この山の成長を記録し続けた三松正夫氏の銅像の建つ地点から溶岩ドームを見上げる
「有珠山周辺地域ジオパーク友の会」主催の「昭和新山登山学習会」に参加。この昭和新山(398m)は、国の特別天然記念物に指定されている上に、私有地でもあり、現在は立入禁止となっている。登るためには、この友の会の会員になって、年1回のこの登山学習会に参加するしか方法はない。
実は、大学1年生(昭和37年)の夏、研究室の洞爺湖キャンプの時に頂上まで登っている。すでに60年近く経過しているが、ぜひもう一度登っておきたいと、この友の会に加入していた。
今年は、春に計画されたが、新型コロナの影響で夏に延期された。ところが、今度は熊出没のために、さらに延期されて、今日の実施となった。
5:30に家を出て、集合場所の昭和新山パークサービスセンター駐車場を目指した。幸い、天気予報が良い方に変わって、素晴らしい天気に恵まれた。
9:00前には受付を済ませ、9:15~諸注意・説明終了後入山。参加者は60名ほどの大所帯なので、先発隊と後発隊の2班に分かれて出発した。自分は先発隊だった。中に何度も参加されている北斗市のYoさんもいたので、一緒に行動した。
コースは、9:15駐車場~銅像~入山ゲート~サンゴ岩麓森林界~屋根山~<左廻りコース>~ガレ場トラバース~崩落土砂堆積区域~屋根山左展望所~ドーム北東麓ガレ場トラバース~亀岩~溶岩ドーム登攀~10:40頂上手前~10:50亀岩【昼食】
~11:30下山開始~コブ山東陵~屋根山~<右回りコース>~グレン谷~後山 潜在ドーム~珊瑚岩下~ゲート~駐車場12:45
「麦圃生山」(麦畑に生まれた山の意)
サンゴ岩下の屋根山分岐からドーム下を左廻りに進む
赤い溶岩ドームの西面を見ながら
北側へ回り込んで、奥に見える、頂上へ繋がる北東尾根を登る
亀岩から壮瞥町市街地を見下ろす。奥の山は、左から徳舜瞥岳~ホロホロ山~オロフレ山。
亀岩~生成期より定点地熱観測ポイント。昭和20年初頭は900℃もあり、夜には伊達市から赤く見えたそうだ。
亀岩のアップ~亀の甲羅のような模様になっている
戻って昼食場所となる亀岩から空身で山頂を目指す。
ドームの斜面越しに洞爺湖と羊蹄山を眺める
有珠山を眺める
山頂ドームを見上げる。山頂は、亀裂が入っていて、現在は登れないので、この上へ少し登って戻った。
溶岩に交じって、火山には似つかわしくない川原石が散在する。これは、長流川の堆積物が、隆起して持ち上げられたもの。
戻る少し下で、洞爺湖をバックに先発隊の記念写真。(自分は右下)
洞爺湖をバックの自分(Yoさん提供)
亀岩での昼食タイムの所へ登ってきた後発隊が合流して賑やかになった。
東側から山頂ドームを見上げる
南側から見上げる溶岩ドーム
眼下のカラマツ林の黄葉を見下ろす
60年前はどこから取り付いたかは不明だが、山頂までの北東尾根は当時より崩壊と浸食が進み、険しくなっていた感じである。
帰りに60年前とほぼ同じアングルから撮影した昭和新山
昭和37年(1962年)8月3日の昭和新山と登頂記念写真
(左端の紅顔の美少年?が自分)
この時は、今日登った北東尾根を登っているが、決まった登山道はなく、「やけど注意」「有毒ガス注意」などと書かれた立て札があちこちに立っていて、それを避けながら登った記憶がある。確か10人くらいでトライしたはずだが、頂上に到達できたのは、このシャッターを押してくれた人を含めて、多分5人だけだったようだ。
今日聞いたところによると、立ち入り禁止になったのは、昭和54年からだそうだ。国の方から管理者責任を求められるようになったからとのこと。