今朝は、今回の旅で初めてホテルの無料の朝食を食べることができた。6時には用意されていて、スタート時刻も遅くなったからである。
ホテルにリュックを預けて、厚狭駅から厚東駅へ移動。今日は、国道の低い峠越え2ヶ所と、舗装されていない旧道の峠越えが1ヶ所あった。集落の切れているところが多かったせいか、これまでの中で、国道や県道歩きが多かった。
厚東駅~船木宿
6:55、昨日のゴール地点をスタート。国道を進んでいく。
国道の右側の高いところに旧道が続く。やがて、その道は家並みの裏側を通る細い道となる。
吉見集落を抜けると、「史跡 吉見市跡」の標柱が立っている、さらに、国道を跨いだ先にも「吉見勘場跡」がある。要するに、ここにも宿場や代官所があったということ。
そのあとはしばらく農道として利用されている旧道を進む。やがて、国道の横に続く草道となるが、途中で行き止まりになり、国道へ出た。
国道やはそのまま吉見峠を越える。その手前に、昔の峠の絵を描いた看板が設置されていた。
46船木宿~厚狭宿
旧道へ入ると、船木宿となる。さらに、中心部への入口に、船木宿の高札場跡の標柱が立っている。
この「旅人荷付場跡」の標柱と船木宿の説明板がある。この辺りが、船木宿の中心部だったとのこと。
その場所から町並みを写す。狭い道に旧街道の宿場の面影を感じる。
その先にも旧家や古い商家が並んでいて、宿場の面影がある。
右手に、「大木森住吉宮」がある。船木の地名の由来は、神功皇后が軍船48艘を作るために切った楠木の大樹はここの境内の楠木だったことによる。石造りの神橋が印象的だった。
船木宿を抜けて、国道を30分以上も歩く。
国道から旧道へ入ると、「千林尼の石畳」「山陽街道」の標識が立っている。そこを進むと、確かに、石畳や昔のままの街道が残っていた。
今度は県道に出る。
やがて、西見峠となる。ここで宇部市から山陽小野田市へと入る。
下って行くと、旧道の入口に「左 旧山陽道」の新しい標柱がある。非常に助かる。さらに、下って行くと厚狭宿へと入っていく。
47厚狭宿~吉田宿
厚狭宿の中心部であるが、道が狭いこと以外には、特に宿場の面影ほない。なお、厚狭の地名の由来は、古代に麻の栽培が盛んだったことによるそうだ。
さらに、進んでいくと、お茶の店舗や昨日も目にした男山酒造の古い建物もあった。ここで、なるほど旧宿場だと実感できた。
宿場の先の鴨橋を渡る。その左先に小公園があり、昔の「鴨橋」「加茂橋」の碑が立てられていた。
その手前角に、「右あつ 左はぶ」と彫られた道標があった。
ここで、街道は左折するが、直進してホテルへ向かい、リュックを取ってきた。
そのついでに、厚狭駅前の「寝太郎之像」をカメラに収めてきた。
「厚狭の寝太郎伝説」の寝太郎である。伝説では、寝太郎は寝ながら考えた知恵で、新しいわらじを佐渡の金山に持って行き、古いわらじと交換して、古いわらじについた砂金を持ち帰り、この地域の開発資金にしたという。寝太郎を祭った「寝太郎神社」や「寝太郎橋」もある。
鴨橋まで戻り、川縁の道を進む。
七日町分岐には、「右吉田 左はぶ」と彫られている。
その後、家並みがしばらく途切れ、田畑や山の中の道が長く続く。
やがて、山陽本線沿いの道となる。トンネルの上の道を進む。その先から道が狭くなり、ちょっとした峠を越える。福田の集落へと入っていく。
集落を抜けると、蓮台寺峠への入口に到着。標識がある。その先には轍があり、農道として利用されている。その先に、わずか200mくらいだが、轍のない昔のままの道があった。しかし、その先で再び轍の残る道となる。
峠手前には、庚申塚がある。その先の切り通しと石垣が組まれた峠を通過。下って行くと、出口にも標識があった。入口からこの出口まで50分ほどを要した。さらに下って行くと吉田宿となる。
大きな町へ入っていくのは、厚狭宿以来3時間ぶりだった。吉田宿は下関市のなっていた土古路をみると、蓮台寺が山陽小野田市との境界だったのかも知れない。
48吉田宿~小月宿
吉田宿の入口には、宿の標識が立ち、「右上方道 左萩道」と彫られた道標があった。ここは、交通の要所で栄えたようだ。これから進む方に「赤間関街道」という名前も登場した。赤間関街道とは、萩と下関の間の19里の距離である。
宿の中心部を抜けると、出口にも吉田宿の標識や一里塚があった。
吉田宿を抜けて、木原川の橋を渡ると、川沿いの県道歩きが続く。
ごく一部だが、「切り通しの旧道」があった。すごいところに道が続いている。
県道から旧道に入ると、小月宿へと入っていく。「旧国道」という標柱があった。昭和初期に国道2号ができたことにより、昔からのこの街道をそのように呼んだらしい。小月神社の前を通過。
その先に、日本一の庚申塚がある。高さ2.6m。
宿場の中へ入っていくと、少し入ったところに、高崎晋作が率いた「奇兵隊宿営地跡」があった。
小月宿は、道路が広くなっていて、宿場の面影はない。唯一それを残すものはこの「右かみがたへ 左とよたへ」と彫られた道標のみとのこと。
そこから、町並みを振り返ってみた。
道標が立っている交差点を右折して、細い道へ入って行く。案内表示石が立っていて、ここからは「見廻り通り」と呼ばれ、「下市から茶屋入口までの山陽道の一部で、下市は宿場街、茶屋町は歓楽街で栄えたために武士が庶民の暮らしや治安を見て廻った」という説明が書かれている。この先同じような道が続き、ずっと南下して行く。
今日のゴールの小月(おづき)駅への地点を写したら、すぐ左手に見飽きた方というか、今となっては懐かしい方のポスターが貼られていた。下関市が地盤のようだ。
小月駅から、ホテルを取ってある下関駅まで移動。
明日の夜は、夜行バスの予定なので、今回の旅最後の宿となる下関ステーションホテル。
GoTo割引で3275円。最後の地域クーポン付き。ここにも、大浴場がある。歩き旅はこれがうれしい。疲れの抜け方が違う感じである。天然温泉なら、最高なのだが・・・。
今日の歩数計 48000歩。