けてあったのを、送ってきた写真で見たことがある。それで教えているのかも知れない。



 撓撓は三字経以外に唐詩も暗誦できるようだ。唐詩も中国では幼いときから暗誦させる家庭はあるようで、上海にいる孫璇 の息子も暗誦するそうだ。北京在住のある女性のブログに「中国人はこうやって機会あるごとに徹底的に暗誦をせる。小学校に上がるころにはかなりの詩を暗誦できるようになっている」とあった。撓撓が暗誦できるのは、《咏鹅》、《憫農》、《相思》、《静夜思》の4つらしい。このうちの《静夜思》は「牀前 月光を看る 疑うらくは 是れ地上の霜かと 頭(こうべ)を挙げて 山月を望み 頭をたれて 故郷を思う」という李白の有名な詩。《咏鹅》は、初唐の四傑と称された駱賓王の7歳の時の作と伝えられる、「ガチョウ、ガチョウ、ガチョウ 首を曲げ天に向って歌う 白い羽毛が水に浮き 赤い水掻きが漣波をおこす」という簡単な詩で、中国では小学校1年生の時に習うそうだ。詩は韻がありリズムがいいから子どもにも受け入れられるのだろうが、唐詩とはさすがに中国だと思う。

 電話口で俊麗に促されて、恥ずかしそうな、嬉しそうな小さな幼い声で撓撓が、三字経の一節と唐詩とを暗誦してくれた。私は中国語の知識が乏しいから、何を言っているのか理解できなかったが、とても可愛く思った。11月に西安に行く予定をしているので、撓撓や李真の息子の宸宸(チェンチェン)に会って、1年ぶりの成長の様子を見るのが楽しみだ。


   
                                                      

どうにもならない教師。

2010-09-15 22:19:53 | 身辺雑記
 昔は教師の仕事は聖職と言われていた。今ではそのように言う人もないだろうし、そのように自覚している教師もほとんどないだろう。それはそれでいいと思う。教師も喜怒哀楽のある普通の人間だから、ことさらに特別視することは要らない。しかし、あまりにも普通すぎるのも困る。少なくとも教育と言う大切な仕事に携わっているという自覚と、自分のあり方について自戒はなくてはならないだろう。ところが近頃は普通どころか、いったい何だと呆れ返るような行為をする教師のことを新聞などの記事で見かける。

 愛知県岡崎市の3年生の担任の45歳の男性教諭は、算数の割り算の授業で「18人の子どもを1日に3人ずつ殺すと、何日で全員を殺せるでしょう」と口頭で出題したという。市教委の聴き取りに対してこの教諭は「指導に自信がなく、子ども達の興味や関心をひこうとついやってしまった。二度としない」と言ったそうだが、何ともお粗末な教師だ。この程度のことで指導に自信がなく、子どもを殺すなどという例を持ち出すとは、よほど能力の乏しい教師なのだろう。9月15日に学級担任を外されている。45歳と言うと小学校の教師をしている私の次男より1歳年下だ。感想を聞いてみると、返ってきた返事は「アホやな」の一言だった。

 埼玉県所沢市立小学校の6年生担任の29歳の男性教諭は、女子児童5人を学級活動の際に図書準備室に別々に連れ込んでアイマスクをかけさせた上、手を頭の上に掲げるなどのポーズをとらせたという。前にも同様な行為があったそうだ。この教師は学校側に「家庭学習などをがんばっている子に1対1で親愛の情を示したかった」などと話したという。いったいどういう意図でこのようなことをしたのかまったく理解できないが、アイマスクをかけさせたり「1対1で親愛の情を示したかった」と言うのには何か異常性、変質性を感じさせる。事実関係を認めて現在は病気休暇中だそうだが、処分もあり得るようだ。

 少し前のことになるが、前学期末に青森県の県立高校の1年生担任の40代の男性教諭が、球技大会の成績を間違って伝えたとして、生徒会役員に対して土下座を強要したという記事を見た。校内球技大会の予選の際、生徒会役員が成績を集計し、この1年生のクラスが決勝に進めると発表したが、集計ミスで実際は決勝には進めないことがわかった。3名の生徒会役員がその日のうちにこのクラスの担任の男性教諭に謝罪したが、この教師は1時間以上にわたってこの役員達を罵倒し、翌日にはこの役員達を担任クラスの教室に呼び出し、クラスの生徒の前で謝罪を要求した。役員達が立ったまま謝罪すると「それが誠意か」と言って土下座させた。これは非常に卑劣で悪質な行為だ。私は土下座という行為が大嫌いで、それを強要する者に対してはたとえその者が正しくても憎悪に近い嫌悪を感じる。土下座した生徒の屈辱感はどれほど大きかったか、誰にでもありうる集計ミスに対してこれほどまでのことをするこの男は異常性格ではないか。教師失格で、退職するべきとさえ思う。

 最近はモンスターペアレントとやらが横行し、教師に対して理不尽な要求をする親が増えているようだが、数多くの教師の大部分は、たとえ聖職者意識はなくてもまじめでまともだ。私は教育員会の事務局にいた時に多くの教師に接する機会があったが、どうにも問題と思われる教師よりも、研究熱心で頑張っている教師がずっと多かった。しかし多くのまじめな教師がいても、問題のある教師がいると教師全体の評価を下げてしまい、あたかも教師全体の質に問題があるかのように言われてしまうのは残念なことだ。


                      

幼い弟の死

2010-09-15 08:37:28 | 身辺雑記
 私は6人きょうだいの長兄だ。私を筆頭に年子の妹以下、弟1人と妹が3人いる。一番下の妹が65歳だから、私達きょうだいも年をとったものだが、今のところ皆まずまず元気にしている。

 私にはもう1人弟がいたが、太平洋戦争が始まる少し前、昭和16年9月に死んだ。その頃は神戸の須磨に住んでいた。あの時代は数え年で数えたから2歳と言っていたが、1歳を少し過ぎたばかりの可愛い盛りだった。名前を淳(ジュン)と言った。元気な時はよく太っていて、私も可愛がっていた。まだあまり話すことができなかったので、どんなことを言っていたのか記憶にない。

 父が好きだったフォスターの愛唱歌集のレコードをかけると体をゆすって喜んだ。とりわけ「草競馬」がお気に入りで、「ドゥダードゥダー」という合いの手が好きだったようで、この曲をかけると「ワァオゥワ、ワァオゥワ」とあどけない声で叫んだ。きっと「ドゥダードゥダー」と言っているつもりだったのだろう。それが可愛いから私は何度も「草競馬」をかけてやった。あの「ワァオゥワ、ワァオゥワ」という幼児にしては低いジュンの声が不思議に今も耳の奥に残っていて、思い出すと少し涙ぐんでしまう。どうも西安の撓撓(ナオナオ)や宸宸(チェンチェン)と重なってしまうようだ。

 9月に入ってしばらくしてジュンは下痢をして入院した。暑いので母が氷を食べさせたのが原因らしく、大腸カタルという診断だったようだ。今だったら抗生物質を投与したらすぐ治っていただろう。あまり長く入院していなかったように思う。一度も見舞いに行かなかった。両親はずっと付き添っていて家に帰らなかった。

 ある朝、9月15日のことなのだが、妹と2人で寝ていた部屋の入り口に、お手伝いさんのとねさんが正座して私達に「ジュン坊ちゃまは亡くなられました」と告げ、泣きだした。私は何が何やらわけが分からず、ジュンが死んだなどということの実感が湧かなかったので泣くことはなかった。やがてしばらくして父がジュンを抱き、母が付き添って帰ってきた。その後のことはほとんど覚えていない。人形のように眠っている小さな白いジュンの顔をかすかに覚えている。親戚の人たちがやってきたが、それもほとんど記憶にない。ただ東京の父方の祖母がその夜駆けつけた時、玄関の間で電灯に照らされて母が祖母に取りすがって泣いていたのを古い写真を見るように思い出す。

 ジュンは明け方に死んだが、その時母はうとうとしていて夢を見たそうだ。裸のジュンが空に向かってどんどん昇っていき、そのジュンに向かって母は「ジュンちゃん、ジュンちゃん、どこへ行くの」と呼びかけた。目が覚めるとジュンは息を引き取っていた。母はこのことを50年も後になって話してくれたが、そんなこともあるものか、夢で愛し子の昇天を見送ったのかと何か不思議なような気持ちで聞いた。

 母はジュンが履いていた小さい下駄を手元に残していた。鼻緒のところにはジュンの小さい指の跡が黒く残っていた。ジュンが生きていた証として母は捨てがたかったのだろう。自分が死んだら棺に入れてほしいと母は言い遺していたのでその通りにした。

 あれから70年がたった。今も時折ジュンのことを思い出す。生きていたらジュンも70歳を過ぎた老人になっている。どんな家族を持ちどのような弟として過ごしてきたのだろうと考える。

死と向き合う

2010-09-14 08:10:07 | 身辺雑記
 免疫学者の多田富雄さんの随筆集『落葉隻語』(青土社)を読んだ。(隻語=ちょっとした言葉)

 多田さんは1934年生まれの世界的な免疫学者、文筆家である。能にも造詣が深く新作能の作者でもある。84年に文化功労賞を受賞。自身の体験に基づいて医療行政に対しても積極的果敢に批判した。しかし、病魔に襲われてからは長く苦難の生活を強いられることになった。

 「二〇〇一年、私は旅先で脳梗塞に襲われ、死地をさまよった末生き返り、重度の右半身の麻痺と摂食、言語障害の後遺症をもつ身となった。まだ一言もしゃべれない。自死も考えたが、助かったからには生きなければならぬと思った」(同書より)

 それでも執筆意欲は旺盛で、執筆活動を続けたが、その生活は筆舌に尽くしがたい苛酷なものだったらしい。

 「そこで再び私は『死の病』に遭遇する。私を次に襲ったのは悪性腫瘍、前立腺がんだった。手術不能まで大きくなって、リンパ腺転移まである。それが進行すると、さまざまな苦しみが現れることを医師の端くれとして知っていた。
 とりあえず増殖を抑えるため去勢の手術を受けた。しばらくは腫瘍マーカーも下がり平常の生活に復したが、いずれ再燃し、がんは私の命を奪うことになると覚悟した。そのときはどんな苦しみが待っているか、臨床医でなくても私には予想できた」(同書より)

 今年2月に書かれたこの書のあとがきには、

 「・・・・最終原稿を書いているとき、車椅子を押していると、胸に激痛が走り、ぽきりと音がした。鎖骨の骨折だった。恐れていた前立腺がんの骨転移だった。
 いま骨を折ることは筆を折ることに等しい。パソコンを打とうにも激痛で打てない。それが今では一字打つにも、うめくほどの痛みである。さすがの私も、この突然の執筆中止命令には運命を感じるよりほかはなかった。
 最後の原稿を送ってやれやれと病院に向かい、検査を受けたが、見る見る主治医の顔が曇った。先月はそんな様子はなかったのに、たった1月の間に私の骨は満天の星のように転移でいっぱいであった」

 とある。そして最後に「まだまだ辛い日が続くだろうが、この本が無事出版されることを夢見ている」と書いている。この本の第1刷が印刷されたのは4月20日で、多田さんはその翌日に前立腺癌による癌性胸膜炎のため76歳で亡くなった。本が出版されたのは5月10日だから、多田さんは手にすることはできなかった。

 闘病の部分は読んでいて息苦しくなるような思いにさせられた。そして死と向き合い、最後まで執筆活動を続けた強靭な精神力にはただただ頭が下がった。多田さんの苦しみに比べたら、私の坐骨神経痛がどうの、腰が重いのなどは児戯に類するようなもので恥ずかしくもなる。そんな状態だから、死ぬのは怖くないなどと気楽に言っているが、もし多田さんのようなことになれば、果たして平常心は保たれて、最後まで何らかの努力をするだろうかということははなはだ覚束ない。



階段

2010-09-13 10:27:11 | 身辺雑記
 かつて非常に人気のあったコメディアングループ「クレージーキャッツ」のメンバーだった谷啓さんが急死した。自宅の階段をのぼる際につまずいて転倒し、顔面を強打したことによる脳挫傷だったようだ。享年78歳。私より1歳年上だ。どのような状況だったのか詳細はよく分からないが、脳挫傷を起こしたくらいだからよほど強い衝撃を受けたのだろう。改めて、年をとるとどんなことが起こるかわからないと思った。

 私の家にも階段はある。どの家でもそうだろうが、住宅の階段というものは傾斜が少しきつい。私はもう何年も前から階段をのぼるときには前屈みになって階段に手をかけるようにする。格好はよくないが 体裁は構っていられない。背を伸ばしてのぼり、踏み外したり、よろめいて後ろに倒れて落下でもしたらと思うからだ。脚が重くなり足の裏の弾力性が乏しくなった近頃では、降りる時にも注意して。側面の壁に手を押し付けて支えながら一歩ずつ降りる。とんとんと軽やかにのぼりおりしたのはもう過去のことになった。

 家以上に気を遣うのは駅やビルの階段だ。どちらも家に比べて長いから余計に注意する。手すりは必ず持ってゆっくり足を運ぶ。いかにも老人じみているが、人がどう思おうと構わない。かつて教育センターにいた時に、高齢者対象の講座を担当したことがあったが、その講座の一つである講師が、60歳を過ぎたら階段を降りる時には手摺を持ちなさいと話したことが頭に残っていた。そうやってゆっくりと降りていく私の側をとんとんと軽やかな足取りで降りていく人を見ると羨ましいとは思う。

 年をとるといろいろな変化が起こるが、脚の弾力性が乏しくなるのもその一つだろう。今の私はこれまでの運動不足がたたり、脚がとても弱くなってきている。跳んだりはねたりはもちろん、走ることもままならない。先日軽やかに走った夢を見て、目が覚めてから虚しくなった。


公衆道徳の欠けた行為

2010-09-11 10:36:24 | 身辺雑記
 相変わらず自転車やバイクの路上放置は後を絶たない。放置している者はおそらく常習化しているのだろう。毎週1回行っている、大阪にある事務所の周辺の道路は路上駐輪禁止指定になっているが無視する者は少なくない。特にこの自転車の持ち主は図々しい。まるで挑戦するかのように自転車放置禁止の表示の上にわざわざ置いている。



 それだけならまだしも、このように頑丈なチェーンを道路わきの鉄柵に掛けて自転車を固定している。これなら撤去できまいと嘲笑っているかのようで、その図々しさは憎々しいほどだ。自己中心もここまでになるとどうしようもない。




 私の町でも路上放置はなくならない。定期的に放置自転車狩りが行われるのだが、いっこうにこたえないらしい。これは駅の近くの銀行や商店も多いところで、少しの間ならと放置するのだろう。置き方も乱雑だ。







 もちろん警告の掲示はあるのだが、まったく無視されている。自転車を放置するような連中は、日本語の文字が読めないのだろうかと思ったりする。読んでみると、「歩道柵等に施錠された鎖等は切断しますが責任は負いません」とあるが当然だろう。ずるい者が得してはならない。大阪の場合は何日も同じ状態で、対処が甘いのかも知れない。



 撤去された自転車は、自転車の鍵と身分証明になるものをもって所定の保管所に取りに行かねばならない。保管費(いわば罰金だが)は自転車が3000円、バイクが6000円でバカにならない。保管所は少し遠いところにあり、撤去から3日以内に行かなければ処分される。これがお灸になればいいが、今時のことだから、取りに行ってごてる者もいるのだろうし、還ったらまたぞろ放置する者ははいるだろう。

 撤去後はさすがにきれいになっているが、すぐに置いている自転車やバイクがある。本当にいたちごっこだ。これくらいはいいだろうという考えの者が増えると、路上は乱れ、公衆には迷惑な現象になるということだ。

(日曜日はブログを休みます)

ブログ友が見た光景

2010-09-10 08:08:21 | 身辺雑記
 隣の市に住むブログ友のOjさんは、地球半周(2万キロ)を目指して、毎日早朝ウォーキングに励んでいる。目標到達は間近いようだ。

 ウォーキングにはカメラを携帯しているようで、折々ウォーキング中のスナップがブログに載せられる。数日前には「武庫川夜明けの超常風景」と題して美しい光景が紹介された。ここに転載させてもらう。





 「熱帯夜続きの朝 ウオーキング中 日の出を眺めていたら 何かいつもとは違う空の光景に気がついた。朝空の大スクリーンに大規模照明。連日の暑さのせい?ほんの短い時間ながら 早起きは三文の得 何か良い気分になる」

 というコメントがついていた。

 この光のカーテンのような美しい現象は何と言うものだろうか。どういう仕組みで起こったのか。雲の切れ目から射す朝の太陽光線がまだ薄暗い空に映ったのかなどとあれこれ考え、興味をそそられた。お分かりの方があればご教示ください。