日本橋からスタート(5/24)
中山道歩き旅の第1弾を終えて、今日は名古屋から帰路に就いた。名古屋から函館までの飛行機はANAの1日1便しかない。それが満席だったので、シニア空割が使えない。仕方ないので、空席ありの便を利用して羽田で乗り継いで、13時過ぎに無事帰宅できた。シニア空割(65歳以上、JALは当日シルバー割引13,300円)は全国どこでも距離に関係なく1便に付き13,590円である。直行便ならそれだけで済んだが、乗り継ぎになったので、2便分の27,180円になったが、それでも安い。
昨日、50年以上お世話になった3軒隣のおばあちゃんが亡くなったという知らせが入り、今晩がそのお通夜だった。予定を2日詰めたおかげで間に合うことができた。たまたま家へ着く直前、お宅の前を通り掛ったときがちょうど出棺のタイミングだった。リュックを背負ったまま近所の人や妻も一緒にお見送りをすることができた。
さて、全コース歩いたわけではないが、この12日間の第1弾の武州路・上州路~信濃路~木曽路の歩き旅を振り返ってみたい。
○コースについて
中山道は、予備知識として、五街道の中で一番古い街道や宿場、古い建物や史跡が多く残っていることが魅力で計画した旅だった。確かにそれらは予想以上で大満足の旅だった。
本州の旅は、いつものことだが、北海道では触れることのできない中世や近世を含めた重層的な歴史に触れることができるのが大きな魅力である。それらにじっくり触れることができるのが歩き旅である。そういう意味では今回も大満足の旅だった。
東京から続く2日間は、ほとんど街中ウォークの感じだったが、それでも、国道を外れでの旧街道部分では、下町的な情緒が溢れ、幅狭い道路とともに古い歴史を感じることができた。それ以降は、のどかな農村風景や昔からそこに住んできた人々の営みを感じる集落の通過、そして昔賑わったであろう宿場と、メリハリのある変化に富んだ歴史や景観を楽しむことができた。
もともと生活道路を繋いで街道を整備したので、峠越え以外の集落のないところは国道に吸収されているところが多い。しかし、四国遍路に比べて、予想以上に国道歩きは少なかった。
標識が充実していて、国道や県道を横切るところやそれらから旧街道へ入るようなところなどは非常に助かった。
自分的には一番うれしかったのは、江戸時代から明治にかけて建てられた建物の多さとその造りである。そして、当時の旅人が難儀したであろう峠越えの道が、古道や旧道として自然のまま残っていることである。こんな場面では、ついつい当時の旅人の苦労を感じてしまう。そんな魅力が凝縮されているのが妻籠と馬篭の間である。昔から人気の高さの理由を実感できる。
あと、北海道と違って、一番目に付くのは道端の古い石碑類の多さである。庚申塚、道祖神、古い道標、石仏、記念碑、句碑、小さな社や祠、歴史的な由緒を刻んだ碑など、新旧含めて非常に目に付く。ついついそれらに目が行ってしまい、その年号が江戸時代以前だったりするとついうれしくなる。
それぞれの宿場にはいろいろな歴史はあるが、本陣跡や脇本陣などの参勤交代の大名行列の利用のほかに、どこへ行っても目に付くのは「和宮降嫁」の記録である。1861年10月に京都をたち、翌2月に江戸入りしている。行列の人数は3万人とも言われており、一つの宿場を通過するのに4、5日も要し、それぞれの宿場の大変だった対応ぶりが感じられる中山道最大のイベントだったようである。また、明治13年(1880年)の明治天皇の視察旅行の宿泊や休憩の史跡も多い。
11日目の妻籠宿(6/3)
○日程について
12年前の四国遍路のときは1日40kmをメドに歩いたが、今回は25~30kmで計画を組んだ。しかし、夕食前に2時間ほどのブログアップのメドを付ける時間を確保しても、30~35㎞くらいが妥当な距離だった。結局当初は14日間の予定だったが、2日分を詰めて12日間で踏破できた。結果から割り出してみると、見るところの時間や昼食時間を含めても、1時間4km計算だったような感じだ。
○思いきった軽量化が功を奏した体調
いつも歩き旅は2日目が一番辛い。今回もそうだった。おまけにリュックが重くて大変だった。そこで、思い切り軽量化を図り、翌日に不要なものを送り返したのが功を奏して、その後は、足が痛くなるようなこともなく、筋肉痛もなく、腰を降ろして休むのは昼食時のみで快調に歩くことができた。
リュックの重さを感じないで歩ける重さは6kgぐらいが妥当なところか?その分洗濯の回数は多くなるが、今回は汗をあまり掻かなかったので、パンツ以外は同じものを2日続けて着用した。
○下半身のランニングタイツ
なお、上半身は朝の寒いときは半袖の上に薄いジャンパーを着たが、日中はほとんど半袖シャツだけだった。下半身は、ハーフパンツにランニングタイツを履いて歩いた。2日間だけ、脹脛用コンプレッションタイツを履いたこともあった。
○マメ対策
足の指の水ぶくれのマメに悩まされた四国遍路時の経験を生かし、それ以来歩き旅では、5本指の靴下の上に厚めのランニングソックスや登山用靴下の重ね履きをしている。今回も最後の1日前に親指に小さな水ぶくれのマメができたが、持参していった縫い針で水を出して、カット絆を貼って終わった。
○役に立つスマホ
昨年の「富士山ぐるりトレイル」のときもスマホにはずいぶん助けられた。携帯電話でのブログアップよりずっと効率的なこともあるが、一番助かるのは、自分の現在地が地図アプリで分かることだ。何度か道を間違ったりしたが、そのたびに助けられた。さらには、宿探しだ。地図上で場所まで分かるので、自分がその日に歩けそうな宿場や街道に近い宿を探したり、その特色や口コミ、価格などが分かったりすることだ。
○励みになるブログへのアクセスとコメント
ホームページやブログをやるようになってからは、「歩いては書く、登っては書く」が自分のスタイルである。ある意味、その日のうちに書かなければ忘れてしまうので、備忘録の意味合いが強い。それに対して、毎日実人数700名以上の人(IP数)が読んでくれていると思えば、歩きにも、ブログアップにも大きな励みになっていることは確かだ。
さらに、コメントもうれしい。特に、五街道すべてを歩き、この中山道を勧めてくださった箱館人さんの自分の体験に基づいた毎日のコメントは心強かったし、うれしかった。
○凄い日焼け
雨に当たったのは7日目の午前中の霧雨だけだった。あとは、ほぼ晴天で、日焼けが凄かった。同じ方向へ向かって歩くので、いつも太陽を浴びるのは左側だけで、左腕と、2日間だけ短パンに脹脛用コンプレッションタイツを履いたので、素肌を出した膝を中心とした日焼けが凄かった。