癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

函館震源の地震

2016年06月16日 | 日常生活・つぶやき

 執筆依頼を受けていた大学の同窓会の「夕陽会報」への、このたびの2日間の旅行の原稿執筆に取り組んでいた午後2時21分、突然突き上げるような強い衝撃に襲われた。初めは地震だとは思わず、何が起きたのかと思った。

 すぐ揺れに変わったので、地震だと思ってTVのスイッチを入れた。震源は函館市川汲町の海岸近くとのことで、函館市は震度6弱と報じられていた。しかし、これは、南茅部地区の震度で、市街地は震度4くらいの感じだった。(翌日の新聞では函館市街地は震度3)

 震度の大きさから、子どもたちや姪子を初めあちこちの岳友たちから「大丈夫ですか?」のメールが舞い込んだ。時間が短かったこともあり、南茅部地区では多少の被害は出たようだが、函館市街地の方は異常はなかったようだ。

 最近は、東北大震災や熊本地震の影響で、地震にはみんな神経質になっているようだ。それにしても、こんな近くが震源になったのは初めての経験だった。

○「ランパス」36軒目(延べ38軒目)「スープカリーの店NINE」

今日も、家にいるときには日課になっている感のある「ランチパスポート函館」利用の昼食。
岳友のご子息の店で、ランパス以前にも2回お邪魔しているが、今回も出掛けた。
11:00からの利用時間だが、11:40ごろに行ったら、4組ほどいただけであっさりと入れた。
自分たちが食べ終わったときには、お客さんがいなくなっていた。ランパスも大分飽きられてきたようだ。

店内は、内装を変えたようで、黒一色から明るく華やかな感じになっていた。



提供メニューは「ころころお餅のスープカリー」(1000円→500円)。

肉類が入っていないせいか、あっさりした感じでちょっと物足りなかった。
今度は、最初のときに食べて美味しかった「ベーコンとトマトの焦がしチーズスープカリー」を食べに再訪したいものだ。

恩師を訪ねる遠野・花巻の旅 by 地理研OBの会(2日目)

2016年06月15日 | 登山・旅行

朝6時から開園しているバラ園と3館接続しているホテル。泊まったのは真ん中のホテル花巻。
この花巻温泉は、一括して以前は国際興業グループの経営だったが、今は花巻温泉株式会社が経営している。


ホテル前で集合写真を撮り、花巻市観光へ。花巻市は宮沢賢治一色の町と言っても過言ではない。


日ハムの大谷翔平投手、西武の菊池雄星投手の出身校・花巻東高校。


まずは、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」にも登場する北上川の「イギリス海岸」。
白い泥岩と青い水がイギリスのドーバー海峡の崖に似ていることから賢治が命名。


「雨ニモマケズ」の宮沢賢治詩碑。
農民による理想の耕土づくりのために賢治が創設ぢた「羅須地人協会」の跡地に建っている。


「宮沢賢治童話村」
「賢治の学校」は5つの部屋とギャラリーに分かれ、映像と音響により、賢治童話の世界を体感できる。


こんな不思議な空間も


「宮沢賢治イーハトーブ館」
宮沢賢治と作品を愛する方々により発表された賢治に関する様々なジャンルの芸術作品
、研究論文を数多く収集した文学館。
今は、賢治と交流のあった「黄瀛(こうはん)展」が開催されていた。


「宮沢賢治記念館」多彩なジャンルに及ぶ宮沢賢治の世界との出会いの施設。
スクリーン映像や関係資料を5分野に分類し、解説と作品に至る創作過程、最新の研究成果などを展示紹介


昼食会場となった「注文の多い料理店・山猫軒」・・・この売店でみんなお土産を購入。

自分の食べた「イーハトーブ定食」


最後の見学場所「ワインシャトー大迫」。早池峰山の麓のエーデルワイン製造工場。
ワインの製造過程を見学し、試飲の上お土産も購入。


土沢駅で遠野へ帰る先生へKo氏が挨拶し、お別れと見送り。先生からは「50年以上も前に教えたみなさんがわざわさ訪ねて来て下さることは教師冥利に尽きる」との感謝の言葉をいただいた。


一人一人と力強い握手をしてお別れをした。


貸切バスで盛岡駅へ戻り、盛岡三大麺セット(冷麺、わんこそば、ジャージャー麺)を食べる。


盛岡から北海道新幹線にのり、新函館北斗駅で解団式。札幌から参加してくれたNa氏の挨拶。


買ってきたお土産や先生からいただいたお土産

 瀬川先生のもとで学んだ同じ地理研究室を卒業した60代以上の先輩後輩が一堂に介しての楽しい旅行だった。 何と言っても、一番の収穫は93歳とは思えない先生から元気をもらえたことである。

恩師を訪ねる遠野・花巻の旅 by 地理研OBの会(1日目)

2016年06月14日 | 登山・旅行


 今日と明日、遠野市に住む93歳になる大学時代の恩師瀬川先生を訪ねる旅に出た。メンバーは先生にお世話になった地理研究室OBの83歳~64歳の17人。
 新函館北斗駅で結団式を行い、北海道新幹線に初めて乗ったが、気が付いたら、青函トンネルに入っていた。

わずか2時間で盛岡に到着。貸切バスで恩師の住む遠野市へ。恩師は退官後、実家のお寺の住職を務めている。


お寺の前に出て待っていてくれた先生に迎えられて、築200年以上経っている聞稱寺(もんしょうじ)へ到着。
先生とは函館でお会いして以来2年ぶりだが、相変わらず93歳という年齢を感じさせないお元気な姿だった。


まずは、本堂で団長のKa氏の挨拶。


相変わらず凛とした張りのある声で、皆さんを迎える挨拶をいただいた。

 
 まずは、昼食。盛岡駅で仕入れた弁当を食べる


さらに、読経と法話をいただく。法話は浄土真宗についての話だった。


先生も一緒にバスに乗り、遠野市観光へ。まず最初は「遠野物語の館」へ。


語り部から遠野に伝わる面白い民話を5話ほど聞く


次に「かっぱ淵」へ

 
曲がったキュウリをえさにかっぱ釣りにトライ。   かっぱ淵のそばの常堅寺のかっぱ狛犬


次に、この地方の古民家で構成されている「伝承館」で、南部曲り屋を見学。


さらに、距離で360mの上り坂の上にある不思議なバランスの巨石「続石」。
ここの登りは急で、皆さん大変だったが。先生以外は全員登って来た。


宿泊は花巻温泉のホテル花巻。夕食はバイキング。90分飲み放題。

 
自分の食べた料理。



部屋を変えての二次会。話題はもっぱら先生の元気の秘訣と努力の話。
「125歳まで生きる方法」などと言う本を片手に、毎日の鍛練ともいうべき筋トレや脳トレの話に圧倒されっぱなし。
午後10:30で一端打ち上げたので、自分を含めて数人は就寝。しかし、先生は11時まで付き合ったそうだ。我々の方が負けている。結局元気組は午前1:30まで飲んだらしい。

昼食・夕食ともに「ランチパスポート」

2016年06月13日 | 登山・旅行
 朝から雨なので、家でおとなしく「山楽紀行」の出版のための原稿準備をして過ごした。
 「ランチパスポート函館」の利用期間も今月一杯に迫って来たので、まだ行きたい店や再訪したい店の追い上げモードに入った(笑)。
 明日と明後日は行けないので、今日は昼食も夕食も「ランパス」で済ませた。

○「ランパス」35軒目(延べ36軒目)「和風とんかつ専門店 とん悦」

 昼食は、いつも一度は入ってみたいとは思っていたが、1000円以下のメニューがなく、なかなか行けないでいた宝来町の創業45年の老舗「とん悦」へ、このときとばかり出掛けた。

 ここも、1050円が500円とあって人気店だ。最近でも30分は並ばなくては難しいとことなので、開店の25分前に行ったら、6番目だった。情報によると20食ほどの限定らしいので、らくらく間に合った。
 5分前に整理番号を書いた札を配り、まもなく入店。一人客は相席をお願いされていた。



提供メニューは「ひと口ヒレカツ定食」。たれは、ゴマか大根おろしポン酢を、ご飯も大中小を選べる

 我が家は、二人とも大根おろしポン酢で、ご飯は中。しかし、我が家のご飯の2膳分はあった。
 ひと口ヒレカツとはいえ、それほど小さくなく、さすが、食材にもこだわっている老舗だけあって柔らかくサクサクで美味しかった。

○「ランパス」再訪2軒目(延べ37軒目)「ラーメン ちゃんぽん 長崎屋」

 前回食べたときにとても美味しくて、ぜひとも再訪したい店だった。しかも、唯一夜も利用できる貴重な店なので、夕食はこちらで済ませることに。妻はこちらの旅の最中に1度行っているのでこれで3回目だ。


提供メニューは「長崎ちゃんぽん」(750円→500円)

 これまで何度かほかの店や本場でも長崎ちゃんぽんは食べたことはあるが、この店とは別物の気がする。具だくさんで、地元客に愛されるように改良に改良を重ねた味だと言うだけある。2度目でも十分満足できる味だった。

函館市主催・「山の日」施行記念恵山登山会

2016年06月12日 | 登山・旅行

ガスの中の権現台コースを登る

 函館市主催の国民の祝日「山の日」施行記念恵山登山会が開催された。その協力団体「新日本百名山恵山に登る会」会長として、ほかの協力スタッフ12名とともにお手伝いとして参加させていただいた。スタッフも含めて参加者は合計43名だった。

 この「新日本百名山恵山に登る会」会長のポストは、2005年9月に日本百名山の選者である岩崎元郎さんの来函に合わせて開催された講演会と登山会の主催団体の代表に奉られたのが原点である。今回は、恵山を舞台とした登山会ということで、その団体名を復活させ、昨年11月に今回使用した恵山高原コースの開削再整備作業にも協力していただいた函館地区の山岳会やHYMLのメンバーに声を掛け協力をお願いした。参加してくださった12名はいずれも齋藤浩敏さんの捜索活動に参加した心強いメンバーばかりだった。前回も今回も仕掛け人と実際の実務を掌る事務局長は、自然倶楽部の鎌鹿さんである。

 恵山は、残念ながらガスの中に姿を隠したままで、非常に寒く、自分も持参したものをすべて着込むほどだった。コースは恵山高原コース~権現台コース~頂上の往復のロングコースだったが、落後者は誰もいなくて、快調なペースで歩くことができた。

 8:00スタート 登り3時間10分、下り2時間50分(途中での昼食タイム30分を含む)、14:30ゴール


昨年11月に再開削された恵山高原を登る


途中にある温泉パイプの中継貯蔵タンクの前で説明を聞く。
以前は、今は廃屋になっている恵山モンテローザの温泉を火口原下の源泉から引いていたが、今は石田温泉が利用。


今を盛りと咲く恵山名物のサラサドウダン


林を抜け湿地帯の草原に出る


恵山高原駐車場避難所で、恵山の歴史について説明する郷土史・古道研究家のも~さん


火口原駐車場から権現台コースへ向かう。いよいよガスの中に突入。
ガスの中の恵山は初めて登るので、ほかの山に登っているような新鮮な感覚だった。


頂上付近のみごとなエゾイソツツジの大群落


ガスの中での記念撮影。みなさんが広げているのは、この行事のために函館市で作成した記念タオル


山頂は風が強く、寒かったので、権現台コースの「憩いの広場」で昼食タイム


昼食タイムに、恵山から下海岸を舞台とした「道南口説」を披露する恵山支所松本主査


 参加お土産~つつじ祭りのときに開催された「親子登山会」と連動したものなので子供向けのお菓子が多い。


GPSトラックログ

大千軒岳(知内川コース)

2016年06月11日 | 登山・旅行

ちょうど見ごろを迎えていたシラネアオイの群落から千軒平のKuご夫妻と頂上を望む

 2006年のエヴェレスト街道トレッキングでご一緒して以来年賀状のやり取りをしている神奈川県藤沢市のKuご夫妻が北海道の山に登りに来た。
 ちょうど、良い具合に、向こうの計画の知内川コースからの大千軒岳に同行することができた。例年この時期には登っているので好都合だった。昨年は6/7に登ったが、今年の方が花が遅くちょうど見ごろな感じだった。

 土曜日でもあり、多くの登山者がいろいろなコースから登って来ていたが、我々と同じ知内川コースからが最も多かった。頂上から千軒平へ下りてきて、昼食タイムに入ろうとしたときに3名の若者グループから「いつもホームページ参考にさせていただいています。一緒に写真を撮らせて下さい」と挨拶をいただき、写真に収まった。函館の方々だった。

 5:25スタート、登り4時間、下り(千軒平での昼食休憩を除く)3時間30分、ゴール13:45。

スタートしてまもなく、ラン系統の花を次々見ることができた
 
 サルメンエビネ      コケイラン

  
ギンリョウソウ       ササバギンラン


河畔のサワグルミ林の中を行く


ガンバレ岩付近から前千軒岳を眺める


珍しく大きな雪渓が残っていた。帰りに滑って転び尻滑りで下りた。


ちょうど見頃を迎えていた日本一の大群落と言われているシラネアオイ


稜線を彩るミヤマアズマギク(紫)、ミヤマキンバイ(黄)、エゾノハクサンイチゲ(白)


千軒平から山頂を望む


エゾノハクサンイチゲの中を歩き、山頂を目指す。
この上にはミヤマオダマキは咲いていたが、チシマキンレイカ(タカネオミナエシ)はまだだった。


山頂での記念写真


 下山後、知内町営温泉こもれび温泉に入り、明日、駒ヶ岳に登ると言うご夫妻と別れて帰路に就いた。

調整ジョグ

2016年06月10日 | ウォーキング・ジョギング・マラソン

函館マラソンフルのコースにもなっている巴大橋。本番は車道を走ることになるが・・・。

 爽やかな青空が広がった。いよいよ函館マラソンまで2週間を残すところとなった。フルマラソンの場合、これからの2週間は、疲れを抜きながら筋力を落とさないようにする調整期間だという。本来であれば、2週間前に20kmほどを走って、それから調整に入るのが望ましいらしい。
 
 しかし、明日と明後日は、大千軒岳のご案内と恵山登山会の予定が入っている。どちらも8時間ほどの行程だ。今日20km走ってしまうと、明日以降が大変だ。そこで、10kmだけ走ることにした。

 歩き旅の疲れもだいぶ抜けたようで、2日前に札幌で走った10kmよりずっと楽だった。20kmでも走れそうな気がした。本番は7分/kmイーブンを目標にしているので、そのペースを身体に覚えさせるようにゆっくり走った。しかし、結構楽だったので、最後の2kmはスタミナ養成も兼ねて6分/kmで走り終えた。

 来週中の20km走は山の疲れもあるので無理だろう。その後は、今回の連日30~40km近く歩き続けた脚に期待するしかない。その筋力を走る筋力に変えるように、疲れを残さないように10km走前後で調整するしかないと思っている。

○「ランパス」34軒目(延べ35軒目)「カフェ エスポワール」
 

 今日も「ランチパスポート函館」利用の昼食は、戸倉町のパンの店エスポワール内にある「カフェ エスポワール」へ。
 湯の川方面は、遠いのでついつい億劫で出掛けていなかった。しかし、ここのパンと生パスタのセットは好評なので行ってみた。
 予約が利くので、12:00にお願いして出掛けた。きちんと予約席を用意しておいてくれた。


たくさんの種類のパンが売られている店内の奥がカフェになっている。


 ここの店の提供メニューは「生パスタセット」。
 冊子の方には、2種類しか載っていなかったが、5種類の中から選べるようになっているようだ。
 自分たちが着いた時には、冊子に載っていた2種類は完売したので、他から選ぶように言われた。

自分はエビのジェノペーゼパスタを、妻は、明太子クリームパスタを頼んだ。
どちらも美味しかったし、パンは持ち帰りでも良いがしっかりと全部食べてきた。
ここも、機会があれば再訪したい店になった。

豊平川沿いジョグ & 横手商店のかにめし弁当

2016年06月08日 | ウォーキング・ジョギング・マラソン

 昨夜は、これまでも何度か利用しているすすきののカプセルホテル「スパホテル ソーレススキノ」に泊まった。最近、中国系の旅行者が増えたせいで、3000円代で泊まれるホテルがなくなった。      

 このカプセルホテルは、会員価格が2800円で、隣の駐車場が24時間1100円。何より良いのは、車中泊と同じような空間にTVもあり、快適なベッドで非常に落ち着いて良く眠れること、サウナ併設の大浴場があること、のんびり寛げるリクライニングシートの休憩室があること、簡単な朝食が無料で食べれることなどなど…サラリーマンの利用が圧倒的に多いが、慣れると結構癖になる。


 今日の会議は午後からなので、7時頃からジョギングに挑戦してみた。すすきのから豊平川へ向かい、豊平川沿いの遊歩道を走った。

 まだ脚に疲れが残っている感じではあるが、なんとか7分イーブンで10kmは走ることができた。しかし、まだ走る脚には程遠い感じだ。もう少し休めてから徐々に馴らして行くしかないようだ。

 あと函館マラソンまで18日、まだ1度も走れていない30km走をするには、日程的にきつそうだ。頼みは今回の歩き旅パワーだが、果たして?

 フルに申し込んだことを少し後悔し始めている自分がここにいる。 

○横手商店のかにめし弁当
 会議が珍しく1時間で終わったので、7時には帰宅できそうだった。そこで、長万部でかにめし弁当を買って帰ることにした。かなやは16:30で営業が終わり間に合わなかったが、横手商店はまだ営業していた。
 

 こちらは醤油味で、かなやの塩味とは別の美味しさがあり、最近ネット上でよく眼するようになった。
 ご飯の量も具の量もこっちの方が多いような気がする。



札幌での新しい出会い2件

2016年06月07日 | 日常生活・つぶやき

 明日、札幌でスキー関係の会議が入っていた。それに合わせて、北海道新聞(札幌圏)連載の「ほっかいどう山楽紀行」の次の担当編集委員との顔合わせをすることになった。

 実は、これまでの2人目の担当編集委員Aさんは7月からご栄転し、その後を同じ報道部のKo編集委員が引き継ぐことになった。連載も5年目に入るが、担当はこれで3人目だ。Koさんも2人の前任者同様登山愛好者なので助かった。

 17:00に道新本社で、3人で顔合わせを兼ねて引き継ぎを行った。あわせて、来春までの執筆予定の山一覧も渡してきた。こちらとしても、執筆する山を決めておかなくては、出版の準備に間に合わないからだ。新聞に掲載する前に原稿を執筆しておき、それも含めて出版社に渡し、掲載されたときの校正に基づいて、出版の原稿も手を入れて行く段取りになっているからだ。


 それが終わって、いつもの串鳥で夕食を兼ねて一人で呑んでいた。その内に、隣の席で一人で呑んでいた40代とおぼしき男性が、やおら「坂口さんですよね」と声を掛けてきた。もちろん会ったことのない方だった。

 「八雲のてんじろうです」とのこと。拙サイトを毎日チェックしていて、たまにコメントを下さる方だった。自分の現職時代の同職の方だったこともあり、お互いにお会いしたいと思っていた方だった。「まさかこんなところでお会いできるなんて」と誰かが会わせてくれたとしか言い様のない必然的な出会いに感激。

 やたらと人生観や教育観の相通ずる方で、山の話より教育の話で意気投合。すっかり2時間以上呑んじゃった。

○「ランパス」32軒目(延べ33軒目)「あっとほーむだいにんぐ TAKEDA屋」
 家を12:00に出れば間に合うので、11:00から利用できる富岡2丁目の「あっとほーむだいにんぐ TAKEDA屋」へ。

 普通の民家をそのまま使い、台所を調理室にして、リビングやほかの部屋(和室と洋室)にテーブルを置いている。
 よそのお宅でご馳走になっている感じで、店名のように「あっとほーむ」がウリのようだ。



 提供メニューは「日替わり定食」なので何が出るかわからない。今日のメニューは「とんかつ定食」だった。食材は、安心安全で道産食材にこだわっているようだ。肉は柔らかくて美味しかった。
 出てくるときには、ほぼ満室のようだった。

ランチパスポートのはしご

2016年06月06日 | 食べ物
 やはり自分の家のベッドは良いものだ。10時間近くも寝ることができた。やはり疲れていたのだと実感した。
 今日は、まず、HPの方からも今回の旅日記を見られるように更新作業に取り組んだ。

 お昼には、明日からまたしばらく昼時には家にいないので、「ランチパスポート函館」で昼食を食べに出かけた。利用期限は今月末だ。80軒全部を制覇した人もいるようだが、自分たちはそのつもりは全くない。
 妻は、自分の留守中に2軒行ったようだが、まだ行きたい店や再訪したい店は数店残っている。

○「ランパス」31軒目 「茶蔵(ちゃくら)」

杉並町の遺愛高校の裏の築80年以上の古民家を利用しているおしゃれなカフェ「茶蔵」。
一応電話予約をして行ったが、4組8人くらいで空いていた。


店の内部の様子(他サイトから借用)



提供メニューは「明太子ドリア」。自家製のホワイトソースのまろやかさと明太子のバランスが絶妙で、とても美味しかった。ただ欲を言えば、正面に焦げ目が欲しかったし、野菜サラダとかコーヒーくらい付けて欲しかった。

○「ランパス」再訪1軒目 「葉な彩」
 茶蔵の明太子ドリアだけでは少し食い足りない・・・ということで、近くのホテルドーミインの中に入っているパスタ専門店「ダイニング うらら」へ出掛けた。ところが、残念ながら定休日だった。
 そこで、その隣の超人気だった「ひこま豚の蒸ししゃぶしゃぶ」の「葉な彩」を覗いてみた。利用時間から40分ほど経っているのに、混んでなくで、まだランパスが使えた。ここはぜひ再訪したい店だったので、迷わず入店。この時期になって、ランパスブームもだいぶ落ち着いてきたようで、利用時間前に行列ができるような状況ではなくなったようだ。




 前回は肉が3枚しかなかったようだが、今回は倍の5~6枚ほどに増えていたし、野菜も多くなっていたようだ。
 相変わらず美味しかった。これにコーヒーが付いて1400円が500円はうれしい設定だ。

中山道歩き旅(第1弾)を振り返る

2016年06月05日 | 登山・旅行

日本橋からスタート(5/24)

 中山道歩き旅の第1弾を終えて、今日は名古屋から帰路に就いた。名古屋から函館までの飛行機はANAの1日1便しかない。それが満席だったので、シニア空割が使えない。仕方ないので、空席ありの便を利用して羽田で乗り継いで、13時過ぎに無事帰宅できた。シニア空割(65歳以上、JALは当日シルバー割引13,300円)は全国どこでも距離に関係なく1便に付き13,590円である。直行便ならそれだけで済んだが、乗り継ぎになったので、2便分の27,180円になったが、それでも安い。

 昨日、50年以上お世話になった3軒隣のおばあちゃんが亡くなったという知らせが入り、今晩がそのお通夜だった。予定を2日詰めたおかげで間に合うことができた。たまたま家へ着く直前、お宅の前を通り掛ったときがちょうど出棺のタイミングだった。リュックを背負ったまま近所の人や妻も一緒にお見送りをすることができた。

 さて、全コース歩いたわけではないが、この12日間の第1弾の武州路・上州路~信濃路~木曽路の歩き旅を振り返ってみたい。

○コースについて
 中山道は、予備知識として、五街道の中で一番古い街道や宿場、古い建物や史跡が多く残っていることが魅力で計画した旅だった。確かにそれらは予想以上で大満足の旅だった。
 本州の旅は、いつものことだが、北海道では触れることのできない中世や近世を含めた重層的な歴史に触れることができるのが大きな魅力である。それらにじっくり触れることができるのが歩き旅である。そういう意味では今回も大満足の旅だった。

 東京から続く2日間は、ほとんど街中ウォークの感じだったが、それでも、国道を外れでの旧街道部分では、下町的な情緒が溢れ、幅狭い道路とともに古い歴史を感じることができた。それ以降は、のどかな農村風景や昔からそこに住んできた人々の営みを感じる集落の通過、そして昔賑わったであろう宿場と、メリハリのある変化に富んだ歴史や景観を楽しむことができた。

 もともと生活道路を繋いで街道を整備したので、峠越え以外の集落のないところは国道に吸収されているところが多い。しかし、四国遍路に比べて、予想以上に国道歩きは少なかった。
標識が充実していて、国道や県道を横切るところやそれらから旧街道へ入るようなところなどは非常に助かった。

 自分的には一番うれしかったのは、江戸時代から明治にかけて建てられた建物の多さとその造りである。そして、当時の旅人が難儀したであろう峠越えの道が、古道や旧道として自然のまま残っていることである。こんな場面では、ついつい当時の旅人の苦労を感じてしまう。そんな魅力が凝縮されているのが妻籠と馬篭の間である。昔から人気の高さの理由を実感できる。

 あと、北海道と違って、一番目に付くのは道端の古い石碑類の多さである。庚申塚、道祖神、古い道標、石仏、記念碑、句碑、小さな社や祠、歴史的な由緒を刻んだ碑など、新旧含めて非常に目に付く。ついついそれらに目が行ってしまい、その年号が江戸時代以前だったりするとついうれしくなる。

 それぞれの宿場にはいろいろな歴史はあるが、本陣跡や脇本陣などの参勤交代の大名行列の利用のほかに、どこへ行っても目に付くのは「和宮降嫁」の記録である。1861年10月に京都をたち、翌2月に江戸入りしている。行列の人数は3万人とも言われており、一つの宿場を通過するのに4、5日も要し、それぞれの宿場の大変だった対応ぶりが感じられる中山道最大のイベントだったようである。また、明治13年(1880年)の明治天皇の視察旅行の宿泊や休憩の史跡も多い。


11日目の妻籠宿(6/3)


○日程について
 12年前の四国遍路のときは1日40kmをメドに歩いたが、今回は25~30kmで計画を組んだ。しかし、夕食前に2時間ほどのブログアップのメドを付ける時間を確保しても、30~35㎞くらいが妥当な距離だった。結局当初は14日間の予定だったが、2日分を詰めて12日間で踏破できた。結果から割り出してみると、見るところの時間や昼食時間を含めても、1時間4km計算だったような感じだ。

○思いきった軽量化が功を奏した体調
 いつも歩き旅は2日目が一番辛い。今回もそうだった。おまけにリュックが重くて大変だった。そこで、思い切り軽量化を図り、翌日に不要なものを送り返したのが功を奏して、その後は、足が痛くなるようなこともなく、筋肉痛もなく、腰を降ろして休むのは昼食時のみで快調に歩くことができた。
 リュックの重さを感じないで歩ける重さは6kgぐらいが妥当なところか?その分洗濯の回数は多くなるが、今回は汗をあまり掻かなかったので、パンツ以外は同じものを2日続けて着用した。

○下半身のランニングタイツ
 なお、上半身は朝の寒いときは半袖の上に薄いジャンパーを着たが、日中はほとんど半袖シャツだけだった。下半身は、ハーフパンツにランニングタイツを履いて歩いた。2日間だけ、脹脛用コンプレッションタイツを履いたこともあった。

○マメ対策
 足の指の水ぶくれのマメに悩まされた四国遍路時の経験を生かし、それ以来歩き旅では、5本指の靴下の上に厚めのランニングソックスや登山用靴下の重ね履きをしている。今回も最後の1日前に親指に小さな水ぶくれのマメができたが、持参していった縫い針で水を出して、カット絆を貼って終わった。

○役に立つスマホ
 昨年の「富士山ぐるりトレイル」のときもスマホにはずいぶん助けられた。携帯電話でのブログアップよりずっと効率的なこともあるが、一番助かるのは、自分の現在地が地図アプリで分かることだ。何度か道を間違ったりしたが、そのたびに助けられた。さらには、宿探しだ。地図上で場所まで分かるので、自分がその日に歩けそうな宿場や街道に近い宿を探したり、その特色や口コミ、価格などが分かったりすることだ。

○励みになるブログへのアクセスとコメント
 ホームページやブログをやるようになってからは、「歩いては書く、登っては書く」が自分のスタイルである。ある意味、その日のうちに書かなければ忘れてしまうので、備忘録の意味合いが強い。それに対して、毎日実人数700名以上の人(IP数)が読んでくれていると思えば、歩きにも、ブログアップにも大きな励みになっていることは確かだ。
 さらに、コメントもうれしい。特に、五街道すべてを歩き、この中山道を勧めてくださった箱館人さんの自分の体験に基づいた毎日のコメントは心強かったし、うれしかった。

○凄い日焼け

 雨に当たったのは7日目の午前中の霧雨だけだった。あとは、ほぼ晴天で、日焼けが凄かった。同じ方向へ向かって歩くので、いつも太陽を浴びるのは左側だけで、左腕と、2日間だけ短パンに脹脛用コンプレッションタイツを履いたので、素肌を出した膝を中心とした日焼けが凄かった。

12日目 妻籠宿~43,馬籠宿~44,落合宿~中津川駅 〈16.9km〉

2016年06月04日 | 登山・旅行
 今日で、今回の武州路・上州路~信濃路~木曽路までを第一弾の終わりとして、残りの美濃路と近江路は、紅葉の11月中旬ごろに合わせるつもりだ。

 今回は、当初の計画を2日分詰めることができ、まだまだ歩ける自信が付いた。


 朝から手の込んだ手作り感満点の朝食。
 ようやく最後になって、途中何度も目は覚めたが、8時間近く眠ることかでき、スッキリとした朝を迎えることができた。今日は、最短距離なので、遅い朝食も摂って、車で妻籠宿まで送ってもらった

 8:00、ラストウォークのスタート。土曜日でもあり、出会う人も多く、その内1/3は欧米人だった。馬籠宿は観光客で賑わっていた。

 妻籠宿から馬籠宿の間も見所が多かった。しかも、嬉しいことにほとんどが、いにしえのままの自然道だった。特に妻籠と馬籠の間は、もう一度歩いても良いと思うほどだった。


 まずは水車小屋をはじめ、昔ながらの風情が残る大妻籠集落。昨日泊まった民宿はこの上の山の方へ上がったところだった。ここには、その民宿も含めて今でも営業している宿が6軒あるそうだ。妻籠宿の中の宿は5軒とのこと。昭和40年代は50軒近くあっても足りないくらいだったらしい。


 つづら折りの石畳の道。急な坂道は雨で土砂が流れないように石畳にしたようだ。


 一石栃立場茶屋跡は格好の休憩場所になっている。内部も開放して休憩所にしていた。


 長野県と岐阜県の境になっている馬籠峠。


 馬籠峠を抜けた峠集落は、伸びやかな斜面が広がる。


 馬籠峠からの下りも生活道路以外は自然道だった。


 馬籠の入口は小さな峠の上にあらり、正面に頭を雲に隠した恵那山が見えた。


 いよいよ馬籠宿に入っていく。「馬籠宿」は、1896年の大火でほとんど焼失してしまい、いまある家並みはその後復元されたものである。「妻籠・馬籠」とセットで語られることか多いが、妻籠の伝統的建造群保存地区に対して、こちらは、宿場のテーマパークといった色合いが強い。
 
 街道の両側にずらりと並ぶ飲食店や土産物屋も、現代的な宿場歩きが楽しめる。それでも、住民が一丸となって町並み保存に力を入れたことや、年月を経たことで、馬籠は宿場町ならではの風情を充分に醸し出している。


 また、馬籠と言えば、島崎藤村である。生家や本人の墓もあり、幕末から明治にかけての激動の時代を描き、この馬籠宿を全国に広めた『夜明け前』の舞台でもある。
 本陣跡にある島崎藤村記念館など多くの資料館や関係する建物が存在する。
 ちなみに、藤村の妻は函館の人てある。『破戒』の出版に当たって実家の世話になった話は有名である。


 おやつ代わりの五平餅を食べた。説明板をバックに。
 
 
 馬籠宿を抜けた先の子規公園から眺める棚田が美しい。


 十曲峠は、深い木立の中を石畳の続く急な坂道が続く。


 「落合宿」は、本陣跡や常夜灯が目を引く静かな宿場である。


 中ほどには、加賀百万石前田家から贈られたという格式高い表門を持つ井口本陣跡。中山道ではも数少ない現存する本陣建築で、今でも住居としながら保存されている。


 いよいよ今回のゴールとなる中津川宿までの歩きとなった。馬籠宿からも同様に結構坂道の多い歩きだった。特に与坂は、距離は短いが、これまででもっとも急な坂道たった。

 12:50、中津川駅に到着。中津川宿の歩きは、次回の楽しみとして残しておき、ここを今回のゴールとした。

 中津川駅で立ち食いそばを昼食とし、お土産を買い、名古屋駅まで電車で移動。

 名古屋での宿は、土曜日なのでどこも混んでいそうだ。いろいろ探すのが面倒なので、名古屋駅に近いカプセルホテルに電話したが、3軒目でようやく確保することができた。


 大浴場にゆっくり入り、夕食には早かったが、ホテル内の飲み食い処で「名古屋セット」を肴に、一人打ち上げ。あと、名古屋名物の味噌煮込みうどんを食べたかったので、地下鉄に乗って有名店の山本屋本店へ。




帰りに、これまた名古屋名物の世界の山ちゃんの手羽先も食べた。



 
 明日は、一便しかない直行便でかえりたかったが、満席でシニア割引が使えない。空席のある羽田乗り継ぎで帰る予定。

【歩数計】26560歩。中津川駅まで

【諸経費】省略

中山道歩き旅(第1弾)を振り返る」へ

11日目 上松宿~39.須原宿~40.野尻宿~41.三留野宿~42.妻籠宿 〈計35.5km〉

2016年06月03日 | 登山・旅行
 今日は、この旅2番目のロングコースなので、朝食は摂らずに5:00にスタート。朝はかなり冷えたらしい。最低気温が2℃とのことだったので、スタート時間もそんなところだったのだろう。

 下は、ランニングタイツにハーフパンツなので寒くはないが、上の長袖は送り返したので、半袖に薄いウィンドブレーカーだけ。体も寒いが特に手が冷たくて仕様がない。のんびり歩いていられない。3時間ほどは大急ぎの10分/kmペースで歩いたが、暖かくならなかった。深い谷地形なので、8時頃になってようやく陽光が当たるようになった。


 上松は、今注目の力士・御嶽海の出身地で、このような張り紙があちこちに貼られていた。


 最初に寄ったところは天下の名勝「寝覚めの床」。これで2回目だが、碧い川面と白い花崗岩、周りの緑が織り成す景観がみごと。


 広重の「中山道69次」の上松宿は、この「小野の滝」が描かれている。


 次の「須原宿」は、街道の随所に水舟が置かれている。木曾五木のサワラをくりぬいた水舟には裏山から引いた湧き水が注がれ、旅情を誘う。


 その向かいの西尾酒造は地酒の「木曾のかけはし」を造っている。


 ここは、宿場時代からの「桜の花漬」で有名なところだが、駅前にその店があった。


 須原宿から野尻宿へむかう途中には、京都の清水寺を真似た岩出観音。


 さらに、山の方へ上がっていくと、のどかな農村風景がひろがる。このお寺の天長院には、マリア観音があるというが、見つけられなかった。


 その代わりに、ほっこりして思わず疲れが抜けそうな地蔵さんたち?を見つけた。


 次の「野尻宿」は、「七曲がり」と呼ばれ、外敵を防ぐために曲がりくねった町並みが特色だ。古い民家がちらほら残っているが、昔を伝えるものは少なかった。


 本陣跡には、その碑だけがた立っていた。

 野尻宿から三留野宿までは、国道と線路を何度も横切るので案内標識を見落とさないようにしなければならない。うっかり見落としたらしく、国道の野尻トンネルの中を歩くはめになってしまった。そのあとも国道歩きが続いた。
 三留野宿の手前の食堂で、昼食にしょうが焼きランチを食べてのんびり休んだ。


 「三留野(みどの)宿」は、かつては妻籠の並ぶくらい栄えた宿場だったらしいが、1881年の大火で町並みのほとんどを焼失したという。それでも宿場のほぼ真ん中に本陣跡の脇本陣跡の碑が立っていた。
 しかし、宿場を抜けた辺りの民家の出梁造りに往時の面影が偲ばれる。


 宿場の先の南木曽駅横には、木曾檜の集材所があり、壮観だった。


 妻籠宿の手前の竹林の中に続く石畳道か風情たっぷり。


 妻籠城趾から妻籠宿を見下ろす。9時間以上も歩いた後に、この上に登るのは辛かった。


 14:30、今日のゴール、言わずと知れた日本の宿場を代表する「妻籠宿」に到着。ここに来るのは、これで3回目だ。全長800mの宿場には、出梁造りの二階屋と竪繁格子、うだつのある家などが並ぶ。


 電柱も自販機もなく、当時の姿を保つように工夫されている。


 宿場には、ほぼどこにもあった本陣、脇本陣、高札所なども忠実に復元されている。

 保存よりも開発が優先された昭和46年制定の「妻籠をまもる住民憲章」には、建物を「売らない」「貸さない」「壊さない」の3原則がうたわれ、それが貫かれてきたのが、現在の観光地としての繁栄に繋がっている。

 妻籠宿の中の宿はほぼ満室だったので、少し離れたところにある送迎付きの民宿かめやまに予約したおいた。15:00に電話したら直ぐに迎えに来てくれた。

 
 うれしいことに、のどかな山村風景の中の1軒宿だった。さらに、客は一人で貸切りだった。


 築年数93年の家で、民宿を始めて43年だそうだ。


 囲炉裏が懐かしい。


 料理は見た目もきれいで、煮物が多く、その味付けがとても美味しくて大満足だった。このほかにそばも出て、こはんを持ってこられたときには食べることができなかった。

【歩数計】56304歩。これまでの最高記録になった。宿場間の距離に、寝覚の床と妻籠城趾の往復が加わったから多くなったようだ。

【諸経費】コンビニコーヒー100円、コピー30円、おにぎり200円、昼食800円、ドリンク140円、宿泊費+ビール8600円 〈計〉9870円

12日目へ

10日目 奈良井宿~35,薮原宿~36,宮ノ越宿~37,福島宿~38,上松宿 〈29.2km〉

2016年06月02日 | 登山・旅行
 それにしても、今回の旅は天候に恵まれている。雨に当たったのは、3日前の午前中の霧雨だけ。このあと3日間の予定だが、雨予報はなし。

 朝食を食べたので、やや遅めの7:30のスタートになった。今日はこれまでより国道や県道歩きが少なく、いかにも旧街道歩きといった変化に富んだ楽しい歩きだった。


 2階をせり出した出梁造り、格子、入口の大戸と潜り戸、長く延びた軒の庇とそれを支える猿頭、袖壁など、江戸時代さながらの奈良井の町家の特徴を眺めながら、奈良井宿を抜ける。


 やがて、鳥居峠への入口に到着。最初は石畳の道だったが、その上は古道の雰囲気を残している九十九折が続く昔のままの快適な山道だった。


 宿を出て、55分で鳥居峠に到着。そこには、茶屋が復元されていた。途中にも中の茶屋跡に休憩できる建物が建っていた。


 鳥居峠からの下りも、登りと同じ幅広の快適な道だった。


下りの途中から次の薮原宿を望む。このあと、九十九折の急坂を下り薮原宿へ。
 

 薮原宿の手前には、尾張藩の御鷹匠役所跡碑があった。ここの鷹は鷹狩を好んだ将軍や大名に人気があったそうだ。


 「薮原宿」は、江戸後期には宿内の8割近くが櫛に関わる仕事をしていたが、現在は数軒しかないという。見つけたのはこの画像の1軒だけだった。


「宮ノ越宿」は、木曽義仲にまつわる地名や建物が数多くあり、ロマン溢れる義仲の里といった宿場である。
 この義仲館は、義仲の一生を展示しているが、三百名山巡りのときに中を観ているので、今回はパス。


 堂々たる屋敷を構える本陣跡。


 道沿いには、こんな可愛い田んぼも。


 宮ノ越宿から3kmほどに立つ「中山道中間地点の碑」。「江戸、京都双方から六十七里二十二丁」と刻まれていた。ここまで約266kmを歩いてきたと思うと感慨深いものがある。
 昼食はここで、宿でサービスでもらったおにぎりと地元のどんぐりクッキーで済ませた。


 原野から小沢集落辺りにかけて、中央アルプスの山の木曾駒ヶ岳(中央)が見える。


 こんな楽しそうな道も。このあと畑の中を通り、橋を渡って集落の中へ。


 宿場の入口に巨大な関所門が建つ「福島宿」は、福島関所で栄えた宿場である。昔の宿場の雰囲気が残っていていろいろ見所が多かった。


 番所が復元された福島関所資料館


 七笑酒造の建物


 上の段地区には、昔の宿場の家並みが残っている。


 最後の上松宿に向かう途中に「御嶽遥拝所」があつたが、肝心の山は見えなかった。近くで仕事をしていた人に訊いたら、「昔は見えていたらしいが、手前の山の木が大きくなってみえなくなった。もう少し行けば見えるよ」とのことだった。


 500mほど進んだら、国道ぞいにある道の駅の上に御嶽山が見えた。


 上松宿が見えてきた。いよいよ今日のゴールは近い。


「上松宿」は、木曾檜の集散地として栄えた宿場で、「木1本 首一つ」と言われるほど厳しい管理が行われていたという。火事の多かったところで、今は約100mほどの町並みに出梁造りの古い民家が並び宿場の雰囲気を残している。


 16:00、その街道沿いに建つ老舗旅館の田政旅館に到着。


 ここは、日観連指定の宿で少し高いが、料理が美味しいとの評判だったのて楽しみだった。朴葉みその牛肉やヤマベやうなぎ、タケノコの煮物など、この地域ならではの食材でとても美味しかった。これまでで1番かも?

【歩数計】48076歩

【諸経費】アイス・クッキーほか670円、宿泊費+ビール10260円〈10930円〉

11日目へ

9日目 下諏訪宿~30.塩尻宿~31洗馬宿,~32,本山宿~33,贄川宿~34,奈良井宿〈計37km〉

2016年06月01日 | 登山・旅行
 昨日までで当初の計画を1日分詰めることができた。このペースで行くと、木曽路までなら、もう1日詰まり、あと4日で終わりそうだ。

 今日も1時半に目が覚めて眠られず。今日は宿の関係で、奈良井宿までの37kmの上に塩尻峠越えがあるので、4:40にスタートした。天候は良かったが、最高気温は17℃と涼しかったので汗はあまり掻かなかった。

 途中でコインラドリーで1時間以上過ごしたが、15:30には宿に到着。
 

 下諏訪宿の中には、家と家の間を通るようなところもあった。
 

 下諏訪宿を抜けて塩尻峠へ向かう手前には、峠越えに備えて殿様や明治天皇が休憩した今井家小休本陣跡があった。


 塩尻峠の登り口の「右中しもすは、左しほじり峠」の道標。
 ここから道幅は狭くなり、鋪装はされているが、物凄い急な坂道だった。距離は短いが、予想以上の辛さだった。


 峠を登り切ったところには、いろいろな石碑が立っていた。うっかりして展望台に寄らずに下りに入ってしまった。
 下りも急で、昨日の和田峠の長い舗装道路の下りに引き続いてなので、すねの筋肉が痛くなった。昨日も書いたが、舗装道路の下りは苦手だ。

 
 塩尻峠を下る途中の柿沢集落には構えや造りの立派な家が多かった。中に数軒、初めて目にした「雀踊り」という飾りを屋根に付けた家もあった。


 塩尻宿の手前にあった永福寺観音堂。この旅で初めて目にした茅葺きの入母屋造り


 塩尻宿の幕末の華やかな旅籠建築といわれる国の重要文化財の小野家住宅。もとは上級旅籠「銀杏家」。

 「塩尻宿」は、中山道、松本経由の善光寺街道、岡崎に至る三州街道の3つの街道が交差する交通の要衝だった。そのために旅籠が70軒もひしめく中山道一の宿場として栄えた。しかし、明治時代の大火で、大部分が失われている。


 塩尻の町からはずっとまだ雪を抱いた御嶽山が見える。


 塩尻宿を抜けて畑の中を進む。平出地区はずっとブドウ畑が続く。幹の太さと枝の長さにびっくり。


 やがて、洗馬宿へ入って行くと、中山道と善光寺街道の分岐がある。

 この「洗馬(せば)宿」は、中山道と善光寺街道の追分で、板橋宿、追分宿とともに3宿場だけ、荷物貫改所が置かれたという。家数は幕末で150軒ほどもあり、大きな旅籠をもつ宿場として栄えた。しかし、本陣、脇本陣の庭園は鐵道の開通で失われ、昭和7年の大火でほとんどの建物は焼け落ちたらしい。


 本山宿の出桁造りの川口屋、若松屋、池田屋の旧旅籠。この向かいに本陣跡。
 この「本山宿」は、そば切り発祥の地で、江戸時代の頃までそばがきや焼きそば団子として食べられていたそうで、大名や旅人がここで今の細切りのそばを賞味して、全国に広まったと言われている。

 どこの宿場にも1861年の和宮降嫁の記録は残っているが、ここに本人が宿泊したときには、従者のほかに、京方、江戸方、松本藩の警備など総勢8万人が4日にわたって通行し、仮小屋は洗馬宿まで続いたという。


 「贄川宿」の手前から木曽路に入る。入口に大きな石碑が立っていた。


 贄川宿が近づくと両側から山が迫ってきて、川沿いの狭い中を国道とJRと旧中山道が平行して走っている


 木曽路の北境として、贄川関所が置かれた。ここも昭和6年の大火でほとんどが焼失したという。

 ここから奈良井宿までは、昨秋に北アルプスから南アルプスへの移動日の9/29にあちこち寄りながらじっくり見ている。まさか2年続けて来ることになるとは…。

 昼食は、贄川駅前の手打ちそばやでとろろざるそばを食べた。


 贄川の樹齢1000年のトチノキ。これは、昨年は見落としている。旧街道歩きのおかげ。  


贄川宿と奈良井宿の間に「間の宿」の平沢がある。ここは、800mほどの間にびっしりと漆器店が並んでいる。聞いたら120軒あるそうだ。総生産額では会津に負けるが、実用的な製品では日本一だそうだ。


 木曽楢川工芸館に陳列されている漆工芸品の一部


 昨年も印象的だった総檜造りの塩尻市立楢川小学校

 このまま歩くと、14:00前に宿に着いてしまいそうなので、平沢駅前のコインラドリーに寄って1時間以上の調整ができた。


 15:30、今日のゴールの「奈良井宿」に到着。

 この宿場は、木曽路最大の難所と言われた鳥居峠を控えていたこと、さらには、曲物や漆器工芸が盛んだったかともあり、往時は「奈良井千軒」と呼ばれるほど繁栄した。
 宿場時代を色濃く残した約1kmにわたる家並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
 建物の6割は、江戸末期から明治初期と言われている。


 今日の宿は、その中の「民宿しまだ」
 当初の計画では、この宿場に泊まる予定ではなかった。しかし、贄川宿に宿がなかったので、ここまで足を延ばすことができて念願が叶った。
 ちなみに、ここには旅館と民宿は8軒あるが、観光協定価格で?どこも8000円以上になっていた。


 玄関を入ったところの様子。この宿場の建物はどこも間口は狭いが奥行きが長い。

 楽しみだった夕食

メインディッシュは牛肉の蒸し焼き

あとで出てきた馬刺


【歩数計】55573歩、多分今回の旅の最高記録になるかも?

【諸経費】ドリンク類280円、コンビニコーヒー180円、コピー40円、昼食950円、コインラドリー1000円、宿泊費+瓶ビール+消費税9390円〈計〉11540円

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