癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

貧相な体に・・・

2008年03月15日 | 大腸癌日記
                  (すっかり氷が溶けた五稜郭の堀を泳ぐカモ)
 
 体重はいつも起きがけに計るのが習慣だが、退院後、ずっと57kg台で推移している。この体重は多分10代後半以来だろう。入院前より約4kg、1月中旬より5kgは落ちている。顔はそれほどではないのだが、特に山やXCスキーで鍛えた太腿と尻の筋肉がゲッソリと落ちて、腿が細くなり、尻が小さくなっているのが非常に悲しい。

 今は、腸の調子を考え、食べる量も少なめにしているし、油分も控えめにしているので、すぐには戻らないだろう。しかし、腸の調子が回復するに連れて少しずつ体重増加と相まって体力回復へと繋がって行くはずだ。

 しかし、いいこともある・・・癌発見のきっかけになった晩秋からなぜか少し高めだった血圧は、ずっと正常値内で推移している。癌とこの血圧、何か関係があったのであろうか? また、やはり少し高めだった血糖値も今は下がっているはずだ。

 さて、今朝も軽い腹痛で目が覚めた。起きて動くとそれがなくなるのは、腸の動きが促されるからだろうか?昨日は一度もなかった便意も訪れ、やはり固いバナナウンコの栓が抜けると、その後、軟便から下痢へと、朝方だけで4回もトイレへ行った。

 午後に、妻と一緒に自宅から五稜郭堀周り往復の5.5kmほどを散歩した。歩くと感じる傷の痛みはこれまでより少し和らいできたのか、亀足散歩からブラブラ散歩程度にスピードアップしたが、1時間30分ほどを要した。

 今日は、XC-KID'S仲間のNaさんが見舞いに、さらに聞き違いから死亡デマ騒動の元になったBさんがお詫び旁々訪問してくれ、1時間ほどいろいろお喋りを楽しんだ。 

初外来

2008年03月14日 | 大腸癌日記
 今日は全国的に雨のようだ。朝方5時頃になると、軽い腹痛で目が覚める。これで3日連続だ。起きて歩けば痛みはなくなるので、6時に起きて30分くらい家の周りを亀足散歩。腹痛はなくなったが、期待した便意はなし。

 傷の回復振りが芳しくないので、病院へ電話したら「今日、外来予約が入っていますよ」とのこと・・・確かに退院前、主治医のI医師からは「金曜日に傷を見せに来てください」と言われた。しかし、退院時にいただいた次の予約日の案内用紙には3/24となっていた。しかも、2週間分の手当の薬や用具等をもらったので、変わったのかな?と思っていた。「I医師は出張でいませんが、別の医師が対応しますので、すぐに来てください」とのこと。

 早速、雨が降っているので自分で車を運転して出掛けた。退院祝いの時もそうであったが、スピードを上げて運転すると、車の揺れで傷が痛む。せいぜい30kmくらいがちょうどいいスピード・・・後ろを走る車が非常に迷惑そうだった。

 外来へ行き、まず、ジクジク染み出てくる液が大型絆創膏を通してシャツまで汚してしまう状態を見せた。吸収力の強いガーゼを中に貼ってくれて、余分を持たせてくれた。傷の状況は、「この程度であれば、もうしばらくすると盛り上がってきて、乾くようになりますよ」とのこと。「3/24までは間が開きすぎるので、もし、傷が乾かないようであれば、3/17のI医師の外来日に見てもらった方がいいでしょう」と予約を入れてくれた。なんとなくホッとする。歩いても痛みが感じない気がした。

 午後に、一時とはいえ死亡デマ騒ぎの元凶になりそうだった上ノ国の指導員仲間Cさんが、お詫びと退院祝いを兼ねて、わざわざ自宅を訪ねて来てくれた。この騒ぎは彼には一切責任がなく、騒ぎの元は、彼から連絡を受けた本当に亡くなったSaさんの名前を私と勘違いしたBさんなのだが、凄く気になって仕方がなかったそうだ・・・。2日前の電話でのやりとりを聞きながら笑い話に花が咲いた。

 彼の義兄?も同じリンパ節へ転移のない状態で大腸癌を手術し、すでに5年以上経過しているとのこと。これも勇気をもらえる情報だ。彼とはスキー指導員仲間として40年近くの付き合いもあり、久しぶりに1時間以上もスキー談義や諸々のお喋りを楽しんだ。

今日は、夕食後も、まだ一度も便意も便通もなし・・・明日、また二日分出るのだろうか? あまり溜まって腹が苦しくならなければいいが・・・・。

不揃いな便通たち

2008年03月13日 | 大腸癌日記
 まずは尾籠な話から・・・私にとっては傷の痛さと共に一大関心事なので、お付き合いを!

 まだまだ腸の調子が本調子ではない。便通がかなり不規則で、形態も様々だ・・・・退院初日は、軟便状態が4回。昨日は一度もなし。出るより出ない方が心配だ。そして、今日の朝方、軽い腹痛。便かガスが出ればスッキリしそうな気配。
 
 日の出を待って、家の周りの早朝散歩。まもなく便意を感じ喜んでトイレへ。最初は立派なバナナウンコ数本、これが出たら栓が取れたかのような感じで引き続いて軟便・・・その後、今日だけでこまめに4回ほど・・・すべて下痢。これが、規則的に出るようになるのはいつのことだろう・・・・?

                

 今日は、TBSから先週金曜日に関東エリアで放送された私の「おおたき国際スキーマラソン」が取材対象のミニスポーツ番組「Yell」のDVDが届く。短い時間にもかかわらず、私の数ヶ所の滑りとインタビューの内容がみごとに編集・構成されていて感動した。PC上で公開できないのが残念! 

  今考えてみれば、すでに癌に蝕まれていて貧血もあり、これまでで最も辛かったレースで、タイムも順位も非常に不本意なものであった。しかし、あれが癌発見4日前の勇姿だったと思うと感慨深いものがある。来年は、絶対リベンジできるものと信じている。

 インタビューの概要と上掲の写真だけは下記サイトで見ることができるので、どうぞ!
http://www.tbs.co.jp/yell-sports/new.html

 いつもなら急ぎ足で1時間ほどで往復できる距離に用事があったので、運動を兼ねて亀足散歩がてら出掛ける。昨日よりは傷の痛みは少々強いような気がするし、歩いているうちに和らぐことはなかった。遠回りをしてなんやかんやで2時間ほど掛かった。途中に明日のホワイトディを思い出し、洋菓子屋で妻へのお返しクッキーを買って帰宅。

 明日と明後日は雨予報・・・亀足散歩はできるかな? 

私が亡くなった・・・???

2008年03月12日 | 大腸癌日記
             
            (本日、散歩途中に寄った五稜郭公園隣の喫茶店で咲いていたサクラの切り枝)

 今朝、9:30ごろ、玄関のインターホンが鳴る。出てみたら、近くに住むスキー指導員仲間のAさん。「今、坂口さんが亡くなった・・・という電話をBさんから受け取った。昨日のブログでも元気だったので、そんなことあるはずない。俺確かめて来る」と言って、慌てて飛んできたそうだ。

 情報の出所は上ノ国在住の指導員仲間Cさんだという。その本人へ電話を入れた。彼の言うには、「今朝方、夕べSaさんが亡くなったことは、Bさんに連絡はしたが、坂口さんだとは言っていないと思うけど・・・?」とのこと。Saさんと私の名前、頭に私のこのタイミングが先入観念としてあれば、聞き違っても不思議でない名前なのだ・・・。

 Bさんに電話を入れる。彼もすでにCさんに連絡を入れて確認していたらしく「ゴメン!ゴメン!私が聞き違えたようです。連絡した方々には訂正の電話を入れておきました。みなさん、これで、坂口さんは長生きするわ・・・と言ってました。スミマセンでした。」とのこと。デマの発信元として一時疑われたCさんも「これでしっかり長生きできるよ・・・見舞いにも行けず申し訳なかったね・・・大事にね!」と笑っていた。

 さて、笑い話で済んだのはいいが、指導員会会長としては、顧問Sa氏の訃報が思わぬ形で入ってきたので、今度は、亡くなった当の本人の確認。体調を崩して入院していたことは知っていたが、こっちも誤報だっらヤバイので恐る恐る電話を・・・。やはり昨日の夕方遅く亡くなったそうだ。とてもお世話になった方なのですぐにも駆けつけたかったが、こちらの体調もイマイチである。葬儀の日程を聞いたら、「家族だけの密葬で行いますので・・・」とのこと。「落ち着いたら、お線香でも上げに伺わせていただきます」と電話を切った。

               

 さて、今日は春到来を思わせるすばらしいポカポカ陽気だった。30分ほどの近所早朝散歩と昼食後には妻と一緒に自宅から五稜郭公園1周+αの合計6kmほどの亀足散歩を楽しんだ。まだ、早足で歩くと傷が痛むので、ゆっくり歩いたが、歩いているうちに段々痛くなくなり、少しペースが上がった。しかし、腹を伸ばした方が楽なので、背筋をピンと伸ばして歩いていたら背中の筋肉が痛くなった。 ひと月振りの五稜郭公園は、すっかり雪も消えて、堀の氷も溶けかかっていた。

              

 散歩の途中から、約ひと月近くお世話になった五稜郭病院を感慨深く眺める。後半12日間暮らした病室の窓も見えた。公園を一周後、すぐそばの喫茶店に寄り、ケーキセットを食べて休憩。店内にはサクラの切り枝が満開の花を付けて、春の雰囲気を一足早く醸し出していた。久しぶりの娑婆の春近しの空気は新たな生活の希望を大いに抱かせるものだった。

 今日は、椅子に長い時間座っていても痛みはなく、非常に楽な一日だった。ただし、これも背中をピンと伸ばす方が楽・・・これからは姿勢がよくなりそう!散歩の後、昼寝態勢に入ったが、10分ほどで目が覚めてしまった。妻だけがたっぷりと熟睡・・・。

 今日も札幌からお見舞いの本や遠く群馬からお守りが届く。また、MAEさんが仕事の途中に顔を見に寄ってくれた。 

退院初日

2008年03月11日 | 大腸癌日記
                   (我が家の庭先に姿を現したフクジュソウの蕾)

 昨夜は、退院祝いのご馳走を食べて過ぎて腹が苦しかったが、半月振りの我が家でぐっすり眠ることができた。

 半月振りの風呂は、まだ完治していない臍横の大きな傷の上に被せる防水のテープを貼った。しかし、お湯に浸かるのが不安で、腰から下の半身浴だけにした。4年前に取得したヘルパー2級の資格を持つ妻の本領発揮に甘えて、頭の先から足の先まで洗ってもらった。もちろん手術初日のナースに対抗して何の袋の裏までもきれいに・・・・。

 前夜の食べ過ぎが心配だったが、4度ほどこまめな便通(軟便)でスッキリとした。これからは、腹7~8分目に心掛けなくては・・・。今日の3食は、自ら大腸癌経験者の料理研究家・重野佐和子著『大腸がん術後の体験談&レシピ~きょうも、おいしく』と『大腸がん・大腸ポリープ再発予防のおいしいレシピ』を参考にした妻の手作り料理に舌鼓を打った。これからは、世話好き女房の腕の発揮のしどころである。元通りの体になるまでは大いに甘えようと思う。

 雨の午前中は、いただいたお見舞いの整理をしたり、お礼のメールなどを打って過ごした。午後に散歩を兼ねて近くのヤマダ電機へジューサーを買いに行ってきた。ゆっくりではあるが、トータルで1時間弱ほど歩いた。今日は、椅子に座ってPCを打っていても、歩いても少し傷が痛んだ。昨夜の食べ過ぎで、腹の皮が突っ張って傷が少し悪化したのかな・・・? しかし、歩きでの疲れなどは感じなかった。痛みを感じなくなれば、もっと歩けそうな気配だ。

 仰向けに腹を伸ばして寝そべる態勢がどこにも痛みを感じないで、一番楽な姿勢だ。腹を折ったり、ひねったりするとまだ傷は痛む。笑ってもまだ痛い。当分は、この痛みとの闘いだ。傷が乾くと共に痛みもなくなって来るのだろう。明日はどうなっているか楽しみでもある。明日は、全道的に好天のようなので、散歩を楽しみたい。

 帰宅後、ストーブの前で寝袋に入って寝転んで昼寝。病院では昼寝もうとうとしかできなかったが、我が家では1時間半ほどぐっすり・・・。

 夕方、山仲間のマルさんとヨッシ~さんが退院祝いを持って顔を出してくれた。

晴れて退院!

2008年03月10日 | 大腸癌日記
            
 14:00、入院以来26日間を過ごした病院を出て、術前の外泊以来半月ぶりに我が家に戻った。平地の雪は、この3日間の暖気でほとんど消えていた。玄関前で蕾を膨らませたフクジュソウが迎えてくれた。

 朝食前、階段昇降運動へ。体全体に元気が漲って来るのが分かるようだ。あっさりと2往復し、3往復目へとも思ったが、汗ばんで来たので止めておいた。明日から、階段昇降ができなくなるのが残念。近所の高層マンションの非常階段でも歩こうか・・・? 防犯カメラに写って怪しい人物と間違えられて通報でもされたら困るの止めとこう。まあ、散歩から徐々に・・・。

            

 次の外来通院は2週間後。その間の傷の手当ての消毒用の器具と薬、塗り薬、上から貼る大判のテープ状のもの(日常用と風呂用の2種類)、そして、病院でも飲んでいた腸の働きを良くする漢方薬をもらってきた。

 参加手続きをした「臨床治験」に関する日程等は、次の外来の時にでも聞けるであろう。また、治療費は、高額療養費の手続きを済ませてあったので、自己負担額は全体の12%ほど(高額療養費の対象となった2月は7%ほど、3月は30%)で済んだ。

 さて、退院しては来たが、ひとつ気懸かりなことが・・・。同じ病室で12日間ほど一緒に過ごした60代後半のおじさん・・・胃癌から始まり9年間も入退院を繰り返してきたそうだ。今は強い抗癌剤だけの治療らしく、服作用なのか何も食べていないのに、一日に何度も空吐きを繰り返す。見ていても非常に体力を消耗し辛そうだ。こっちがどんどん回復して行くのに対して、どんどん容態が悪くなって、ここ数日間は、尿管も付けられて寝たきりになった。

 このおじさん、私が手術を終えて戻ってきた頃は、まだ少しは元気で、立って歩くことができた。ベッドから起き上がれない術後の私に対して、「歩けないと脚に血栓ができるから」と私の脚を一生懸命揉んでくれた。とても気持ちが良く、嬉しくて涙が出そうだった。

 とうとう奥さんの夜中の付き添いも必要になったようで、昨夜遅く個室へ移された。昨日と一昨日、これまでにないほど家族や親戚の方々が続々見舞いに訪れていた。3日ほど前、毎日来るかわいい4歳くらいの孫が、突然「おじいちゃんは病院で死にます」と言った。周りには気まずい空気が流れた。

 多分、9年前に退院するときには、今日の私のように晴れ晴れとした気持ちで退院して行ったはずだ。また、2日前に隣に越してきて、今日手術日の男性も4年前に胃癌で手術し、最近1年半ほど油断して検査をサボっているうちに肝臓に転移していたそうだ。やはり、自覚症状がまったくなく、たまたま免許の切り替えで眼科に来ていてその血液検査で発覚したそうだ・・・。つくづく癌という病気は怖い!私も、これから5年間は参加手続きをした「臨床治験」のきめ細かな検査計画で管理しなくては・・・。

~今日の見舞い
元同職の先輩Miさん。元同職の後輩Saさんの奥さん。札幌のりんゆう観光のTuさんとNiさん。

 退院祝い 今日の夕食は、妻の慰労も兼ねて、お腹に優しい懐石料理を夜景を見ながら食べれる「煌(きら)」で退院祝いをした。食欲もばっちりで、出された料理はすべて平らげることができた・・・。
              
       
       
       

入院26日目(術後11日)

2008年03月09日 | 大腸癌日記
            

            (病室の窓から見える当病院風致林公園のブロンズオブジェ・安田侃作「風」)

 心配した昨夜のような傷の痛みも一切なく、細切れではあったがよく眠ることができ、さわやかな朝を迎える。

 さらに、驚くべきことが・・・朝食後の便が、なんときちんとしたバナナウンコ3本となって出たのである。水を飲み始めたころは強烈な水下痢、食事を取り始めて少しずつどろっとした下痢に変わり、昨日は、固まってはいなかったが、微かにウンコの形を成していた・・・水分の吸収を掌る大腸が30cmも短くなったのだからと、当分の間は下痢との付き合いを覚悟していただけに意外な結果である。恐るべし、体のもつ治癒力・回復力! しかし、その後の便は、また下痢だった・・・・。落ち着くまでには、まだまだ掛かるのであろう。

 いよいよ明日は晴れて退院。病院のベッドで寝る最後の夜。もう、2度と戻っては来たくない。この日記が、病室からの最後の更新・・・・。

 載せようかどうか迷って、今日まで来たが・・・・、現実を直視するためにも、また、癌の醜悪さを知らせるためにも、妻に頼んで撮っておいてもらっていた切り取った癌の画像を公開。グロいのでちょっと小さめに・・・・。これを見て、今後焼肉を食べれなくなった方がいても、当方は一切責任を持ちません・・・悪しからず!

                 

 全体は、約64年間私の体の一部だった上行結腸のほとんど(30cmほど)を開いたところ。右と左、どちらが上か下かは不明。真ん中の盛り上がったものがニックキ癌。その右の小さな突起物は、私が検査のときにマッシュルーム状の癌と勘違いしたもの。これは結果的にポリープの潰瘍だったらしい。「癌よ、さらば! もう二度と戻ってくるな!」

ここらで、第2章(手術から退院まで)の花sakag(花咲爺)心の川柳を・・・

○入院中 一番の熟睡 手術中
○体拭き 袋裏まで 初体験
○痛み耐え 立てば歩めの 鬼ナース
○厚紙を 剥がすがごとく 回復し
○癌退治 鈍感力が ここに活き
○リンパ節 46個も取って すべてシロ
○医師団の 予想外して ステージ下げ
○応援団 転移も防ぎ ステージ下げ
○どこまでも ついているこの俺 次怖い
○退院前 便も少しずつ 形なす
○抗癌剤 必要なくなる これもエコ
○もう決めた 癌では死なんぞ この俺は
○癌退治 冠つけて 山還る

・今日で読み終わった本『蝦夷キリシタン』(永田富智)。・読み始めた本『千軒岳』(石森延男) 

~今日の見舞い
退職校長会理事長Taさんと理事Chiさん。最初の教え子Kaさんと旧姓Oさんご夫妻。山仲間のFuさん(2回目)。妻の従姉妹・教え子のSiさん。函館トライアスロンクラブのFuさん。山仲間(HYML)のどさんこのりさんのご家族。

入院25日目(術後10日)

2008年03月08日 | 大腸癌日記
           (玄関ロビーに設置されている大理石モニュメント・安田侃作「妙夢」)

 昨夜は、一気に気持ちが軽くなって、消灯まもなくすぐに寝付くことができた。しかし、0:00過ぎに猛烈な傷口の痛さで目が覚める。生半可な痛さでなく、ついに我慢できなくて痛み止めの注射を打ってもらう。おかげで、また朝方まで熟睡。朝になったら痛みがまったく引いたまま。あれは、イタチの最後っ屁のような痛みだったのか・・・?副看護師長に話したら、「最後のひと絞りだったのでしょうかね」と笑っていた。幸い、このあと今まで、痛みが出ることはなく、一日中、これまでで最も快調な一日だった。

 回診時の傷の処置時に覗いたら、まだ口は開いたままではあるが、赤味がなくなっている。どうやら下から肉が盛り上がって来て口が塞がるのを待つ処置らしい。針のない注射器で傷を洗い流し、消毒し、びっくりしたことに、傷口に幅1cm長さ10cmほどのビニールのテープ状のものをピンセットでくねくねと曲げながら入れれて、その上から厚いガーゼで覆った。これは、傷の中の液がそれを伝わってガーゼに染み込みやすくするためのものらしい。

 あと2日で傷が塞がるのは無理なようである。痛みがまったくなくなったら外来通院でもいいが、強い痛みがあるようだったら退院を引き伸ばすか・・・?いずれにしても、痛み止めの注射はきつ過ぎるので、我慢できない痛みのときに飲む薬を出しておくとのこと。今晩は、その世話にならないことを祈るのみ。

 XC-KID'Sの母体である函館トライアスロンクラブメンバーの当院のKa医師が顔を出してくれた。彼の話では、「心配だったので担当医から経過を聞いていた。リンパ節は腫れていたし、かなり奥の3群辺りまで46個も取ったので、正直かなりやばいと思っていた。しかし、一個も転移していなかったというのは奇跡に近い」と話されていた。うれしいことだ。

 覚悟した化学療法(臨床治験は別として)の必要もなくなり、最高の状態で5年後の無罪確定獲得を目指して、第3章へ移行することができそうである。こうなれば、余計な病巣を取り去っただけのより健康的な生活が待ってはずである。

 これからは、いろいろな資料や本、経験談などを基に、過去の反省も踏まえて退院後の日常生活の仕方をいろいろ考える日々である。

<食生活について>(妻は、すでに大腸癌術後の食生活やレシピに関する本を購入)
○当分は下痢状態が続くと思われるので、2ヶ月間は消化の悪いものを控える。(イカ、タコ、きのこ類、海藻類など・・・全部好きなもの)
○よく噛んで食べ、腹8分目を心がける。(これまで早食いで、食いすぎの感あり)
○体調が完全に戻ったら、発芽玄米を中心とした「朝食抜き一日二食主義」の勉強もし、実践してみようかと思っている。

<安静、運動について>
○傷の痛みが完全になくなるまでは歩くことを中心の運動にし、休養を十分とりながら無理せずに少しずつ体力回復に心がける。(山は、早春の花を愛でる里山から再スタート)
○免疫力を高めるための勉強をし、実践する。
○当分、家から歩いて5分の亀田温泉の岩盤浴に週何度か通う?(癌術後治療に効果的らしい)

 あとは、体力が回復したら、あまり神経質にならず、極端な負荷を掛けて疲れを残さないように心がけ、これまで通りの生活をしようと思う。

 昨日から読み始めている本~見舞いの方が貸してくれた『俳句武者修行』(小沢昭一)
 お見舞いに、多くの方々から、多くの本をいただいたり貸していただいたりした・・・感謝・感謝!入院中に全部読むのは至難の業だったので、自宅療養中の楽しみにする。

~今日の見舞い
若い頃の職場の先輩Saさん(4回目)。山仲間のyamaさん(2回目)。札幌の山仲間(HYML)のSuご夫妻。元同職の後輩Oさん。最初の教え子のAさんご夫妻。当病院のトライアスリートKa医師(2回目)。

入院24日目(朗報!) 

2008年03月07日 | 大腸癌日記
                 (昨日いただいた自作の陶芸作品~愛くるしいふくろう<不苦労>)

朗報! リンパ節転移なし・・・ステージⅡへ下がる! 化学療法も必要なし・・・ばんざ~い! 
これもすべてこのブログへ毎日お付き合いいただき、ご心配いただきました皆様のお気持ちが天に届いたものと心から感謝申し上げます。ありがとうございます。

 本日夕方、主治医からリンパ節の病理検査の結果と今後の治療について説明を受ける・・・・

○手術時に、リンパ節が腫れていたので、転移してる可能性があると思ったが、46個も切除して全部検査に出したが、1個も転移がみつからなかった。
○ステージⅡに下がる。この場合の生存率83.6%、再発率13%
○化学療法の必要はない。(ただし、ステージⅡの場合、化学療法(抗癌剤服用)の有無による再発率のデータがまだない~※臨床治験)
○登山やスキーマラソン等は、化学治療をしても、これまでと同じようにできるようになる。
○何を食べても、アルコールを飲んでも構わないが、初めの2ヶ月は消化の良いものを食べるように留意すること。
○退院は、3/10(月)の夕方。 (いつでもいいとのことだったので・・・)

臨床治験への参加について
 現在、大学が協力して、ステージⅡ(意外と少ない貴重な患者!)の患者を対象に、化学療法の有無による再発率のデータを取る研究をしている。化学療法(1年間のUFTという抗癌剤服用)をするグループとしないグループに分けて、5年間にわたってさまざまな検査をしながらデータを取って比較研究をする。メリットは、費用は掛かるが、きちんとした計画に基づいた細かなチェックや検査等をしてもらえる。主治医は変わらずI医師のまま。どちらのグループになるかは研究機関で振り分ける。

 どうせ化学療法は覚悟していたし、化学療法を受ける側のグループになってもならなくても、5年間は細かな計画に基づいた検査をしてもらえるので、どちらのグループになってもメリットは多い。少しでも研究に役立てるのであれば、多少の副作用は覚悟である。参加したいということで手続きをお願いした。もちろん健康保険の対象になるし、癌保険や疾病保険の支払い対象になる。

 さて、昨夜は夜中中、傷の痛みが続き、熟睡できず。しかし、朝方になったら痛みも和らぎ始め、朝食後や回診時の手当て以降もぐっと和らぎ、気持ち的にもぐっと楽になった。回診時に傷を見たら、まだ2cmほど開いた感じである。あと3日もいたら、これが完全に塞がるだろうと、退院日を10日(月)に決めた。

 今日の運動は、朝食前に、8階分の階段昇降をゆっくりではあるが休まずに2往復続け、午前中に1往復を2回、夕食前に休まずに2往復した。山への復帰も予想より早いかも・・・? 早春の花を愛でる低山から再スタートするつもり。

~今日の見舞い
若い頃の同じ職場のSaさん(4回目)。XC-KIDSのFuパパ。高校時代からの同期の元同職・スキー指導員仲間のKoさん(2回目)。
 

入院23日目(術後8日)

2008年03月06日 | 大腸癌日記
                       (階段昇降運動)

 食事を摂るようになってから服用している薬は、ツムラの大建中湯という腹痛やお腹の張りをやわらげる漢方薬のみ。現在の処置は傷の手当てとガーゼ交換のみ。ただし、傷口が開いた一番大きな傷が昨日からずっと痛いままなのが気になる。医師に言わせると「だいぶ赤みがなくなっているのですが・・・」とのこと。昨日までの3日間は寝ていても歩いても痛くなかったのに・・・・・。痛いと、どうしても体を動かすのが億劫になるのが辛い。

 今日の回診時に「明日の夕方17:00からご家族と一緒にお話します」とのこと。看護師によると、多分、切除したリンパ節の病理検査の結果に基づいた今後の化学療法のことではないかとのこと。外来通院でできる化学療法ではあれば、まもなく退院だろうし、中には、そのまま、治療に入る人もいるらしい。いずれにしても、リンパ節転移の状況次第なのだろう。

 今日は、運動として、看護師さんにも許可をもらったので、8階分の階段昇降を何度かしてみた。朝食前、午前中にそれぞれ1往復、午後から妻にも付き合ってもらって1往復。1往復では息切れはほとんどなくなったが、かと言って、2往復続けるだけの元気はない。

~今日の見舞い
札幌からわざわざ山仲間(HYML)のganさん(てるちゃんとHiさんの見舞い預かり)。山仲間のマンタンさん。函館スキー連盟理事長Fuさん。山仲間(HYML)のYoさん。妻のおじ・おばSiさんご夫妻。学生時代同期の0さん。


入院22日目(術後7日)

2008年03月05日 | 大腸癌日記
                    (今日の夕食)

 便意がこまめに訪れるようになり、ガスも溜まらず、腹が張って痛くなるようなことはなくなった。これも順調な回復でうれしい。まだまだかなり緩い下痢状態ではあるが、水分を吸収する大腸が1/5も短くなったのだから、これは当分仕方ないであろう。

 朝食前の点滴が外されている間に、試しに地下2階~6階の階段昇降へ挑戦。下りからスタートしてすんなりと1往復できた。しかし、登り終わったときの息切れが凄かった。やはり体力は確実に落ちている。しかし、休みなしで往復できるとは思わなかった。点滴が外された明日からこの階段昇降も運動に加えよう。

  回診時の処置時に傷を良く見たら、口を開いていたのは、右下ではなく、真ん中の一番大きな傷だった。昨日から液もほとんど出ておらず、傷口も半分ほど塞がっていた。消毒し、初めての軟膏を塗ってガーゼで覆ってもらう。軟膏を塗ってから、傷がずっと疼くような気がする。これも薬が効いている証拠か・・・?

 点滴は今日の10:00~16:30のが最後の一本。これで、痛い思いや繋がれている思いから解放されて、さっぱり!夕方の回診時の主治医いわく「あとは傷だけですね」・・・。退院は近い?

 朝食と昼食は軟食A、どちらとも2/3ほど食べる。夕食は術前に食べていた軟食B、味付けも濃くなって美味しく感じる。お粥を2/3ほど食べておかずは完食。明日の夕食からは常食となるはず・・・気のせいか、手や顔の血色も良くなり、肌の張りやしっとり感も戻ってきたような気がする。

~今日の見舞い
最初の教え子たち~(旧姓で)Taさん、Oさん、Haさん、Koさん。最初の職場の先輩Waさん。保険外交員のOさん。元同職の後輩Koさん。XC-KID'SのSaさんとMuさん。

入院21日目(術後6日)

2008年03月04日 | 大腸癌日記
             (角度や距離が自由自在に変えられるTV~寝て観るのはこの角度が一番)

 歩いてもほとんど痛みを感じることがなくなり、いくらでも歩けそうな雰囲気で病棟散歩を楽しんでいる。昨夜、真夜中から今日の10:00まで点滴を外され、管から解放される。点滴キャスターがなくても、自分の2本足ですっきりと歩くことができた。手術前に連日階段昇降トレーニングをしていたことも少しは効果があったか・・・?

 今一番気になるのが便とガス対策。昨夜22:00ごろに2回出てすっきりとした。しかし、朝方にまた溜まり、腹が張ってきた。でも、朝食は半分だけ食べた。10:00ごろに開通し、再びすっきり。昼食は2/3で満腹、夕食も2/3でギブアップ・・・胃が小さくなっているようだ。夕食は五分粥から軟食Aに変わり、ささみの照り焼きが美味かった。

 昨日抜鉤した中で、くしゃみをすると一番痛みの強い右下の傷の付きが悪い。まだ口を開いた感じで血交じりの体液がにじみ出てきたので、その処置をしてもらう。なお、今日も20:00~明日の10:00まで点滴が外される。

 妻に肩と首を揉んでもらい、非常に楽になった。それにしても、この病院のベッドは、同じ姿勢でずっと寝ていても、腰が痛くならないのが非常に助かる。

 昨日と今日で読み終わった本~見舞いの方が持ってきてくれた漫画『岳』(石塚真一)1~4巻

~今日の見舞い
元同職の先輩Saさん、教育出版函館営業所長0さん。ライフスポーツ会長のHaさん、事務局のIさん、Kuさん、Hiさん。

入院20日目(術後5日)

2008年03月03日 | 大腸癌日記
 昨夜の真夜中以降も水下痢状の便とガスが腹の中で溜まり、腹が非常に痛かった。朝方と8時ごろに2度たっぷりと出てすっきりした。普通下痢だったら、何度も便意を催すが、今は腸の働きが悪く、どんどん送られないために、溜まれるだけ溜まってしまうのでお腹が痛くなるのであろう。食事は、今日の夕食からOKとなった。昨日まではあまりなかった食欲も出てきて、早く食べたくて仕様がなかった。主治医に「無理して全部食べないでくださいね」と釘を刺されてしまった。夕食時には、腹が張ったり痛くなっていないことを願っていた。

 今日は、午前中に、腹部のレントゲンを撮る。「腸閉塞の心配もないです」言われてひと安心。さらに、腹の中から血混じりの体液を出しているドレーン(排液用チューブ)も外され、抜鉤(抜糸ではなくホッチキスのピン状の鉤を抜く)もされて、非常にすっきりとした。主治医の「痛みは時間が解決してくれますよ」との言葉に、「心の傷よりも早いですね」と返したら、笑っていた。抜鉤されても一番痛いのはくしゃみだ。

 楽しみにしていた夕食時には腹の具合も良く、全部でも食べれそうな感じであったが、看護師に「1/3ほどにしておいてください」と言われる。夜の腹痛が心配なので、きちんと守った。献立は、5分粥、キャベツの味噌汁、卵豆腐、焼きなす、桃の缶詰であった。一週間ぶりに食べたこの献立は一生忘れないだろう。 

~今日の見舞い
XC-KID'SのSuさんご夫妻。若い頃の職場の先輩のSaさんご夫妻。

入院19日目(術後4日)

2008年03月02日 | 大腸癌日記
        
                        (本日いただいた花)

 ベッドに横になっている分にはまったく痛みがなくなり、気分的にも楽になった。歩きのスピードも上がってきた。今日は見舞いも多かったが、おしゃべりしても声も大きく出せたし、それほど疲れなかった。

 しかし、昨夜から新しい苦しみとの闘いが始まる。それは腹に溜まるガス。真夜中に断末魔の苦しみが襲う。なんとかガスを出そうと、脂汗を流しながら廊下を歩く。やがて、便意が・・・。水を少し飲んだだけなのに、水下痢の第一波。それに引き続き大量のガスを放出。少し楽になったが、まだ第二波が残ったまま。それが午前中まで続き、また苦しくなる。これがなかなかしつこい。結局楽しみにしていた6日ぶりの朝食は少しずつ箸をつけただけ。さらに、主治医から今日の残りの食事を止められる。残念無念!ここまでは順調過ぎるほど順調だったのに・・・。

 昼に腸の働きを良くする漢方薬をいただく。30分もしないうちに便意。夜中と同じような「なぜ、こんな量の便がでるのか」不思議なくらいの水下痢とガス・・・12時間以上苦しんだ腹の張りから解放され、ぐっと楽になる。夜ももらって飲んだが、果たして・・・・? 明日は、なんとか食事にありつきたい。

 歩きは、トイレに行くたびに病棟の廊下を往復するが、一回に2~3往復すればもうコタコタ。それでも、日中だけで4回ほど。腹の傷の痛みがなくなればもっと長く歩けるのだろう。明日が楽しみだ。

~今日の見舞い
札幌から「地図がガイドの山歩き」チームのsaijoさんとチロロ2さん。大船時代の教え子のKu君とMu君。元同僚仲良しグループのMuさん、Haさん、Saさん。山仲間のSaさん。山仲間(HYML)のTaさん、Ko玉さん。

入院18日目(術後3日)

2008年03月01日 | 大腸癌日記
             
            (昨日届いた花と弟が持ってきてくれた頭と手が動く癒し猫)

  今は、とにかく痛みとの闘い!しかし、日一日と安静時の痛みがどんどん和らぐのがうれしい。

  夜中2時頃に痛みが増し、痛み止めを打ってもらう。夜中2回トイレへ。なぜか、2回目の方が辛かった。トイレ通いとなぜか普段より多く出る痰を出すときが一番辛い。脂汗タラタラ・・・。もっと強烈なのがくしゃみ!絶対傷が開いたと思ってしまう。


 医師が「頑張って動いてください。その方が傷の付きも治りも早いし、腸の働きも良くなりますので」と言う。8時すぎにトイレのついでに、ちょっと楽だったので、病棟の端から端まで歩いてみた。もどかしいほどソロリソロリと往復で140mくらいか。術後初めて歯磨きもした。歩いた後は痛みが増すかと思ったが、むしろ和らいだ感じがして、今後の励みになる。

  喜んでいたら、ものすごい試練が待っていた。「歩いて中央病棟2階のレントゲン室へ行って、胸と腹のレントゲンを撮ってきて下さい」とのこと。オイオイ、手術室へ行くときは、必要のない車椅子を用意されて断ったのに・・・。こんなときは歩けかよ~。戻ったらドッと疲れと脂汗がでた。しかし、やはり安静にしているうちに痛みが和らいでくる。午後からはくしゃみの後以外の安静時には痛みがなくなって確かな回復を実感!結局、今日は痛さを堪えて病棟4往復とレントゲン室往復。だんだんスピードが上がって来た。

  16:00、飲水の許可が出る。恐る恐るひと口飲んでみる。特に異変なし。夜までに200ccほど飲む。異常がなかったことで、明日以降の食事計画が次のように示された。3/2五分粥、3/3軟食A、3/4軟食B、3/5以降常食。


  連日のたくさんのコメントやメールありがとうございます。全部読んで、元気をいただいておりますが、レスはもう少し待ってください。

~今日の見舞い
さいたま市在住の弟。癌春生活謳歌者のAさん。市内大船町のNaさん親子。