「第63回箱館歴史散歩の会」(主宰 中尾仁彦氏)に参加してきた。今回のテーマは「旧町名碑巡り(その3)」だった・・・。
昔の函館の中心街だった西部地区には、現在は使われなくなった町名がたくさんあり、それらの旧町名碑が27ヶ所設置されている。そのうち、今回は北側というか西側というかいわゆる奥の方の10ヶ所の旧町名碑を巡り、その由来や歴史などを学びながら街並みを巡った。
同じ富岡町は、現在の旧亀田地区の町名としてあるが、ここは弥生小学校より南側から公会堂の下までの一帯の町名だった。海が見える小高い丘で町の富貴を願ったことに因る。ここでは、弥生小学校の歴史や寺町だったころやアメリカ領事館跡の説明。
鍛冶町は、鍛冶屋が多くあったことに因るが、現在のやはり旧亀田地区の鍛治町とは「冶」が違う。ここでは、山上大神宮の前身の神明社における坂本龍馬のいとこの沢辺琢磨や箱館戦争当時の箱館病院の説明。
旅籠町は、政府公認の山の上遊郭の他に旅籠や茶屋や料理屋があったことに因り、それらの説明。
天神町は、今の常盤坂の上にあった大石屋忠次郎の屋敷に祀られていた天神様に因る。 台町は、高龍寺周辺一帯だが、弁天台場を造るための土を削って平地にしたことによる。旧西小学校の前にあった遊郭や高龍寺の今の場所に移転の歴史の説明。
山背泊町は、東風(やませ)から船を守るための泊(港)に因る。山背泊御台場の説明。
台場町は、弁天台場の跡地にできた町に因る。この町は、ほかに4町があったが一緒になった。ここでは、台場と函館どつくの歴史の説明。
幸町は、海岸の埋め立てによってできた町で、将来の多幸を願って付けられた。
仲浜町は、埋め立てによってできた西浜町(旧町名碑は撮影忘れ)と東浜町の中間に因る。
(旧天神町にある鯨族供養塔・・・江戸時代から捕鯨の基地だったことが解る
(旧台町にある高龍寺・・・明治12年(1879年)現在の場所に移転。明治43年(1910年)に完成した山門は総ケヤキ造りで、東北以北最大の山門)
(山背泊の港・・・現在の入船漁港)
(旧台場町の電車線路にある北海道最古のマンホール・・・)
上記の旧町名は、下記の昭和24年の函館古地図で見られます。http://archives.c.fun.ac.jp/oldmaps/include/main/?action=showZoomify&zoomifyImageDirname=90