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癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

函館のお盆と葬儀

2010年07月14日 | 日常生活・つぶやき
 今日、一日遅れでお盆の墓参りに行ってきた。
 函館のお盆は7月13日である・・・とは言っても、旧函館市だけの風習で、合併した亀田・銭亀沢・南茅部・椴法華・恵山・戸井地区は旧歴の8月のままだ。

 7月の新暦のお盆は、東京・根室でも行われているらしい。他の所のそのわけは不明だが、旧函館市の場合は、次のような経緯によるらしい。

 大正6年の新聞に「ひと月遅れの8月なら函館一の祭礼である函館八幡宮の例祭日とかち合うというので、各寺院協議の上、本年より新暦の7月13日を、お墓参りとするよう各壇家に通達した」とか、「お正月が新暦なのにそれに対するお盆が旧暦ということもないだろうと、各寺院で7月13日に決めた」というような記事が載っている・・・・。
 
 このことから、この風習は大正6年から始まったようだ。
 
 
 もう一つ、函館を中心とした近郊では当たり前だが、他の地方の人たちに非常に驚かれる葬儀の風習がある。それは、火葬を先に済ませて、お骨を祭壇に祀って通夜や告別式を行うことである。

 これは、どんな理由でいつ頃から始まったものかは諸説があって判然としない。もっとも有力なのは下記の①だが、他にも5説ほどあるようだ・・・。

① 昭和9年の大火の際、たくさんの死者が出て、生仏で葬儀をしていたら遺体が腐ってしまうので、先に火葬したことから始まる「函館大火説」

② 戦前に伝染病が流行した時、参列者が忌み嫌うので火葬にした「伝染病説」
③ 戦火が強くなると集会や人の移動が禁じられ、葬儀も火葬を優先し簡素化した「戦争説」
④ 北洋に出漁した漁船員の家族が亡くなると、いったん火葬して帰りをまった「北洋説」
⑤ 千数百人が亡くなった昭和29年の洞爺丸台風の時に、葬儀が間に合わず先に遺骨にした「洞爺丸事件説」
⑥ 遺体の持ち込みが認められない「町会館説」