癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

山陽道5日目・姫路城~8鵤宿~9正條宿~10鹿嶋宿~有年駅〈35km〉(8時間45分)

2020年11月19日 | 登山・旅行

 今日も暑い日だった。8:30にはTシャツ1枚になった。最高気温が25℃を超えたようだ。しかし、これも明日の雨を境に、10℃以上下がるらしい。 

 今日も旧道歩きがずっと続いて、宿場は3ヶ所、市町は姫路城~太子町~たつの市~相生市~赤穂市と5市町を通った。

姫路城~鵤宿

 リュックをホテルの部屋に置きっぱなしにして、ショルダーバックのみで、相生駅から姫路駅まで移動。駅から歩いて姫路城へ。6:30、夜明け前の別名白鷺城を眺めて、スタート。

 姫路城下の旧街道には、格式高い旧家が多く目につく。いずれも、2階の虫籠窓、1階の連格子という典型的な旧家である。

 高岡郵便局手前に、新しい大きな「西国街道」の道標が立っていた。コノアト、まもなくのところでも目にした。

 角に、安政2年の古い道標が建つ。読めないので調べてみたら、備前、金毘羅、九州、宮嶋、姫路、大坂、京、江戸、因州、伯秋など各方面への里程を刻む。「圓光大師二十五番霊場 美作國・誕生寺道」と刻むので特に法然の巡礼を意識した道標と考えられる・・・とのこと。

 そのすぐ先に、旧家が3軒並んで建ってある。

 国道の横の道を上っていくと、「山田峠」に到着。峠の標識はなかったが、登り口に「史跡旧道山陽道 山田峠登り口」の看板が金網に掛かっていたらしい・・・残念。

 峠は両側が高い切り通しになっているが、右上に寺があることから考えると、この切り通しは後世に削られたもので、昔は上を通っていたものと思われる。

 峠を下って、太子町へと入っていく。下の集落は山田地区。

 山田地区に下りて行くと、「明治天皇山田御小休所」の碑と説明板のある旧家がある。明治18年7月26日から明治天皇六大巡幸の最後となる山陽道巡幸が開始され、8月8日、岡山県最東部の三石の光明寺を出立した天皇は、正條で昼食をとり山田峠に向かうが、その峠の手前、山田の集落、当家で小休止された。

 少しの間国道を歩き、旧道へ入った竹林に「桜井の清水という井戸跡がある。戦国時代に播磨を治めた、赤松義村が選んだという、「播磨十水の一」の一つ。

 大田地区に、行基が建立したという「太田の地蔵様」がある。

 一度国道に出て、再び左の旧道へ入っていくと、鵤宿に入っていく。

8鵤(いかるが)宿~正條宿

 太子町鵤は、聖徳太子が創建したという斑鳩寺の門前町として発展した町で、太子町の町名もそれに由来している。

  「西国街道」「斑鳩地区歴史的景観保存地区」の碑が立ち、街道の町並みほぞんに力を入れている。

 この向かいの「聖徳太子」と刻まれた常夜灯の間を進むと、斑鳩寺がある。街道から往復1kmほど外れるが、行ってみた。

 推古天皇14年(606)、聖徳太子が推古天皇勝鬘経を講じた功績により、播磨国揖保郡の土地360町歩を賜り、大和国斑鳩宮から足を運び当地を斑鳩荘(鵤荘)と命名、伽藍を建立した、とされ、これを斑鳩寺の始まりと伝える。

 斑鳩寺は、法隆寺の末寺的存在であったが、現在は天文10年(1542)尼子氏侵入により焼失、再建後は天台宗に属する。
 右手の三重の塔は永禄8(1565)、赤松左兵衛尉政秀の志願で再建された塔で、国の重要文化財に指定されている。
 

 

 この時期に旧街道歩きをしていると、いつも驚くのが、4mほどの丈の皇帝ダリアである。

 コスモスは、今が見頃というのも、こちらならではであろう。

 

 村田川を亘ると、たつの市へと入っていく。

 揖保川を渡る。そうめんで有名な揖保の糸の工場も、このたつの市にある。

 揖保川を渡り、堤防の旧道から下りる地点に立つ「正條の渡し橋跡」。ここから、正條宿へと入っていく。

9正條宿~片嶋宿

 やかて、本陣跡井口家「明治天皇御駐輦趾」「明治天皇正條行在所」と刻まれた石標が2基建つ。
 旧正條宿は西国大名が参勤交代の始めを瀬戸内海を航路で来て、南方の室津に上陸して、陸路を取ると、初めての宿場にあたり、賑わいを見せたようである。しかし、近すぎて、泊らず休憩が多く、「極めて悪く、泊にならず」とも評されている。現在静かな町並であり、

 本陣以外にも、旧家が目についた。

 

10片嶋宿~有年駅

 竜野駅前を通り、正條宿から30分もしない内に片嶋宿に着いた

 正條宿、片島宿とも参勤交代で航路を取った大名が、室津で上陸し陸路「大坂」へ向った際、最近の宿場であったが、休憩が多く、あまり繁栄しなかったとされる。片島宿は秀吉の島津氏に対する遠征の宿場として作られたとされ、正條宿は参勤交代制ができた寛永年間に成立した。宿としては2宿が1つのの宿としての機能を果す相合宿であり、正條宿は隣の有年宿まで、片島宿は姫路宿までの継ぎ立てを担当した。 

 やがて、相生市へと入っていく。

 12:40、相生駅手前の食堂で日替わり定食をいただく。さすがにご飯はほとんど残した。

 宿は相生駅前にあるが、次の有年駅まで8kmほどなので、さらに前進すり。

 特に見所のない歩きが続く。

 車が轟音を立てて走る国道2号の歩きもあった。

 有年駅が近くなって、工事中にぶつかり、迂回路の堤防の道を進む。旧街道に合流する前に有年駅に着いてしまった。

 15:15、今日のゴール地点の有年駅。有年宿は、駅より先なので、明日の楽しみにして、電車で相生駅へ戻った。

 連泊することになった駅となりの相生ステーションホテル。

 今日は、直接受付だったので、GoTo割り引きも、地域クーポン券もなく、正規料金の5050円だった。

 今日の歩数計 53000歩、

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