大相撲名古屋場所は7月8日から開幕します。各部屋は名古屋市内などに宿舎を設け、稽古に励んでいます。その1つの武蔵野部屋は、市内屈指の商店街としてにぎわう大須の万松寺に宿舎を、今年から移転。同寺北向かいに設けられた土俵で、各力士たちが稽古に励んでいます(上の写真)。
商店街には、至る所に武蔵野部屋を応援するのぼり旗が掲げられ、通りがかりの人たちが立ち寄り、見物していました。紺色の後ろ姿の武藏川親方は、順番に稽古に取り込む力士たちを見守っていました。
花壇にはミニトマトが2本植えてあります。1本は赤の実、別の1本は黄色です(上の写真)。園芸店で苗を買ってきたときの説明には「スイト ミニイエロー」と書かれていました。赤、黄色とも何段にも実がついています。
名古屋市内には名古屋駅と市中心部の栄に百貨店があります。栄には松坂屋、三越、丸栄(上の写真)があり、丸栄は創業1615年で、400年以上の歴史がありましたが、その歴史に幕を下ろして今月30日の19時で終了することになりました。
私ごとですが、名古屋に住むようになって20年余になりますが、この丸栄にはなじめませんでした。今思えば訪れるのは年に数回で、鉄道模型展や物産展ぐらいでした。
1945年(昭和20年)の 空襲で焼失した名古屋城の本丸御殿は、このほど9年にわたる復元工事で全てが完成しました。工事は3期にわたり13年には表書院、16年には対面所などが公開され、8日からは最後の部分の上洛殿(上の写真)などが公開されました。
本丸御殿は公開の日から連日、訪れる人たちで大にぎわい。先日、少しはすいただろうと思って訪れましたが、長蛇の列でした。列に並んで見学してしてきましたが、じっくりと見ることは出来ませんでした。ある程度日がたった頃に、改めて訪れ見学したいと考えています。
下の写真は本丸御殿の外側から見たところで、左端の部分が上洛殿などがある建物。ここは徳川幕府の将軍が宿泊した所だそうです。
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名古屋城を訪れた16日、梅園を通りかかった際に梅の熟した香りが漂ってきました。梅の木の下を見ると黄色く色づいた梅の実が地面に広がっていました(上の写真)。どの木の下も梅の実がいっぱい。ここでは実は収穫せず、捨てられているようでした。
名古屋市中区大須の久屋大通庭園フラリエでは、ドーム状に飾られたコチョウランが、訪れた人たちを楽しませています。この飾りにはコチョウラン40株でドーム状にされ、ウエデングドレスを摸してあるようです(上の写真)。今月はジューンブライド(6月の花嫁)で、この前には長椅子が置かれ、記念撮影が出来るようにもしてあります。展示は24日まで。
名古屋市港区品川町の荒子川公園内を歩いていたら、溝川の両側に”白いアジサイの花”が(上の写真)。近づくと1人の女性が白い花にカメラを向け盛んにシャッターをきっていました。
この時期、各地でアジサイの花は見られますが、白一色とところは珍しく思いました。
名古屋市港区品川町の荒子川公園のラベンダーフェアが9日から、17日までの日程で始まりました。6-7月ごろに楽しめるのはアラビアンナイトやグロッソなどで約3000株があるそうです(上の写真)。初日は催し広場で保育園児らによる鼓笛隊、同公園ガーデンプラザでフルートの演奏がありました。
カンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールを受賞した話題作の「万引き家族」を8日、名古屋駅近くのミットランドスエアシネマで観賞してきました。
東京の高層マンションの谷間に取り残された平屋建ての民家。初枝(樹木希林)の家で、ここでは初枝の年金で3世代が暮らしていた。息子の治(リリー・フランキー)と妻の信代(安藤サクラ)、その妹の亜紀ら子どもを含む6人が暮らしていた。初枝だけの年金では暮らせず、日用品などは治と祥太(城桧吏)の父子らが万引きしては、生計を立てていた。
その家庭が、ある事件をきっかけに、家族がバラバラに引き裂かれていった。是枝裕和監督、上映時間2時間。
気象庁は6日、近畿、東海、関東甲信地方が梅雨入りしたと見られると発表しました。東海地方は昨年に比べ15日早いそうです。わが家の花壇では咲き出したダリヤの花が昨夜からの雨でいきいきとしている感じでした(上の写真)。
名古屋市東区徳川町の徳川園の庭園を散策していたら、龍仙湖(池)から子どもたちの歓声が。近寄って見ると、子どもたちがコイにエサをやっているところでした。水面には大群のニシキゴイなどが、子どもたちが投げたエサを奪い合っていました(上の写真)。
名古屋市の徳川園美術館図書館前広場で5両の山車が勢揃いして競演を繰り広げる”徳川園山車揃え”の催しがあり、一帯は人の波で大にぎわいでした(上の写真)。山車は鹿子神車、河水車、王義之車、湯取車、神皇車。それぞれの町内会から広場まで練り込み。順番に山車で、からくり人形が披露され、見物の人たちを楽しませました。