癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

食い物ネタ2題

2010年05月11日 | 食べ物
○ラーメン専門店「満龍」閉店
              
 本町(五稜郭電停前)で40余年も営業を続けてきた老舗のラーメン専門店「満龍」が、12日で閉店するという。

 このラーメン店がオープンしたときは、自分もまだ20代半ばで、強烈なインパクトがあった。当時、函館では札幌ラーメンと称する店の第1号だったような気がするし、味噌ラーメンを初めて食べたのもこの店で、その味も衝撃的だった。
 
 場所も良かったが、当時は、函館の有名店でいつも混んでいたし、自分もよく食べに行ったものである。特に、飲み会の帰りのここの味噌ラーメンは格別だった・・・・我々世代にとっては、昭和の思い出が詰まった老舗がまた一つ消える感じである。

 最近は、あちこちに美味しいラーメン店ができて、とんと足が遠のいていたし、たまに覗いてみても昔の賑わいはなかった。閉店の理由も、「不況で売り上げが減少していた・・・今が潮時と思い決断した」とのこと。

        
 8~12日まで、1日300食限定で650円のメニューを300円で提供するとのことで、初日の8日、プロ野球観戦の前に寄ってみた。妻も子供の頃何度か食べたらしい。他のお客もなぜか一様に味噌ラーメンを頼んでいた。やはり、思い出の味なのだろう。久しぶりだったが、他の店の濃厚な味噌ラーメンに慣れてしまったせいか、さっぱり味でとても懐かしい味がした。昔は濃厚だと思ったのが・・・。

○山菜天ぷらに舌鼓

 昨日、採ってきた天然のシイタケとギョウジャニンニク・・・昨夜はバター焼きと葉だけをおひたしで食べた。

 今夜は、天ぷらで食べたくて、ギョウジャニンニクの茎の部分だけ残しておいた。もちろんシイタケも・・・。それだけではちょっと物足りない・・・も~さんが、数日前「中島廉売でタラノメが売っていた。ガソリン代よりずっと安かった」と言っていたのを思い出し、寒風の中自転車で中島廉売へ・・・。

       
 まだ時期的に早くて、芽が小さいが、これで300円。山菜はほとんど山行のついでに見つけたら採ってくることが多く、こうして買ったのは初めてだ。手間とガソリン代を考えると、食べたいときにこうして買うのも良いものだ・・・・。
 そこのオヤジさんに、天然のシイタケの話をしたら、「俺もずいぶん山には入っているけどまだ見たことがねぇ。毎年生えるから大事にしねば・・・」と言っていた。

       
 この時期ならではの春の旬の味である・・・これからもウド、タラノメ、タケノコ、ワラビなどはまだまだ楽しめそうだ。

土方歳三進攻の道・川汲山道探索

2010年05月10日 | 登山・旅行
           
 明治元年に鷲ノ木に上陸し、五稜郭城とさらに江差へ進攻した土方歳三の歩いた古道を、5年以上の歳月を掛けて、いろいろな古い資料や古地図を基に自らの足で探し出し、それを昨冬、彼等と同じ時期に実際に歩き通し、さらにその記録を自家製本で出版した「旅人も~さん」・・・最近はTVや新聞で取り上げられ、あちこちで講演を依頼されている有名人だが、若い頃からのスキーを通した友人である。

    
 今日は、そのも~さんに案内されて、彼が探し出した土方歳三進攻の道の中から、薮の中に埋もれている当時の川汲山道(地図にもない江戸・明治・大正末期までの道)の痕跡を歩いた。これまで何度か山でお会いしているKo女史とKu女史とともに・・。

 川汲公園駐車場をスタートし、川汲川沿いに残る痕跡を辿り、新川汲トンネルの南茅部側入口手前の沢の左岸に続く旧道の痕跡(当時は本道と呼んでいたらしい)を辿り、九十九折と呼ばれるジグを切った道から旧川汲峠へ出た。

    
 旧川汲峠から、明治2年にやはり土方歳三が砲台を築いた台場山へ。

 さらに、入口を探し出すのに非常に苦労したという下りの道の痕跡も辿る。こちらは途中から明確な尾根道となって、現在のNTT管理道路(大正14年に造成された旧川汲山道)の入口手前の尾根の末端まで続いている。しかし、下の方は管理道路で分断されて、コンクリート壁の法面もあってそのまま降りることはできず、少し戻って尾根を下った。    

       
 今日歩いたコースのGPSトラックログ・・・きちんと刈り払いをすれば、まさに貴重な古道復活である。いつの日か、フットパスのような歴史の道として復活することがも~さんの願いである。

    
 下りの道で偶然見つけた天然のシイタケ・・・早速、採ったギョウジャニンニクのおひたしとともに、1/3ほどはバター焼きで夕食に上った

早速、も~さんの今日の日記に、詳しい記録がアップされています。
 http://mousan.com/nikki/10may.htm

私の詳しい探索記録は下記からどうぞ!
http://sakag.web.fc2.com/kakkumi-daiba.htm

今日も・・・

2010年05月09日 | イベント鑑賞・参加
     
 今日も、招待券のお陰で、日ハム対楽天戦の観戦・・・生試合を2試合続けて観るのは生まれて初めて経験。今日のお目当ては、昨日サインボールとサイン色紙をいただいたマー君・・・しかも、生マー君を目にするのも初めて・・・。

 しかし、立ち上がりはピリッとせず、初回に2点を献上。その後持ち直したかに見えたが、3対3で迎えた7回、高橋に満塁弾を浴びて降板・・・。1点台の防御率はどこへやら・・・。

 今シーズンは、岩隈で負けるとマー君も負けることが続いているような気がする。この二人で連敗していたら、どうしようもねぇなぁ・・・。

 しかし、球場のほとんどを埋めた日ハムファンにとったら、昨日は延長サヨナラ勝ち、今日も決勝点が満塁ホームランと、興奮のるつぼと化した最高の連勝だった・・・。

    
 心なしかしょぼんとした表情で帰りのバスに乗り込むマー君・・・次の交流戦で頑張れ!

プロ野球観戦

2010年05月08日 | イベント鑑賞・参加
   
今日と明日、楽天と日ハムの試合が、函館オーシャンスタジアムで開催される。
この2球団は贔屓の球団なので、当初は、外野席ででも観戦しようと思っていた。
ところが、数日前、かつて妻が東京のスポーツメーカーに勤務していたときの上司で、現在は楽天の球団職員となって良くTVにも映っている方から電話が入った・・・「函館へ行くけど、観に来るんだったら席を用意しておくよ。」とのこと。

今日行ったら、内野S席の招待券が二人分用意されていた。もちろん、明日の分も・・・当日券なら合わせて2万円・・・ラッキー!

   
おまけに、妻が「夫婦揃ってマー君(田中将大投手)のファンです」と話したらしく、ご丁寧にマー君のサイン色紙とサインボールまで用意してくださっていた・・・・感激!

   
試合前のグランドで、その職員と私の妻との7年ぶりの金網越しの再会シーン。
この後、きちんと対面を果たし、ゆっくりお喋りをしたのだが・・・。  

   
試合前の日ハムのマスコットキャラクターBBとチアガールのダンス 

   
 さて、試合の経過だが・・・ダルビッシュと岩隈、両エースの投げ合いなので、投手戦になるだろうと予想してはいたが、案の定、9回まで0対0で延長戦へ突入。延長に入ってどちらも投手が変わった10回、日ハムが稲葉のタームリーで1:0のサヨナラ勝ち。

 試合は気が抜けない接戦だったが、非常に寒かった。それにも関わらず、ほぼ満員のオーシャンスタジアムは初めて目にした。

 さて、明日は大ファンのマー君が先発である。なんとしても勝ってもらいたい!

佐渡の雪割草(オオミスミソウ)

2010年05月06日 | 登山・旅行


 新潟県界隈でしか目にすることができないと言われているオオミスミソウ(キンポウゲ科)・・・現地では雪割草と呼ばれている。
 4/26、佐渡の大佐渡山脈を金北山まで縦走して、この花の群生が見られる姫ヶ沢登山道を下った・・・・株毎に、花の色だけでなく、花びらの模様や形、雌しべや雄しべの色などなど・・・同じ物が2つとないのではないかと思われるほどの多様な彩りを呈している・・・念願の花だっただけに、大感激だった。






















大野市・勝山市観光

2010年05月06日 | 登山・旅行
 4/23は、朝に雨は上がったが、低い雲が垂れ込め、ときおり霧雨が降る一日だったので、福井県大野市と隣の勝山市の観光を楽しんだ。

○大野市

 越前大野城築城430年祭開催中の「北陸の小京都」大野市・・・小山の上に建つ城の下に碁盤目状のシックな街並みが広がる大野藩の城下町。
 回ってみて解ったが、函館との繋がりが非常に強い町だったことにも驚いた。まず、江戸時代弁天町にあった大野屋や敦賀~箱館間を往き来した大野丸は藩財政回復のための藩の施策だったらしい。また、箱館戦争にも官軍として参加している。

    
    (新緑と桜の亀山に建つ越前大野城)

    
(城への登り口にある民俗資料館~昭和43年(1968)まで裁判所として使用されていた建物の一部)

    
(総ガラス張りで堀が巡らされて何の建物かと思ったら、大野市立有終西小学校だった。街並みの景観に配慮した造り)

    
(観光の拠点として、町の景観に会わせて整備されている「越前おおの結ステーション」)

    
(古い看板や店構えがそのままの現在も営業されている店)

    
(市内の至る所に、いまでも生活水として利用している湧水地が点在している)



○勝山市
 
 勝山藩の城下町で、織物で栄えた町ではあるが、白山信仰の越前側の拠点として、一向一揆で焼き尽くされる前の最盛期には48社36堂6千坊に8000人の僧兵がいて巨大な宗教都市が形成されていたという平泉寺白山神社旧境内が一番の目的だった。杉の巨木と苔むした広い参道にその規模の大きさを十分窺うことができた。

    
(苔むした幅広の境内・・・この両側に神社や宿坊やお堂がたくさん建ち巨大宗教都市が形成されていた)

    
(奧が現在の白山神社・・・・一向一揆で焼き尽くされるまでは間口45間もの本殿が建っていたことが判る礎石が残っている)

    
(江戸時代の商家街の本町通りに残る時代を感じさせる商家)

    
(今でもデモンストレーションで稼働している織物の機械~「織物博物館的なゆめお~れ勝山」)
   
    
(勝山城歴史博物館・・・姫路城を模して平成4年に建てられた博物館。外観は5層6階の天守閣で、石垣から鯱までが57.8mと日本一の高さを誇る。中でも、白山信仰に関する展示が充実していた。)

    
(越前大仏殿と日本一の高さの五重塔がある清大寺・・・昭和62年創建の近代建造物、新しくてありがた味なし) 

    
(奈良の大仏より大きな越前大仏・・・これも昭和62年建立の近代建造物)

    

郡上八幡観光

2010年05月05日 | 登山・旅行
4/20は雨だったので、郡上八幡の観光をした。
「水と踊りの城下町」がキャッチフレーズの町。城下町の佇まいを残す古い街並みが魅力的な見所いっぱいの町だった。予想以上の歴史と文化が残る自分好みの町で、凄く得をした感じだった
        
    
「郡上八幡城」・・・・木造再建城としては国内最古。八幡山に築城されたのが郡上八幡の地名の由来。
山内一豊の妻お千代がここの出だということを初めて知る。

    
郡上八幡の歴史や文化の分かる「郡上八幡博覧館」・・・建物自体も歴史を感じる味のある建物だった。

    
台湾のツアと一緒になり、特別公開の「郡上おどり」の実演を見ることができた。ただし、中国語の通訳付き。

    
江戸時代の雰囲気を残しながらも民家が並ぶ古い街並み
どこも同じ街並みで変に観光化していないところが好きだ。りっばな寺も目に付く。

    
今も営業している江戸時代の雰囲気を残す商家

    
「郡上八幡旧庁舎」・・・観光案内所を兼ねた土産店やレストランが入っている。

    
大正時代の病院の建物を利用した「楽芸館」

    
「宗祇水」・・・市内至る所にこのような湧水地があり、今でも利用されている。

    
同じ郡上市白鳥地区・連泊した道の駅「白鳥」のすぐ側ににある長滝白山神社
白山信仰の美濃の拠点で、遠くからは近畿や中国地方からも信者が訪れ,最盛期には六谷、六院、360坊を数え「上り千人,下り千人」と言われるほど賑わっていたと言われている。

白川郷

2010年05月04日 | 登山・旅行

4/18、霜の降りた早朝、城山展望台から白川郷の集落を俯瞰する。後ろの山は三方崩山。

日中は観光客でごった返すので、ここに登山口のある猿ヶ馬場山へ登る前の早朝に集落を回ってみた。

   

   

   

   

   

   

今朝の青函フェリー

2010年05月03日 | 登山・旅行


 船旅の退屈しのぎに、一筆・・・

 最近利用することの多い青函フェリーだが、同じ函館~青森間を結ぶ津軽海峡フェリー(旧東日本フェリー)より安い上に、公式ホームページから印刷できるWeb割引券利用(1割引)で15,880円となり、4000円以上も安いのが魅力だ。ちなみに乗客料金もWeb割引券利用で1,440円となり、これも1,000円以上安いはず。車を積まないで青森間を往復するには、列車もあるが、それに比べたらかなり格安だ。

 ただし、津軽海峡フェリーに比べて、船は小さく、旅客室も狭く、売店はない。そのためか、普段はトラックがメインでいつも満杯。前もって予約しておかないと車は積めないことが多い。そのせいか、乗用車は数台で、旅客室に数人ということが多い。

 ところがGW期間の今朝は、これまでとかなり様子が違っていた。

 まず、トラックがやたらと少なくわずか4台に、乗用車が15台ほどで、車載スペースは半分も空いていた。しかし、2区画しかない旅客室は、満員状態(下の画像参照)。こんな状況は初めてだ。

〈珍しく満員状態の旅客スペース~さすがGW期間〉



〈17日振りの我が家はもうすぐ!〉


 ちなみに青森まで北上している桜前線は、この津軽海峡を越えるのに、5~7日は掛かるらしいので、まだ函館には上陸していないだろう。

祝瓶山中止、一路青森へ

2010年05月02日 | 登山・旅行
〈国道7号線・弘前市内の桜並木〉


予備日の今日は、午前勝負が可能な朝日連峰の祝瓶山を狙った。しかし、登山口の5kmほど手前で閉鎖されていた。そこにいた釣り人の話では、今年は雪解けが遅いせいらしい。
フェリーの予約は明朝の4:30だが、青森までの450kmの運転を考えると、時間が足りない。諦めて帰路に就く。

桜を見ながら国道7号線を北上。渋滞はほとんどなかったが、道の駅はどこも満杯で休むこともできず。スーパーの駐車場で1時間ほど昼寝。さらに秋田県立博物館で1時間ほど。あとはひたすら走るだけ。

青森フェリーターミナルに近い沖館温泉に入って、ターミナル駐車場で簡単に打ち上げをして、あとは寝るだけ。明日の9時前には17日振りの我が家。

男鹿岳(おがだけ)

2010年05月01日 | 登山・旅行
この男鹿岳(1777m)は、栃木県と福島県に跨る男鹿山塊の盟主で、日本海と太平洋の分水嶺の山である。

福島県側の田島町からこの山の北側の県境稜線(大川峠)までは、廃道寸前の林道が通じているが、そこから先は登山道がない。したがって、この残雪期に三百名山巡りの登山者で賑わう山である。今日も地元以外のナンバーの車ばかり10台ほど。

この林道は、最終集落の栗生沢から4.5kmほどの所で通行止めになっていて、落石や崖崩れがあちこちにあり、もう修復はしないようで荒れ放題だ。

この山も、前日の景鶴山に引き続き、東京の牧さんと同行。夜を明かした道の駅たじまを5:00に出て、栗生沢の先に続く林道に入った。

通行止めゲート前から大川峠まで約8kmの林道歩き。長い林道歩きは気が滅入りそうになるが、同行者がいて本当に助かった。峠からは雪の付いた県境稜線を辿って頂上へ。下の方の雪の切れたところは、笹藪の中に踏み跡が続いている。林道で熊の足跡も目にした。

頂上からは、一番近い那須山を初め、これまでに登った荒海山、七ヶ岳なども近くに見えた。

5:50スタート、登り3時間30分、下り2時間30分、12:20ゴール。

下山後、栗生沢の手前で牧さんと別れ、会津若松で温泉に入る。予備日の明日は、3山残している山形県の朝日連峰の祝瓶山の予定で、道の駅「白い森おぐに」まで走った。
〈登山道のない山だが立派な頂上標識が・・・バックは那須岳〉