ナチュラルな暮らし

穏やかな日常の一コマ

さまざまな生き物~松本市立博物館~

2024-09-01 | ミュージアム

この時期の「松本市立博物館」の企画展は「生物多様性と松本~すぐとなりにあるワンダーランド~」でした。「生物多様性」についてはこのように解説されていました。

     

     

 

「生態系の多様性」では近縁のチョウの仲間でも食べる植物が違うこと、有毒生物は互いに似ることで外敵への警告の効率を上げていることが紹介されていました。

     

     

 

「種の多様性」では様々な蝶が展示されていました。大きなチョウとヒメシジミの小さなチョウの比較もありました。

     

     

 

チョウはガの仲間(鱗翅目)のほんの一部だそうで、日本にいる鱗翅目5000種以上のうち、チョウは250種ほどだそうです。世界では鱗翅目16万種のうち、チョウは1.5~2万種といわれているそうです。ガにも美しいものがいます。たくさんのクワガタなどの仲間も展示されていました。

     

     

     

 

家紋に使われている植物の紹介もありました「「松本」城の前身といわれる「深志城」を拠点に北信へ勢力を伸ばした「武田氏」とその後に城主になった「小笠原氏」の家紋は「ヒシ」です。

     

 

「石川家」の「ササリンドウ」、「松平家」の「三つ葉葵」、「水野家」の「オモダカ」に注目でした。

     

     

     

 

松本ゆかりの作家と歌人も紹介されていました。「北杜夫」は「どくとるマンボウ昆虫記」を描いたほどの昆虫好きでエピソードもたくさん(あがたの森文化会館「旧制松本高等学校」でも見ました)あります。「窪田空穂」は松本出身の歌人で、動物や植物を題材にした歌をたくさん詠んでいます。

     

     

     

 

昆虫たちが描かれた馬具も展示されていました。トンボ、カマキリ、セミ、チョウ、スズムシ、キリギリスなどが登場しています。漆塗りに螺鈿細工の立派なものです。

     

 

市街地でも見られるチョウの標本や変化してきているものの標本などたくさん展示されていましたが、載せきれません…気になったものだけ取り上げてみました。

     

     

     

     

     

 

松本市では毎年、市民が参加して生き物調査をしているそうです。そのまとめもありました。トンボの調査です。

     

     

     

 

こちらは「ホタル」の調査と「セミ」の調査、それに「カエル」の調査の記録です。市民参加型の調査とはなかなか良い企画と思いました。

     

     

     

     

 

3Fの常設展も見ましたが、前回の見学時と大きな変化はなかったので省略します。松本市立博物館へ~常設展と街歩き~ - ナチュラルな暮らし (goo.ne.jp)

1Fは松本市の「クールシェア」の場所として開放していますとのPRがあって、暑い日でしたし、テーブルと椅子の席は満杯の状況でした。その一角に「満蒙開拓団」の記録の展示がありました。松本市からも戦時中に満州へ開拓団として行かれた方がいたようです。

     

  

 

「満蒙開拓平和記念館」(母の教え子から満蒙開拓団出発の時にもらった手紙を寄贈したの施設)の紹介もあり、当時の満州の写真も見てきました。満蒙開拓団関連の書籍も機会があったら読んでみようと写真に納めました。

     

     

     

 

博物館前の「大名町大手門井戸」と側溝のふたに描かれた「松本てまり」です。

     

     

 

帰り道でもソバ畑のソバの花を眺めました。秋の気配が迫って来ています…

     

 

松本近辺の動植物についてあれこれ知ることが出来た松本市立博物館の企画展でした、この日は少し松本の街中も歩きましたので、歩数は6438歩でした…

 

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8 コメント

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Unknown (おちゃ)
2024-09-02 09:07:54
恐縮ながら、無尽の話の続きです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E5%B0%BD

このリンク先の半ばより下、戦後の項目のところ
にありますが、戦後にGHQとのからみで全国の
無尽が相互銀行になって行きます。
今回の話では日本相互銀行になりますが、
信州に存在した無尽はその日本相互銀行に吸収
されていったことになります。その関係で
諏訪にも支店があり、その銀行のなれの果てが
三井住友銀行であり、現在もなぜか諏訪支店が
あることになります。

無尽は本来お金やモノを融通しあう組織ですが
タッジーマッジーさんがおっしゃる
オトナがみんなで宴会をやっていたというのは
戦後無尽が金融組織的役割を終えて、その
相互扶助的な形が地方によっては残り、
それにタッジーマッジーさんのご両親が
参加されてたのだと思います。

今でも山梨県の一部などでは無尽のお付き合い
が盛んだそうです。私は無尽を全く知らずに育ち、
山梨県で今も無尽のおつきあいが残る地域の方
から無尽のことを教わりました。そしてその後
現在の三井住友銀行諏訪支店との歴史を調べて
無尽を理解することとなりました。

前置きが長くなりました。

最初の家紋、これもまた銀行につながって
恐縮ですが、八十二銀行のマークに似ています
ね。次の石川家の家紋はササリンドウ。
これは、もうそのまんまに鎌倉市に市章でして、
私は道路を歩きながら、それが描いてある
下水のマンホールの蓋を毎日たくさん見て
歩いております。

満蒙開拓団の資料は私の父が見れば喜びそう
です。私の父は子供の時に満州にわたり、
戦後帰国しておりまして、あそこがその後も
日本の植民地であれば、おそらくはそのまま
公務員か満州鉄道の職員になっていたそうです。

しかしそうはならず、戦後とぼとぼと日本に
帰って来てしまったらしい(笑)。
これからどうやって暮らそうかと途方に
くれたらしいです。だれしもそういうことが
人生にあるものですねえ。私もありました(笑)。
返信する
おちゃさんへ (タッジーマッジー)
2024-09-02 21:38:37
無尽の話…リンクを貼っていただいたところを
必死になって読み解きました(笑)
そのうえでこのおちゃさんのコメントを読ませていただくと
なるほどそうだったのだと良く理解でき、納得しました。
金融機関についてのお話を素人相手にして下さるには
おちゃさんは最適な方ですね(笑)
本当にツボを押さえてわかり易く解説していただき、
無尽から金融機関への流れも良く分かりました。

私の記憶の中にある無尽はおちゃさんが言われるように
金融組織的な役割を終えて相互扶助的な集まりだったのかと思います。
毎月当番になった家に集まっては飲んだり食べたり…
当番になると母は準備に大忙しのようでしたが、
皆さん楽し気におしゃべりされていた記憶があります…
今でも山梨県では無尽が盛んなのですね。
こちらでも今も無尽をやっている方が居るようです。

武田家や小笠原家の家紋と八十二銀行のマーク…
たしかに言われて見れば似ていますね。
ひし形と正方形ですが…
石川家の家紋は鎌倉市の市章と同じなのですね。
ササリンドウの市章…なかなか良いですね。
市章や市の花がマンホールの蓋にデザインされることが多いですね。
当市では市の花ツツジがデザインされた蓋になっています。

お父様は満州にいらしたのですね。
しかも子供の頃からですか、それは
よく満州のことをご存じだったことでしょう。
満蒙開拓団にも子供たちが大勢出かけて行きました。
夢見て行った場所ですが終戦になって引き上げてくる時は
皆さん大変な思いをされたようです。
お父様もご苦労なさったことと思います。
ご無事でお帰りになられて良かったですね。
私の父も戦争中に兵士として満州に行き、
戦後引き上げてきました。
満州での苦労は中々語りたがらなかったです…
戦後ずいぶん経って満州に慰霊の旅に出かけ、
それが済んでから少しずつ話してくれるようになりました。
それでも多くは語らなかったです。
辛いことが沢山あったようです…
返信する
Unknown (おちゃ)
2024-09-02 22:47:57
長く外資系資産運用会社で営業をしていました。相手は日本の機関投資家、つまり年金基金や金融機関の資産運用担当者です。海外の難解な資産運用商品をそうした投資家さんに噛み砕いて説明して理解してもらい、投資してもらって、一旦投資してもらったら今度は日々変化する運用環境や運用実績について継続的にまたまた噛み砕いて説明するのが仕事でして、そのために分かりやすい資料を作ることや説明の言葉づかいへの配慮には慣れているつもりです。

毎日帰宅は遅いが、翌朝七時には都内のオフィスに入り、そうした仕事の準備をするために、朝4時台に起床するという生活は終わり、今は鎌倉市内でかるーく働く生活に切り替わりましたよ(笑)
返信する
おちゃさんへ (タッジーマッジー)
2024-09-03 22:08:42
今までのおちゃさんのお仕事のことをお聞きして、
今回、銀行や無尽のお話を分かりやすくしていただいたのが
なるほどと納得できました。
こうしていつも投資家さんたちに難しいことを
丁寧にかみ砕いてお話しされていたのですね。
専門の経済のことはもとより、
その都度気になった事項についても
いつもかみ砕いて分かりやすく教えていただき
どんなにたくさんの知識を得させていただいたことか…
改めてお礼申し上げます。
おちゃさんのお持ちの豊富な知識、
少しずつでも教えていただけたら嬉しいです。
これからもよろしくお願いいたします。

遅く帰宅し、朝4時には起床して仕事の準備をして
7時には出勤という大変な生活をされていらしたのですね。
本当にご苦労様でした。
早起きの習慣はその時に身に着いたものなのですね…
返信する
Unknown (take)
2024-09-04 00:25:10
こんばんは。
今回もクラクラするほどの展開で・・
いえ、これはわたくしの中で感じ、考え、思い出したことなのですが。

「生物多様性とは?」
「生物」と「多様性」それぞれの意味はわかるのに くっつけるとさぁわからない。
「SDGs」だって 長く生きているこの私にとっては耳に新しい言葉。

はい、こうして松本市立博物館での「3つの多様性」を見ると「わかりやすい」です。

家紋のことから・・
武田の「菱」は あの諏訪湖の「ヒシ」からと!!
眼からうろこがポロリ・・

「澤瀉紋」って歌舞伎で「澤瀉屋」の家紋として有名(?)
☆ネットから
澤瀉紋は、「勝軍草」(かちいくさぐさ)の異名を持つため、平安時代から武人を中心に用いられました。
毛利元就(もうりもとなり)や水野忠邦(みずのただくに)らが用いたことでも知られます。
☆ そうだったんだと もう一つ 「ポロリ」

「松本ゆかりの作家 北杜夫」
北杜夫さんがどんなに松本での学生生活を楽しんでおられたか・・
作品はほとんど読んでいると思います。
あがたの森、「旧制高等学校記念館」でもその様子を見ていました。
晩年に(ほんとうに最後の講演会、いえ娘さんの講演会に駆けつけてくださった)
甲府での 医師生活は暗く、悲しいお話をされてらした。
本では読んだことのない、松本の生活とは真逆な「甲府生活」・・
「松本はうらやましい」・・そんなことも感じてしまいました。

「満蒙開拓団」の記録の展示。
これは タッジーマッジーさんのお母さま、教え子さんからの手紙を深く思い出します。

博物館前の「大名町大手門井戸」!
私も 前回に行った時に写真を撮っていましたが
「側溝のふたに描かれた『松本てまり』」は気づきませんでした。向こう側にまわればよかったのか

長くなりますが 山梨県人としては やはり「無尽」のこと。
きょうも勝沼の友は「ご近所奥さん」たちと「無尽」(※月一回もあるんですよ)とラインが入っています。

「無尽」
入行後の研修会で「銀行の成り立ち(?) 歴史」を学んだ時に「印象的」だった
「相互銀行は無尽から‥云々・・」
山梨では「無尽」というものが「残って」いましたので、相互銀行はないのかと、そのことだけはよく頭の中に入っていました(当時もその後もありませんでした)

現在、近所の「信用組合」、「信用金庫」は建物だけになっています。
その二つの違いは どうだったのか「忘れてしまいました」
返信する
生物多様性と松本 (ran1005)
2024-09-04 09:48:17
成程・・・・
解説をして頂くとよく理解できます。
が・・・生物・生態系・遺伝子の生態系と聞けばとても学問的な印象を受けるのは、
私だけでしょうか?
長野県は教育県で学問を常に堅苦しくしている印象を受けます。
(他府県育ちの者のヒガミ⁈)
身近な昆虫の対比が標本で見られるのがとても分かりやすく最高ですネ。

家紋は植物や鳥をイメージしてデザインされて居るものが多いですのですネ。
何故家紋と定めたのか?
根拠も知りたい気がしますネ。

先日、縄手どおりのカエルを写真に写しておられるのを拝見しましたが、
私も同じ場所で、縄手通りとカエルの謂れを読んでいる様に思いますが・・・
記憶力減退で、何も覚えて居ません。

そうですか・・・松本でも満州開拓団に参加された方々が多く居られたのですネ。
ブラジル移民もそうですが・・・・
山の彼方の空遠く、夢見た方々がどの時代にも必ず存在するものですネ。

年がばれますが(とっくにばれていますネ)
北杜夫さんは髞の時期にはテレビ出演をしておられるのを良く目にして居ます。
思考が凡人とは、少し風変わりな印象を何時も受けていましたヨ。
私は、残された作品よりも人格、人間形成に興味を持った方です。
もしかしたら、松本出身の人間多様性の代表選手として取り上げられたのかも知れませんネ。
返信する
takeさんへ (タッジーマッジー)
2024-09-04 21:35:23
とっても盛りだくさんの内容でしたが、
ここでは端折ってお伝えしました。
生物多様性もこうして説明して下さると納得でした。
文字を読んだだけでなく、具体的なものを目で見て確かめる…
博物館でのそうしてことが理解を深めるきっかっけにもなりました。

家紋は植物由来のものが多いようです。
ヒシがそちらにもあったのでしょうね。
澤瀉紋は歌舞伎通のtakeさんにとっては澤瀉屋!
澤瀉が勝軍草の名前がある!
これは武将にとっては願ったりの家紋だったでことしょう。
家紋もいろいろ興味深いですね。

北杜夫さんは松本での学生生活が殊に印象に残ったのでしょう。
あちこちに松本のことが出てきますね。
あがたの森の記念館での展示は私も見ました。
takeさんは講演会でお話も聞かれたのですね。
甲府にも住まわれていた時の印象はまた違ったもの…
それは実際のお話ならではのことだったのでしょう。
娘さんの講演会も北杜夫さんにお会いできたのも
とっても良い機会だったことでしょう。

満蒙開拓団の展示で母の教え子の方のことを思い、
博物館前の井戸で松本の湧水群のことを思い、
手毬の側溝の蓋でマンホールの蓋のことも思ったことでした。
いろいろ興味深いことのある松本でした…

無尽は山梨県が盛んで今も残っているとお聞きし、
takeさんのブログに無尽が出てきたと思い起こしていました。
無尽については銀行に入られた時に学ばれたのですね。
きっと私の子供の頃より山梨県では昔も今も身近にある無尽…
今も残っているからこそ相互銀行もないのでしょう。
それにしても銀行や信用組合、信用金庫が減っていきますね。
返信する
ran1005さんへ (タッジーマッジー)
2024-09-04 22:11:34
たしかに県民性はいろいろな表現に現れているかと思います。
何かと堅苦しく理屈っぽいと言われる信州人…
それに学校に大きな影響を与えていた信濃教育会…
その存在も影響があるのかもしれませんね。
この博物館の表現方法は堅苦しいかもしれませんが、
展示物は見やすく分かりやすかったと思います。

家紋の成り立ちはどこまでさかのぼるのでしょうか、
今度調べてみたいものです。
植物や鳥など身近にあるものが題材になったのだと思いますが、
そのデザインはそれぞれ豊かなものですね。

松本でも満蒙開拓団に行かれた方が居たようです。
ブラジル移民の歴史はもっと以前…
夫の親族にも明治の終わりにブラジルに渡った方が居たようです。

北杜夫さんは病と闘う精神科医としても有名…
TV出演も多かったことと思います。
斎藤茂吉から繋がるこの一家のことはその生き様もですが
その作品はどれも興味深く、あれこれ読んだものです。
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